第98話 脅威襲来―魔術国家インティアル編―
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正体不明とされていた人類の敵。
大災厄が討伐されたあの日から、既に百年が過ぎている。
人間にとってはもう昔話。
多くの亜人にとっても昔話。
けれど、エルフやドワーフといった長寿の種族にとってみれば、ほんの少し前の話。
あの日。
世界には大きな衝撃が走った。
情報が一斉に広がったのだ。
世界を震撼させるきっかけとなったのは、情報を司る風の勇者ギルギルスによる、伝令:【虫と風の囁き】。
そして中立組織たる冒険者ギルド本部からの正式発表。
主な案件は二つ。
人類と敵対していない魔王の発見。
そして、勇者の戒めが解放されたとの公式見解である。
千年以上も続く大森林のエルフ王朝。
フレークシルバー王国。
長い歴史の中でいつまでも残り続けるその王国にて、新しく王位を継いだエルフ王の正体が、魔王だというのだ。
曰く、幸福の魔王。
レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバー。
かつてレイド=アントロワイズと呼ばれた、海賊パーランドを討伐した賢者と同一人物だとは確定している。
ハーフエルフの魔王であることも確実。
だが問題はその新しきエルフ王が、魔王だという事だけではない。
その魔王は禁忌を犯した。
よりにもよって、勇者が人類に敵対できないようにされている制限を、個別に解除しているというのだ。
実際、制限を解除された勇者ガノッサや風の勇者ギルギルスは既に魔王の傘下に下っているとされている。
勇者を利用していた世界各国の王は思っただろう。
――余計なことをしおって、と。
多くの大陸、多くの国、多くの組織ではエルフ王に対する非難が発生した。
建前では魔王が王となった事への批判。
だがその本音は、使い潰せるはずの勇者を自由にできなくなった点にあったのだろう。
だから当時のエルフ王は、こう言ったのだという。
『ならばこの長い人類史の中、あなたたち人類が世界のために動いていた勇者にしてきた仕打ちは、許されることだったのでしょうか――?』
と。
魔王は語った。
斧の勇者に起こった悲劇を。
風の勇者に起こった悲劇を。
エルフの里に流れ着いた勇者の悲劇を。
そしてそれは人類の汚点だと、多くの王や世界代表の前で、はっきりと断言したのである。
それは魔王が勇者の肩を持つ、前代未聞の出来事だった。
問題だったのは証拠が揃っていた事か。
狡猾なるエルフ王は、その底知れぬ魔力と英知を用い、当時の映像を復元してみせていたのである。
当然、捏造だとの声が上がった。
過去を見る魔術など存在しないが、映像を作り出す魔術は現実で再現できる魔術。
だから検証委員会が開かれ、各国の大魔術師と呼ばれる者が集い、映像を解析。
それで捏造が暴かれ、魔王の目論見は潰える。
――筈だった。
だが、大魔術師たちは皆、驚嘆した。
単純な話だ。
過去を見る魔術……過去視の魔術は本物だったからである。
大魔術師たちは自分たちの手でそれを証明し、自らの組織の首を絞めてしまったのだ。
多くの大魔術師たちがそれを真実としたせいで風向きは変わった。
勇者たちは当然、魔王の味方をした。
そんな非道を行う人類から、魔王は勇者を守ろうと動いただけだと賛同したのである。
中立であるはずの冒険者ギルドも、商業ギルドも何故かこの件に関してはエルフ王の肩を持ち続けている。
ギルドはまるで何かに怯えるように、探るように。
魔王の言葉に従っているのだ。
エルフ王の背後に、創造神がいるとの噂まで流れているが――。
あくまでもそれは噂。
真相は闇の中。
大森林の中にあるフレークシルバー王国。
そのエルフ王には逆らうことなかれと、皆は口をそろえて忠告する。
彼の王は眉目秀麗。
まるで神話の世界から抜け出てきたような美しき英雄だが、その性質は魔王。
自らの国や弱者を守るためならば、穏やかな微笑は冷徹な殺意へと切り替わる。
なにより幸福の魔王の逆鱗に触れた者は、勇者とギルドを敵とする。
その虎の尾を踏むことなかれ。
必ずや、逃れようのない神罰が下る――と。
世界脅威度ランク最上位。
世界の脅威・第一席。『幸福の魔王』警告ページより抜粋。
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そんな――。
観光案内とともに渡された注意書きを眺めていたのは、この私。
途中で噛んでしまうと不敬となるにもかかわらず。
長い名前が厄介。
どうしても何度か呼んでいる内に噛んでしまう、と――。
巷で迷惑がられているエルフ王。
レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバーは現在、案の定発生した、女神の気まぐれ。
