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第93話 ある王家の明け方~兄殿下の憂鬱~


 これは事件がひとまずの終わりを告げた、一週間後の事。

 時刻は明け方すぎ。

 女神ダゴンが支配する時間。


 もっとも、彼女は今エルフ王家の書庫に入り浸りエルフの文献を読み漁っているようだ。

 ともあれ。


 既に埋葬儀式は終わり、戴冠式の準備が進んでいる。

 同時に腐敗している部分のあるエルフのこれからについても、思案。

 やるべきことは山ほどにあるので、私は書類と資料から離れられないでいるのだが。


 名前と肩書の長くなった、私。

 レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバーは空中庭園にて、今後の方針を決めている真っ最中。

 庭園屋敷に建設した執務室には濃い茶葉の香りが広がっている。

 相談相手にはクリムゾン殿下。


 赤髪の貴公子たる彼は私の実兄という事もあり、常に少し離れた場所に護衛が付き添っていて――。

 王族にとって護衛はむしろ慣れている筈なのだろうが、兄クリムゾンはまだ整えていない前髪を後ろに流しながら、ぼそりと言う。


「前から聞こうと思っていたのだが――護衛の彼らは一体。人間……のようだが」


 兄の護衛についているのは、陰に潜む強者――クリームヘイト王国の一件で出会った暗殺者たち。

 具体的に言うとニャースケとニャースケの主人たちである。

 彼らは既に空中庭園の主たる女神アシュトレトの加護を受けていて、不老。

 不老といっても本人の意思で止めることもできるので、自分の意志で拒絶もできることから、ある意味ではただの不老の上位互換といえなくもないが。


 人間に護衛されるのはエルフである兄には少し違和感があるようだ。

 人間嫌いというわけではないようだが。

 戸惑う兄クリムゾン殿下に、私は眺めていた書類から目線を上げ。


「――信用できる方々なので、ご心配なく」


 常に兄を守るニャースケが頷き、ドヤ顔。

 最近、ますますふっくらモフモフになってきているのはおそらく、空中庭園に遊びに来る午後三時の女神がオヤツを与えているせいだろう。

 護衛猫に続き、女暗殺者だった女性も柱の陰から頷き。

 他の暗殺者たちも一瞬だけ姿を現し、頷き。


 ニャースケを除く他全員は、再び影の中に消えていく。


 彼らの強さはやはり――勇者よりは弱いが、純粋な人類最上位クラスのギルドマスターよりは強いランク。

 もちろんと言っては本人に悪いので口にはしないが、人類最上位にギリギリ手が届くランクのクリムゾン殿下よりも上位になる。


「この者たちは女神の眷属……なのか」

「どうでしょうね――そうと言えなくもないのですが。どちらかといえば私の眷属になるのかもしれません」

「おまえの眷属……だと?」


 王族であったとしても人類は眷属など持たない。

 だから常識の範囲内に収まっている兄には、違和感があるのだろう。


「これでも私は正真正銘の魔王ですからね。人類とは在り方の違う存在、大陸神のように他者に魔術を授けることも可能となっています。他者に魔術を授けることが眷属の基本。そもそも大陸神というのも……と、脱線してしまいそうなので、それはまた今度お話ししましょう。時間は百年ほど、たっぷりとあるのですから」


 言って私は書類に目を戻す。

 これも大切な今後の計画。

 戴冠式の後に、私はエルフの意識改革を行うつもりなのだ。

 たっぷりとある時間を有効活用。その性根を叩き直す草案をまとめているのだが。

 しかしエルフである殿下は言う。


「百年はたっぷりとは言わぬだろう」

「そうですね、郷に入っては郷に従え、私もエルフの時間感覚に慣れないといけないでしょうね」


 おそらくそれは女神の時間感覚とも近い筈。


「それで、気になっているのだが」

「なんでしょうか」

「女神たちの心が知りたいと、ヴィルヘルム商会からも冒険者ギルド本部からも、商業ギルドからも打診が来ている。なにしろ創造神が種族としてのエルフを根絶するかもしれないと噂されているからな。実際のところはどうなのだろうか、種としてエルフは許されたと思っていいのだろうか」


