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第90話 真相 ―解けない状態異常―


 これは勇者の氷棺の隣。

 魔力同調により流れる、かつて女王が見た景色。

 女王の走馬灯に同調して垣間見える、過去と思い出。


 女王の瞳に映る専属騎士となったパリス=シュヴァインヘルトが、女王に語る。


 それは大森林の外の世界。

 異なる文化。

 異なる人種に異なる魔術。


 魔力の濃い女王の瞳の表面に、騎士の語る夢物語が広がっていく。

 女王は純粋無垢だ。

 だから想像力も豊かだったのだろう。


 聞きかじりの物語であっても、それは彼女の瞳には現実として見えていた。


 中でも女王が最も興味を示したのは、勇者の伝説だった。

 女王は専属騎士の語る夢物語に夢中になっていた。

 だんだんと、クリムゾン殿下を眺める時間が減っていく。


 しかし殿下ももう大人だ。

 複雑な生い立ちの子供という点を考慮してもしなくても、もう親離れ子離れの時期はとっくに過ぎている。

 だからクリムゾン殿下本人はまったく気にしていない。

 自分が息子だと気づいていないこともあるが、もし気づいていたとしても特に問題視はしなかっただろう。


 女王の瞳の片隅に映るクリムゾン殿下は立派な王族として育っていた。

 実力ならば――規格外な勇者や魔王や神々を除けば最上位に届くクラス。

 容姿端麗。

 性格も人格者。

 友に敗北したという経験があるからか、王族としての驕りもない。


 もしいつか女王が衰退し、自らで後継者を選ぶとなった時――おそらくはクリムゾン殿下を選んだのではないだろうか。

 それほどに関係は良好だった。

 だが、クリムゾン殿下の父親は違った。


 女王の瞳には何度もクリムゾン殿下の父親の姿が映っている。

 その焦燥が映っている。

 女王が大森林の外の世界に恋い焦がれていることに、気づいていたのだろう。

 そしてその瞳に、自分が映っていないことも。


 だからこそ。

 クリムゾン殿下の父親は許せなかったのだろう。

 運命ともいえるあの日。

 女王が、この大森林に紛れ込んできた勇者と恋に落ちたことが。


 勇者との夢のような物語が始まる。

 それは恋を知らぬ悲恋の物語。

 女王の瞳はそれ以降、勇者以外に何も映さなくなった。


 国がわずかに乱れても。

 結界に綻びができても。

 女王は勇者との逢瀬に夢中になって、動かない。


 花畑の中をくるくると回る恋の物語。

 その視界の片隅。

 クリムゾン殿下の父親が動いていた。


 崩れていく結界。

 その隙間から入り込んできた魔物を滅していたのだ。

 クリムゾン殿下の父親が女王に訴える。


 ――スノウよ! お前はどうしてしまったのだ! 結界が揺らいでいる、魔物が入り込んでいる! 綻びは修復すると二週間前に約束したではないか!

 と。


 白銀女王は返事をしない。

 ただ夢中になって、勇者との逢瀬のために着飾るドレスに目をやっている。

 被害報告書にも目もくれない。

 ケガ人の治療もしない。

 一か月過ぎても、結界の綻びは修繕されない。


 ――なぜ、動かぬ。なぜ笑っている! 犠牲者が出たのだぞ? おまえは、どうしてしまったのだ!?


 振り返る女王の赤い瞳に、クリムゾン殿下の父親の姿が映る。

 兄の瞳に、今の女王の姿が反射している。

 そこには恋に恋する少女がいた。


 膨大な魔力の影響で老いが遅い女王。

 けれど実年齢はもう長寿ハイエルフ。

 なのに、そこにあるのはまるで少女のようなエルフの微笑み。


 それもそのはずだ。

 女王は少女のまま女王となり、そしてそのままずっと、女王としてこの世界を愛し続けた。

 心の成長が止まっていたのだろう。


 時がわずかに過ぎた。

 クリムゾン殿下の父親が女王の心に訴えるように言う。


 ――おまえが囲っている勇者を追って、キマイラタイラントの群れが入り込んだ……っ。今、クリムゾンが討伐に向かっている。皆で援護に行かねば、あいつは死んでしまうかもしれない。あいつは、ワタシとは違い正義感の強い男だ。民を守るためならば己を犠牲にしてしまう。頼むから、話を聞いてくれ!


