第96話 公務デートは明け方と共に
王都の一等地にアシュトレトの神殿新設が決まり、数日後。
動いていたのは、この私。
エルフ王たる魔王。
レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバー。
そして私と思考の方向性が近い、淑やかなる明け方の女神ダゴン。
この世界とは異なる聖職者の異装を纏うダゴン。
他の女神とは違い王宮の引継ぎを手伝ってくれる彼女は、修道士のヴェールの隙間から垂らす清らかな髪を、明け方の光に輝かせ。
ふふふふふふっと控えめな笑みを浮かべている。
少しだけ濡れた唇から、清らかな声が漏れる。
『この設計図通りならば――気まぐれなあの娘も、満足してくださると思いますわ』
「すみませんね、こんな明け方から」
『あら、旦那様――あたくしの担当時間でございますし。なにより旦那様のお役に立てるのなら、あたくしは本望に御座います。それに、先ほどご褒美も頂きましたし。もっとあたくしがお役に立てる時間を増やしていただいても構わないのですけれど』
言って、濡れた唇をペロリと舌で辿っているが。
「――それはよろしいのですが」
『あらあらまあまあ! 照れていらっしゃいますでしょうか?』
「ダゴン、戯れはその辺りで」
『――そうですわね。観衆も多いですし……蜜事は隠れながらだからこそ、刺激となる。そう仰りたいのですね?』
「始めますよ――」
たわ言を聞き流し、私は詠唱を開始。
魔術を組み始めると、空と大地が揺れ始める。
女神ダゴンと共に彼女が気に入りそうな内装や外装を調べ、本人にも承諾を得た設計図なのだが。
魔法陣の数は膨大で、さらに規模も大きく膨らんでいく。
大陸を包むほどではないが、大森林の上空全体に並列された魔法陣が回転を始めていた。
事前に冒険者ギルドには連絡しているので、これで大騒ぎになることはないが。
魔術に長けた観衆の目は、広がり続ける魔法陣に惹きつけられている。
魔導ゴーレムを作り出す技術の応用で、神殿をそのままゴーレムとして建設する予定なのだが――既に現地では人だかりが発生していたのだ。
新たなエルフ王が魔術を行使するという事で、見物に来ているエルフが多くいたのである。
おそらく彼等からの評価は十分以上に得られているだろう。
ただ護衛もつけずに私が動いていること。
得体の知れない神。
女神ダゴンもつれて歩いていることに驚いている者もいたようだが。
それ以外の視線も複数感じられる。
ダゴンもそんな目線を感じたのだろう。
『あらあらまあまあ! ふふふふ、何人か他国のスパイが入り込んでおりますわね。ほら、あの方とあの方、あたくしと旦那様を見て震えていらっしゃる。単騎で潜入できるほどの実力ならば、あたくしたちの本来の姿が少しだけ見えているのでしょう』
「プアンテ姫のように……力が強いモノほど、私達は得体の知れないバケモノに見えているでしょうからね」
消しますか?
と、ダゴンは潮騒の音を発生させ静かに告げるが。
「いえ――おそらく勇者の制限を消せると噂を聞いてやってきた、どこか別大陸の勇者でしょう。私たちの本質を覗いたのなら、なにかやらかす気もなくなる筈。後でそれとなく接触してみるので、泳がせておきましょう」
『旦那様がそうおっしゃるのでしたら……しかし、よろしいのですか?』
「なにがです?」
『勇者にかけられている行動制限の事ですわ。個別に対応するのも時間がかかりますし、いっそ、世界の法則自体を根源から書き換えてしまった方が手っ取り早いのかと』
たしかに魔術とは法則を捻じ曲げる現象。
今も勇者にかけられている制限自体を世界から除去、魔術式で上書きすることもできるが。
「今それをやってしまったら、勇者がこの国にやってこなくなってしまうでしょう。それは面白くない」
『あら? 勇者にお会いしたいのです?』
「あくまでも外貨を稼ぐ、そして文化を流入させるという意味でですが――エルフだけではなく、他の種族も多くこの国に迎え入れたいとも思っていますからね。勇者が動けば、その勇者を囲っている国も何らかの動きを見せる。必然的にフレークシルバー王国についての知識を入手しようとするでしょう。そしてそうなった際にどこに頼るかというと」
『ほぼ全大陸、全国家に配置されている中立機関。冒険者ギルド本部や商業ギルドというわけですか。では既に各ギルドとは提携を?』
相変わらず。女神ダゴンは理解も話も早い。
やはり思考ベースが私と近しいのだろう。
「あちらも所在が知れていて、会話も交渉も可能な魔王とのパイプは持っておきたいようでしたからね。そして私は勇者の制限解除を止める気はない。しかし、制限解除された勇者が暴れ始めてもギルドとしては困る……だからこそ、どの勇者が制限を解除されているか、私に情報提供を求めているというわけです」
『そこに金銭の発生は』
「さて、私からはお願いはしませんがね」
『勇者も勇者で、制限解除を頼むのなら旦那様の要求には従わないといけない。既に勇者もギルドも、旦那様の手のひらの上で踊らせることができるというわけですか』
やろうと思えばフレークシルバー王国の魔王は、勇者さえ使うことができる。
その事実は冒険者ギルドにとって大きな懸念となるだろう。
「冒険者ギルドも商業ギルドもこれから必死となって、エルフへの報復や、エルフの人身売買を止めるでしょうね。きっと良い抑止力になってくれるはずです」