そろそろ飽きたしどこか別大陸に観光にいこうぞ! の発動により、一人、別大陸を旅していた。
護衛もつけずに王が単独行動するなど、普通に考えたら無謀なのだが。
そこはそれ。
既に家臣たちは国の中で一番強い私の力を疑ってはおらず――フレークシルバー王国の留守を、クリムゾン殿下とプアンテ姫に任せての外遊を承認。
女神の余興のために、新たな大陸に足を踏み入れたのだが……。
空には常に空中庭園という名の浮遊大陸が追従。
地上を見下ろす三女神が私を肴に宴をしているのだが。
湖に反射する空を見上げて私が言う。
「それで――いつまで徒歩での旅を続ければ宜しいのですか? もう面倒なので転移して目的地に向かってもいいのでは?」
空がペカーっと光。
無駄に神々しい声が降ってくる。
『なに、どうせ急がぬ旅じゃ。妾もそなたが旅をする姿を観察でき、そなたも王宮の下らぬ雑事から解放されストレス解消。ふむ、これは両者が得する、ウィンウィンというヤツであるな?』
時刻が昼という事もあり、昼の女神アシュトレトだろう。
「WIN-WINと言いたいのでしょうが。旅だというのならあなたも降りてきたらどうなのですか?」
『そうしたいのは山々じゃが、そなたが妾に贈ってくれたドレスが汚れてしまう。それにあまりにも美しい男女がともに歩いていては、世界に嫉妬されてしまうであろう。これは世界への配慮じゃ。妾、とっても人類想いじゃな?』
確かに、王位を継承してから百年。
今の私はエルフの基準としても少年とみられることはなく、湖や泉に反射する姿も神秘的な美青年そのもの。
ファンタジー世界を題材にした美形の代表。
成人した王族エルフの貴公子。
私が魔王だと知らない遠くの大陸では、エルフを束ねる”美貌王”……。
などという、恥ずかしい二つ名までいただいていると、風の勇者ギルギルスから聞いている。
自らの容姿を過度に自慢するつもりはないし、自画自賛になるだろうと恐縮してしまうが。
白銀女王スノウ=フレークシルバーを彷彿とさせる並外れた美貌は事実として健在しているようだ。
実際。
今も泉の精や湖の精霊は、私の顔にうっとりと頬を赤らめ魅了状態。
旅の画家に呼び止められること数回。
好色な貴族に、身売りを強要されかけたことさえある。
もっとも、ただの好奇心や芸術探求の一環ならばともかく。
悪意を持って近づいてきた者達にはそれなりの仕打ちが待っていたが。
ともあれ。
「女神なのですから狼や狐や、猫に化けることとてできるでしょうに」
『ほう、なんじゃ、一緒に歩きたかったのか?』
「ええ、その方が楽しい旅になるでしょうからね」
『言うようになったではないか。べ、別に妾は嬉しくなんかないのじゃからな!』
最近の私は女神の扱いにも慣れつつあった。
彼女たちは存外に真正面からの好意に弱い。
まあこのように、百年前とさほど変わらず過ごしているのだが。
現在の場所は――かつて大災厄の放つ瘴気に襲われ、半壊状態となっていた山脈大陸。
その全土を既に戦争により統一している大きな国家。
魔術国家インティアル。
インティアルの優れたところは人間種が主軸であるにもかかわらず、魔術に非常に長けているという事。
そして、国民一人一人の平均レベルが高いことにあるだろう。
あくまでも豪商貴婦人ヴィルヘルムと風の勇者ギルギルスによる情報によればだが――識字率も高く、奴隷の身に落とされた者ですら、読み書きができるとされている。
文化レベルを探る場合に、子供の教育レベルが一つの基準になるとされているが。
このインティアルでは、子供ですら火を熾す魔術を発動でき、ある程度魔術式を理解しないと発動できない――無から水を発生させる魔術を使用できるとのこと。
もっとも、またしても自慢となってしまうので恐縮だが。
我が国に比べると脆弱――数段劣る魔術レベルではある。
こちらはエルフ。
魔術に関しては一枚も二枚も上手であり、なにより今の我が国は魔王や勇者、三女神が集う異常な地。
百年の間に、そんな英雄を超える者たちがいることが当たり前――上位存在と平気で共存共栄しているせいで、異常者の育つ環境が整いすぎているのだ。
百年前に行われた大規模な意識改革の影響だろう。
長寿の種族は別として、人間のような短命種族にはエルフといえば品行方正だとされ始めているので、他種族からの評判も悪くない。
ただ唯一、今もなお現役の、実在と所在が確定している魔王の私が王という事が、懸念されているが。
ともあれだ。
私は順調に徒歩の旅を続け――魔術国家インティアルの関所を通り抜け。
王都の入り口にて、通行書を提示し――。
そして、ガシャン。
なぜかいきなり投獄されていた。
私の魔術国家インティアルでの冒険は、初手取り調べから始まったのである。
もちろん、この件は後に大陸規模の大問題になるだろうが。
被害者である私の責任ではない。
ろくに相手を調べず投獄したこの国が悪い、と私は自己の正当性を主張しようと思うのだ。