第75話 おじさんトライアングル
本戦が始まるのは午後から。
トーナメント方式で行われる武術大会は、魔術に頼らない技術のみの研鑽と伝統を重んじ、魔術は使用できない。
今までも、これからもそうだった筈なのだが。
予選からの選手が割り当てられた控室にて、呆れの息。
勇者ガノッサの素直な感想が部屋に流れていく。
「今回の本戦からは魔術の使用も可能って、露骨過ぎねえか? ここの連中」
そう、ここに来ての突然のルール変更である。
命令は現国王から。
しかし、その意図が正直私にはわからない。
ハーフエルフの私に優勝させないために、伝統を重んじるエルフがルールを変える。
そんなことをして何の意味があるのか、どこに利があるのかが分からないのだ。
クリムゾン第一王子を味方にしている以上、ここで実績入手を邪魔しても時間稼ぎにしかならない。そもそも海賊パーランドを倒したという実績は、救助されたエルフが帰還すれば実証される。
どう足掻こうとも私は王宮に足を踏み入れるだろう。
単純に現国王は私が白銀女王の落胤だと気が付き、嫌がらせや、事故に装って大会中に消したいという意図があるのかもしれないが……。
ともあれ私はガノッサの声に応え。
「エルフは自らを上位種だと思っている節がありますからね、そして閉鎖された結界の中に引きこもっている。外にでて行動するエルフとは違い、中にいるエルフは自分達ならば何をやってもいいと本気で夢想を抱いているのでしょう」
冷静に分析する私の言葉に、指を組んで難しい顔をして座っていたクリムゾン殿下が、怜悧な鼻梁を動かし――ぼそり。
「エルフの王太子を前にしてよくそこまで言えたものだ」
「殿下には感謝しておりますが、事実は事実ですので」
「ふむ、まあ良いが――従弟よ、この人間にしては長寿過ぎる男は一体何者だ。なにやら悍ましき神を内に含んだ気配を感じるが」
クリムゾン殿下は勇者ガノッサを睨んで、赤い髪を輝かせているのだが。
救助されたエルフの受け入れ準備の合間にやってきた、長身痩躯の無精ヒゲエルフ、パリス=シュヴァインヘルト領主が王子殿下を睨み。
「彼は外の世界では有名な斧の勇者、ガノッサ殿ですよ殿下」
「よそよそしいな、俺を殿下と呼ぶか。シュヴァインヘルト」
「事実、殿下は殿下ですので――」
どうやら知り合いのようである。
「友よ……貴公はまだ余を恨んでおるのか」
「恨んでなどいませんよ、ただ――僕はあなたを見ていると悲しくなるだけだ」
結界の外の世界に出たパリス=シュヴァインヘルト。
そして中の世界で王太子を務めるクリムゾン第一王子。
彼等も彼等で因縁があるようだが――。
クリムゾン殿下が言う。
「余は確かに白銀女王を助けることはできなかった。だが……」
「僕が悲しいと言っているのは、貴殿がいまだにあの方の瞳と勇者の死体をそのままにしているという事。貴殿は曲がりなりにも王太子。いくらでもあの方の瞳を奪取することも、氷漬けにされた勇者の遺骸を葬ることも出来た筈だ。けれど、貴殿はそれをしていない」
「あの方の瞳は【無限の魔力】。その力を失えば大森林を覆う遮断結界は崩壊する。それがエルフにとって何を意味するか、貴公とて理解はできているだろう」
段々と言葉には棘が生まれ始めていた。
「それはエルフの怠慢だ。実際、僕らシュヴァインヘルト領のエルフは結界の外でもやっていけている」
「それは貴公らがエルフとしての矜持を捨てたからだろう」
「矜持か……」
「何が言いたい、シュヴァインヘルト」
「プライドを大切にするのも結構だが、長い時の中……いつかはこの結界も維持できなくなる。そうなったとき、貴殿やエルフたちがまだ矜持に拘っていられるかどうか。僕にはわからないな」
皮肉の色を感じたのか。
赤髪の貴公子クリムゾン殿下は僅かに肩を揺らし始めた。
「余や民に、エルフとしての尊厳を捨てろと言うのか!」