 客観的な立場を意識し私が言う。


「さて、どうでしょうね――やはりエルフという種が驕った種族である事は変わっていませんからね。長年の驕り昂りがたった数週間で治るとは思えません。或いは、近いうちに何人かの貴族は逆賊となり、王となった私を狙うかもしれませんし」

「そうなったらエルフは女神の仕置きを受けるだろう」

「ええ。まあ――さすがに私が王となるこの地のエルフを全滅させることはないでしょうが、たとえばまともなエルフだけをこの空中庭園で拾い上げ、大森林全てを女神ダゴンの【終わりなき海】で洗い流してしまう、という可能性もゼロではありません」


 それが冗談ではないと知っているのだろう。

 だからこそ兄クリムゾンは頭を抱えているのだ。

 殿下が言う。


「おまえは――それを止める気はないのだろうな」

「はっきりと言ってしまえば答えは肯定となりますね。現状のエルフに関してはあまり良い印象はない、というのが本音です。ただ、まあ王都の露天商は気に入っていますから。エルフの商人に関しては守るつもりではありますよ?」

「お前の趣味はよくわからぬな。魔力を流すと、以降しばらく音に反応し踊りだす草人形のどこに魅力を感じているのだ?」


 兄の目線の先に実際あるのは、音に反応しダンスする陽気な草人形。


「和みますし、面白いじゃないですか」

「ならばある程度の反応を指定でき、融通が利く、自立型ゴーレムを草木で作り出した方が有用だろう。巧みな召喚術士が操れば、一流の踊り子さえ舌を巻く剣舞さえ、完璧に舞えると聞くが」

「少しの魔力さえあれば誰でも使える踊る玩具と、エルフの魔力がなければまともに動かせない草木のゴーレム。どちらが世界で普及するか、答えはどうでしょうね」

「おそらく両方共に需要はないだろうな」


 正解である。


「だから私の趣味で止まっているというわけですね。しかし、私の趣味であるということは今のこの世界においては最も重視される要素。驕るつもりはありませんが、私がエルフの王であり、魔王……創造神の寵愛を受けた駒であるということを世界が知ることになる。そして――やるつもりはありませんが、私ならばこの大陸を一瞬で消すことも可能です」

「恐ろしいことだが、事実なのだろうな」

「実際、私もまだ文献でしか知らぬ大陸の、大陸神と繋がっている巫女や神官は、そう聞かされていると思います。マルキシコスを調伏したときに女神と共に様子を見に来ていましたからね。おそらくは幸福の魔王には逆らうな――と、大陸神からの神託が下っているでしょう。既に賢い何人かは――私のご機嫌取りのために世間では下らないとされている、ただ余興のために作られる玩具を開発している筈です」


 既に私のもとには、商業ギルドや冒険者ギルドを通じ打診が来ている。

 何人かの目ざとい異国の商人が訪問してくるようになっていたのだ。

 そして世界平和にも、逆に混沌とした戦争にも繋がらない――世間にとっては必要のない、くだらないと評価される玩具を献上しだしている。

 それはこの世界で考えられたボード遊戯であったり、トランプに類似したカードゲームであったり様々だ。


「下らぬと言うのなら止めればいい」

「くだらないことがいいんですよ」

「分からぬな――」

「女神たちにとっては、本当にこの世界はただの暇つぶし。くだらない余興の世界に過ぎませんからね。けれど、彼女たちはそのくだらない余興を眺め、無聊ぶりょうの慰めとしている。くだらないものが必要ないのなら、真っ先にこの世界が放棄されますよ」


