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第91話 兄弟


 勇者と母の瞳が眠る霊廟。

 その結界を解除する中。

 私は自身の身の上を、兄たる男に語っていた。


 語る中で、私の思考は今回の事件に向いている。


 エルフの王国で発生していた事件の表と裏。

 多くのエルフが少しずつ関係し、少しずつ運命を作り、そして結果としてこうなった。

 誰もが不幸になりたいわけではない。

 誰もが悲劇を望んでいるわけではない。


 叶うならば全員が幸せになってほしいと、理想論では思うだろう。

 けれど結末はこうなった。


 白銀女王スノウ=フレークシルバーの心を成長させなかったのは、周囲の大人たち。

 なまじ魔力が凄まじく、善政で民を幸せにし続けていたからこそ、その危うさに誰も気付いていなかったのだろう。

 それは愛や恋に限った話ではない。皆、普通は――子供の頃に苦難や苦悩を積み重ね、失敗を経験とし、乗り越えて大人になっていく。

 けれど、白銀女王にはそんな機会が与えられてはいなかった。


 そして、白銀女王には全てを一人でやりきるだけの力があった。

 性質も善だ。

 心も無垢で、間違いなく優しい女王と言えるだろう。


 子供の頃に兄たちを圧倒し、魔術大会にて女王となってしまったスノウ=フレークシルバーは恋に狂うまでは――間違いなく完璧な、奇麗で優しい、おとぎ話にでてきてもおかしくない、理想の女王だったのだ。


 だから。

 誰も白銀女王に失敗を教えることができなかった。

 気付くことができなかった。

 救うことができなかった。


 子供の頃に失敗を経験していたら、おそらく踏みとどまれただろう。

 全てを蔑ろにしてしまい、異性に夢中になってしまった思春期の子供。明らかに周囲が見えなくなってしまった、未熟な子供の、その頬を――言葉や、或いは愛を持った手のひらで叱咤し、愛や恋も大切だが、もっと周りを見ろ。それでは愛する人にまで嫌われてしまうよと、道を説くことができただろう。


 なのに。

 誰も、何も、教えてはいなかった。

 だから。


 国のためならば何でもできる。

 国のためならば何でもしていた女王が――国以外を愛してしまった。

 身も心も焦がれるほどの愛を知ってしまったから、壊れてしまった。

 全てが崩壊してしまったのだ。


 独裁者であったのなら、誰かが代わりに動けていたはずだ。

 しかし性質が善であったからこそ、代わろうとする者はいなかった。


 全てが悪い方に噛み合い、絡み合い、交差し崖から落ちる蛇のように――谷底へと沈んでしまった。


 皆が不幸になってしまった。

 そのきっかけは、誰にあったのだろうか。

 誰の責任だったのだろうか。

 答えられる者もいない、そもそも答えなどないのだろうと私は思う。


 そんなフレークシルバー王国の惨劇に残されたのは、この貴公子。

 私に兄にあたるクリムゾン殿下。

 様々な思いを抱いたまま――私は言う。


「全てを知った上でお願いがあります。よろしいでしょうか殿下」

「ああ構わぬ」

「私はこの国で起こった全てを公表するつもりです。なぜ女王が死んだのか、なぜ兄王は女王を追放したのか、なぜ勇者が死んだのか。エルフたちには全てを知り、そして王族の失敗から学び、成長して欲しいと願っております。しかし、全てを語る以上は、殿下の出生も語られることになるでしょう」


 非常に辛辣な言い方をしてしまえば――。

 人によっては、王族だけで進められていた【後継者実験】で生まれた失敗作。

 そんな陰口を漏らす者もいるだろう。


 おそらくそれを承知した上で、赤髪の貴公子はゆったりと瞳を閉じ。


「そうか、好きにするといい」

「――随分とあっさりとしていますが、本当に宜しいのですか?」

「俺は何もできなかった王族だ。いや、試験管の中から生まれたのならば王族ですらないのかもしれないがな――それでも、失敗を知らずに命は成長しないと俺も経験則から学んでいる。負けてばかりの人生だからな。そして……我が父は俺を生かすためにお前の父を殺し、母を殺した。その贖罪に少しでもなるならば……俺に迷いなどない」


 責任感の強い男だ。

 誠実なのだ。

 しかし。

 だからこそ、必要に応じて悪すら肯定するパリス=シュヴァインヘルトには一歩届かない。理の外にある勇者以上の存在を除く、人類最高クラスにギリギリ手が届いても、その高みの中では凡庸とされてしまうのだろう。

 だが、そんなまっすぐなこの男の事が嫌いではない――。


 私は言う。


「困りましたね、あなたが悪いわけではないと何度も言っていると思いますが」

「それでも――俺の生存こそが、お前の不幸の始まり。まだ生まれてもいなかったお前から、両親と愛を奪ったのは確かだろう。それは、決して有耶無耶にしてはいけない大事なことだと、俺は思う。なにより俺が許せない」

