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第78話 交渉―風の勇者ギルギルス―


 狭い通路に響くのは私の靴音。

 試合会場を抜けた先。


 先ほどの試合も終わり、次の行動に移ろうと思っていたのだが――背後から忍び寄ってきたのは勇者の気配だった。

 狭い通路では豪商貴婦人ヴィルヘルムが待っていたはずなのだが、いつまで経っても遭遇しない。

 私という存在に魅了され――出待ちしていた女生徒達も私を待っていたはずなのだが、気配が消えている。


 彼女達が消されたのではなく、私がどこか別の空間に誘われたと考えるべきか。


 犯人は。

 おそらく――。

 響いていた足音が止まる。


 隔離空間に気付いていると暗に示すべく立ち止まった私が言う。


「――何か御用ですか、勇者様」

「我が名は風の勇者ギルギルス」

「先ほどの方ですか――」

「単刀直入に問う――貴様、魔王であるな」


 ギルギルスの声はずいぶんと紳士的な声だった。


 さすがに魔王の一撃などという戯曲を奏でれば、分かる者には分かってしまうだろう。

 実際、こうして勇者ギルギルスは簡単に釣られてやってきた。

 ここまでは計算通り。


 返事の前の刹那の時間、私は周囲を見渡していた。

 赤い瞳に結界の構造と魔術式が記憶される。

 魔術式の模倣――つまり私でも使えるようにラーニングしているのだ。


 この空間は勇者が使う別次元を作り出す結界。

 ようするに武術大会の会場に、超小型のダンジョンを生み出したようなものなのだろう。

 中からは外を見えないし。

 外からも中を見ることはできない。

 どれだけ暴れても周囲に影響を与えない、人道的な結界である。


 他者を巻き込まないようにする配慮と言えば聞こえはいいが、これは勇者の枷。

 勇者は人類社会に大きく干渉する行動を制限されている。

 魔王を狙うふりをして殺したい相手を殺すといったことができないようにする、世界が勇者に対して与えている制限の一種なのだろう。


 結界使用者と私以外誰もいない空間にて。

 振り返った私の影は、結界の四隅に広がり――私自身は鷹揚おうようとしたまま。

 女神アシュトレトから言われていた口上を読み上げていた。


「いかにも――我が名は魔王レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト。幸福を司りし幸福の魔王」


 おお! わらわがリクエストした口上であるぞ!

 と、天から大喜びする気配を感じるが。

 ともあれ。


「そうか――ならば覚悟せよ、幸福魔王!」


 応じた途端、背後から襲ってきたのは風の刃。

 魔王と承知で攻撃してきたのならば覚悟ができているのだろう。

 ただ相手の姿が見えない。


 振り返った先には何もいなかったのだ。

 ――隠匿や隠密を得意とするのか……。

 一瞬の間だけを思考に回して出した私の答えは、対象が視界にいなくとも自動発動する拘束魔術。


 私は手にしていたバイオリンを闇に戻し。

 ズズズズゥゥゥ……。

 形容できぬ音は世界の法則を無視したせいで発生した異音か。異音と共に私は無から邪杖ビィルゼブブを取り出し――短文詠唱。


「朝焼けと長しえ、昼の終わり。夜の始まりには必ず黄昏が顕現す」


 杖を翳す私は微笑していた。

 その吊り上がった口角の隙間から魔術名が宣言される。


「影捕縛魔術:【戒めの影槍(バインド・ランス)】」


 影の槍を無数に召喚。


 戒めの影槍。それは自動で相手を追従しつづける影魔術。

 効果は直撃させた相手の影を戒め、行動を制御するという単純な性能。

 いわゆる捕縛用の補助魔術である。


 風の勇者ギルギルスの姿を見ぬままに影の槍を展開させるが。

 影の槍は結界の地面に向かい進み。

 そして――。


「だぁあああああああぁぁぁ! 待てや、おまえら!」


 相手に直撃する寸前に、結界の一部が揺らぎ。

 影魔術が中断される。

 世界と世界とを隔絶している空間の揺らぎに、私の槍が飲み込まれたのだ。


 その揺らぎの正体は、空間干渉。

 勇者としての力で生んだ結界なので、勇者の力ならば干渉……入室が可能なのだろう。

 現れたのはおそらく、勇者の結界の気配を感じて飛んでやってきた斧の勇者ガノッサ。

 いつもと変わらぬ様子で私は言う。


「おや、ガノッサさんどうかしたのですか?」

「どうかしたのですか――じゃねえだろう!」

「声真似、あまり似てませんね……」

「うっせー! 人を瞬間転移で大森林まで追放して、んで、今度は通路に結界を張りやがっただ? どういうつもりだ、このクソガキ!」

「――私ではなく彼が張った結界ですし、無辜なる私は勇者に襲われている小市民。反撃して当然では?」


 当然の権利を主張するも、ガノッサは訳知り顔で、ふふん!


