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「君を愛することはない」から始まるまさかの溺愛結婚生活  作者: 桜 祈理


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11 君子豹変

「クライドがなんだか面白いことになっているらしいわね?」



 以前に比べるとだいぶ健康的な顔色を取り戻したレスリー様が、悪戯っぽくくすりと微笑む。言いたくて言いたくて仕方がないらしい。



「面白いこと、とは……?」

「だいぶ溺愛されているんでしょう? あの堅物のクライドが、突然態度を一変させてあなたにご執心だと王宮では評判よ」

「あ、はは」



 適当な半笑いで誤魔化そうとしても、逃げ切れるわけがない。レスリー様は楽しげな笑みを崩すことなく、得意満面で続ける。



「クライドはね、別に無慈悲で非情な人間でもないし冷血漢でもないのよ。人に対してあまり興味を持てないだけで。でも、ひとたび興味を持ってしまったら、ひたすら一途なのよね」

「はあ」

「殿下やフェリクスに対してはそうでしょう? 心を許した相手には、素直で真っすぐなのよ。そういうところが殿下も気に入っているわけだけど」

「なるほど」

「まあ、私の親友の素晴らしさにようやくクライドが気づいたということかしら? 少し遅かったような気もするけれど」

「え」

「だってそうでしょう? アナイスほど知識が豊富で機転が利いて、話しやすくて頼りになる人物なんてそうそういないわよ? そういうあなたの良さに気づかないわけがないし、もしも気づかないならクライドの目が節穴だということよ」

「いやいや、褒めすぎですよ」

「そんなことないわよ。それに、クライドはもっとあなたのことを褒めまくってるらしいわよ」



 生温かいニマニマとした視線が、痛い。しかもそれは、レスリー様だけではなくこの場にいる侍女の皆様からも遠慮なく注がれているのだから居たたまれない。



 私はいつからレスリー様の親友に任命されたのだろうとも思うけど、本題は多分そっちではない。





 あれから、旦那様の態度は激変した。




 何かというと「アナイス」「アナイス」と私を探しては呼び止め、自室にいれば会いに来るし、同じ空間にいようものなら遠慮なく距離を詰めてくる。


 私がレスリー様に呼ばれれば自分の出仕の時間を合わせて同じ馬車で一緒に行きたがるし(しかもそのときはここぞとばかりに正面ではなく隣に座りたがる)、レスリー様の私室まできっちりと送り迎えしたがるし、休日になればやれお茶だ買い物だとやたら誘ってくる。



 なんだかんだと声をかけられるから、一向に机に向かう時間がない。なので執筆活動はますます滞るばかり。



 どうしてこうなったのかと戸惑う私のことなど気にも留めず、旦那様の猛攻は日々続いている。むしろ日を追うごとに、エスカレートしている気さえする。



「アナイスだって、悪い気はしないのでしょう?」

「うーん、どうなんでしょう。びっくりすることの方が多いというのが正直な感想です」

「ふふ。ああ見えて、クライドの愛情って重いのよね」

「それはそうかもしれません」

「あら、もう来たの?」



 レスリー様のだいぶ不満げな声で振り返ると、旦那様がドア付近にいた侍女に通されて部屋に入ってきていた。自分の仕事を終えたらしい旦那様は、私の姿を目にすると愛しさを隠し切れないといった顔をする。なんか照れる。


 と、その後ろには。



「妃殿下、アナイス様、お久しぶり」



 爽やかイケメンの超社交的「鉄砲玉」男、フェリクス様がとびきりの笑顔を見せていた。



「あら、フェリクス。どうしたの?」

「いや、ちょっと休憩しようと思ったら、クライドがアナイス様を迎えに行くところに出くわしましてね。便乗してついてきたんですよ」

「ということは、あなたもアナイス目当てなのね」

「ついてくるなと言ってもしつこいんですよ」

「いいだろ? 俺だって、今王宮で話題沸騰、人気爆発中のアナイス様に挨拶したいんだから」

「人気が爆発してるのは俺の中だけでいいんだよ。お前なんかに挨拶されたってアナイスが困るだけだ」

「え、アナイス様、困ってませんよねえ?」

「はあ、まあ」

「ほら、いいってよ。だいたいクライドは、奥さんを束縛しすぎなんだよ」

「うるさい。お前みたいなちゃらんぽらんから守っているだけだ。だいたい、お前は気に入った女性を見つけるとすぐ手を出すじゃないか。だから会わせたくないんだよ」

「いやいや、俺だってまさか友だちの奥さんには手は出さないよ」

「どうだか」



 最後の「どうだか」は露骨に嫌そうな顔をするレスリー様だった。




 え、なに? どういうこと?