「勝手に不幸だと決めつけないで欲しいのですが」


 曖昧に苦笑する私だったが。

 そんな私を誠実な男は、まっすぐに見つめ――逃げずに言った。


「――敢えて言おう。真に幸福であったのなら、父や母の遺骸をまるでアイテムを見るような顔では見るまい」


 不意に胸を刺されたような感覚だった。


「――もしそれが女神により歪められた感情ならば、とても切なく、悲しいことだと俺はそう感じている。余計なお世話と言われればその通りだろうがな」


 ああ、その通りだ。

 結界が解除されたら、その時。

 私はおそらく、彼らに手を合わせることも、祈ることもなく即座にアイテムとして【英雄の遺骸】と【無限の魔力】を回収していただろう。


 だから言い返せなかった。

 いつものように適当な言葉と表情を作り、体裁だけを奇麗に整えることすらできなかった。


 そんな一瞬の空白を眺め、目の前の兄はすまないと詫びを告げて。


「酷いことを言ってしまったな」

「いえ、本当のことですので気にはしていませんよ」

「一つ、聞かせて貰えるか?」

「なんでしょうか」

「お前がそうなってしまったのは、やはり……創造神のせいなのだろうか」

「さあ、どうなのでしょうか――」


 言われて私は考える。

 確かに、魔王化の影響で感情は希薄となっている。

 アントロワイズ家にはわずかな思慕がある、女神たちにも身内という意識がある。けれど、女神たちと出逢う前、生前から私という存在はどこかが薄い存在だったのではないかと、そう感じていた。


 そもそも何故。

 生まれ変わる前の、生前の私に惹かれて三女神はやってきたのか。

 それも分からない。


 私は研究者だった。

 現代社会を生きる、真っ当な人間だったはず。

 けれど――この身体の脳にはない記憶の奥、まだ現代社会を生きていた頃から、私はどこかが浮いていた。

 浮世離れしていた。

 生前の私はいつ、どこで生まれ、誰に育てられたのか。


 よく、分からないのだ。

 私が記憶の奥を辿ろうとすると、夢の中に沈んでしまう。

 気付けば眠っていて、いつもどこかで記憶が途切れてしまう。


 記憶をたどる先にあるのは、夢のような空間。

 夢の中の私はいつも、大きな童話書を読んでいる。


 それは勇者と魔王の物語。

 魔王が負けた世界の物語。


 聖なる光を纏う魔王が、悲しそうに眺めている。

 自身の死体に向かい、鳴き叫びながら肉球を伸ばす白い猫を眺めている。


 勇者に敗けた魔王が、死んだ世界。

 その瞳には、未来が見えているようだった。

 そこには滅びの未来が見えている。


 魔王を主人と慕う白い猫は、涙が枯れても泣き続けるのだ。


 魔王様、魔王様と、ずっと肉球で顔を覆い、憎悪と絶望の涙を流し続ける。

 白い猫は憎悪によりもはや誰も止められない大魔王と化し、鳴き続け――流し続けるその涙で、自分の世界はおろか外の宇宙せかいまで全てを破壊してしまうのだ。


 魔王はその猫がとても大好きで。

 けれど、もうその頭を撫でてやることができずにいて。

 そして、全てを破壊してしまう白い猫を助けてあげたくて。


 だから、魔王は最後に腕を伸ばすのだ。

 自らの魂の残滓を無数の魔導書に変え――次元の彼方へと解き放ったのだ。

 何かが変わるようにと願いを込めて。


 魔王から生まれこぼれた魔導書は、どこか不思議な魔女が待つ図書館に拾われ。

 そして……。

 頭痛がした。


 それはきっと私の過去ではない。

 私は魔術など知らない人間だ。

 だから、きっと関係ない。ただの夢だ。

 けれど――。


 魔王たる私の防御を貫通するほどの、鈍痛だった。


 空想と夢想の中で眉を顰める私に――。

 クリムゾン殿下が言う。


「大丈夫か?」

「ええ、少し、昔を思い出そうとしていただけです。きっと、女神に色々とされた影響で、記憶が曖昧になっているのでしょう」


 私は女神のせいにした。

 噓も方便。

 その方が都合が良かったからだ。


 殿下が言う。


「回りくどいことは抜きにしよう。俺はおまえを裏切らない、絶対にな。それと同時にこの国を救ってくれたお前に恩を返したいと願っている。いったい、おまえは何をしてほしいのだ?」

「――……私は確かに王となります。エルフたちを創造神から守るという意味もありますし、大災厄が私の父と母から発生した存在だという責任もあります。しかし王となることでひとつ明確な問題があります」

「問題?」


 父たる勇者を守る結界も残りわずか。

 あと少しで埋葬のために彼らの遺骸を回収できる。

 そのあと少しの中で、私は兄に言った。


「ひとつの場所にとどまっての統治に――女神たちが途中で飽きてしまうのですよ」

「飽きる?」

「ええ、飽きるんですよ彼女たちは」

「国の統治に飽きるも飽きないもないだろう!?」


 兄は理解できないといった顔だが。

 それが女神の本質だ。


 私は親しみと呆れが混ざった顔と声をしていたのだと思う。


「彼女たちは神ですからね。根本的に価値観が違うのですよ」

「なるほど、その話が本当ならば――確かに厄介な存在なのだろうな……女神とは」

「ええ、本当に――」


 紛れもない、本当のため息が漏れてしまう。


「ですから私にはもう見えているのです。いつか彼女たちは本当に飽きて、私に王をやめて他に行こうと言い出すでしょう。戯れの言葉ならば否定も拒否もできますが、彼女たちが本気となったら私は拒否できませんし否定するつもりもありません」