「って、わりには相手を殺さねえ影の捕縛魔術を選んでやがるんだな? ははーん、反撃するって言っておいて、手加減してるってわけか。幸福の魔王様はお優しいこって」

「まあ事情を知らずに相手を殺すほど、私は浅慮ではありませんので」


 それは襲ってきた相手への皮肉である。


「オレを遠くに追いやってどう暴れるつもりだったかは後でみっちり聞き出すとして。おい、風の勇者ギルギルスとやら。もうおまえさんの姿も場所もバレてるぞ、殺されたくねえならとっとと姿を見せな」

「斧の勇者ガノッサ……その戦斧は嵐すら起こし、二百年ほど前に魔王の一柱を滅した人間。光の勇者の供だった者か」

「へえ、ギルギルス様はオレをご存じってわけか」

「勇者であればその名を耳にしたこともあるだろう。しかし、分からぬ! なぜだ、なぜ貴殿ほどに高名な勇者がなぜ魔王に協力する。勇者としての役目をなぜ忘れたのか!?」


 なぜの連打である。


 勇者としての役目。

 それは勇者という立場に疲れ切った男にとっては、地雷に近い言葉の筈。

 ガノッサの空気が僅かに変化する。


「なら聞くが、悪いこともしていねえ魔王をなぜ無条件で襲う」

「悪事をしていない?」

「少なくともこいつは合理的に行動するからな。無駄な殺しはしねえだろう。そしてこいつが海賊パーランドを倒しエルフを救ったという話は、てめえだって耳にしてるんじゃねえのか?」

「だがそれはこのフレークシルバー王国の中枢に入り込むための仕込みであったとしたら?」


 風の勇者ギルギルスの紳士的な声だけが響く。


「魔王とは外の世界から入り込んできた遺物。女神と呼ばれる上位存在が使役する駒。我らとは価値観が違うのだ。世界のため、秩序のため! 勇者として、魔王を排除する役割と力を与えられた以上はその責を果たす義務があろう!」


 その女神が創造神……つまり彼が守ろうとしている世界を作った神。そして、その駒こそが私たち魔王なのだが……。

 世界が自動的に選定する存在である勇者は、その辺りの事情は知らないのだろう。

 ガノッサが嗤うように鼻を揺らす。


「くだらねえな」

「なに!?」

「くだらねえって言ったんだよ。何の見返りもない義務なんて、ただの奴隷じゃねえか」


 ガノッサは地面をにらみ。


「オレは幸福の魔王を信じている。少なくとも、勇者に付与された糞みてえな縛りを解除してくれるのなら、オレはなんだってしてやるよ」

「私益のために魔王に屈するというのか!?」


 叫ぶようなギルギルスの声にガノッサは真摯に言う。


「片や私益のためにその縛りを利用し、オレたち勇者を食い物にする人類。片やそんな縛りを解除してくれるっていう魔王。じゃあどっちのために動くかってなったら、そりゃあおまえさん、答えは出てるだろう? 勇者が自分のために動いて何が悪い。だいたい――おまえさんだってあんな縛りを解除してくれるかもしれねえって、ここに来たんだろ?」

「ああ、だがその依頼者が魔王だと知っていたら」

「魔王だからなんだって言うんだよ。オレはこいつがガキの頃から知ってるからな、悪さをしようにも、周囲を混沌に陥れようとも結局、どこかでお膳立てをしてやがった。破綻しないように根回ししてやがった。一回オレは、そんなことも気づかずこいつを殺しちまったがな……」


 私にとっての敗北の記憶。

 それは貴重な体験だった。

 ガノッサはいまだに気にしているようだが――私にとってはある意味で恩人。周囲を顧みず動いていたあの復讐を止めてくれたのが勇者から与えられた敗北であり、経験を積ませてくれた、必要な敗北でもあった。

 人の心をどれほどに扇動してもいいと考えていた未熟な私を、大きく変えるきっかけとなった、敗北だった。


 だがガノッサにとってあれは、不幸の始まり。

 妻として娶ったかつて少女だったヒーラーを守れなかった、憎悪の始まり。

 ガノッサが言う。


「オレたち勇者自身とその周囲の大切な命たち……失くしちゃいけねえ大切な者たちを人類は一体、何人奪っていった? 勇者ならば知ってるだろう、オレたちの弱点はもう人類にバレている。それを利用され、人類に友や家族を人質に取られて動かされている勇者が、いったい何人いるんだろうな。それを助けてやろうってこいつは動いている。人類と勇者と魔王、いったい誰が一番私利私欲で動いているか――」