 何かあったりしたのかしら。




「フェリクスが油断ならないという点に関しては、私もクライドに完全同意します」

「ほら」

「妃殿下ぁ、そんなひどい」

「ひどいのはどっちですか」




 あー、これ確実に、過去に何かあったパターンだわね。


 怖いから聞かないけど。




「アナイス。帰ろう」

「はい」

「えー、もうちょっと奥さんと話させてよー」

「うるさい」



 旦那様は手でフェリクス様を追い払うような仕草をして、まるでその視界から私を隔離するように立ちふさがる。



「アナイス、フェリクスのことは放って置いて行こう」

「いいんですか? 数少ないお友だちですよ?」

「大丈夫だ。今の俺にはフェリクスより君の方が何百倍も大事だ」



 悩ましいほどうっとりするような笑顔を見せる旦那様に、何か言い返せるわけもなかった。






*****






「旦那様。フェリクス様って、昔何かあったのですか?」



 馬車に乗り込み、旦那様が当たり前のように隣に座るのを確認してから躊躇なく切り込んでみる。



「ああ、まあな。相手のあることだから、あまり詳しいことは言えないが」

「ふーん」

「そんな不満そうにしないでくれ。ただ、妃殿下も言っていた通りあいつは油断できないからな。極力君に会わせたくない」

「警戒しすぎじゃないですか?」

「これでもぬるいくらいだ。しかし今は、それよりも」



 旦那様は唐突に、思い詰めたような真剣な表情になる。



「もうすぐだろう? 妹の結婚式」

「あ」



 あの手紙が届いた日から、旦那様の激変ぶりに振り回されすぎて忘れそうになっていた。そういえばそうだった。




 ひとまず、出席する旨の返事はすぐに出してある。


 ただ、気持ちは言うまでもなく後ろ向きだった。できれば行きたくない。でも行かない理由がない。きちんとその場に立って、アリシアに直接祝福の言葉が言えなかったらきっと一生後悔することもわかっている。




 でもそのとき、私は普段通りに笑えるだろうか。


 アリシアの隣に立つジャレッドを見て、痛みのあまりまた心が暴れ出さないだろうか。不安しかないのだが。




「大丈夫だ。俺も行くから」

「は?」



 まるで私の頭の中を見透かすかのような旦那様の言葉に驚いて顔を上げると、何の翳りもない真っ直ぐな笑顔がそこにはあった。



「アナイスを一人で行かせるわけがないだろう? すでにクレヴァリー伯爵家にも伝えてあるから心配するな」

「どうして」

「どうして? 君一人につらい思いをさせたくないからな。傷つくとわかっていて、それでも行かなければならないのならその傷を癒す人間が必要だろう? それに、君が泣くとわかっているのに慰める役目をほかのやつに譲る気などない」

「泣くとは決まってませんよ」

「泣かないわけがないだろう? そんなに好きなのに、今だって話してるだけで泣きそうじゃないか」



 そう言った旦那様だって、困ったように、切なそうに、苦笑している。



 この人にこんな顔をさせているのは私なんだと思うと、なんだかとても、申し訳ない。



「ごめんなさい、旦那様」

「謝ることなどないといつも言ってるだろう? 君が泣くときは、一番近くにいて真っ先に抱きしめたいだけだ」

「抱きしめる口実なんですか」

「そうだな。そんなことでもないと、君は黙って俺に抱かれてくれないだろ」

「そういう下心ありきだったんですか」

「下心があるのを否定はしない。何せ、俺は今残念ながらアナイスに絶賛片想い中だからな。こんなに近くにいるのに、思うように抱きしめることもできなければそれ以上のことだってもちろんできない。生殺し状態だ。苦痛極まりない」

「なんですかそれ。最初に『夫婦関係を結ぶ気はない』とか言ったのそっちじゃないですか」

「まったくだ。なんであんなこと言ったのか、今になって激しく後悔してるよ。あのとき素直に君とそういう関係になっていたら、今頃はめくるめく――」

「変な妄想するのやめてください」



 最後はいつもこんな感じで、なんだかよくわからないけどあーだこーだ言って気が紛れて、旦那様のおかげでずいぶん救われていることは確かだった。










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