「話を聞く限り、お前は女神たちを従えているように思えるが」

「それでも私は、彼女たちの意志を尊重したいのです。色々とありましたが、それでも、長く、ずっと一緒にこの世界で過ごしているのです。これも愛着というのですかね。私は彼女たちを家族だと思っているのかもしれません。自分でもうまく説明できませんが――家族という概念を私はとても大切だと、そう思っているのでしょう」


 本音だった。


「女神のきまぐれを計算に入れたとしても、やはり……私がこの地にとどまっていられるのは、百年程度が限界だと思うのです」


 会話の最中にも結界の解除は進む。

 クリムゾン殿下による解除も最終段階。


「それで、俺に百年後に王になれと?」

「実際に王になって貰わなくとも構いませんが、王の代理として動いていただけるようになっていただければ……と。実はプアンテ姫にも打診をしていて、既に相談済みなのですが」

「そうか……俺にも相談してほしかったが」


 誠実な男は少し不満そうに赤い眉を下げていた。


「すみません。けれど無限の魔力が見ていた真相を……私もなんとなく感じていた関係性を、あなたに語るべきかどうか……悩んでおりましたからね」

「そうか。しかしプアンテが魔王ならばその魔力で王の代理もできるだろう。俺にまで話を振る理由と意図が読めない。言っておくが、俺はシュヴァインヘルトよりも弱いし、腹芸も得意としないぞ」


 確かに単純な実力の話ならばプアンテ姫が適任になるだろう。

 しかし。


「プアンテ姫は私より魔力に劣る魔王のせいか――私の言葉には絶対服従。たとえ本気で嫌がってもイエスとしか返しませんからね。無理強いはしたくない。だからできたらクリムゾン殿下、白銀女王の血を引くあなたに自分の意志で頷いて欲しいのです」

「しかし――……」

「それにあなたには王の代理を務める資格と義務があるのでは?」

「そうとは思わぬが」

「いいえ、あなたは私の兄なのです。弟を助けるのは兄の仕事の筈でしょう」


 兄と呼んだ私に、クリムゾン殿下は少しだけ困った顔をする。

 困惑だろう。


「突然、兄と言われてもな」

「おや、お嫌でしたか?」

「いや、とても嬉しいさ。だが、正直なところは複雑なのだよ――家族は父だけだと思っていた。だから、突然こんな頼りがいのある弟ができてしまうとな。嬉しいような、劣等感が襲うような。なんとも、はは……まあ悪い感情ではあるまい」


 兄は朗らかな笑みを浮かべていた。

 おそらくは精一杯、明るい笑顔を作ろうと思ったのだろう。


 だが、冷たい美貌の、貴公子然とした不器用な男の笑みは少しだけぎこちなかった。

 それでも。

 私はその笑顔をとても暖かいモノだと感じていた。


 ――結界と磔が、解除される。


 私は即座に勇者の遺骸と、女王の瞳を回収。

 移送空間へとセットする。


「――彼らをどこに埋葬するつもりなのだ」

「女王に愛された勇者の遺骸、そしてその遺骸を美しいと眺める女王の瞳。この二つがそろえば無限の魔力が再び発生します。それは莫大な魔力を入手できる魔道具……一種の伝説のアイテムと認識されるでしょう。争いの種になることは目に見えていますからね」


 告げた私は空を見上げた。

 鬱蒼とした大森林の奥。

 広大な樹々の隙間から見える、わずかな光の先には空中庭園。


「女神たちが住まうという空中庭園か……なるほど、あそこならば常人は近づけぬか」

「ええ、彼等ももう二度と……愛する人の遺骸を、利用されたくはないでしょうからね。後で風の勇者ギルギルス殿に頼み、二度と手の届かぬ場所に埋葬されたと噂を流してもらうつもりですよ」

「勇者ギルギルス……か。よもやキリギリスの勇者がいるとは思わなかったが」

「勇者とは魔王という女神が配置した異物を、除去しようと自然発生した世界のシステム。定型があるわけではないですから、虫の中に勇者が発生したとしてもおかしくはないのでしょう」

「そうか、そうだな――」


 兄たる殿下が言う。


「共に埋葬を手伝いに空中庭園に向かっても構わぬか?」

「こちらからもお願いします。どうか、感情の薄い私に代わり母のために――思ってあげてください。私には、できないことですから」

「泣き方を忘れた者、それが魔王……か。世界に縛られていた勇者とは違う意味で……本人を前にして言うのは気が引けるが、魔王という存在も、なんとも悲しい種族なのだろうな」


 私はそこまで悲嘆していないが。

 どうもこの男。

 母に似たのか、なかなかに浮世離れした詩的な部分のある男のようだ。


 私たちは空中庭園へと転移した。

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