第84話 Who are you―君は誰だ―
勇者たちを中心に、既に戦いは開始されていた。
けれど――天幕の向こうの正体を暴かれた大災厄は玉座に鎮座したまま、無限に骸骨を召喚し勇者たちの進軍を阻んでいた。
ただの骸骨ではない。
オーソドックスな人間の骨の骸骨兵でもない。
それは馬の骨だった。
戦車を引く筋骨隆々な馬のアンデッド。
彼らはそれぞれが装備……戦馬用の武装をした強力な魔物。
そして、それぞれが大災厄の邪悪な力で強化されたアンデッドでもある。
モンスター名は、鑑定不能。
一体一体がクリムゾン殿下程度の力があるのだろう。
それが数えるのが馬鹿らしいほどの数、謁見の間を埋め尽くす勢いで生まれ続けているのだ。
風の勇者ギルギルスが風による結界で後衛を守る中。
赤雷を纏ったクリムゾン殿下が、馬の脚を薙ぎ――敵陣を崩した、その瞬間。
「キリがねえ! どいてな……っ、一気に吹き飛ばす――!」
戦斧を回し、溜め込んだ自己強化の闘気と魔力を放出する形でスキルを発動したのは、勇者ガノッサ。
横方向に発生した嵐のエネルギーが骸骨馬を一掃。
嵐はそのまま玉座に鎮座する大災厄にまで届くが、あっさりとレジストされている。
一瞬だけ開いた大災厄への活路に、弓兵の射撃が襲う。
続いて魔術師隊による【連射できる中級魔術】が追走。
風の勇者ギルギルスが、ヴィオラを奏で遠距離攻撃を多重強化。
豪商貴婦人ヴィルヘルムが魔道具を解き放ち、大災厄が逃げないように天井を封鎖。
パリス=シュヴァインヘルトが床に手をつき、鋼鉄の茨を召喚し更に敵の退路を断つ。
だがこれは作戦ミスだろう。
この程度の魔術と弓をいくら連続で放ったとしても、無駄。
案の定だった。
それらの連携は大災厄が指を鳴らすだけで、塵となって消失。
風化した魔力だけが、周囲にその名残を漂わせていた。
その霧散した魔力を逆に利用し、大災厄は骸骨の馬を再び召喚。
大災厄が明らかに呆れた口調で言う。
『当代の勇者はこの程度なのかい?』
「うるせえ、大災厄野郎! 脅威としてのてめえが誕生したのは二百年ぐらい前だろう!? だったらオレもその時には生きていた! 勇者にもなっていた! 先輩面してるんじゃねえぞ、青二才!」
『勇者になった? はて、君は後天的に勇者になったのか。知らなかったよ、僕は生まれた時から勇者だったからね。実績を積んで勇者になる、そういう流れもあるのか』
勇者の亡霊としての大災厄が、初めてガノッサに興味を持ったようだが。
「ったく! 誰の息子のせいだと思っていやがる!」
『息子? 君はなにをいっている?』
大災厄は眉を顰めているが。
同じく眉を顰めて、ガノッサが告げる。
「こいつ……息子がいることを知らねえのか? おい、息子! てめえ! なんで、さっきから観察ばっかりでろくに戦わねえんだ! おまえさんなら、こう、なんだ! ババっとやれるだろう!?」
「すみません――少々考え事をしておりまして。どうか気にせず、戦っていてください。死者がでても短期間の死ならば蘇生も可能ですのでご安心を」
「おい――……!」
なにやらガノッサはマシンガントーク並みの文句。
額にも腕にも血管を浮かべて、キレているが。
私は思考に集中する。
かつて午後三時の女神は言っていた。
エルフの女王は自分を追放した故郷を恨んだのだと。
だから呪いながら、自らの胎に最も邪悪な赤子を宿すことにしたと。
色々な魂を取り込み、最も大きな魔力を持つ神を作ろうとしたと。
それが産み落とされた私。
幸福の魔王。
その筈だった。
あの日、追放され絶望した白雪。
スノウ=フレークシルバー。
彼女は人間の奴隷となり――処刑されるまでの間に様々な魂を取り込んだ。
大災厄を生むために。
午後三時の女神の言葉が正しいのなら、本当に邪悪な魂を掻き集めたのだろう。
魔力をほとんど失っていたとしても、自らの体を生贄にすることはできる。
なにしろ白銀女王は素材として希少種。
レアならばレアなほど、生贄としての価値が高いことは既に複数のアプローチで証明されている。
世界各地に漂っていた、世界を呪う存在を掻き集めることぐらい造作もなかったはずだ。
ならばその世界を呪う存在。
該当者として……浮かぶのは。
……。
一番強く反応し、まっさきに集っただろう存在は。
あの悲恋伝承の登場人物、約束を違えたエルフを憎悪する……女王と恋に落ちた者。
今、目の前にいる、この男。
女王が魔力を生み出さなくなってしまったせいで、斬首された勇者。
母を愛した、私の父だったのではないだろうか。
私は現国王に化けていた大災厄に目をやった。
姿はボケて見えている。
それは魔物としての亡霊の特徴だ。
