12 結婚式
「アナイス! 来てくれたのね!」
純白のドレスに身を包んだ妹は無垢で清楚なオーラを纏い、天使のように愛らしく微笑んだ。
「私が来ないわけないじゃない」
「だって、あのフィンドレイ公爵家に嫁いだうえに、最近はしょっちゅう王宮に行ってるって聞いたんだもの。レスリー妃殿下の信頼を得るなんてさすがはアナイスだわ」
「ふふ。そのレスリー様からも、『おめでとう。末永くお幸せに』とのお言葉をいただいておりますわよ」
「え!? そんな! なんて恐れ多いの!!」
アリシアはありがたさのあまり、何故か私を拝みながら目を潤ませる。
我が家は建国当初から続く家柄で、王家への忠義に厚いことでも知られている。だからアリシアにしてもこれから婿入りするジャレッドにしても、王家への憧憬の念は人一倍強い。
「おめでとう、アリシア。ほんとにきれいよ」
「アナイスにそう言ってもらえるのが一番うれしいわ。アナイスがいなくなってから、なんだかずっと半身が欠けたみたいで心細かったの。今日会えて、ほんとにうれしい……!」
言いながら、アリシアの目にどんどん涙が溢れてくる。
「ほらほら。花嫁が泣いたらせっかくの化粧が台無しよ」
「だって」
抱きしめて優しく頭をぽんぽんと撫でると、「アナイスぅ……」なんて子どもみたいに甘えた声でつぶやくアリシア。
「本当に仲がいいんだな」
私の後ろにいた旦那様の声で、アリシアはぱっと顔を上げた。
「す、すみません、クライド・フィンドレイ宰相補佐様。今日はお越しくださりありがとうございます」
「そんな堅苦しい挨拶はいいよ。君は、俺の大事なアナイスの妹なんだから。クライドとでも呼んでくれ」
超絶美形の夫は大仰に余裕の笑みを見せ、アリシアはすかさず安堵したような笑みを返す。
「アナイスは、クライド様にとても大切にされているのですね」
「そうだな。俺の中ではこれ以上ないというくらいの愛情を注いでいるが」
「今そんなこと言わなくていいんで」
振り返って旦那様を牽制すると、アリシアがくすくすと笑いながら小声で言った。
「いろいろ心配してたけど、大事にされてるみたいで安心したわ」
「まあ、そう、ね」
*****
身内だけのこぢんまりとした結婚式は、二人の門出を祝うのにふさわしい、温かくて素敵な式だった。
アリシアとジャレッドが二人並んで現れたとき、私の心臓はぎしりと不自然な音を立てた。時間が止まったかのような錯覚の中で、呼吸が浅くなり、体の芯から凍りついていくような感覚に囚われた。
その瞬間、不意に温かな何かが私の右手を包み込む。
旦那様の手だった。反射的に旦那様を見上げると、すべて悟ったような落ち着き払った目で私を見下ろしている。
「大丈夫か?」
「は、はい」
式の最中、私たちが交わした言葉はこれだけだった。
旦那様はそれ以上何も言わなかったし、私も言わなかった。ただ旦那様の手の温もりが、私を私でいさせてくれた。呼吸を楽にしてくれて、視界をクリアにしてくれた。
私はアリシアとジャレッドの幸せそうな笑顔をしっかりと目に焼きつけながら、それでもあのじくじくとした胸の痛みに支配されることなく、無事に妹の結婚を祝福することができた。
そして、今。
「なんでこんなことになってるんですかね」
「そりゃそうだろう? アナイスと俺は夫婦だし、同じ部屋を使うのは自然なことだ」
そう言って、にんまりと満足げに顔をほころばせる旦那様。
久しぶりに実家に帰ってきた私は両親や親戚たちに引き留められ、同時に旦那様も引き留められることになり、結局そのまま実家に泊まることになってしまった。
そして、私たちが通されたのは広い客間一室のみ。
当然、ベッドは一つしかない。いや、夫婦だから当たり前といえば当たり前なんだけど。でも私たち、夫婦ではあるけどそういう意味では夫婦じゃない。まだ。
「こういうときって、『君はベッドを使ってくれ、俺はこのソファで寝るから』『いえ、そんなことできません。旦那様がベッドをお使いください』的な押し問答展開になることが多いと思うんですけど」
「そうなのか? 俺はそんなこと言うつもりはないが」
