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第97話 零れる真珠


 時間も分からぬ暗い部屋の奥。

 王宮から離れた、いわゆる離宮の地下に作られた秘密の施設。

 睫が凍るほどに冷やされた極寒の部屋には、氷でつくられた多くの彫像が並んでいる。


 おそらく何も知らないものが見れば、美麗なエルフ達を模った調度品に見えるだろう。

 けれど。

 見るものが見れば、それがかつて王族という地位を利用し私利私欲を満たしていたエルフだと、すぐに理解する筈だ。


 彼らは実際に人間狩りを行い、残酷な実験や享楽を是としていた犯罪者。

 既に王族の序列からも除名されている。

 凍り付けとなっている彼らの主な役割は、私による実験の試験体。


 今日も回復魔術や、蘇生魔術の実験の光が離宮の空を揺らしていた。


 試験体の意識は既に死んでいる。

 それはクリムゾン殿下に寄せられた、貴族や王族からの嘆願による結果である。

 罰や将来のための実験だとしても非人道的行為が過ぎると、同情を寄せたようなのだ。


 嘆願書を提出してきた彼等は悪さをしていなかった貴族たちであるが。

 それでも顔見知りがそういった実験に使われることに関して、思うところがあったのだろう。

 非人道的な実験だとはクリムゾン殿下も考えているようで――。

 私が一歩引き、彼らの願いを受諾した形となっている。


 もっとも、意識の有無など実験には些末。

 エルフの王族の素材があれば実験は継続できるので、問題ではない。

 私は蘇生魔術の練度を高めるべく、詠唱を続けているが。


 不意に詠唱を邪魔する音がする。

 階段を下る足音だ。

 クリムゾン殿下が配属させてくれた、信用できる文官の一人と武官の一人だろう。

 だがもう一つ、静かで優雅な足音が続いている。


「お兄様、実験中に申し訳ありません。プアンテ=ド=メディエーヌ=フレークシルバーでございます。少しお時間宜しいでしょうか?」


 実験室の扉の前にて――お兄様と私を呼ぶのは、魔王仲間のプアンテ姫だったようだ。

 床に散らばる王家の血を清掃魔術で掃除した直後、私が言う。


「構いませんよ。ただすみません、手が汚れておりますので……転移で入ってきてください」

「はい、それでは失礼させていただきます」


 転移門を発生させたプアンテ姫が実験室に顕現する。


 彼女は魔王であるがまだ子供。

 あまり残酷な場面を見せるべきではないと、実験体たちは奥にしまっているのだが。

 白銀女王スノウ=フレークシルバーの再来、生まれ変わりとさえ勘違いされるその白雪のような美しい姫は、にっこりと見事なカーテシー。


「伯父様方もごきげんよう。とはいっても、もう意識はないのでしたわね」

「すみませんね、あなたにとっては憎悪の対象。復讐の象徴なのでしょうが――」

「いいえいいえ! お兄様がお決めになられたことに、このプアンテはなんの異論もございません! このわたくしをお兄様の傘下に入れてくださった、その御慈悲に感謝こそすれ、不満など何一つございませんの!」


 プアンテ姫は魔王という事もあり、同じ魔王で上位の魔力を持つ私に心の底から畏怖している。

 彼女には無限に広がる闇のような魔力が、ぎしりと口を開いているように見えているようだが。

 親戚を受け入れる顔で私は言う。


「もう少し打ち解けてくださるとこちらも話しやすいのですが、難しいのでしょうね」

「はい……その、正直申し上げますと。わたくしもようやく落ち着き、女神様からも恩寵を授かり、毎日の精神修行も欠かしておりませんので、少しは強くなっているのです。ですが、強くなればなるほどに、見えてくる世界が広がれば広がるほどに――お兄様の底知れぬ魔力に押しつぶされそうになってしまいまして……」


