第76話 衝撃波 ―王への道―
魔術の対象になることを畏れ名を捨て、姿を隠している現国王。
長寿故にエルフは気の長い種族。
だから国王が公の場所に姿を現さずとも、大して気にもされていなかったのだろう――そしてこれからたとえ十年単位で姿を見せずとも問題のない筈だった。
しかし、この大会は違う。
魔術大会は天覧試合。
国王が姿を見せる数少ない伝統行事。それはスノウ=フレークシルバー女王がこの試合で女王の座についたことで、この大会が神聖な儀式と定まったせいだろう。
本来なら魔術大会にしかほぼ顔を出さない王が、武術大会にも最初から顔を出すことが決まり――周囲はさぞや大変だったことだろう。
現国王の姿を隠す簾はおそらく、エルフの職人が何重にも防御結界を張った特注品。
あの奥に母から瞳と王位を簒奪した現国王がいる筈。
既に歓声が上がっているのは、始まっている試合があるのだろう。
歓声を、控室と本戦を結ぶ通路で耳にするのは私と、用があって呼びだした豪商貴婦人のみ。
かつてパリス=シュヴァインヘルトもこの試合に参加したことがあるという。
クリムゾン殿下も参加していたらしい。
両者は同期であり、大会にも同時に出場――。
勝者はパリス=シュヴァインヘルト。
彼はこの大会に優勝し、白銀女王の目に留まり専属騎士となった経緯があったそうだ。
本戦へ向かう狭い道。
豪商貴婦人ヴィルヘルムがこっそりと渡してくれた資料を片手に、私は息を吐く。
「なるほど、彼等は昔から互いに競い合っていたのですね」
「ええ、クリムゾン殿下の方はワタクシが指導をしていた時もあったのですが」
「聞いておりますよ」
「殿下は口うるさい教師と言っていたのでしょう?」
淑やかに髪飾りを揺らす貴婦人はお見通しのようだ。
教師だからこそ見える景色もあるのだろう。
「さて――どうでしょうか」
「その苦笑が答えかと思いますわ」
「コメントは控えますが――今回お呼びしたのは確認をしたかったのです。もし私が流れのままに王となった場合に、民の印象を良くしたいですからね。海賊パーランドの魔の手から救出された方々はもう帰国できたのでしょうか?」
エルフとは希少種。
再三に渡り感じていたが、狭い社会。
一人のエルフを救えば多くのエルフにその話が伝わるのだが、私が救ったエルフの数は膨大。間違いなく、それは王となった場合の私の支持につながる。
貴婦人は軽くうなずき。
「今、フレークシルバー王国商業ギルドの代表ステラさんが動いております。一週間もあれば、希望者全員の帰国はできるかと。彼女の身内もいるので素直に動いてくれておりますので、話が早くて助かりますわ」
「ステラさんが王の側についているということは」
「まずありえませんわ」
「あなたが言うのなら信じましょう」
「それほど簡単に信じてよろしいのですか?」
「なにかあるのですか?」
貴婦人は困った顔をし。
「もしワタクシが王の側についていたら、嘘をついているかもしれませんわよ?」
「あなたは恩を仇で返すタイプではない、それになにより子どもを裏切れないタイプでしょうからね。どうもエルフという種族は、私を子供扱いする傾向にありますので――」
「子供扱いしたいわけではないのですが、賢者殿も十四、五歳の少年に僕は大人だと言われても、少し困った反応になってしまいますでしょう? たしかにそろそろ大人ではありますが、大人から見ればまだ子どもに見えてしまう。とても不安定に見えてしまうのです。それと同じかと」
だから貴婦人もパリス=シュヴァインヘルトもクリムゾン殿下も、私を子供扱いする。
エルフも人間も、こどもには優しいのだろう。
「エルフのその優しさが……白銀女王にも向いていれば良かったのですがね」
「賢者殿?」
「いえ……ふと思ったのです」
私はエルフの世界を眺め言う。
「もし誰かがもっと動いていたら。たとえば女王の追放を止めていたら。誰かが手を差し伸べていたら、結果は変わっていたのだと思いましてね。シュヴァインヘルト領のエルフは手を伸ばしたのでしょうが……彼らだけの力では届かなかったのですから。しかし、分からないのは千年以上も支えられていて、なぜエルフは女王に恩を感じ助けなかったのか……どうしても私には分かりません」
エルフの国で過ごして分かったことだが、エルフであってもちゃんと王族には、畏敬の念を抱いていたことだ。
初め、まだこの国に入る前の彼等への印象は王族軽視。
女王を見捨てるほどの、恩知らず。
王族への敬意などないと思っていたのだが――実際は違った。
実際の彼等は王族を尊敬しているのだ。
今のこのフレークシルバー王国では――。