このままでは物理攻撃も通らないだろうと、私は邪杖ビィルゼブブを鳴らし。
「【光よ、闇を照らせ】」
骸骨の口から発生した光が、大災厄を包んでいた。
相手の姿を現実世界へと具現化させたのだ。
『亡霊であるはずの僕を具現化させた? 君は、いったい――いや、レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト。知っているよ、知っている。だけど、なんだろうね、君を見ていると。とてもここが変になる』
言って、大災厄は胸のプレートの奥に手を入れ。
動かぬ心臓を握って、首を傾げるばかり。
やはり所詮は亡霊。
これは――あくまでも父と母の、憎悪や恨みのみで生みだされた怪物。
本来の意味での彼等ではないのだろう。
おそらく、私の両親の魂が残っているのだとしたら、目の前の大災厄ではなく。いまだに別の場所。
霊廟ともいえる聖地――。
斬首され、磔とされ氷漬けとなっている遺骸と、それを眺め続ける【無限の魔力】の方にあるのだろう。
「なるほど、あなたたちは……あくまでも大災厄として”生み出された存在”。世界を恨み、呪った瞬間の父や母の感情を定着させたコピー。人格はあれど、父上母上本人ではないのですか……」
別に、どうでもいいことの筈だ。
けれど、私の口はなぜだか少し揺れていた。
私は具現化された大災厄に目をやった。
やはり白銀女王に負けず劣らず、整った顔立ちの、神秘的な美貌と空気を纏った勇者の男である。
陳腐な言葉だが、浮かんだ言葉は白馬の王子。
だが、その前に”闇に落ちた”の枕詞がつくが。
既に長期戦の準備を整えているのだろう。
黒衣の勇者の玉座の下では、首のない馬たちが大量に存在している。
大災厄はまるで怨念の海の上で、静かに眠っているようだった。
疲れ切った様子で――玉座に鎮座しているのだ。
おそらくこの馬が骸骨馬の正体。
【怒り狂った死霊軍隊】。
エルフに狩られ、拷問され死んだ人間たちだろう。
勇者も白銀女王も彼等も、エルフへの恨みという共通点を潤滑剤とし――勇者という核を中心として群体を作っている。
それが世界脅威:【大災厄】。
好青年とは違う、けれど寡黙そうで精悍な顔立ちの黒馬の勇者は、悠然としたまま。
多くの憎悪を従え、私たちを睨んでいる。
私が言う。
「なるほど、たしかに……あの悲恋伝承の勇者が大災厄のメインの人格となっているのなら、世界を憎悪し暴れまわっていても不思議ではないのでしょうね。勇者だからこそ制限のせいで愛する女王を守れなかった。勇者だからこそ、世界の醜さを知っていた。そして、女王を愛し……失った勇者だからこそ、すべてのエルフを殺そうと思った。ついでに、疲れ切った勇者を生むこの世界すらも破壊したいと願っている。白銀女王はとんでもない人類の敵を産み落としていたというわけです」
『君は――誰だい?』
大災厄は再びプレートの下に手を伸ばし。
透明化させた手で心臓を握り。
『変だね君。君を見ていると、苦しいんだよ。君は、誰だ』
これが憎悪の瞬間を切り取ったコピーにしか過ぎないと知っている。
合理的ではない。
それはわかっている。
けれど。
私の口は静かに……。
欲しかったぬくもりに腕を伸ばすような声を出していた。
「初めまして陛下。いえ、勇者様と呼ぶべきでしょうか。それとも、父上と呼んだほうがよろしいでしょうか? 母上も憎悪の塊たるあなたの中にいらっしゃるようで、できたら挨拶をしたいのですが」
アントロワイズ家で。
私は家族のぬくもりを知ってしまった。
覚えてしまった。
だから、そんなあの日の幸せを、失ってしまった幸福を再び――もう一度。
そんな欲が私にも残っていたようだ。
一度握ってしまったあの日の幸福が、理性を狂わせ、合理的ではないことをさせようとしている。
けれど私は魔王だ。
今の自分を客観的に眺める、魔王の瞳を持っていた。
だから、惑わされはしない。
返事は遅れてやってきた。
それはまるで人形のようだった。
『息子……? 僕たちは確かに愛し合った、だけど……あれ、おかしいな。わからないよ、ねえ君にはわかるかいスノウ。ああ、そうか。わからないよね。僕ももう、色々と分からなくなっているんだ。そうだね、でもやることは一緒だね』
勇者の格好をしている大災厄は、黙り込んでしまい。
こてんと、首を傾げるばかり。
場にそぐわぬ行動だった。
息子がいるとは思っていなかったのだろう。
考えてみた。
本来なら私は死産となるはずだったのだ。
けれど私は三女神の駒に選ばれ、生まれないはずの赤子としてこの世に生を受けた。
女神たちの言葉に嘘はないだろう。
私は思うのだ。
白銀女王は純粋だ。生を受けたその瞬間、世界の美しさに初めて感動した事をきっかけに【無限の魔力】に覚醒したほどの聖女だ。