 プアンテ姫の見える景色を把握するべく、同じく赤い瞳を【魔力同調】にて視界ジャック。

 彼女が見ている景色の私は……。

 ……。

 なんというべきか、やはり相当に恐ろしい存在として闇の亀裂から言葉を発しているようである。


 委縮してしまっているようだが、何か大事な要件がある筈。


「それでプアンテ姫、いったいどうなさったのです?」

「そ、その……大変無礼だとは存じておりますが、折り入ってお兄様にご相談がありまして……。先日、昼の女神様の神殿をお創りになられたと、お聞きしておりますが――それで、あの……」


 今のプアンテ姫の姿は猛獣の前で、あわわわわ。

 なんとか言葉を絞り出す子犬のようである。

 なるほど。


「話はだいたい読めました。おそらく、午後三時の女神ミス・アフタヌーンティーが自分にも神殿を作る許可を取ってきなさいとでも言いだしたのでしょう?」

「あの、その……はい。お恥ずかしながらご慧眼の通りに御座います」


 まあマルキシコスの神殿が作られ。

 それに便乗してアシュトレトが神殿を作りたいと言い出したのだ。

 バアルゼブブとダゴンはともかく、主張の強い女神ならそう言いだすことは想定内。


 ――私は研究の手を止めて。


「あなたはどうなのです?」

「どうとは」

「あの女神の神殿を作るという事は、ここには三女神以外の創造神が常駐していると世間に知られてしまうでしょうからね。今は私という魔王が既に存在するため、あなたの魔力は陰に紛れることができている。魔王としての正体は秘匿されているわけです、しかし神殿が作られるとなると――」


 もう一人、女神の駒として認められた魔王がここにいると、勘づく者はでるだろう。


「わたくしはもしお兄様がお許しくださるのでしたら、それでいいと存じております」

「分かりました。ならば神殿の希望や草案を纏めておいてください」

「ありがとう存じます。実は既に草案でしたらございまして……。それでその、あの文官と武官の方々に相談して、却下して貰おうと思ったのですが。却下するにもお兄様の許可がいるからと、こちらに連れてきてもらったのです」


 しばらくの間。正規手段を通して上がってきた皆からの声は、必ず私の耳に届けてほしいとお願いしていたからだろう。

 兄が配置してくれた部下たちは、ちゃんと役目を果たしているようだ。


「拝見しましょう」

「一応、女神様の希望はこのようになっているようなのですが……」


 申し訳なさそうに言ってプアンテ姫が顕現させた草案にあるのは、子供が描いたようなお菓子の家。

 神殿の内装にはスイーツやお菓子の山。

 こだわりがあるのだろう。

 とてもいだいなクッキーの玉座。等、細かい注文が子供のような字で書いてあることからすると、間違いなく、あの午後三時の女神の直筆だろう。


 とても女神の神殿には見えないが――。


「確認したいのですが……神殿の建設では?」

「わたくしもそう申し上げたのですが、どうもせっかくならお菓子の家を作りたいのだわ、と手足をバタバタしていらっしゃって……やはり、ダメ、ですわよね?」


 しばし考え、私は書類にサインを認めていた。


「ふむ、まあいいでしょう」

「宜しいのですか!?」

「宜しいも何も、本人の希望なのでしょう?」


 プアンテ姫が言う。


「てっきりお兄様でしたら無駄な施設は要らないと、書類ごと、闇の渦に沈めてしまうものかと……」

「あなたは私を一体どんな暴君だと思っているのです」

「え!? あ、あの申し訳ありません! 女神様から魔王アナスターシャを使った嫌がらせの数々の話を、延々と聞かされていたもので……」

「まああの女神と因縁が少しあったことは認めますがね。けれど、今は私の大事な家族を守っている女神であることに違いはない。無下にはしませんよ」


 プアンテ姫がぽかんとした表情で。


「大事な家族、でございますか?」

「あなたと私は直接とは言わなくとも血の繋がりがありますからね。私の母は白銀女王スノウ=フレークシルバー。そしてあなたの父は白銀女王の弟。従妹にあたるわけです。共に宮殿にいるのならば、家族と言って差し支えないのでは?」