王族への忠義が人間社会とほぼ同じだったのである。
「我々エルフが王族に感謝をしだしたのは、……いえ、感謝せざるを得なくなったのは――現国王になってからですので……」
「女王を失った後で、ようやく感謝を覚えた……とそういうことですか」
「人もエルフも、当たり前となってしまうと感謝を忘れてしまう生き物なのでしょうね。恥ずかしいお話ですわ。現国王は確かに【無限の魔力】によって統治を維持しておりますが……あの方の時とは違いました。平和を作る責任と、維持する義務を民に説明し――過ちを正しました。無限の魔力にも限度がある、それを埋めているのは王族による慈悲。その慈悲に見合う対価を民に求め始めたのです」
白銀女王の時代とは違い――救済は無条件ではない。
忠誠を捧げぬ者は助けない。
王を王と崇めぬ者は、見捨てる。
そうやって、王族への感謝と畏敬を取り戻したという事か。
貴婦人は遠い過去を眺める瞳で、狭い通路の奥。
そっと観覧席のエルフたちに目をやり。
「白銀女王は千年以上もの間、無償の愛をもって、国を支え続けてくれていました。民も貴族も、森に住まう妖精も精霊も、最初は感謝していたのです。けれど、百年が経てばそれが当たり前となり、二百年も経てば少しでも統治が乱れれば愚痴を零すようになり、五百年経ったらもはや誰も感謝しなくなってしまったのです。それでも……女王陛下は恩や感謝と言った報酬を受けなくとも、ずっと結界を維持し国を守り続けていたのです。エルフたちは……ますます傲慢になっていきました」
「報酬がない奉仕は、互いの関係を壊してしまう。よくある話ではありますね」
だからこそ、冒険者ギルドでは無償で依頼を受ける事を是としていない。
報酬や見返りがあるからこそ、破綻のない関係を築けるのだから。
「あの方は優しすぎた。それでも文句を言わず、ただひたすらに国のために尽力した。祈りをお捧げになられた」
「しかしそれは王族の地位を著しく貶めた」
感謝がなくとも動く白銀女王という装置。
大森林を包む結界を維持するだけの、生きた偶像に成り果てていたのだろう。
貴婦人が言う。
「正直申しますと、王族と民との関係は今の方が健全だとワタクシは思っております」
「それほどに、白銀女王の時代は歪な奉仕だったのですね」
「はい――きっと……白銀女王の優しい統治が、長い時間をかけてエルフを増長させたのかもしれませんわね。疑いを知らずに民に尽くす女王。それを当たり前だと過ごす民。白銀女王本人は良かったのでしょう、それでも心が綺麗なので……尽くすことに違和感を覚えていなかった。けれど、他の王族は違ったのでしょうね」
結界を維持しなくてはエルフは終わる。
けれどこのままでは王族の地位は失墜する。
王族はいつでもチャンスを狙っていたのだ。
だが、結界を維持したまま女王をおろすことなどできない。
その筈だった。
しかし。
「その拮抗に自覚なく穴をあけてしまったのが、当時専属騎士になるべく天覧試合に臨んだパリス……後の専属騎士パリス=シュヴァインヘルト……彼と言うわけですね」
貴婦人は頷き。
「王族側であるクリムゾン殿下はこうなることが分かっているからこそ、大会であのパリスを止めようとしたのでしょう。けれど、パリスはとても強かった。きっと、天覧試合ということで高揚していたのでしょう。心が震えれば、魂が共鳴する。魂が強くなれば魔力も比例し強くなる。当時はクリムゾン殿下の圧勝だと思われていました、けれど殿下は負けた。きっともう既にその時には、パリス=シュヴァインヘルト……彼は孤独な女王に恋をしていたのでしょう」
私は過去を覗くように瞳を閉じた。
当時の魔力を辿り、試合会場の空気を読み取り。
過去を眺めると――そこには、美しい銀髪と透き通るような赤い瞳の女王に目を奪われる、長身痩躯のエルフの姿が見えた。
無精ひげはないが、あの男である。
男は本気で、彼女に恋をしたのだろう。
女王を愛してしまったのだろう。
だから女王のために、外の世界を教えてしまった。
それは女王が長年保っていた無償の愛。
愚直なまでに民に尽くす結界維持装置の、バランスの崩壊を呼んだ。
結果として。
女王は人間の勇者と恋に落ち。
結界の維持が困難になり――。
「やっと色々と見えてきましたよ」
パリス=シュヴァインヘルト。
過去形ではなく現在形で愛していると言っていた男。
白銀女王を追ってマルキシコス大陸までやってきた、行動力のあるエルフ。
あの男の心はまだ後悔の中。
自分が死の原因を作ってしまった女王に、縛られたままなのだろう。
もし彼がまだ女王を愛しているとするなら……。
