第71話 赤髪貴公子の独白
彼にとって、それは一瞬の出来事だっただろう。
校舎を破壊しようとしていた暗殺者の一人を葬った男。
第一王子クリムゾンの首元には、脅すように突き立てられた魔力の刃。
背の高い王子の背後から脅すような声が響く。
「振り返ったら殺します、動かない方がよろしいかと」
私である。
彼の視線は魔力同調によりジャックしている。
私の視界に、彼の視界が見えているのだ。
目の前には灰すら残っていない暗殺者の形。
魔術か魔道具かは判断できないが、蒼い炎にて一瞬で焼き殺したようだ。
それが一瞬で焼くことにより痛みを与えない配慮なのか、証拠隠滅のための火力だったのかは判断できないが……ともあれ、クリムゾン王子が校舎を守ろうと動いていたのは確かなようだ。
そんな王子の視線には、魔力の刃。
彼から私は見えていない。
クリムゾン王子の空気を言葉で表現するなら――。
冷淡な赤き皇帝。
或いは焔の貴公子だろうか。
赤髪の王子は涼し気な瞳だけを私に向け――薄い唇を上下させる。
「下民が、なんのつもりだ――」
声も傲慢そうな王族そのもの。
ただ警告に従い不用意に動かぬ所を見ると、傲慢だが馬鹿ではないようだ。
「おや、動かないのですね王子殿下――」
「今動けばキサマは俺の首を容赦なく刎ねるだろう、おそらくは俺に恐怖を与えるためにな。首が切断されても短期間であれば治療魔術で繋ぐことも出来よう」
考えを読まれていた。
それでは私が魔術を扱えることもバレているとみるべきか。
警告に従い振り返ることはせず、けれど高圧的な声で男は言う。
「状況から察するに、キサマが報告にあった賢者レイド=アントロワイズ」
「ご存じでしたか」
「ヴィルヘルム商会にも俺の手の者が紛れているからな。しかし、これはいったい何の真似だ? 俺に刃を向け脅すなど、無礼極まりのない行いであるが――キサマには大森林の外に拉致されたエルフの同胞の件で恩義がある、手荒な真似をしたくはないのだが――」
「ああ、王家の人間にもようやく救助されたエルフの受け入れの話が届いたのですね」
「見事な働きであった、俺はキサマのその功績のみは認めよう。それに、ヴィルヘルム商会のこともな。――父はアレを評価しておらぬが、俺は評価しているのだ。あの業突張りな鬼陛下とやら個人は、正直気に入らぬがな」
豪商貴婦人ヴィルヘルムのことだろうが。
「彼女を嫌う? おかしいですね、あの方は確かに強引な場面もありますが――王族に嫌われるタイプではないと思うのですが」
「あの女は昔、俺の家庭教師だったことがある。口うるさい教師を嫌わなくとも苦手と思う感情があって当然であろう。なんだ、不服か?」
「本当にエルフの人間関係は狭いのですね、長寿で数が少ないと誰かがどこかで繋がっている。なにかをやらかせば、ほぼ全てのエルフに悪評も広がるという事ですね――あまり悪さができない環境だとは理解しましたよ」
相手に敵意はない。
確信した私は声を僅かに柔和で友好的なモノへと切り替えていた。
しかしまだ魔力の刃は向けたまま。
「――ご無礼どうかお許しを、あなたが学び舎を守るために動いた事はあなたの瞳を通じ知っておりますが。私や姫殿下の敵か味方かまでは判断できなかったので」
「ほう? 瞳で知ると?」
「せっかくです、理論をご説明いたしましょうか?」
「要らぬ――」
「……説明した方がよろしいのでは?」
親切に告げる私なのだが。
王室の長男という高みから見透かすように、男は言う。
「賢者レイド=アントロワイズよ、それはキサマが説明したいだけであろう。気をつけよ、学者や研究者タイプの存在の悪癖が漏れている。すぐに化けの皮が剝がれるぞ」
まあ確かに。
説明してもおそらくはこの王子には理解できないだろう。
プアンテ姫が使用していた【魔力同調】は視界を共有するスキル。
瞳に魔力を走らせることにより、使用対象と瞳の情報を共有させるのだ。
それは原理としては瞳の情報をジャック、つまり乗っ取る力と言い換える事もできる。
そして瞳は視神経を通じて脳と繋がっている。その電気信号を読み解けば、この王子が犠牲者がでないように必死に動いていたのだと確認できていたのだ。
ようするにこの男。
少なくとも学生を守るだけの良識がある男と言えるのだ。
「拷問や洗脳はしたくありません。殿下、あなたの立場をお聞かせ願えませんか?」
「俺に立場を問うか、不遜であるが、まあいいだろう――俺に気付かれず一瞬で近づき、そして抗えば拷問も厭わぬだろうその冷徹さ。只者ではあるまい。だが、少し待て」
「おや、命乞いですか?」
「戯けめが――校舎ごとプアンテとお前を消そうと大魔術を詠唱していたのは四名、残り三名がまだいる筈なのだ」
私が射貫いた……というか、矢を直撃させ文字通り吹き飛ばした暗殺者の三名の事だろう。