そんな聖女が、世界よりも愛した男の子が宿る胎内に、大災厄を生み出すほどの呪いを集めたりするだろうか。
実際、呪いを集められた影響で本来の私は死産の筈だった。
女神がただそこを改竄しただけ。
私は上位存在の気まぐれによって誕生した。
死んでしまう赤子なら――と、三柱の女神が指を伸ばし呪いの器となっていた私に触れ、愛し、祝福を授けたおかげで生まれることができただけ。
魔王となり、もはや愛など正確に理解できていない私でもわかる。
本当に愛し合い実った愛の結晶を、世界を呪う道具になどするだろうか?
私はそうは思わない。
思いたくはない。
大災厄を眺めていると、その心が透けて見えるのだ。
愛して、愛して、あれほどに愛した自分たちを認めない世界など、破壊してしまえばいいと。
破壊して、もっと愛が実る世界に作り替えるべきだろうと。
大災厄と名付けたのは冒険者ギルドだ。
だからマイナス面ばかりが目立っているが、そこにはエルフと世界への復讐だけではない感情がある。
大災厄は善意で世界を呪っている。
一度世界を壊して、愛ある世界を作りたいと願っているのだ。
この脅威は危険だ。
もし勇者たちが大災厄を受け入れ、世界そのものを作り替えることに協力したとしたら――。
もっと恐ろしいのは。
私が協力してしまったら。
……。
私の口から、事実を探る声が漏れていた。
「きっと――父も母も愛した相手の結晶が、母体の中に宿っていたとは気づいていなかったのでしょうね……」
『それがキミだと?』
「信じる信じないはご自由に。けれど、生物学的には間違いなく、あなたたち大災厄の元となった両親の子供であることは確定しているようですよ」
魔術式から読み解ける遺伝子情報によれば、私と彼らが血縁である可能性は限りなく百パーセントに近い。
状況証拠に、そして女神の証言をそろえれば確定といって差し支えないだろう。
だが、大災厄は言う。
『僕たちに子供はいないよ。確かに僕らは恋に落ちたよ、愛し合ったよ。それでも十月十日はとっくに過ぎていたけれど、彼女のお腹は大きくなどなっていなかった。君は嘘つきだね、レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト。養子となったようだが――彼女を守れなかったシュヴァインヘルトに似たのかな?』
ああ、と私は息を漏らしかけた。
やはり、彼は私を息子だとは感じていない。
ありえないと思っているのだろう。
けれど、私は知っていた。
エルフたちも知っていた。
だからエルフたちも皆、ああ……と悟ったのだろう。
大災厄に同情とも思える視線を向けていた。
空気を読まずにガノッサが力を溜め、次の攻撃に備えながら。
ギリリと奥歯を噛みしめ、隣で同じく魔力を練っているクリムゾン殿下に言う。
「おいおい、何だこの空気は」
「気づいておらぬのか、賢者が連れし斧の勇者よ」
「変な言い方するんじゃねえっての、子供が生まれるのはだいたいそんなもんだろう?」
勇者の友だったと思われる、パリス=シュヴァインヘルトが床に落とすように言葉を漏らしていた。
「それは……人間の妊娠期間だ」
補足するように私が言う。
「そもそもエルフと人間の生態は違う。その最たるは寿命でしょう」
「ああん? そりゃそうだろ」
「つまり――基本と考えている常識が違うのですよ。人間基準でいえば普通の事でもエルフの常識とは違う事を、彼もあなたも失念しているのです。エルフの妊娠期間は個体差も大きいですが、二年から五年。胎盤から受ける魔力の量で前後するのです。そして、追放された女王は魔力をほぼ失っていました。私が生まれるまでには多くの時間がかかった。だから、本人も自分が妊娠しているとは知らなかったのでしょうね」
実際、母も取り込んでいるはずの目の前の大災厄は、私という存在を知らなかった。
殺そうともしていた。
校舎ごと私を消そうとしていた。
確かに彼らの復讐を阻む者ができる存在がいるとしたら、この私だろう。
もはや創造神はエルフを見捨てていたのだ、それを覆そうと私は動いていた。
大災厄にとっては最も邪魔な存在だろう。
何度も何度も、彼らは私の邪魔をしてきた。
そして彼らはエルフの評判を地に落とすべく、様々な工作を行ってきた。
実際に、海賊パーランドの背景が明らかとなった今、当分の間はエルフの評判は著しく低迷するだろう。世界各地で彼が暴れていた理由はエルフ自身にあった。
被害者ぶっていたが、蓋を開けてみれば事の始まりはエルフの側。
エルフは加害者だったのだと、世間はエルフに後ろ指を指すだろう。
被害者だからと人間に強く当たっていたエルフも多い。
それが反転するとどうなるだろうか?