 この世界にはまともなエンターテイメントが育っていない。

 女神を飽きさせない事こそが、この世界が長生きするコツとなるのだろうが――。


「暇つぶし……か。しかし、確かに永遠を生きる女神を考えればあり得る話だが、それだけでもあるまい。女神たちの真意がどこにあるのか、おまえでも分からないのか?」

「彼女たちがかつて尊敬した恩人がいて、そして失い。その心の隙間を埋めるための代わりを欲しているとは理解していますよ」

「……それが魔王だと?」

「全員が全員そうだとは思いませんがね。少なくとも三女神は私に、”あの方”と呼ばれる人物の面影を追っているのは確かです。兄さんを兄さんとして残した事が、その証拠でもあると私は考えています」


 楽園の逸話を知らぬ兄は理解できていないようだ。

 しばし考えた私は言う。


「彼女たちを救った恩人……”あの方”には兄がいたそうなのです。そしてその兄は弟よりも弱く、あの方が上に逆らい追放されている間に殺されてしまった。それはあの方の逆鱗に触れた。神々が住むとされる楽園はその後、絶望と復讐に囚われた”あの方”に滅ぼされた――それが楽園の崩壊」


 神話を読み解く表情で、私の唇は語りを継続する。


「女神たちは後悔しているのでしょう。大事なあの方が大事にしていた兄を助けられなかったことが、楔となって胸を締め付けているのでしょう。彼女達ならば助けることもできたはず……けれど、その時女神たちは楽園にいなかった。大事なあの方を追い……堕天していた。そのすれ違いの裏で起きた事件ですから、彼女たちの判断が兄を殺してしまったとも受け取れます。だから、もし――楽園に残り――あの方の兄を守っていたのなら……あの方も絶望せずに、今も楽園で平和に暮らしていたかもしれない。ありえたかもしれない、ありえないもしもを彼女たちはいつまでも夢見続けている……そんなあり得ぬもしもに後ろ髪を引かれ続けている」


 それが女神の悲恋だったのかどうかは分からない。

 けれど、おそらくは恋ではなく尊敬だったのだろうと私は思っていた。


「女神たちが追っている存在には兄がいた……なるほど、酷似とまでは言えぬが、状況は似ている」

「ええ、私にもこうして守るべき兄ができました。まるで”あの方”と呼ばれた、女神が追い求め続けても見つからなかった、その恩人のように。おそらく女神の誰かの仕業でしょうね」

「神々はおまえを”あの方”の代わりにしているのか、それとも作り替えようとしているのか――お前はどう考えているのだ」


 それは。私も考えたことのある可能性だ。

 女神はあの方を作ろうとしている。

 もう二度と再会できないのなら、その手で新たなあの方を生もうとしている。

 しかし、それは所詮まがい物。ならばいっそ、魔王を生贄にあの方を再構築するという奇跡も、女神達ならば――。


「女神の総意は知りません。おそらく総意などないでしょうからね。まあ……少なくとも三女神は私を作り替える気などないでしょう。その点は信頼しています。ただやはり――ずっと、私の奥に、その面影は追い続けていると思いますがね」


 確証がない話なので、これ以上は答えなどでない。

 考えても無駄なこともある。

 話を戻しますがと前置きをした私は、エルフたちの資料を指さし言う。


「――ともあれ、やはりまずはエルフたちの性根を叩き直すことが急務。今回の騒動でエルフという種は、人類の中でかなり立場を悪くしていると自覚させることが必要でしょう。長寿ゆえにのんびりとしているようですが――少し、真剣になって貰おうと思っています」

「具体的にはどうするつもりなのだ」

「そうですね――女神ダゴンとも相談しているのですが。まずはエルフたちの意識改革が必要でしょうね。その傲岸不遜な精神もそうですが、戦闘能力にも不安が残ります。エルフという種が私の民となったのならば、せめて海賊パーランドに対抗できるぐらいの自衛力を身に着け、強くなっていただかないと困りますし」


 海賊パーランドという時点で、殿下は眉を顰め。


「そうは言うが……」

「何か?」

「意識改革には賛成だ――だが、我々エルフは人類とされている種族の中では上位の存在。既に強者の類にあると認識されている筈だ――エルフ王が魔王ともなれば、手を出す者は減ると俺は考えている。無理してそこまで強くならなくともいいのではあるまいか?」