 啖呵を切るように。

 そして祈るように。

 男は叫んでいた。


 ――君の息子でもあるだろう!


 それでも女王の瞳は訴える兄の姿を映さない。

 それどころか世界を映さなくなった。

 あれほどに愛した世界が、もはや霞んで見えているのだろう。


 魔力同調が次第に薄くなっていく。

 言葉通りの意味でも、視野が狭くなっていたのだろう。

 薄れていく世界には勇者しか映っていない。


 女王は少女の心で愛を知り。

 そして、もはや戻れない場所にまで行ってしまったのだろう。

 視界の隅に、キマイラタイラントの群れを倒し――しかし、深く傷つき倒れたクリムゾン殿下が見えている。


 だが女王は気付いていない。

 治療をできるのは女王だけだ。

 だが、動かない。

 その瞳には既に、試験管から生まれた息子を映してはいない。


 いや、或いは――。

 勇者との恋に溺れている彼女にとっては、血の繋がりがあるクリムゾン殿下が邪魔と、どこかで感じていたのかもしれない。


 勇者はそんな女王に気付いていたのだろう。

 勇者はパリス=シュヴァインヘルトの親友。

 あの男ならば女王の話を勇者に語るだろう。


 理想の女王としてのスノウ=フレークシルバーを。

 自分に領土を預けてくれた、心広い女王の事を。


 だが、そんな女王が怪我人も気にせず逢瀬ばかりを気にしている。

 そこには出逢った当初の、優しい女王の姿はない。

 ならばこそ、勇者は気付いていた。

 彼の口から聞いていた女王から剥離していく過程が――恋を境に次第に狂っていく心が分かってしまったのだろう。


 女王は長きに渡り恋愛という意味での愛を知らなかった。

 エルフは長寿だ。

 だから本当に、長い間の空白があった。

 その隙間に……恋という甘い毒が入り込んだ。

 長い間、国のためだけに動かしていた心の反動が――女王の人間性を徐々に壊していたのだろう。


 だからおそらく、勇者はクリムゾン殿下の父親の話を聞き入れた。


 それは女王が見ていない出来事。

 けれどおそらく――。

 クリムゾン殿下の父親は、勇者に地に頭を擦り付け願ったのだろう。


 クリムゾン殿下の出生を語り。勇者が来てからすべてが壊れてしまったと、語り。そして、彼女の息子を助けるために死んでくれと。

 息子を助けたいと願う父として必死に叫んだのだろう。

 そして同時に脅したのだろう。

 もしできないのなら、息子を救うために女王から瞳を奪わざるを得ないと。


 勇者は女王を愛していた。

 そして勇者の制約がある以上、人類同士の争いに関われない自分では女王を助けることができないと、いやというほどに知っていた

 だから頷いた。


 自分がいると女王が壊れてしまうと悟り。

 愛しているからこそ、斬首を受け入れたのだろう。

 勇者にとってそれは、疲れたこの世界から解放された瞬間でもある。


 最後に愛を知り、女王と恋に落ちて女王のために死ぬ。

 それは勇者にとっても、理想の終わりだったのだろう。


 後は女王が正気に戻れば、全てが解決する。

 ……筈だった。

 女王は勇者が死んでも、もはや恋に狂ったままだった。


 それほどに女王の恋は、彼女の精神を蝕んでいた。

 もはや解けない状態異常のようだった。

 愛や恋とは時に全てを狂わせてしまう感情なのだろう。


 三女神がそうであるように――白銀女王もまた、恋のためならばなんでもできてしまう性質を持っていたのだろう。


 キマイラタイラントの群れの事も。

 倒れたクリムゾン殿下の事も。

 全てを視界に入れているのに、女王は勇者を探し求めて走り続ける。


 勇者を探し半狂乱となる女王が、クリムゾン殿下の父親の襟首をつかみ――。


 ――治療? 誰の? 結界、知らないわ! そんなことどうでもいい! 返して、兄さん! あの人を返してよ! あの人以外の事なんて、どうでもいい! 世界も、大森林も、エルフも命も、神様だって、どうだっていいの!