「矜持だけで生きていけるほど、外の世界は甘くない。そしてこの世界も平和じゃないということさ」
パリス=シュヴァインヘルトはかつて白銀女王の専属騎士だったエルフ。
第一王子のクリムゾン殿下とは知り合いらしいが、王子がいまだに王から【無限の魔力】を取り戻していないことを責めているようだ。
本当にエルフというのは狭い社会なのだろう。
誰かが誰かの知り合いで。
こうして私を通して繋がった仲であるのに、私とは関係のないところで縁が繋がっている。
外の世界ではギルドマスターの地位にあるパリス=シュヴァインヘルトは、成功者と言える。
人間社会と馴染んでいる。
だからこそエルフの国家に執着もないのだろう。
無精ひげのパリスは王子に向かい淡々と告げていた。
「クリムゾン殿下、僕は貴殿が王を討ち――王権を取り戻し、あの方と勇者殿を眠らせてくれるものだと考えていた」
「余には無理だ――」
「なにがだ」
「父上に勝てぬだけではなく、余は王の器ではない。白銀女王の代わりはできぬ」
クリムゾン殿下から漏れた言葉は、白銀女王を知っていたからこそ出る言葉なのだろう。
彼女の無限の魔力による統治は、それほどに絶大だったと考えられる。
「僕には分からないな……。彼女の代わりではなく、あなたがあなたの王政を作ればいいと僕は思っていた。そのために、僕はエルフと人間の関係が少しでもよくなるように動いていたのだからな」
「友よ。貴公は余を買い被り過ぎている」
「僕はそうは思わない。おそらくレイドくんは玉璽を取り戻し王となったとしても、最後まで王であることはないだろう。ならば次はだれが王となるか、プアンテ姫はまだ子どもだ。ならば、おそらく貴殿が王となるはず。それを見越して今の貴殿も彼に協力しているのだろう?」
さすがに私の行動予測はできているようだ。
私は王になったとしても、この地に留まる気などない。
ならば王位を譲るか、或いは代理を用意するはず。
そうなったときに候補となるのは、プアンテ姫かクリムゾン殿下。
領主たるパリス=シュヴァインヘルトの意見はとても現実的なのだ。
なのに。
クリムゾン殿下は、目線を下に逸らし。
「余は、王になる気はない」
「僕は君ならば良き王になれると信じている。本音を言うならばレイド君にずっと王でいて貰えるのが一番だと思っているけれどね――どうなんだい?」
話を振られたので、私も本音で応じていた。
「少しの間なら構いませんが、百年、二百年以上となるとおそらくは女神たちが飽きるでしょうね。そして私は女神の意見を尊重します。彼女達の事は、まあ嫌いではないですからね」
「だそうだ――それに、旧友よ。王となる資格が貴殿にはある。それは貴殿自身が一番知っているだろう」
私の知らない何かがあるのか。
どうもパリス=シュヴァインヘルトは、クリムゾン殿下が王となる事を押しているようだ。
それなのにクリムゾン殿下の様子は少しおかしい。
王となることを拒絶しているようにみえる。
実際、その肩は震えていた。
「――だいたい、あの方が……外を見てしまったのは――白銀女王にエルフの国以外の外を教えたのは貴様であろう――パリス=シュヴァインヘルト!」
魔力を孕んだ王子の声が控室を揺らす。
激昂と言っていいだろう。
額には怒りをあらわにする貴公子の、美麗な顔に似合わない青筋が浮かんでいた。
ちなみに、薄い壁を挟んだ隣には私たち以外の参加者の数名もいるので、非常に迷惑である。
なのだが。
因縁があるのか、私の義父となっている領主パリス=シュヴァインヘルトも口を開き。
「籠の中の女王が外を知りたいと願う、それに応えて何が悪いというのだ貴公子よ」
「結果的に白銀女王は人間の勇者に見惚れ、その力を失いこうなった! シュヴァインヘルトよ、それは貴公の過ちであろう!」
「僕は専属騎士としてあの方の心を支えようとしたまでだ!」
「騎士の分を超えた誤った忠義であろう!」
「あの方はっ、あの方は外の世界を望んでおられた!」