……。
バラバラだったピースが繋がっていく感覚の中、私の唇は独りでに動いていた。
「哀れな男ですね――」
「賢者殿?」
「いえ、なんでもありません――だいたいの事情も思惑も、流れも見えてきました。仕方ありませんね、とりあえず大会に優勝してくるとします」
カツンカツンと私の靴音が狭い道に響く。
本戦会場への道。
私が王となるための道。
狭い道を抜けた先には光がある。
観衆たちはきっと、私の敗北を望んでいるだろう。
変化を嫌う彼等は、ハーフエルフの少年による優勝など見たくない筈だ。
だからこそ私は彼等の希望を打ち砕く。
貴婦人に言う。
「豪商貴婦人ヴィルヘルム。決めました、いまから私は本気で王になるように動きましょう」
「……今までは本気ではなかったのですか?」
「まあ、正直申しあげますとどうでも良かったのですよ」
「え?」
「エルフがどうなろうと、この大陸がどうなろうと――全てが他人事でしたからね」
余興用だったハルバードを闇の中に溶かし。
代わりに私が溶かした闇から生成したのは、バイオリン。
「申し訳ありませんが、全ては女神の気分を盛り上げるための余興に過ぎなかったのです。いえ、本当に失礼だとは存じておりますが――私はそういう性分なもので。けれど、気が変わりました。母を愛し別大陸にまで渡ってやってきた彼の恩讐、呪いともいえる想いを解呪してさしあげるのも息子としての務めなのかもしれません」
貴婦人が困惑しているのは、私の武器のせいだろう。
「あの、バイオリンを武器とするのですか?」
「魔術の使用が許可されたのです、こちらも魔術を使えばいいだけの話です」
「いや、あの、バイオリンで魔術が使えるのですか?」
「明け方の女神による指導を受けておりますからね――音楽での魔術を何と呼ぶのかは知りませんが。王となるのなら、少し派手に本戦の第一戦を飾ろうかと思います」
豪商貴婦人ヴィルヘルムは思ったはずだ。
絶対に何かやらかすつもりだと。
貴婦人は勇者ガノッサを探し目線を動かすが――その姿はない。
「賢者殿……止められると思って勇者殿を置いてきたのですね」
「ご明察、さすがは豪商。鬼陛下と呼ばれるだけのことはありますね」
「死者は出さないで頂きたいのですが」
「ご安心を、私も将来の民を死なせる気はありませんので」
告げて私は試合会場へ向かった。
◇◆◇◆
試合開始の時間。
審判も対戦相手も私の姿に呆然としている。
エルフの目から見ても私が美しいから……などと、女神アシュトレトのような事を言う気はない。
さすがにバイオリンを装備してやってくるとは思っていなかったのだろう。
周囲は騒然としている。
私が負けるように呪いをかけている男子生徒たちも、呪いの魔道具を手にしたまま呆然。
それは先ほども述べたが、対戦相手も同じだったようで。
女性エルフの魔法剣士は怪訝な顔。
女豹を彷彿とさせるエルフの美貌を尖らせ、凛とした口調の対戦相手が唸る。
「シュヴァインヘルトの養子よ、それはいったい何のつもりだ!」
私は敢えてしばし考え。
「使用武器の変更は認められている筈ですが」
「たしかに、認められてはいるが――なんだそれは、わたしが女だからとバカにしているのではないだろうな!」
「そういうつもりはないのです。これはこれで立派な武器、少し本気を出させていただくだけですよ」
「だからといって、楽器とは……たしかに楽器を魔道具として使う吟遊詩人や旅芸者もいるが、分かっているのか? これは武術大会なのだぞ!? 弓でさえ不利だというのに、発動から攻撃が極端に遅い楽器など」
どうやら戦いのセオリーの話らしい。
「魔術の使用が可能ならばもはや武術大会としての主旨はずれているでしょう、楽器を武器として使ってはいけないと規約があったでしょうか? それとも、もう一度ルールを変更して私を失格にしますか? それはそれで伝統が崩されてしまうでしょうがね」
さすがにどのような妨害をしようとも、限度がある。
ルールに則って戦う試合である以上、バイオリンの使用を禁止するなどというピンポイントな制限をつけることはできないだろう。
「哀れな――確かに、急なルール変更には思うところがあるが、遂に狂ったか」
「すみません、どうしても負けられなくなってしまいましたので。これでも本気なのです」
「本気だと?」
「ええ。あなたも本気でかかってくることをお勧めします。バイオリン奏者に敗けたなどと言われたくないでしょう?」
私がこのまま戦うとは悟ったようで。
女魔法剣士は魔術を詠唱――。
天から降り注がせた魔力で、剣に雷を纏わせ――。
足を踏み出し、構えて。
ギリ――!
