第77話 圧倒―落胤の帰還―
周囲は闇に落ちていた。
天候操作魔術を使わずとも、昼夜は逆転。一時的に夜へと沈んでいたのだ。
それは一種の結界の中。
闇の中には、一人の演奏者。
足を地から離す程度に浮かぶ魔王たるこの私である。
次期国王候補たるレイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルトによる演奏が、ただの演奏の筈もない。
バイオリンの奏でる音が物理法則を書き換え、世界に干渉。
周辺空間を戯曲によって侵食していた。
それはまるでオペラの開演。
ただただ闇のある空間に、淡い光が生まれ始める。
鬼火のような灯だ。
誰かが言う。
「なによ、これ……」
答える者は誰もいない。対戦相手も観覧席も唖然としている。
それもそのはず。
鬼火と共に闇から吹き荒んでくるのは、冷たい夜と凍える風。
闇の中には私と対戦相手。
そして、私の背後には無数の邪妖精。
闇落ちさせた童話の妖精に、ファントムマスクを装備させた姿を想像してもらえば、近い雰囲気になるだろうか。
そんな妖精たちの中央には、霧の中にたたずむ人影。
王冠を装備し、長いローブを着込んだ骸骨の男がぼんやりと浮かんでいるのだ。
頭はヤギの骨。
装備は悍ましき闇のローブ。
戯曲に招かれた骸骨の王が、煌々と骨の空洞を光らせる。
オペラ歌手のような通る声が試合会場に反響する。
『サア、愛しいイノチよ。こっちにキナサイ。我とトモに参ろうぞ。我と楽しき遊戯の中で――永遠に、永遠に』
ローブ姿の骸骨の声は、周囲の空気をぞくりと冷やしただろう。
実際。
周囲の温度が五度ほど下がっている。
私は戯曲を維持したまま――。
周囲の様子を観察する。
これは戯曲の効果ではないが、何人かは闇の中で演奏する私に魅了されている。
女神ダゴンによって授けられた神の指先――【超絶技巧(神)】は文字通り、神より指導を受けた芸術家の指捌き。
神話にある音楽家の多くは神よりその技術を学ぶことも多いが、私の場合もそれに該当する。
神の音楽は人々を魅了する、至極当然の話だ。
長い時をかけて培った音楽家としての腕と、母譲りの姿は、自分で言うのも気が引けるが事実として――人の目を惹きつけずにはいられないはず。
もっとも、女神ダゴンも指導の際には私情を挟まずかなり厳しいので……。
この技量も努力の賜物のわけだが。
ともあれ。
白銀女王を知る者ならば、この光景もまたプアンテ姫と同じく白銀女王の再来を彷彿とさせたはず。
私の白銀の髪と煌々とした赤い瞳に、あの優しき女王の面影を見ているのではないだろうか。
ローブの骸骨王と邪妖精が蠢き。
嗤う。
対戦相手にも、観客席にも登場人物たちの闇の中で蠢く声が聞こえているはずである。
彼らはみな、戯曲に乗って歌って踊る。
それが何らかのエフェクトを発生しているとは、相手も理解しているのだろう。
実際、額に汗を浮かべる女魔法剣士は髪を揺らし――衝撃波に耐えるように地に突き刺した剣に掴まり。
驚愕の息に声を乗せていたのだ。
「妖精召喚魔術!? あの大森林の妖精たちを使役しているというのか!?」
森の妖精は魔術の使い手。
悪戯な彼らはエルフでさえ手を焼く気まぐれな魔術師。
だが――。
演奏を維持しながら私が言う。
「残念ながら見当違いです。彼らは森の妖精ではありませんよ――あなたを連れ去る邪妖精、戯曲によって発生した、いわば幻影です」
「バカなっ、幻影が客席にも見えるはずがないだろう……っ」
「おや、客席を見る余裕はあるのですね。けれど残り時間はあとわずか、早めに対抗策を見つけ出すことをお勧めしますよ」
私が使用したのは女神ダゴンの領域。
楽器を使っての攻撃。
その名を、編纂戯曲:【魔王の一撃】。
効果範囲は曲が聞こえる周囲一帯。
奏でる戯曲に応じた効果を発生させる、世界の法則を捻じ曲げる音楽。
魔術が世界の法則を捻じ曲げ、望む現象を起こすのならばこれも魔術と言えるのだろう。
それは短い四分ほどの戯曲。
けれど、効果は絶大だ。
単純に言えば即死効果――その曲が終わった時に相手は死の世界に誘われるのだ。
