第74話 賢者の罠―集いし強者―
予選最終戦。
ジャッジによる試合開始の合図から三十秒後。
既に勝負はついていた。
辺りは静寂で包まれている。
沈黙の空間に、キン――と間抜けともいえる音が響く。
弾き飛ばした相手の武器が、宙から降ってきたのだ。
試合場の石に突き刺さるのは、割れた刃。
刀を扱う侍の職業にある対戦相手の使用武器である。
尻もちを搗く対戦相手は呆然と割れた刀に目をやった。
昼の太陽を浴びて輝く、その割れた刀身には赤い瞳の青年が映っている。
青年は白銀の髪を風に靡かせ、淡々と口を蠢かす。
「おや、失礼。どうやら大切な武器を壊してしまったようで、申し訳ありません。ただ、あなたの骨を砕くよりは武器を破壊した方がいいと思ったもので――もし賠償を求めるのなら請求書はシュヴァインヘルトへお願いします。治療費は払いませんが、武器の代金ぐらいは弁償いたしますので」
私である。
歓声はない。
誰も何も言えないのだ。
勇者ガノッサだけは、オレより武器の使い方がうめえじゃねえか……っ!
と、腕組みしたまま、ムッとしているが。
野蛮とされる槍と斧を組みあわせた武器ハルバードでの、戦舞。
魅せる戦いを意識した試合を続けていたからだろう。
試合を重ねるごとに、観戦席には戦いの玄人が増え始めている。
見る価値のある試合と熟練達から思われ始めているのだ。
地に伏す対戦相手はエルフの中では有名な侍。
刀と剣、そして弓と攻撃魔術の使い手としてかなりの武芸者だったらしいが。
それでも私とはレベル差がかなりあった。
自慢となってしまい恐縮だが――相手が弱かったわけではない、私が強かったのだ。
結局、魔術を使う事もこちらの能力低下を解く必要もなく、バアルゼブブから習った技術だけですべて片が付いている。
魔王としての力も魔術も使わずここまで通用するのなら、十分か。
師匠としてのバアルゼブブは本当にかなりの領域にあるのだろう。
空中庭園から私にだけ声が響く。
『えへへへ……、レ、レイド。いま、無駄な動きが、合計で二秒、あ、あったからね?』
『その内の一秒は会場を魅了するための、魅せるための動きに使いました。なので、一秒と言っていただきたい』
『し、知ってるよ? で、でも、その一秒を除いて、二秒なんだよ?』
バアルゼブブの言葉はまっすぐである。
ならば真実なのだろう、どうやら私の技量ではまだ見極めることができない領域での指導なのだ。
後で教えを乞うとして。
いつまで経っても判定が下らない。
くるりと槍斧を回し、いつものように武器の石突でカシャン。
杖の底で床を叩いていたように、ハルバードでもやったからだろう。
ガノッサは、まーたその癖が出てるぞと眉を下げている。
床ドンで沈黙を破った私は目線だけを向け。
黙り込んで固まってしまった審判に言う。
「審判の方、私の勝ちということでよろしいですね?」
「――しょ……勝者! レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト!」
歓声はまばらだった。
観衆は、この侍エルフが負けるとは思っていなかったのだろう。
皆がまだ呆然としているのだ。
しかし――。
私は控えに戻りながらガノッサに言う。
「敗北に驚いて沈黙するほどの実力者が本戦シードではなく、予選に参加している……というのもどうかと思うのですが」
「まあおまえさんが言える立場じゃねえだろ」
「それもそうですが――それで、勇者の気配はどうでしょうか?」
「この予選には来てねえみたいだが、僅かだが……オレと似た気配が数個あるな。本戦参加者か、本戦から観戦する連中の中に勇者がいるのか。まあなんだ、どう転んでもきっと向こうからおまえさんに接触してくるだろうさ」
なははははっと豪快に笑う姿には自信が見える。
「根拠がおありで?」
「……人類には干渉できねえくせに、人類側は勇者に干渉できる。あの糞みてえなルールを潰せるなら、勇者は誰でも喜んで近寄ってくるだろうさ」
言葉を区切り。
「長く勇者をやってると絶対に人類に思うところが出てくるからな。魔物を討伐してもだ、最初の内は感謝をするがあいつらは次第に増長する。勇者だから当然だとそれ以上を望むようになる。この世界は糞だ。勇者にとっての地獄、オレたちにとってはもう誰かを救う喜びなんてもんはとっくに終わって、枯れちまってる。疲れちまってるんだよ、勇者は……たぶん、他の連中も同じさ」
「全員が全員そうだとは限らないでしょう」
「そりゃあまあそうだが、そいつはまだ気付いてないだけさ。いったい、どこのどいつがこんな糞みたいな世界を作りやがったんだか」
その糞と呼ばれる存在は現在、空中庭園でのんびりしているわけだが。
