第8話 慰問
その日は彼にとっては一年ぶりの帰還。
およそ一年前に成人を迎えたカルバニア王国の第一王子。
金髪碧眼の貴公子マルダー=フォン=カルバニアは、濃い神の血筋の証といえる黄金の髪の美男子。
彼は王家の旗印が刺繍された外套を靡かせ、つまらなそうな瞳で冒険者ギルドを眺めていた。
第一王子の帰還という事で、この国を魔物から守っている冒険者たちに感謝する。
いわゆる慰問という公務があまり好きではないのだろう。
けれど公務は公務。
実際に冒険者ギルドに辿り着くと――表情が変わる。
王子は高貴な笑顔を張り付けていた。
王族であることや次期国王といった付属ステータスがなくとも、男女問わず人目を惹く。
プリンスたる存在感を纏っているのだ。
カルバニア王国の冒険者ギルドで働くスタッフは子どもですらも一流。
そう印象付けたいギルドマスターに命令されていた見習いの従業員は、王子に向かい、恭しく頭を下げる。
粗野な人材が多い冒険者ギルド流の挨拶ではなく、礼儀正しいがまだ子供といった様子を残す立ち居振る舞いで、自己紹介を行っていた。
「お初にお目にかかります殿下。此度は当冒険者ギルドへの慰問、まことにありがとうございます。本日は殿下の案内をさせていただくことになりました、名乗る程の者でもないので、下っ端、とでもお呼びください。それが私のニックネームのようなものなので」
幼き従業員は珍しい銀髪だった。
年齢は十二歳前後だろう。
カルバニア王国第一王子、マルダー=フォン=カルバニアは子どもを目の前にしてもニコニコと貴公子の笑顔。冒険者たちの機嫌を損ねるのを是としていないのだろう。
威圧を避けるために護衛もなし。
民と寄り添う正しき貴公子然とした美しい声で、彼は言う。
「初めまして、小さな守り手よ。今日は良き日となることを願っている」
「それはよかった、今日はとても良い日。これから解体場でドラゴンの解体が行われるのです!」
「おや、嬉しそうな顔だね。ドラゴンの解体というのは珍しいのかい?」
銀髪の従業員が自慢を隠せぬ顔で言う。
「いえ、その解体に私が任命されているので! ……って、あ! す、すみません。少し興奮してしまいました」
頭を掻き詫びる見習い従業員に、周囲の熟練冒険者や熟練スタッフたちが大笑い。
マルダー=フォン=カルバニアは一目で見抜いただろう。
この銀髪の少年はこの冒険者ギルドのムードメーカー。とても信頼されていて、なくてはならない存在になっているのだと。
だからこそ、第一王子は友好的な笑みを絶やさない。
子どもに合わせた口調で言う。
「構わないよ、けれど凄いね。君、新人なのだろう? ドラゴンの解体なんて、本当にできるのかい?」
貴公子は少年を気遣ったのだろう。
失敗しても問題ないよと。
けれど。
空気が変わっていた。
和気あいあいとしていた空間が、一瞬にして戦場のような冷たさで満たされていたのである。
王子が、訝しみ声を出す。
「あ、あの……皆さん?」
周囲の熟練スタッフたちが敵意すらこもったまなざしで、王族であるはずのマルダーに吠えていた。
解体屋……持ち込まれた魔物を解体し、素材や可食部に分け、冒険者から手数料を受け取り生活するギルドには欠かせぬ存在。
その中の最年長――神の腕といわれる、名の知れた老人だった。
「王子様、あんたまさか――うちの若いのをバカにしているのか!?」
「なんて酷い王子だ!」
「慰問に来たって話だったのに、まさかオレたちの事を見下しに来たんじゃねえのか!?」
異様な空気。
異様な光景。
王族に歯向かう冒険者は多数いる。だが、これは異様を超えた異常だった。
なにがどうしてここまで彼らを駆り立てるのか。
マルダー王子には理解ができない。
そこに助け舟を出したのは、やはり案内役の見習い従業員だった。
「落ち着いてください皆さん、殿下は僕を気遣って下さったんですよ。僕もほら、たまに失敗しますし……この間だって、女クモ悪魔のアラクネの見た目があまりにも人間に近かったので、うぎゃ! って叫んじゃいましたし」
アラクネ事件とされている話は有名なのか。
熟練冒険者がありゃあ坊主には悪いことをしたなと、なははははは!