攻撃ではなくあくまでも戯曲の効果なので、ほぼ全ての防御耐性は無効。
衝撃波で一切の接近を許さず。
耐性を貫通した強制死亡を与える理不尽なコンボと言えるだろう。
まあ魔王とは理不尽な存在、これくらいのことができてこその魔王と言える。
魔王に見立てられたローブの骸骨が、ぎちりと骨の口を蠢かす。
『サア、生あるモノよ。こちらにオイデ。我らが園は、色とりどりの花であふれ、我らが母はナンジを彩る多くのドレスを所持してイル――』
それはまるで枯葉を揺らす風の声。
けれどとても甘い。
甘露に沈んだ泥のような、底知れぬ誘惑の声。
女魔法剣士は頭をしかめ。
顔を覆い。
「魅了攻撃? いや、違う、なんだこれは……っ。攻撃の、意図が、正体がみえぬ……っ」
『サア、いい子だ。ボクと一緒に来たくナッタダロウ? 大丈夫。なんの心配もイラナイよ。ボクの娘たちが、一生、ずっと一緒に、イテクレル。君の面倒をみてクレル』
「やめろっ……っ、やめろ!」
自らの心を守るように胸のプレートを掴み。
女魔法剣士は震え始めていた。
『娘タチが君に、夜の踊りを教えてあげると言っているンダ。寄り添い、踊って、眠れないノナラ子守唄を披露しよう。さあ――こっちへおいで、常闇の淵へ。さあ、さあ!』
死の世界に誘う戯曲なわけであり、悍ましい光景だともいえる。
……。
見栄えを重視してこの戯曲を奏でたが。
よく考えたら死者が出てしまう。
ルール上は問題ないが。
まあ直後に蘇生させれば気絶させたと勘違いさせることもできるか。
エルフならば魔力も充実した存在、殺した直後ならば蘇生魔術も容易いはず。
と、こちらは割り切っていたのだが。
観客席のどこかから。
闇を裂くような声が響く。
「そこの女! 直ちに降参せよ!」
「降参しろ……だと!? 試合に参加もしていない客のくせに、どこのどいつだい!」
「我は風の勇者ギルギルス!」
観客席の中から勇者!?
と、驚嘆の声が響きだす。
剣を持ち直し、まだ戦う意思を見せる女魔法剣士であるが――。
構わず、風の勇者ギルギルスを名乗る存在は唸るように叫んでいた。
「その戯曲の効果は曲の終わりとともに相手を即死させる、絶対不可避の神の領域にある技巧! 残りは二分程度だろう! 死亡時に自動発生する蘇生のアイテムや魔術があるのなら、今すぐに使え! 早く――ッ!」
風の勇者ギルギルス。
聞いたことのない名である。
だが私の戯曲の性質を読み解けるとなると、かなりのレベルなのだろう。
おそらくは私が撒いたエサにかかった一人とみるべきか。
正義感はあるようだが――姿は見えない。
やはり私の不得手、格下相手を探る能力が弱点であると再認識できてしまうが――。
私が言う。
「おや、観客席から助言を与えるのはルール違反では?」
「もはやこれは試合ではない、一方的な殺戮であろう!」
「心外ですね、こちらはすべてルールに則った行動を強いられているのですが――まあ、構いませんよ。彼が言っていることは事実。この戯曲を奏で終われば、あなたの魂は彼らに連れていかれ……冷たい風と闇の世界へと誘われます。降参するのならどうぞ」
一応は、私の戯曲を止めれば対処もできる。
だが。
足元から断続的に発生する衝撃波に対戦相手の女魔法剣士はなすすべもなく。
雷を纏わせた剣を試合場の床に突き刺し――ギリリと奥歯を噛みしめ。
「降参……する」
女魔法剣士は素直に負けを認め。
私も戯曲を中断。
生者を死後の世界に誘えなかった骸骨と邪妖精は、クススススっと嗤い。
闇と共に消えていく。
戯曲の中断と共に、夜が明ける。
清々しい晴天の下。
私は審判に目をやり。
「審判の方、ジャッジを――」
「勝者……レ、レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト……」
拍手は鳴らない。
ただ圧倒的な沈黙のみが空間を支配している中。
私はわざと、そして恭しく――。
現国王が鎮座する簾に向かい慇懃無礼な礼を一つ。
やはり勇者は釣れている。
魔王と思われる吟遊詩人の気配もある。
そして――昔を知る多くの者はもう確信したことだろう。
この私があの白銀女王の落胤であることを。