『あら、旦那様はエルフを守りたいのでしょうか?』
「民草を守らぬ王とは言われたくはありませんからね。王となってしまった以上は、責任を果たしますよ」
一度拾ったからには、最後まで責任を持つ。
それは当然の倫理観と認識しているのだが――女神ダゴンは困った顔で頷いて。
『ならばまずは、彼らを旦那様に守られるほどの価値のある存在に鍛え上げる事が急務でしょう。あたくし達は、旦那様一人が王として君臨する空き地でも……何も問題ないのですから』
「エルフが嫌いなのですか?」
『いいえ、あたくしが嫌いなのは旦那様を傷つけ、そして迫害しようとする全ての命でございます。ただ、旦那様のご慈悲を誤解し、国を乗っ取ったと無知蒙昧な陰口を吐く者もでてくるでしょう。はたしてエルフに旦那様がお拾いになる価値があるのか、測りかねているというのが現状ですわ』
女神ダゴンは涼しげな顔で言う。
『彼らに旦那様の民でいられるほどの価値があるかどうか。あたくしは天に祈るばかりでございます』
「彼らは長い間の白銀女王の統治と、大災厄に汚染された統治で増長してしまっただけ。おそらく、ちゃんと教育をすればまだ間に合いますよ」
『はい、不肖ながらこのあたくしも……微力ではありますがご協力させていただきます。必ずや彼らを、旦那様の臣下としてふさわしい人材へと育て上げると約束いたしますわ』
戴冠式後には、それはすさまじい地獄の特訓が始まるのだろうが。
それでもエルフという種が存続するには必要な試練。
いままでのツケだろうと納得して貰うしかない。
「あまり無茶はしないでくださいね」
言葉に反応はない。
多少の無茶はするつもりなのだろう。
ダゴンはただ静かに民を眺めている。
「何を考えているのです?」
『エルフはもとより気位の高い種族。そこに長きに渡る増長が加わった。少しだけ死ぬ思いでもしないと、おそらく性根は戻らないでしょう。そして旦那様は彼らが消えてしまうことを是とはしていない。あのような耳の長い羽虫でも、旦那様の所有物。ならば、やはり矯正のために無茶も発生するかと存じますわ』
それが正直な答えのようだ。
「理性が優先される理知的なあなたや、そもそも見栄えさえ良ければ許されると……エルフにそこまで不快感を持っていないアシュトレトはともかく。バアルゼブブはあれでも気質は王者にして皇帝。悪魔王とも呼ぶべき大公爵。あなた方とは違い王としての性質も強い。今のままの彼等では……バアルゼブブに要らない存在だと判定され、喰われて消える……そんな可能性も確かにありますね」
実際……。
バアルゼブブは、エヘヘヘヘっと口の端を溶かしながらも明らかにやる気のない家臣たちを、一人一人、その複眼でチェックして回っている。
あれはおそらく死のノート。
精神的に、成長しなければ……。
女神ダゴンは微笑み。
『ふふふふ。あの子は正直ですからね。ただ、旦那様が名指しで止めるように命令すれば、おそらくあの子も手を下さないかとは――』
「いえ、止めておきましょう。もし矯正を拒否し、怠惰で傲岸不遜のままを選ぶのならばそれはそのエルフの責任。バアルゼブブの判断を否定しませんよ」
『ではそのように伝えておきます』
チャンスは与える。
それも一回ではなく何度も与える。
けれど、それでもその傲岸不遜を治さないのならば。
それは仕方のないこと。
他国に逃げ、エルフとして他国で暴虐を起こす前に……いっそ。
正しいと言う気はないが、それも強き種族を束ねる王の務めだろう。
クリムゾン殿下に教育されている貴族の何人かが、既に私の顔色を見て察したのだろう。
慌てて性根が曲がっていそうなエルフの”説得”に向かうようだが。
はたしてどうなることか。
バアルゼブブによる捕食が発生するかは分からないが。
こちらは手を差し伸べた、あとは本人たち次第である。
「さて――あと少しでアシュトレトの神殿も完成しますが。あなたやバアルゼブブの神殿はどうしますか?」
女神ダゴンはしばし考え。
『旦那様に作っていただけるのならありがたく頂戴いたしますが、けれど、しばらくはそのままでよろしいかと』
「アシュトレトの事です、確かに妾だけの特別感が減ったではないかと不貞腐れそうですね」
『ええ、ですのであの子が飽きた後で構いませんわ』
ダゴンもバアルゼブブもアシュトレトの扱いに慣れている。
やはり彼女たちの仲は良好。
良い関係を築いているのだろう。
家族の仲が良いのはいいことだと、少し微笑してしまった私の前。
民草たちは、建設されたアシュトレトの神殿に目を奪われていたのだが。
その直後。
王として十分すぎるほどの魔力と技術を披露した私を、一斉に讃え始めていた。
どうやら。
少なくとも魔術師としての私は、エルフたちを既に魅了しているようである。
女神ダゴンも私も無垢な子供は嫌いではない。
新しい王様は凄い凄い! と、無邪気に寄ってくる子供の頭を撫でる私。
思わず姉ポーラを思い出し、懐かしさと温かさに浸るその顔を……。
女神ダゴンはとても愛おしそうな顔で眺めていた。
その表情はとても慈悲と慈愛にあふれた、地母神のようで――。
彼女にもおそらく。
かつてはこうして、ただ穏やかにしていた時代もあったのだろう――。
だからこそ。
悪神へと貶められた今は……。
女神たちが女神たちの温かさを取り戻すためにも、信徒達との交流は必要か。
やはり彼女たちの神殿も早く作るべきだろう。
と。
私は神殿の建築場所の候補を脳内で精査し始めていた。