 実際、私の名に恐れエルフが狙われることはほぼなくなるだろう。

 だが。


「それでもゼロにはならないでしょう――なによりエルフの王族は被害者を主張していながら人間を狩っていた……正当な恨みで仕返しにくる人間は必ず出現するでしょうからね。そうなった場合、やはり私が動かないといけませんし、私が動けば女神も動く。しかし、なるべくならば世界の危機は減らしたい。それに……まあ意識改革するには自衛のためという言い訳……名目や大義名分は必要ですからね。エルフの腐った根性を叩きなおすために、自衛のための訓練という環境を利用させて貰うだけですよ」


 なぜかクリムゾン殿下はググっと鼻梁を歪め。


「待て――おまえの政策を否定するつもりはないが、どうも勇者以上の存在は加減が苦手と見える。具体的にどう訓練するつもりなのか、草案を聞いておきたい」

「私が強くなったのは女神たちによる修行や訓練の影響が最も大きいのです。彼女達の暇つぶしも兼ねて、ある程度は任せるつもりです」

「あの女神たちに?」

「はい、何か問題でも――?」

「すまぬが、問題しか浮かばぬ。資料を見せて貰えるだろうか?」


 言われた私は、書庫に入り浸っている一番真っ当な女神ダゴンと通信。

 こほんと女神は咳払い。


『このようなプランを考えておりますわ、お義兄様』


 女神ダゴンによる優しい訓練プランを提示。

 したのだが。

 殿下は苦虫を嚙み潰したような顔を堪え、貴公子顔で言う。


「待って欲しい。この大渦を操る魔術を習得するまで海の底に沈めるというのは……」

「ああ、安心してください。これは死ぬ前に自動で蘇生がかかりますからね。窒息寸前の状態で維持されますので――死にはしません。必死で動けば、魂も反応する。水中での詠唱も可能となる一石二鳥の訓練ですね」

「この空から落とす、という意味も意図も分からぬ項目は……」


 言われて私は資料を覗き。


「ああ、バアルゼブブの訓練ですね。飛行魔術、あるいは浮遊魔術。または地面に追突しても生きていられるだけの防御能力を得るまで、何度も落とし続ける――生存本能を利用した訓練の初歩でしょうね。これも自動で蘇生がかかりますから、覚えるまでは何度でも挑戦できますし安全は保障されていますよ」

「すまないが、これで初歩なのか?」

「魔王として覚醒する前――アントロワイズ家を滅ぼされた私が復讐を誓った前後は、まだ十歳にも満たない子供だったのですが。それでもこのカリキュラムは達成できました。子供にできることならば大人のエルフならばできて当然かと考えます。なにしろ、エルフは上位種を自称していますからね。達成できればそれも良し、達成できなくともその高い鼻を初手で挫くことが来出る。バアルゼブブは良い師匠ですよ」


 更に兄クリムゾンは、なにやら吐き出そうとした言葉をぐっと堪え。

 冷静な顔で言葉を選び。


「そうか――分かった。訓練に関してはこちらでパリス=シュヴァインヘルトとも相談した後で、もう一度相談したい。どうやら女神様と新王陛下は、その……なんだ、いささかエルフの基礎能力への誤解があるようだからな。もう少し現実に沿ったプランを提示したい、どうだろうか」


 どうやら私や女神が思うエルフの耐久度と、実際の耐久度には差があるらしい。


「人の器を超えてしまった弊害でしょう。こういった部分を含め、兄さんを頼りにしていますよ」

「――おまえを罵倒したり呪っていた級友は今頃、肝を冷やしているだろうな」

「さすがに子供相手に意趣返しなどしませんよ」


 私は安心させるための笑みを作ったのだが。

 その作り笑顔が逆に胡散臭いと思われたのだろう。

 クリムゾン殿下は大きく、深い息を吐きその紅色の髪を揺らしていた。


 兄殿下の憂鬱は、まだ始まったばかりである。

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