もはや白銀女王の悲恋も冒険者ギルドや勇者を通じ、外の世界に広がっていくだろう。
皆、エルフを卑劣な種族だと蔑むだろうと目に見えている。
更に白銀女王の物語が紐解かれれば、もう一つの不祥事につながってくる。
それは――弟殿下たちの下劣。
彼らが白銀女王の追放という過去を隠すため、そして自らの地位を守るため、プアンテ姫の家族を殺してしまったことも伝わるだろう。
大災厄はエルフを滅ぼすことに失敗したとしても、社会的に殺すことができるのだ。
後は大森林を守る結界を壊すだけでいい。
この結界は【無限の魔力】で維持されているのだ、それを所有しているのは現国王。そして、現国王は大災厄に消され、その所有者は大災厄自身。
壊すことなど容易い。
私は知っていた、今のエルフは大森林の結界の中でしかまともに生きていられない――と。
結界の崩壊後。
多くのエルフは無防備のまま、外の世界に解き放たれるだろう。
それはさながら、瞳と魔力を奪われマルキシコス大陸に追放された白銀女王のように……。
多くのエルフが、奴隷とされるだろう。
エルフが人間狩りをしていたことが伝わっているのならば、人間たちは容赦なく外に解き放たれたエルフを狩るだろう。
これは復讐だ、と。
大義名分があるのならば、人はどこまでも醜くなれるのだから。
今までは誘拐事件を責める側だったエルフが、逆に人間に責められる。
個の強さはエルフが優位でも、人間の数は膨大。
エルフという種は男女問わず人間に犯され、混血児だらけとなり、そしていずれは純血種としてのエルフは滅びる。
これも種を断つ、根絶するという意味での根切りと言うのだろうか。
どう足掻いてもエルフという種が滅びるように、大災厄は動いていたのだ。
プアンテ姫が魔王であることも大災厄ならば気付くだろう。
まだ幼いが魔王は魔王。
どちらが勝つかは分からない。
だからこそ、彼等はここまで策を巡らせたのだろう。
悍ましい執念と言える。
そう考えると、プアンテ姫を狙った有象無象の王族たちこそが、彼等にとっての敗因の一つ。
プアンテ姫は両親を殺されなければ、午後三時の女神と契約を交わすことなどなかったのだ。
だが、私にはまだ疑問があった。
そんな確実にエルフを滅ぼすための策を選んでおきながら、分からない点が一つあるのだ。
彼らはそんな裏で、同時に、王族としての在り方を取り戻そうとしたりもしていた。
皆、王族を敬うようになっていた。
それは王の工作で間違いない。
もしかしたら大災厄に乗っ取られる前の現国王が、自分たちの地位を安泰とするために動いていただけというオチかもしれないが。
わからない。
その違和感を掴めない。
悩む私の脳を、ワイルドハントたちの嘶きが襲う。
聞こえたのは、首がない筈の馬の荒い息遣い。
エルフを憎悪し、恨む――蹄の音。
人間たちの亡霊の海の上。
大災厄は混乱した様子で、玉座から立ち上がり。
怨霊を纏ったその身と瞳を震わせ、錯乱状態となりながら吠える。
『分からない! 分からない! 君は――誰だ!』
それは大災厄が初めて漏らした感情をむき出しにした声。
悲痛な叫びだった。
先ほど、同じく悲痛な叫びをあげていたパリス=シュヴァインヘルトが叫ぶ。
「彼は、レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト。君の愛したあの方から生まれ、多くの苦難を乗り越え――今を強く生きている少年! 陛下よ、勇者よ! あなた達の息子だ!」
空気を引き裂くほどの叫びだった。
寡黙で武骨で、不器用で……固いイメージのあったパリス=シュヴァインヘルト。
彼が見せる剥き出しの感情に押されたのか、大災厄は後ずさる。
『違う、そんな筈は』
「もう、やめにしよう……」
だがそんな勇者を追うように彼は言葉を続けていた。