彼らはもう死んでいるのだ……それに気づいていてもなお、相手は鎌をかけているのか。
それとも本当に気付いていないのか。
「既に対処は完了しておりますのでご安心を」
「……殺したのか」
「ええ、まあそうなりますね」
「殺生は感心できんな」
「単純な数の問題では? 暗殺者の三名を殺すことで、多くの生徒を守れるのです。そして暗殺者は他者を殺そうと動いていた、たとえそれが命令でも、私と姫殿下を殺すために周囲を巻き込むことを容認した。その時点で殺されるに値する存在であると思いますが」
王子が硬そうな眉間に深いシワを刻む。
「王族以外のエルフが許可なくエルフを殺すなど、容認できん」
「先に無差別広範囲魔術を詠唱したのはあちら、証拠も残っております。これは正当防衛であり、なおかつ学生たちの命を守る行動です。責められる謂れはありませんよ」
「彼らがテロに近い行動をしていたのはこちらでも把握している。その点でキサマを責めるつもりはない、だが――いつまで俺の後ろを取るつもりだ! 無礼者が!」
相手はスキルを使い私の背後を取ろうと周囲の空間を操作。
私と自分との空間座標を交換し、逆にこちらの後ろを取るつもりだったらしいが。
不発に終わる。
単純な話だ。これは魔力のぶつかり合い、世界の法則を捻じ曲げる干渉力に負けたのである。
「スキルが発動しないだと!?」
初めて本気の狼狽を見せていた。
赤髪の王子殿下はまともに顔色を変えている。
すかさず私の口は教鞭をとるような声音を発していた。
「スキルも魔術も元を辿ればただの魔力。力をどう使うか、どの技術体系に押し込み効果として発動させるかの差しかないのです。魔術は詠唱や念をもって、直接的に世界の法則を書き換える現象を起こす理論。逆にスキルは内側、自らの中で世界の法則を書き換える現象を発生させてから、外に発信する理論。元の力が同じならば、スキルであっても魔術封じの空間内に巻き込めば発動できなくなる」
それを実践してみせただけです、と私は背後からドヤ顔。
別に、先ほど説明をキャンセルされた意趣返しというわけではない。
「――……魔術理論をそこまで理解する領域にまであるのか。レイド=アントロワイズ。キサマは本当に、いったい――何者なのだ。なぜ我が愛妾となるべく育つ従妹プアンテを洗脳し、傍に忍び寄る。アレは我が王室に下ると運命づけられた美しき宝だ」
おや、姫を本気で心配しているようだが。
「洗脳などしておりませんし、彼女とは対等なビジネスパートナーとしての関係ですよ。王族である筈の彼女が、あなたがた王族に命を狙われているのは理解しているのでしょう? 冒険者ギルドを通じて、正式に護衛を頼まれたようなものだと思ってください」
実際、私は冒険者ギルドからの依頼という形で従者となっているのだ。
公の文章を調べようとしても、同じ答えが出てくるだろう。
「確かに正式に依頼があったようだが――ならばなぜ今この瞬間もアレを一人にしている。命を狙われているのはアレなのであろう? 危ないではないか」
「彼女は一人でも問題ないですよ」
「ふざけるでない! そのようなことがあるか!」
「はぁ……ならばなぜ、あの日、家族や臣下の多くを殺されたはずの彼女が生きていたのですか? 答えは簡単です、今の彼女はそれだけの力を持っているのです。どうやって、そしてどのような力を得たのかは本人から聞いてください。まあ教えてもらえるかどうかは別ですが」
実際、上位鑑定では魔王と認識される女神の駒なのだ。
新米魔王とはいえ勇者と真っ向から戦えるだけの力は既に身についている。
愛妾候補を守ろうとしている様子を見せているこの男より、強いのだ。
王子は黙り込んでしまった。
彼女が一人生き残っていた状況の答えを考えているのだろう。
おそらくは私の出した答えに納得しているのだと思うが――。
ともあれ私が言う。
「――さて、それでは質問です。あなたは暗殺者を殺しました。なぜ王の方針に逆らっているのか、お聞かせください」
「逆らっているわけでも叛意があるわけでもない――ただ俺は……王家のためならばどんな犠牲をも厭わぬ父上や、その取り巻きとなっている叔父上たちの方針が気に入らぬだけ。あくまでも己が正義を貫き行動したのみだ」
「あなたの言う正義とは?」
「プアンテを暗殺するためだけに、学び舎に集う無辜なる子供を巻き込むなど――看過できん」
良識がある王子のようだが。
だからこそ、こちらも少し対応に困ってしまう。
いっそのこと襲ってきてもらった方が楽、反撃の名目で消すことも出来たのだが。
「それに……最近の父上はおかしいのだ」
「実の妹の瞳を奪い、追放し王となった男なのです。元より多少はおかしいでしょう」
「正論だな。だが俺が言いたいのはそういう事ではない――」