罵り合いはヒートアップしていく。
「嗤わせるな! シュヴァインヘルトよ、ならばなぜあの時、彼女を連れて行かなかった!」
「なにを――!?」
「あの方に手の届かぬ外を教えたのは貴公の独善、貴公の独りよがり! 理想のために外の世界の領主となった貴公は、その後のあの方を見ていなかったからそう言える! あの方は焦がれていた! あの方は貴公と一緒に外で生きたいと願っていた筈! なのに貴公は、女王の手を取ろうとはしなかった! なぜ、あの時に連れて行かなかった!」
「できるはずがないだろう! 彼女は僕を愛してはいなかった!」
第一王子と領主の口論に、周囲は沈黙。
それも内容は禁忌とされている白銀女王について。
関係者は本当に肝を冷やしているだろう。
「貴公が外を教え、その責任を取らぬままに領主となりエルフ国を捨てたからこその悲劇――あの結末。女王の追放という結果を生んだのだろう!」
「あの方の瞳をいまだに取り返せずにいる貴殿の苛立ちを、僕にぶつけるのはやめて貰おう!」
ちなみに、控室の前には衛兵もいるのだが……。
おそらく、大会参加者も警備兵も衛兵もスタッフも、全身も顔も蒼白となっているだろう。
勇者ガノッサも頬を掻いて困り顔。
私が言う。
「それくらいにしてください、あなたがたに注意できる存在などそうはいない。はっきりといって、周囲に迷惑ですし私も不快です」
鶴の一声というわけではないが。
二人は互いに目線を逸らし。
決まりの悪そうな顔でパリス=シュヴァインヘルトの方が言う。
「申し訳ない、彼とは古くからの知り合いでな」
「そのようですね。いったいどのような関係だったのかお聞きしても?」
「……幼馴染のようなものだ。僕も彼も同期で、僕があの方から領主の地位を賜ってからは疎遠となってしまったが……」
ガノッサが言う。
「てめえらの因縁なんてどうでもいいが、周囲をちゃんと見てみろ。本当にエルフってのは集団行動が苦手でやがるんだな。とにかく、レイドのことはオレに任せて、領主様も王子様も自分の仕事しに戻りな」
勇者はうるせえからあっちでやってろと言った様子の、軽い反応なのだが。
王子と領主は顔を見合わせ。
まるで私を競い合うように――バチバチ。
「失礼ながら勇者ガノッサ殿のお噂は伺っておりますが、彼は僕の養子。シュヴァインヘルトでも既にその名は広がっているのだ。どうか、レイドくんのことは僕に任せていただきたい」
「いや――彼があの方……白銀女王の息子ならば余の従兄弟にあたる血縁。他の王族から狙われる可能性もある。王太子として、この俺が彼の後継人になるべきであろう」
どちらがこの子の後継人か。
そんなバトルが勃発しているようである。
エルフやハーフエルフにとって、二百歳前後はまだまだ幼い。本当に私がまだ子どもに見えているからこそなのだろうが。
人間である勇者には、成人したガキ相手になにやってるのかと呆れ顔。
ガノッサがジト目で私に目線を向けていた。
「この魔性のクソガキが。おまえさん、まーたお偉いさんの人間関係とか、感情とか、そういうのをぐっちゃぐっちゃにしてやがるんだな……」
「今回は狙ってかき回しているわけではないので、私のせいにしないで欲しいのですが」
しかしこの二人。
そしてガノッサも含めて三人とも善人。
私を心配しているのが分かるからこそ、こちらも塩対応はしにくくなってしまう。
私は仲介するように彼らに言う。
「とりあえず、お二人は情報交換をするべきでは? これからどう動くか、協力するのかしないのかも含めて結論を出してください。こちらもどう動くべきか困りますので。それに、お二人とも少し頭を冷やした方がよろしいかと」
彼等は私に促され、離れていた間の情報交換を開始していた。
しばらくは穏やかな時間が流れたが――。
本戦までの空き時間、勇者や私も知らぬ魔王が接触してくることはなく。
時刻は開会式目前になろうとしていた。