少年が声をかけるだけで、空気が優しく温かいものに変わっている。
神の腕の老人が我に返ったのか、王子に頭を下げ。
「もうしわけねえ、あたしゃあ……うちの新人をバカにされたと思っちまって、つい……許してくだされ」
「あ、頭をお上げください老子!」
マルダー王子は低姿勢のままである。
彼には何故、ここまで神の腕の老人が怒りを示したのか。理解できないのだろう。
王子が抜けているのではない。
普通ならば分からない。
けれど、答えはすぐに見つかった。
銀髪の少年従業員は流れを変えるためだろう、ドラゴンの解体を開始する。
すると。
なんということだろうか。
少年が手にした一本のノコギリが、まるで神の腕のように美しい所作でドラゴンの巨体を解体し始めたのだ。
それは――天才としか言いようのない腕なのだとは、素人でも分かる。
むろん、マルダー王子も理解した。
神の腕の老人がまるで孫を自慢するかのようなドヤ顔で、その隣にいた熟練冒険者が勝ち誇った声で言う。
「ほらみろ、なあ、王子様! オレたちが怒っちまった理由も分かるだろう?」
「あいつはすげえんだ!」
「あぁ、いつみても美しい腕……美しい顔。あと三年したら、わたくし、あの方にプロポーズをするつもりなのです!」
最後にプロポーズと口にしたのは、魔術師の貴族令嬢。
十五歳で聖職者の扱う神聖魔術の習得を、二十歳で切断された腕さえ再生させることが可能となった、数少ない上級ヒーラーのファリナだろう。
皆が皆。
うっとりと少年に瞳と心を奪われているのだ。
王子が言う。
「はい、とても素晴らしい見事な腕かと存じます。彼は、幼いころからずっとここで働いているのですか?」
「いいや、一カ月ほど前くらいだったか。なんでも探し物があるっていうんで、この冒険者ギルドに依頼に来たんだが、その依頼内容があまりにも……その、不憫でなぁ」
不憫。
「彼は何を依頼しに」
「なんでも、人の魂を再生させる古の魔導書を探しているんだとよ」
「魂を? それは、伝説の蘇生の魔術とは違うのですか?」
「あれじゃあ駄目なんですよなんて、あいつは眉を下げていたらしいですが、まあ……大事な誰かを亡くして、最後の望みをその書に託しているんでしょうが。まったく、神様も酷いことをするものだ、あんなに可愛くて、あんなに腕がいい、イイ子から、家族ってもんを取り上げちまうだなんて」
語る老人に、周囲の皆も頷き。
全員が全員、まるで妄執に囚われたような顔で、銀髪の少年をじっと見て。
「なぁ王子様よぉ、どうか、あの子の家族を殺した連中を見つけてやってはくれませんか? 民衆の目の前に引きずり出して――殺してやって欲しいのです」
王子は言葉を理解するのに時間を必要とした。
それは王族に頼むにはあまりにも野蛮で、そして意味の分からぬ頼みでもあったからだ。
困惑を隠せずマルダー王子が眉を顰め。
「それはあの少年が、そう言っていたのでしょうか」
「いいや、けれど、分かるんですよ。あんな良い子を苦しめた相手が仮に貴族だったとしても、あたしゃ躊躇しません。そいつらの頭蓋に穴をあけて、生きたまま解体してやりますよ」
ぞっとするほどの、善意の殺意だった。
どこか狂ったような。
異様な空気を纏った冒険者ギルド内の慰問は、まだ続く。