「じゃあどうするんですか?」
「一緒にベッドに寝ればいいだろ。ベッドは一つしかないんだし、俺たちは夫婦だし」
「さっきから夫婦、夫婦って言ってますけど、正式には夫婦じゃありませんからね」
「何言ってるんだ? 正式に夫婦だろ。正確にはまだ夫婦関係を結んでいないというだけで」
「そこが大問題だと言ってるんですよ。旦那様、絶対どさくさに紛れて不埒なことしようと思ってますよね」
「そんなこと思ってない」
真面目な顔をしようとして見事に失敗した旦那様は、明らかに期待を含んだ目を輝かせている。
「今日ここで変なことしたら、旦那様のこと嫌いになりますよ」
「ということは、俺はアナイスに嫌われていた段階から脱したということだな。以前より確実に前進している」
「そういうポジティブさ、今は要りませんから」
「大丈夫だ。誓って、君の嫌がることはしない。前にも言っただろう? 俺がほしいのは君の心だ。今ここで君の体を奪ったところで、君の心はきっと手に入らないと思うから」
「でも世の中には、体から先に奪って、次第に心もという筋書きがあったりしますけどね」
「そうなのか? じゃあ試してみるか?」
「あー、嘘です嘘です! 私が悪かったですごめんなさい!」
「アナイス」
いつの間にか私の目の前まで来ていた旦那様は、ふわりとその腕の中に私を閉じ込めた。
そして、切なくも甘い声でささやく。
「俺はアナイスが好きだ。アナイスのすべてがほしい。でも俺が君を求めるのと同じように、君にも俺を求めてほしいんだよ。君にそのつもりがないのに、そんなことをしてもきっと虚しいだけだ。ただ」
「ただ?」
「せめて今日だけは、君を抱きしめて眠ってもいいだろ? せっかくそういう機会に恵まれたんだし、君を恋い慕う哀れな男の切なる願いだと思って聞いてくれないか」
「えー」
「そんな嫌そうな顔しないでくれ」
「嫌なわけじゃないです。恥ずかしいんです」
「嫌じゃないのか」
「あ」
揶揄うような目でずるそうに笑いながら、旦那様はためらいもなく私を抱きしめる。
「あー、アナイスは柔らかいな」
「そこはかとなく破廉恥な匂いがする発言、やめてくれます?」
「よし。君の気が変わらないうちに寝てしまおう」
「話聞いてくださいよ」
あっという間にきっちりと寝る態勢を整えた旦那様は、ベッドの上で「おいで」なんて妖艶な笑みを浮かべる。
なんだか、やけにどぎまぎしちゃうじゃない。
動揺を気取られないように平常心を保ちながらベッドの端に横たわると、否応なく引き寄せられて旦那様の腕の中にすっぽりと収まってしまった。
と同時に、旦那様が大きく深く、ため息をつく。
「な、なんですか」
「アナイスが腕の中にいる幸福感を存分に味わってるんだ」
そう言って、私の頭の上に自分の頬を乗せ、すりすりする旦那様。
「なんだか恥ずかしいのでやめてください」
「俺は恥ずかしくないが。完全に幸せしかない」
ダメだこれ。何言ってもなんのダメージも与えられないどころか、こっちが相当なダメージを食らってしまう。
私は妙な脱力感に襲われて、無意味な抵抗を諦めた。
そして旦那様の胸に、ゆっくりと頭を預けてみる。
「旦那様」
「なんだ?」
「今日は、ありがとうございました」
「何が?」
「式の間中、手を握ってくれて。おかげで、ちゃんと立っていられました」
「そうか」
旦那様のまろやかな低い声が、耳に心地いい。
それがそのまま、まるで子守歌のように私を深い眠りへと誘っていく。
「アナイス」
「……なんですか?」
「礼などいらないから、代わりに俺の願いを聞いてくれないか」
「……いいですよ。なに……?」
「そろそろ、名前で呼んでほしいんだが」
「……名前、ですか? ……誰の?」
「俺の」
「旦那様の……? …………クライ、ドさま……」
眠りに落ちる直前、私は夢うつつの中ですんなりと旦那様の名前を口にしていた。
「アナイスの言った通りだな。自分の名前を呼ばれるというのは、こんなにうれしいのか」
しみじみとした喜びが溶けたような声が降ってきて、私は明日から旦那様を名前で呼んであげようと、素直に思っていた。