王子は王族としての声音で言う。
「二百年前の父の行動は外道で卑劣と言える行為だった。だが、側面を変えてみれば結界を維持するために必要な行為だった。結界を守るため、国を守るための行動と思えば、過ちではあっても間違いではなかったのだ」
確かに人間の勇者との恋で力が弱まっていたのは事実。
いつかは無限の魔力を完全に失い、エルフを守る結界は消失してしまったはず。
そして私の見た限りでも、ここのエルフは大森林の結界の中で生きる井の中の蛙たち。
結界が破れてしまえば簡単に滅んでしまうだろう。
つまり、エルフという種のためを思うのなら。
恋に溺れた母から力を奪った行為には、意味があったのだ。
「だが、今の父上は違う。白銀女王を追放した時よりも更に権力に執着するようになり……エルフの誘拐の件に関してもろくに対策をせず。魔術の対象にされることを畏れ名まで捨て……、保身にばかり走っておられる。無能な王へと変わり果ててしまわれたのだ」
「――なるほど、父君や叔父が罪を犯している。実の妹から無限の魔力を簒奪した咎人であるとは理解しているのですね」
クリムゾン王子はしばし考え。
「俺は既に八百歳を超えている。まだ女王だった頃の白銀……あの方とも面識があったからな。叔母上にはそれなり以上に優しくしていただいた御恩もある。故に……父たちの行動には、多少以上に思うところはあるのだよ」
「おや殿下。八百歳を超えていらっしゃるのですね」
「若く見えたのか?」
人間で言えば三十代半ばといった貫禄である。
見た目だけの印象なら、豪商貴婦人ヴィルヘルムにとっては少し下の世代。無精髭の領主シュヴァインヘルトと比較すると同年代。
……おそらく、実年齢もギルドマスターのあの男に近いのだろう。
私が言う。
「こちらはエルフに疎いハーフエルフ、それも田舎と言われても仕方のないカルバニア出身です。どうも私の目からだと、エルフの年齢というのは把握しにくいのですよ」
「人間に育てられたハーフエルフ、か」
「ええ、それが何か?」
「いや――両親はキサマがこうしてエルフの国に戻ってきたことは知っているのか?」
しばしの間の後。
「いえ、私を拾い育ててくれた家族は既に亡くなっておりますので」
「そうか、すまなかったな」
「さて、クリムゾン王子殿下。ご相談があります、あなたの父上、王陛下と面会したいのです。王宮に入る許可を頂けませんか?」
「王宮に入ったとしても父と会えるとは限らぬぞ。それに、プアンテの護衛はどうするのだ」
「彼女と一緒に戻れば問題ないのでは?」
「一緒に戻る……? ……!……。なるほど、やはりそういうことか」
どうやら気付いたようである。
私が誰の息子なのか。
「そなたはやはり。噂通り」
「ええ、私の母は白銀女王スノウ=フレークシルバー。つまり私はあなたの従兄弟にあたる存在です」
「そうか――叔母上の……」
貴公子が瞳を閉じたせいだろう。
魔力同調していた瞳のリンクが解除される。
その瞬間。私はふと、眉を顰めてしまった。
同調が切れる直前――声が聞こえたのだ。
王子の心の声。
その内容は、私の想定の外にあった。
――叔母上の忘れ形見。あの時、あの方の胎に宿っていた子は生きていてくれたの……か。
ああ。本当に。
良かった――。
と、本当に安堵した様子の独白だったのだ。
私は訝しんだ。
私が生きていたことで発生するメリットがある、ということか。
あるいは私を利用し、父を殺し王位を簒奪するつもりか。
判断はできない。
まさか、本当に生きていたことを喜んでいたなどという、お人好しな答えではない筈だ。
ともあれ、何かを企んでいることは確からしい。
クリムゾン王子は言う。
「今更帰ってきたかつての女王の子であるキサマなど、俺は信用していない。だが、いいだろう、世界に呪いをバラ撒く大災厄の正体が噂通りの存在ならば、俺もこの事態を是とはしていない。協力しようではないか」
言葉を引き出した私は魔力の刃を解き、相手に自由を与えた。
刃を押し付けられていた肌を摩ったクリムゾン王子は、こちらを振り返り。
瞳孔を膨らませていた。
「なんだ、まだ子どもではないか」
「人間として暮らしていたので、もう成人している感覚なのですがね」
「だが、我等エルフにとってはキサマは子供にしか見えぬ。実際、あの方の子どもならばまだ二百歳前後。正真正銘、子供だろうに――」
「エルフの価値観で語られても困ります」
言って私はアントロワイズ家としての挨拶。
おそらく慇懃無礼と映るだろう騎士の礼。
プアンテ姫のように白銀の髪の隙間から赤い瞳を煌々と照らし、宣戦布告。
「あなたがたエルフが母から簒奪した【無限の魔力】と玉座、そして玉璽。全て返して貰いにまいりましたよ――従兄様」
「そうか――ならば許す」
何故ここまで素直に協力する?