「お兄様――」

「なんでしょうか」

「このプアンテを家族と言ってくださるのは、とても光栄です。しかし、血の繋がりがあるからと言って大事な家族と思うのは、少々危険な考えではありませんか?」


 プアンテ姫が眺めているのは、血の繋がりがありつつも彼女を殺そうとしていた王族たち。

 その赤い瞳には侮蔑と憎悪が浮かんでいる。

 当然、まだ恨んでいるのだろう。


 それはおそらく、彼女が家族を殺されたから。

 そして、家族ではなくとも大事な従者や家臣を多く喪ったからだろう。


「安心してください。血の繋がりがあるから家族だと思ったのではありません。共に同じ痛みを知っているあなただからこそ……家族だと思った、ただそれだけですよ」

「とても嬉しく思います。けれど、やはりお兄様は甘いですわ――わたくしはあなたを復讐のために利用した。その事実は変わりませんもの」

「利害が一致した結果です。気にしていませんし、私もあなたを利用しましたからお互い様ですね。それとも、魔王として多くの存在を既に殺戮している私に、そして、復讐のために国を一つ混乱の海に落としたことのある身勝手な私に、家族と思われるのは――お嫌でしょうか?」


 私はおそらく利己的な人間だ。

 いや、人間ではなく魔王でハーフエルフだ。

 プアンテ姫は魔王として私の力に怯えている。


 だからこそ、相手の意見は尊重したい。

 今の私はおそらく、女神たち以外ならば全てをイエスと強制的に頷かせる力がある。

 身内と思われたくない。

 そういった思いがある可能性を、私は配慮しなくてはならないだろう。


 問いかけに、プアンテ姫は静かに瞳を閉じて。


「いいえいいえ。とても、ええ、とても……、嬉しく思います」


 空気が少し変わっていた。

 白銀の少女はまるで正面から風を受けたような。

 そんな表情で私を呆然と眺めていた。


「お兄様、もう一つだけ、お願いがあるのです。よろしいでしょうか?」

「私にできることなら構いませんよ」

「少しだけ無礼をお許しください」


 唇だけで言ったプアンテ姫は私の頷きを待ち。

 許可を得たと同時に、その唇を小刻みに震わせ始めた。


「嬉しいに決まっておりますわ……」


 復讐相手が凍り付けとなり。

 氷の彫像として並ぶ中。

 少女は小さく語り始める。


「――わたくし、不安だったのですっ。お父様もお母様も殺されてしまい、婆や爺やも、傍仕えのフランソもみんな、みんな……っ、全てを失ってしまいました。そんな絶望の中に光を燈してくださったのは、女神様と、そしてお兄様だけでしたの。だからっ、本当に、本当に、そういっていただけると、このプアンテは、プアンテはっ」


 言葉の途中に、少女は突然私に抱き着いていた。

 感極まった様子で、私の胸に顔を埋め。

 肩を揺らす様は小動物のようだった。


「クリムゾン殿下もあなたを助けるように動いていたと思いますが」

「どうしても、信用できなかったのですっ。あの方がわたくしを守ろうとして下さっていたのか、白銀女王の再来とされたこの【無限の魔力(赤い瞳)】を狙っていたのか。もう、わたくしにはっ、プアンテには分からなくなっていたのですっ」


 声が、私の服に吸われていく。

 しかし吸っていたのは声だけではなかったようだ。

 エルフの涙は魔力の塊。

 それは真珠のような結晶となり、キラキラキラと床に散らばり。


 宝石のように、床が輝き始めていた。

 真珠が、魔王たる私と魔王たる少女の姿を反射している。

 やはり少女は縋りつくように、泣いていた。


「けれど、お兄様は違いました。わたくしを塵芥のような脆弱な存在だと知っていながら、こうして優しくしてくれています。出逢った時も、わたくしの事を気に掛けてくださいました。お兄様は、わたくしと同じ魔王。力の差に恐ろしいと思っております、畏怖しております、けれど、それ以上にっ、怖いからこそ、その恐ろしき魔力の渦が頼もしいのです。とても強大だからこそ……わたくしは、安堵できました。お兄様の味方になれて、ようやく、静かに落ち着ける時間ができました。女神様には恩があります、けれど、とても気まぐれです。でも、お兄様なら……お兄様の傘下にいるという事実が、このプアンテをとても落ち着かせてくれるのですっ。だから、プアンテは、プアンテは、お兄様の家族だと言っていただけて……っ」