「僕は、レイドくんと共に行動したからよく知っている。彼はあなたと同じで正義感の強い存在だ。口では傍観者を気取っておきながら、無辜なる命を見捨てられない信念のあるハーフエルフだ」
『近寄るな――』
混乱と恐怖の中にいる大災厄は腕を振るい、衝撃波を発生させる。
直撃を受けてもなお、パリス=シュヴァインヘルトは怯まない。
血を頭から滴らせ、びちゃりびちゃりと床に垂らした血を乗り越えながらも。
男は言葉を続ける。
「僕は――あなたたちの息子と共に、わずかだが同じ道を進んだよ。僕は見た。クリームヘイト王国で姫を救う彼を、国を救う彼を。僕は見た。それは僕があの日見た、あの時のあなたの面影だ。勇者よ、あなたの息子は大陸神すら従えるほどに強力な存在となって、いま、この地に戻ってきた。もう、いいだろう。陛下よ、勇者よ。僕が愛した人達よ。あなたたちの恩讐と想いは必ず、彼も心に刻んでいる。これからは君たちの子供の時代だ、もう僕らの時代じゃない。もう……終わろう。僕も、もう過去ではなく前を見ると決めたよ」
交渉スキルも使っていない。
素の言葉だった。
「彼ならば、レイド君ならば――あなたたちが受けた屈辱も苦痛も、彼ならば公とした上で正しき裁きを下してくれる。僕はあなたたちの息子に忠義を誓う。エルフはこれから新しい王の下で生まれ変わる。それで、いいだろう?」
『だって、そんな筈はない。なら――僕は、僕たちは、僕らは、いったい、なんのために。誰のために、世界を作り直しているんだい?』
「どうかもう、これ以上――彼を傷つけないでくれ」
誰が傷つく。
私の事だろう。
けれど私は魔王。
傷ついたりなどしない。
それでも――おそらく私の今の顔は、パリス=シュヴァインヘルトにとっては傷ついた子供のような顔に見えていたのだろう。
実際はそうではない。
そうではない。
だが――。
……。
混乱した大災厄が取った行動は、無差別範囲攻撃。
彼は怨念の塊のようなもの。
基本的にアンデッドはまともな行動を選択できない、支離滅裂なのだ、彼も例外ではないのだろう。
城を破壊されるのは困る。
これからしばらくは私が使う予定なのだ。
どう動いても評判がしばらく落ちるだろうエルフには、絶対的な力を持つ王が必要だ。
しかし――私が防御結界を張るより先に、世界が動いていた。
ほんの一瞬だった。
周囲の空間から、城が切り離されていたのだ。
この感覚には覚えがあった。
私も使用できる魔術の一種。
マルキシコスと戦ったときに発生していた、周囲に影響を及ばさないための隔離空間である。
だが今回は私が使用したわけではない。
これはもっと精密で、悔しいが私よりも質の高い魔術だ。
使用者は――もう私には理解できていた。
次元が――割れ。
そして、そこに現れたのは広大な戦闘舞台。
既にそこには仰々しい玉座が複数用意されていたのだ。
まるで神のための座。
神が舞台を楽しむための席が、一瞬にして築かれていく。
『なんだ――この尋常ではない魔力は。まさか』
大災厄もそれには畏怖を覚えるのか、しばし動きが固まっている。
パリス=シュヴァインヘルトと豪商貴婦人ヴィルヘルムだけは理解しているようで。
戦闘中にもかかわらず、慌てて平伏の姿勢と構え。
そんな二人の反応に気を良くしたのだろう。
何人も抗えぬほどの、美麗で神々しい声が響き渡る。
『パリス=シュヴァインヘルト。並びに豪商貴婦人ヴィルヘルム。出迎え、大儀であるぞ――良き心掛けじゃ。ならばこそ、妾はこの玉体を現そうぞ。妾の空中庭園の護り手よ、扉を繋いで賜れ』
平伏せよ、平伏せよ――と。
モフモフな猫……正装で着飾ったニャースケが次元の扉を開き。
次元と次元が繋がれる。
それらは、明け方の陽ざしを背に抱き。
昼の輝きを後光とし。
菓子の山の頂にて。
逢魔が時の黄昏の中で。
夜を纏いて顕現していた。
女神たちの降臨である。