 王族としての使命を果たしキマイラタイラントと対峙し。

 そして、死にゆくクリムゾン殿下の横。

 恋に溺れ、もはや【無限の魔力】を失っていた女王の瞳に指が伸びてくる。


 クリムゾン殿下の父親の声がする。


 ――どうして……、どうしておまえはこんなにも力があるのに、分からない。クリムゾンは、この子は、ワタシ達の子は……お前が来るのを待っていたのだぞ。


 女王の声がする。


 ――どうでもいいって言っているでしょう!


 その言葉が決意させたのだろう。


 もはや優しき女王は死んでいた。

 男はそう判断したのだろう。

 女王の視界に、二人の息子を救おうと指を伸ばす、クリムゾン殿下の父親の顔が映る。


 男は瞳を震えさせ。

 本当に、残念そうに、申し訳なさそうに唇を動かしていた。


 ――許してくれとは言わぬ。だが、すまない……。全てのはじまりはおまえに嫉妬した、ワタシのせいだろう。


 だから。

 一生恨め。

 だが、この子だけは死なせたくないのだ――と。


 瞳が、奪われる。


 どれほどの時間が経過していたのだろう。

 この時すでに、女王と、魔道具としての【女王の瞳】の意識は分かれていたのだろう。

 遠ざかっていく景色。

 無限の魔力の眺める意識の中。


 父を責める息子の声が響く。


 ――父よ、あなたという方は――よもや今更に王権の欲に溺れたというのか!