 とても嬉しいのです。


 と、プアンテ姫は私を見上げ肩を揺らして泣いていた。

 それは紛れもない少女の号泣。

 魔王であるにもかかわらず、瞳に涙を浮かべている。

 赤い瞳の表面に、涙の色が反射している。


 まだ二百歳に満たない少女は、エルフにしてみれば本当に子供なのだ。

 だから、ずっと不安だったのだろう。

 いつもは魔王として、生き残った家臣を従える姫として気丈に振舞っていたが、これが彼女本来の姿なのだろう。


 私が守れなかった姉ポーラと、彼女は少し似ている。

 強がりなのだ。

 白銀の髪には泣いて発生した魔力の光が、キラキラキラと輝いている。


「とても、辛かったのでしょうね」

「はい……っ」

「気持ちがすべてわかるとは言いません。けれど、私も家族を勢力争いに巻き込まれて殺された経験があります。本当に、憤ったのでしょうね」

「はい……」

「あなたはとても頑張りましたよ。私が認めます。けれど他でもない、それはあなた自身が一番知っている筈です。健気に努力し続けていたあなたを、私は好意的に思っています。だから、どうか、あなたももう少しだけ自分を好きになってあげてください」


 頑張りを認められた少女は頷き。

 私の腕の中で真珠の涙を浮かべ続ける。

 魔王とて、泣くことができるのだろう。


 それは既に私には失われてしまった能力だ。

 女神たちの気持ちが、今ならば少し理解できていた。

 失ってしまったものだからこそ、二度と取り戻すことができないからこそ――より一層、愛おしく見える。


 感情に従い素直に泣ける彼女の事が――。

 私の瞳にはとても価値ある、大事な宝物に見えていた。


 女神もきっと、今の私と似た感情で私を眺めていたのだろう。育てていたのだろう。


 もう二度と、取り戻せない。

 もう二度と届かない。

 掴むことができない、大事なもの。


 そんな思いに、どこか憧れと焦燥を抱きながら――。

 ……。

 少女が泣き止むまで、家族としての私は静かに彼女を支え続けた。


 ◇


 泣き止んだプアンテ姫が頭を下げて微笑み、帰った後。

 残していった神殿の草案が、パララララと勝手に開いていた。

 振り向くとそこには――。


 つたない文字で、ありがとう……と、誰かのいたずら書きが付け足されていた。

 プアンテ姫を魔王として拾った創造神。

 午後三時の女神だろう。


 気配はなかった。

 私の感知能力を上回ったのは、さすが女神と言ったところか。


 ……。


 別に。悔しいと言いたいわけではないが。

 後でバアルゼブブに索敵の修業をつけて貰うと誓い――。

 私は生命の実験を再開する。


 今の私が無条件に蘇生できるのは、死んだ直後の存在のみ。

 勇者ガノッサの妻を蘇生させたときのように、アイテムを用い条件指定をすれば直後ではなくとも効果を出せる。

 だが安定はしない。


 けれど、この研究が進めば――。

 条件付きであっても、もっと高度な蘇生が発動可能となるかもしれない。

 プアンテ姫のように大事なものを奪われたモノに、新しい選択肢を与えられるかもしれない。


 そして、私にとっても――。

 もう二度と手に入らないとしても。

 もう二度と失わないために……。


 だから生命の研究に邁進する私の手は、止まらず動き続けるのだ。





 幕間章 ―終―

次回、新章開始。

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