15「天啓」
また、車内に幼児を置き去りにしてパチンコをしていた若い夫婦が熱中症で息子を死なせてしまう事件が起きてしまった。
同様の事件が起きる度に、私の思いは一つの思考に収斂してしまう。
そもそも、私の幼少期は貧しい生活を強いられていた。
幼いながらも大切に育てられ、貧しさから抜け出そうと決意して勉強に勤しみ県立高校から地元の国立大学に進学。
学費は、新聞配達などのアルバイトの掛け持ちと奨学金で工面した。
無事卒業となり、何か人助けがしたいと思い医療事務ならその一助になるのではないか?と思い大学の附属病院に就職。
だが、医療事務は思いの外多忙を極め、なかなか人助けに結びつく行動を取れずにいた。
そんな中、やはり臓器移植を待つ患者とその家族の辛苦には毎回の様に心を痛めていた。
無事、臓器移植が成功して退院していく患者ばかりであれば良いのだが、やはり適合するドナーが現れずに亡くなってしまう患者とその家族の無念の思いに触れると無力感に苛まれてしまう。
然るに世の中は不公平が蔓延しており、若者達が自身の未来に悲観して簡単に自殺を選んでしまう現実がある。
また、自殺志願者が集団で練炭自殺を図ったり、同じく自殺志願者が自殺すら成し遂げられずに自暴自棄になり、善良で何の罪も無い弱者を巻き込んで殺してしまう事件なども頻発している。
「どうせ殺すのなら誰でも良かった」などと語るのは失笑を誘う台詞でしかなく、本心は「どうせ殺すのなら無抵抗な弱者であれば誰でも良かった」と正直に語るべきではないのか?
他方で、家庭内でのDVにより児相にも保護されずに命を落とす幼い命も後を絶たない。
それに加えて、今回の幼児を車に置き去りにして熱中症で死なせてしまった事件である。
しかも、若い夫婦がパチンコに興じていたとあっては言語道断である。
そんな近年の日本の現状を俯瞰で眺めていた時、唐突に天啓が舞い降りて来た。
それからは、自分の描く理想的な未来の秩序の実現の為に邁進した。
初めは余りにも荒唐無稽な話で誰も見向きもしなかったのだが、臓器移植を待つ患者の家族からの訴えが後押しとなって実現へのハードルを一つ一つクリアしていった。
あとは、条件の揃う患者とドナーの出現を待つだけである。
そのタイミングで、運悪く豊梨病院の臓器移植手術が公になってしまったのは我々にとって足枷にしかならなかった。
次の機会での失敗は絶対に許されない。
フィクサーとして采配を振る覚悟を固めた。