 なぜ白銀女王の瞳を奪ったと、何も知らずにクリムゾン殿下が父を罵っている。

 女王の瞳を奪った父の力で、蘇生に近い奇跡が発動されていたのだろう。

 しかし、ほぼ死に体だった息子は父の苦悩も知らずに、それが私利私欲による瞳の簒奪だと思ったのだろう。

 それでも父親は言い訳などせず。


 もはや女王は女王にあらず、と冷徹な声を漏らすのみ。


 息子は父を罵倒し、女王を探して飛び出した。

 無限の魔力……抜き取られた女王の瞳に映るのは、彼女の兄。

 項垂れ、額を押さえる苦労人の赤髪の王族の姿。


 ――まだ正気だったころのお前が愛した、この国だけはなんとしても守って見せる。それが、ワタシの、いや余の贖罪だ……。

 と。

 クリムゾン殿下の父親、現国王となったエルフは力を取り戻した【無限の魔力】を用い、国を維持し続ける。

 しかし所詮は借り物の力。

 統治は常に限界ギリギリ。


 だから現国王となったクリムゾン殿下の父親は、見逃していた。

 見る力が足りなかった。

 弟たちが人間を攫っていたことも。

 大災厄の発生により、エルフが徐々に呪われていたことも。


 そしてなにより、長きに渡る女王の統治により驕り昂っていたエルフの傲岸不遜な性質を、制御することができずにいた。

 勇者の遺骸を眺める女王の瞳は、時折に、老けて疲れていく現国王を眺めている。

 国のために苦心する兄を眺めている。


 王は動き続けた。

 足りない魔力の補填に自らの寿命を用い、命を削り、全てを削り。それでも優しかった女王の愛した大森林を維持し続けた。


 暮れる世界の中。

 国を憂い動く男の姿は、老いてやつれてもなお――美しかった。

 その姿は、もはや魔力も尽きかけた、老いさらばえた老エルフだ。

 けれど、国を守るために全てを投げだす姿は本当に――純粋で、奇麗な王に見えたのだろう。


 まるで、生まれて初めて世界を眺めた、あの瞬間の感動のようだったのだろう。


 ようやく、瞳は思い出したようだった。

 恥じたようだった。

 恋に溺れすぎて周囲が見えなくなっていた、その女王の初めての失態を埋めるために兄が身も心も犠牲にし、フレークシルバー王国を維持し続けていることを。

 けれど、もう遅かった。

 時間だけが過ぎていく。


 そしてこれはいつの記憶だろうか。


 死んだ女王の胎から発生した脅威。

 女王を殺された勇者の憎悪の帰還。

 女王の胎の中で集められた世界を呪う大災厄。


 私たちが戦い、成仏したあの二人が現国王の前にやってきた。

 大災厄たる彼らは知らない。

 今、玉座に鎮座するクリムゾン殿下の父親がどれほどに心を殺し、民のために動いているのか。なぜ民のために動いているのか? その理由が、かつて女王の愛した世界だからだと。

 大災厄たちは知らない。


 だから。

 大災厄の放つ【核燃爆散アルティミック】の中で、現国王が祈った言葉の意味に気付かないのだろう。

 女王を愛した兄は、最後に願ったのだ。


『神よ、余は何度も道を違えた。けれど、この大陸を愛したのは、守ろうとしたのは本当だ。だから、どうか――願いを聞いて欲しい。余の息子を、この憎悪の化身となったスノウ=フレークシルバーには殺させないでくれ。どうか、神よ。母の憎悪に、息子を殺させないでください――』


 と。

 光の柱の中で、男は息子の名を呼び消えていく。

 骨すら残らぬ破壊力の中で、願うように腕を伸ばし――。

 嫉妬により道を違えたエルフ王の魂が消滅する。


『クリムゾン……余は、おまえを愛し――……』


 大災厄は復讐を果たした。

 闇に落ちた勇者の哄笑が主なき王宮に響き渡る。

 復讐を果たした男の歓喜の雄たけびが、フレークシルバー王国を揺らしていた。


 だが。

 彼らが現国王に成り代わっている裏で、最後の願いを聞いていた者がいた。


 それは老婆の姿をした露天商。

 大陸神とされる魔女。

 大陸神は現国王の願いを聞き入れ、クリムゾン殿下が大災厄に殺されないように守護し続けた。


 現国王が死に。

 魔力同調は途切れて消えた。

 映像も、ここで終わる。


 ◇◆ <――> ◇◆


 現実の意識の中。

 氷棺の前。

 全てを知ったクリムゾン殿下が言う。


「つまり俺は……お前の兄、ということか」

「ええ、そのようですね」

「だが俺は、おまえから父と母を奪った男でもあるという事か――」


 それはおそらく。

 現国王が殿下を助けるために行った数々の所業の事を言っているのだろう。

 蘇生に近い奇跡を行使するために、勇者の死を生贄とし、女王から刳り貫いた瞳の魔力を使ったのだから。


 確かに結果的には、クリムゾン殿下のために殺されたと言えなくもない。

 けれど王だけが悪いと言い切れるとは、私には思えない。

 殿下もそうは思わなかったのだろう。


 そして、全てを見ていたこの【無限の魔力】も。


 だから、今。

 正気を取り戻した女王の瞳は、ポロポロポロと泣いているのだろう。

 どうして、こうなってしまったのだろう――と。


 後悔が、魔力を紡いでいた。


 私の耳だけには、ごめんなさい、ごめんなさいと嘆く、女王の声が聞こえていたのだ。

 それは【無限の魔力】だからこそできる、本来ならありえない現象。

 恋に溺れてしまった過去の自身を恥じる、母の声だった。

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[一言] 勇者と女王悲しすぎエルフ死すべしって思ってたのに… 手のひらクルックルでお花畑やべえってなってる 毎回意表を突く展開で楽しませていただいてます。
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