 まあ全ては創造神のせい。

 もっと言うならば三女神のテキトーさのせいで、そんな縛りが生まれているので。

 彼らに代わり私が動いているだけ。

 勇者のシステムを曲解し、改ざんし、勇者が人類にとって都合の良すぎる存在である破綻を変えようとしているだけなのだが。


 そのあたりの事情は曖昧にした私は苦笑し。


「ギルギルスさんでしたか、私は勇者の枷を解き放つつもりです。どうか、あなたにも協力していただきたい」

「なぜ魔王たる貴様が勇者の解放を望む」

「私という存在が白銀女王の落胤だということはご存じの筈では?」

「ああ、だがそれがいったい何だというのだ」


 呼吸を区切り――。

 私は事情を説明するべく勇者に告げる。


「私の父はおそらく、この王国に紛れ込んできた人間の勇者。もし人類同士の争いに干渉してはいけないという勇者の縛りさえなければ、父は母を守っていたはず。まあ、両親に対しては思い入れは正直あまりないのですが、その無念が大災厄となり世界で暴れているのなら――私にはその呪いを解く義務がある。母たる白銀女王の残滓はおそらく、勇者を殺されたことを恨んでいる。そして、勇者のシステムそのものも恨んでいるはず。恨みを解除すれば――おそらくは大災厄の溜飲が下がる。それは死霊系の存在にとっては致命的な一撃となる」


 ならばこそ――。


「女王の息子の私が勇者の戒めを解き放ち、大災厄を弱体化させ討伐する。勇者の縛りに関しては、私もあながち無関係ではないという事ですよ」


 説得力はあったはずだ。

 なにしろこれは本心であり真実なのだ。

 少し調べれば白銀女王と迷い込んだ勇者の悲恋の話が出てくるはず。


 ギルギルスの声が響く。


「魔王よ――汝の行動理念は理解した。協力と言ったが、いったい我に何を望んでいる」

「簡単な話です、会場に様子を探りに来た他の勇者の方にも――私の目的を伝えてほしいのです。そして、人類の戦いに干渉できない、あの縛りの解除方法を知っているとも。そしてその戒めが解けた暁には、その事実を人類に広めてほしいのですよ。もう勇者を悪用できないとね――これは魔王が言っても信じては貰えないでしょうからね」

「ずいぶんと我ら勇者に都合のいい話だが――なぜそこまでする」


 なぜと言われれば。

 まあ女神たちの尻拭いなのだが。

 それと同時に、少しだけ浮かんでいた本音を私は口にすることにした。


「父もガノッサさんも、とても辛い思いをしたでしょう。勇者とは世界が勝手に選択し、その役割を指名する、魔王を排除するための免疫システム。自らが望んで勇者になったわけではないのに……それではあまりにも不公平じゃないですか。せめて、人類に悪用されている今の状況は正してあげたい。それもまた本音であり、ただ……魔王としての私はこうも思っております。世界の在り方を変えてみたらどうなるか――と」


 これは世界を再構築できるかの実験でもある。


 父と母の因縁のため。

 勇者ガノッサの悲劇を知っているため。

 そして、私の実験のため。


「これが私の答えですが、どうでしょうか」

「……わかった。貴殿に協力しよう魔王レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルトよ。だが我が伝達したところで、所詮は言葉だけの机上論。他の勇者がどう動くかまでは責任はとれんぞ」

「結構です。ところで、そろそろ姿を見せて貰ってもいいですか?」


 恥ずかしい話だが――。

 私はまだ風の勇者ギルギルスを見つけられないでいる。

 声が返ってくる。


「我はずっと貴殿の前にいるのだが? 下を見ろ」


 言われて私は地面に目をやり。

 そこで跳ねている、赤い帽子をかぶったキリギリスを発見。

 この隔離空間にいるのは、私と勇者の二人のみ。


 ……。


「言語を解するキリギリス……これは想定外でした」

「これでも長くを生きているからな、勇者としての力はそれなりだ。魔王よ、虫だからと言ってあまり我を甘く見ないことだな」


 すごんでいるつもりらしいが。

 ぴょんぴょん跳ねるキリギリス。

 敢えて説明する必要はないと思うが……キリギリスとは、バッタのようなアレである。


「何か言いたいようだな?」

「いえ、こういう強者もいるのだなと、世界の広さを実感しただけですよ」


 ともあれ。

 彼の事情は知らないが、やはり人類同士の争いに干渉できないせいで被害を受けたことがあるのだろう。

 勇者としては二人目の協力者。

 今回の件に限った話ではあるだろうが、彼の協力を取り付けることもできた。


 風の勇者ギルギルスは風に乗り、勇者に伝言を流していく。

 どうやらあの男が依頼料に出した、あの話は本当だ。

 レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト。

 あの男は――勇者にかけられた不干渉の縛りを解く方法を知っている。

 ――と。

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― 新着の感想 ―
[一言] アニマル……じゃないだと……!? ここに来てまさかのインセクトwww
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