どういうことだと訝しむ私の前。
クリムゾン王子は、ふっと微笑し――。
「俺を兄としたいのならば、存分にお兄様と呼ぶが良かろう」
そっちではないのだが。
何か言ってやろうと思った私の頭に、クリムゾン王子は大きな手を乗せていた。
それはまるで本当の兄のような仕草。
そして王子が告げたのは――。
子どもに向ける大人の詫びの声だった。
「すまなかった――色々と。本当によく、帰ってきてくれた」
ああ、と私は確信してしまった。
なんてことはない。根が善人なのだろう。
この男は。
ならば先ほどの独白も、おそらくは本音。
本心から、私の帰還を喜んでいたのだ。
正直、嫌いなタイプである。
理由は単純だ。
私が彼を切り捨てる計画を練り実行したとしても、おそらく。
この男はそれを受け入れるだろう。
自分の父が起こした狂気を罪として認識しているのだ。
だから、やりにくい。
天から私にだけ声が響く。
『ふふ、レイドよ。我が夫よ、妾が思うに――そやつはそなたに好意的だ。おそらくそなたの母が受けた仕打ちに罪悪感を覚えておる。国のため、民のため、そんな言葉で今までは誤魔化していたのだろうがな。父が犯した罪は重い。いつか、その償いをしたい。そんな罪の感情が全て、悲劇の女王の息子であるそなたに向かっておる。おぬしが苦手とするタイプであろうな』
女神アシュトレトである。
『あなたは――能天気でグータラで、周囲などいっさい見ていないように見えて、よく見ているのですね』
『当然であろう? 妾はそなたの妻。夫を愛でずに何を見る必要がある』
『それで、何の用ですか?』
『こやつは絶対にそなたが嫌いなタイプだと思ったからのう。そこを指摘してやったら、そなたがどんな反応をするか――それが知りたくて語り掛けただけに決まっておろう!』
実際に、本当にただ私の反応を楽しみにしていただけのようだが。
『ああ、そうだ。これは神託ではないが、アドバイスじゃ。良いか、可能ならばそのクリムゾン王子は殺すでない』
『理由をお聞きしても』
『神託を欲しておるのなら語るが、それほど大層な事ではないぞ?』
それを語らせると神託制限に引っかかるという事か。
大きく変化を与えるような質問への答えだと、神託とされてしまうようだが。
『では、結構です』
『そうか、ならば引き続き妾たちを楽しませよ。バアルゼブブの機嫌も良くなってきた、おそらくはそろそろ大丈夫だとは思うが、気を抜かぬようにな』
これもアドバイスなのだろう。
そろそろ大丈夫だという事は、裏を返せばまだ危機にある。
ようするにまだバアルゼブブはエルフをどうするか悩んでいるのだ。
女神アシュトレトはエルフを存続させる私の方針に賛成しているようだが。
ともあれ。
クリムゾン王子にこちらへの敵意はないと判断し、私は貴公子に事情を説明した。
味方でもないので詳細までは説明しなかったが――。
白銀女王と思われる存在の成れの果てとして発生した……大災厄、あるいは大厄災と呼ばれる脅威の事を。
その大災厄を生んだのがエルフだと知られれば人間以外だけでなく、他の亜人にもエルフという種が迫害される可能性がある事を。
そして。
エルフという存在そのものが既に危機、創造神から天秤にかけられているという事を。