追放された救世主を追い――。
楽園と呼ばれる神の園から自ら堕天した女神たちは、救世主を求め彷徨い。
見つけらずに時が過ぎ……。
その無聊の慰めとしてこの地を創造。
持ち寄った様々な世界の元を重ねて、混ぜて、混沌としたこの世界を作り上げたのだ。
おそらく勇者に対してのそんな縛りや制約を作った自覚は皆無の筈。
実際、AI画像のように女神たちが持ち込んだ素材……神話や逸話を現実化させ混ぜ合わせた世界なのだと私は認識している。
まあ、ちゃんと管理していない世界と言えばその通りなのだが。
……。
これは勇者と女神は、あまり会わせない方がいいのかもしれないが。
私の横では、再びジト目の勇者ガノッサ。
「おいこらレイドの坊主――てめえ、何か知ってやがるな?」
「何のことやらさっぱり」
「とぼけるな、おまえさんはやましいことがあると、こう、なんつーか……目線を少し下げる癖があるからな。自覚してねえなら直しておけよ。って、おい! 無視するな! 一応師匠ってことになってるんだろうが!」
勇者にアドバイスされる魔王という図もなかなかにシュールではある。
ともあれ。
会場の視線は私に集中している。
本戦出場が決まった選手の中でも圧倒的だったからだろう。
黄色い声を上げる女生徒に軽く会釈をし、私は本戦へと出場が決まった者の控室へ向かう。
ちらほらと聞こえてくるのは、私に対する戦闘評価。
一切、魔術もスキルも使っていないので上位の者から見れば、分かってしまうのだろう。
それでも遠距離から大魔術で吹き飛ばせばどうとでもなると。
もっとも、更に上位の者にはこう見えているようだ。
たとえ魔術による遠距離攻撃を行ったとしても魔術そのものを断ち切られ、勝てない――と。
おそらく、魔術であっても私をどうにもできないと感じている存在が強者。
王族の観覧席から観戦していたクリムゾン殿下もその一人か。
ただあの赤髪の貴公子だけではない目線も複数感じることができていた。
勇者はやはり私を観測しているようだった。
ただそんな目線の中に異質な目線が一つ存在する。
観戦席の奥。
柱の陰から私とガノッサを鑑定しようと上位鑑定の能力を発動させたものがいる。
もちろん強制キャンセル、いわゆるレジストをしたので能力は看破されなかったが。
さすがに鑑定されかけたら気付いたのだろう。
「おい、今の吟遊詩人――」
「ええ、あれはおそらく女神の駒。魔王ですね」
「魔王って、まじか……」
「既に二人の魔王と出逢っているのです、アナスターシャ王妃を合わせれば三人。おそらく女神の数だけ駒はいますから、この騒ぎを観察しに来ていても不思議ではないかと」
クリームヘイト王国でピスタチオ姫が拘束したという吟遊詩人だろう。
瞬時に聞こえたのは、柱の陰からの別の声。
私の手下となっている空中庭園の暗殺者が、気配を消したまま言ったのだ。
「追いますか……?」
「いえ、危険ですので放置してください。他の方やニャースケにもそうお伝えください」
「承知いたしました――レイド様もどうかお気をつけて」
言い残し、暗殺者の気配が完全に遮断される。
やり取りを見ていた勇者ガノッサは、またしてもジト目。
鼻梁にも、眉間にも濃い呆れのシワを作り。
「今のもおまえさんの部下なのか?」
「――少し縁がありまして。命を狙われていたのですが、こうなりました」
「まあいいけどよ、そんなに強いのに味方を増やしてどうするつもりなんだ。数だけ増えても、言い方は悪いが邪魔になるんじゃねえか?」
「そんなことはありませんよ、人類が魔王を討つ方法は人類が結託し、個ではなく団体、集団となって立ち向かってくることにあります。ならばこちらも集団となっていれば、敗北のリスクは減ります。簡単な答えでは?」
「へいへい、オレもその中に含まれてるってわけか」
「ええ、とても信頼していますよ――」
事実を告げたのだが、何故か男は決まりの悪そうな顔である。
実際、彼は恩という鎖に縛られている。
私と敵対することになっても、義理は通し、敵対を宣言してから敵となる筈だ。
だからこそ心を許しやすいという点もある。
「おや、信頼されていると言われ照れているのですか?」
「うっせー、クソガキ!」
顔を赤くしているので、非常に分かりやすい。
この手の戦士気質の男は、真正面から信頼していると本気で言われることに弱いのだ。
単純や、脳筋ともいうが。
私の撒いた種は順調に実り始めているが。
油断は禁物か。
とりあえずの目的は勇者を手駒にする、或いはせめて敵対関係ではなくす。
魔王を滅ぼせる存在である彼らを、私は軽視するつもりはなかった。
勇者が結託する状況だけはなるべく避けたいのだ。