「白銀女王の再来、プアンテ姫の従者と言うからこちらも本気を出すつもりであったが、ただの気狂いとはな残念だよ」
「剣に雷の魔術を這わせる方は王族の血筋、高貴な系譜にあるものが多いと聞きます。あなたも王族なのですか?」
「――わたしを知らぬ不遜と無礼。貴様の命をもって償って貰おう」
ジャッジが試合開始の合図を出した瞬間。
女魔法剣士は跳んでいた。
かなりの練度の跳躍だ。
「接近してしまえばこちらのもの、即座に仕留める――!」
さすがにシード選手。
単純な剣の技量ならば見るべきところもあるのだろう。
だが、相手は私に接近できない。
「な……っ!」
「チャンスは最初だけでしたのに、残念です」
向かい風に髪を揺らす相手の視線は、僅かに宙に浮かぶ私の足元に向いていた。
バイオリンを構え浮遊する私の足元から衝撃波が発生し、相手の動きを鈍らせていたのだ。
それはさながら高度の低い嵐の壁。
私の足元から断続的に発生する衝撃波が、相手の進行を完全に妨害している。
「っ……障壁か! きさま! 魔術が使えぬという話ではなかったのか!」
「規模が大きいので、使いたくとも使えないとしていただけです。使用できるかどうかなら、ちゃんと使用できますよ。まあもっとも、これは魔術ではなく技術。絃から発生させている振動で空気を揺らし、相手の接近を妨害させるだけの衝撃波を発生させているだけですよ」
「そんな無茶苦茶な技術があるものか!」
「実演しているのに信じて頂けないのは心外ですね」
しかし――。
「私が魔術を使えないとしていたのは学校での話。あなたは誰かの親類、というわけですか?」
「その通りだ、わたしは貴様に吹き飛ばされた――……」
声は衝撃波の影響でよく聞き取れなかったが――。
どうやら私に負けた学生の親類らしい。
逆恨みもいいところなのだが――。
「すみません、知らない名前でした」
「どこまでもバカにして!」
「おや? 急にルールを変更してきた方々がそれを言いますか?」
相手は発生し続ける衝撃波を突破できずにいるようだった。
楽器を演奏する時間が取れないのならば、取れるように接近させなければいい。
実にシンプルな答えである。
これはダゴンが考案したクソゲーボスの構え。
衝撃波を連打してくるボスはうざいという、彼女がゲームに触れた時に抱いた感想を実戦向きに改造、戦闘に再現した卑怯な戦い方ともいえる。
衝撃波に対抗できない相手は、自己強化魔術の重ね掛けを選択。
身体能力を強化して衝撃波を無理やり突破するつもりなのだろう。
悪くない判断だが、詠唱が遅すぎる。
「さて――それではこちらからも仕掛けさせていただきます」
私は顎と鎖骨で楽器を支え。
すぅっと瞳を閉じ……見栄えを重視した美麗な音楽家の構え。
女神ダゴンから学んだ楽器による攻撃を披露するべく。
音を奏で始めた。
「編纂戯曲:【魔王の一撃】」
周囲が――。
闇に沈みだす。