第70話 暗部は徐々に動きだす
王位継承権第十三位にある王女、プアンテ=ド=メディエーヌ=フレークシルバー姫。
彼女の家族が何者かに暗殺されたことは暗黙の了解。
死亡は公表されているが死因は不明。
白銀女王を知らない子供は別として、大人ならば馬鹿であっても現国王に暗殺されたと感じた筈だ。
そしてこの学び舎に通う子供の大人たちは、こう子どもに伝えただろう。
プアンテ姫には関わるなと。
そんな姫に関わっている私は、図書室の本の香りと静かさを楽しんでいた。
長くを生きる種族の知識には多少の好奇心を刺激される。
活版印刷ではなく魔術による大量印刷を可能にしているようだが――蔵書の年代を辿ると技術が一気に加速した分岐点が確認できる。
おそらくそれこそが千年以上前に王位についた、白銀女王の時代なのだろう。
インクとは違う魔力文字の香りを探る私。
その耳に聞こえるのは、外からの音。シュトゥゥゥゥゥゥゥゥ――っと空気を切る一陣の風音。
弓による射的訓練をするエルフたちの練習音である。
弓を射るには腕力が必須。
本来ならば細腕の多い――大森林内の温室育ちなエルフには向かない武器だが、腕の筋力を魔術と魔力で強化する術を磨いているのだろう。
正確無比な射的音が何度も学び舎に響き渡っている。
訓練の音は嫌いではなかった。
読書も捗り、私の気分は上々。
逆にプアンテ姫は読書には興味がないようで、少し緊張した面持ちで窓の外――大森林に目をやっている。
その美しい髪飾りで彩られた、美しい白銀色の隙間。
魔力を煌々と宿す赤い瞳に映っているのは――数人のエルフ。
大森林から何者かが、ずっと、こちらを監視しているのだ。
ただ監視はあっても、今のところ動きはない。
こちらの様子を窺っているのだろう。
周囲は本当に静かだった。
この学校では緩やかな時間が流れている――学業に勤しむ場所だというのに、授業がかなり少ないのだ。
こうして図書館で本を読み漁る時間があることは良い誤算でもある。
古書のページをめくりながら私は姫に言う。
「エルフの学校というのはのんびりと言いましょうか、随分とカリキュラムが少ないのですね」
「エルフたちは長寿ですからね。せいぜい長生きしても百歳しか生きられない人間や、もっと短命な種族とは違う。時の流れへの実感が異なるのです。限られた時を急ぐ必要がないのでしょう」
応じたプアンテ姫の言葉は私の心のどこかに違和感を与えた。
しばし考えた。
ああ、と思い至った。
「エルフたちは長寿、ですか」
「お兄様? それがいったい……」
「あなたもエルフである筈なのに、既に客観的な……いえ、まるで自分がエルフではないような言葉を使っていたので少し気になりました」
「言われてみれば……」
「これが魔王となった弊害なのかもしれません。私も人間の文化圏で育っていましたがどこかがズレていましたからね。おそらくは……女神の駒となった時点で、種族が魔王へと変わってしまいます。その影響でしょう。エルフであったはずなのに、他人事のように思えてしまうのではないかと、私は考えます」
今度は私の言葉に違和感を覚えたのか。
プアンテ姫は否定的な顔をしているが、語らず流してしまう。
「何か気になる事でも?」
「いいえいいえ、お兄様の御意見を否定するようなことは……」
「――私も過ちを犯しますから、言って下さると助かります」
「あの、このプアンテはあの方の駒となった後に身体検査……学校で鑑定をされているのですが、魔王ではなくエルフと表示されておりましたので」
理解ができた私が言う。
「――なるほど、それは下位の鑑定だからでしょうね。上位の鑑定を使えば……ほら、ごらんのとおりです。あなたの種族は魔王と表示されております」
「――まあ! わたくしったら……魔術や魔道具を得意とするエルフの鑑定でしたので、信じきっておりましたわ! そうですか、エルフによる鑑定であっても世界から見れば下位の鑑定となってしまう……わたくしの浅慮でございました」
実際、どこからが上位の鑑定なのかは要検証といったところか。
「訂正していただきありがとう存じます、お兄様」
「あまり畏まられても困るのですが、まだ慣れませんか?」
「はい……申し訳ありません、お兄様が優しい方だと心では分かっているのですが、どうしても畏怖が発生してしまいますの。わたくしの【無限の魔力】に観測されるお兄様は、とても強大な存在として映っていらっしゃいますし……」
ライオンの檻に入れられ――。
このライオンは絶対に噛みつかないし、人間を襲わないと言われても平静でいられる。平然としていられる人間は少ない。
そういう現象がプアンテ姫の中で起こっているようだ。
「いつか慣れて頂けると助かります」
「努力いたしますわ。それで、お兄様――こちらを遠くから狙っているアレはどうしましょうか?」
学び舎の外からこちらを狙う影に動きがあったようだ。
それは王宮に勤めるエルフの密偵か。
人数は四人。
大魔術を詠唱しているようで、その魔術構成は大規模破壊の攻撃魔術。
「プアンテ姫、エルフの学校の訓練、カリキュラムには校舎ごと攻撃魔術で吹き飛ばすという教育が含まれては――」
「さすがにありませんわね。おそらくは現国王の手の者かと」
「白銀女王の再来とされるあなたが従者として、大森林の外から連れて来たのは――白銀赤目のハーフエルフ。それも人間との交流を是とするシュヴァインヘルトの領主の養子で、かの領主はかつて白銀女王の専属騎士であり、なおかつ白銀女王を追放した筈のクリームヘイト王国に潜伏していた」
「はい、どれほど愚かな王であってもお兄様の正体に気が付くでしょうし……それに」
プアンテ姫が言葉を躊躇っている。
私は苦笑し。
「どうか言葉にして下さい」
「その、とても失礼で不敬だとは思うのですが……お兄様があれほどにお暴れになられたのです、気付かぬ方が無理と申しましょうか……」
「暴れる?」
「い、いえ! なんでもありませんわ!」
規模の大きな攻撃魔術には魔法陣が発生しやすい。
けれど、魔法陣は目視できない。
私は感嘆とした声を上げていた。
「面白いですね――攻撃対象に気付かれないように詠唱にアレンジを加えているのでしょう。魔法陣が発生していませんね、プアンテ姫、心当たりは?」
「王直属の暗殺者で間違いないかと存じます」
「――いえ聞きたいのは彼らの素性ではなく、魔法陣を発生させない術のアレンジについてで」
「エルフの暗殺部隊の技術ですので、既に理論体系は確立されておりますわ」
つまり彼らは消しても問題ない。
「しかし、彼らが詠唱している魔術の規模は砦を破壊できるほどの威力。発動されれば、おそらくこの校舎は全滅する。周囲のマップ情報を表示したのですが、逃げている者はいない。彼らは貴族の子息や令嬢も巻き込むつもりのようですが――」
私とプアンテ姫以外は死ぬだろう。
あくまでもこの学び舎の一角の範囲での話だが。
「そういう方ですから、彼らはお父様やお母さまを殺し、こうしてわたくしの命も狙えるのでしょう。周囲を巻き込んでもいいと考える、歪んだ王といえるでしょう。伯父さまはよほどお兄様が怖いのかもしれませんが」
「そういえばこの国に滞在してもまったく耳にする機会がないのですが、現国王の名は?」
プアンテ姫は首を横に振り。
「無限の魔力を入手してしばらくした後、突如として王は名を捨てました。ですので公式の書類においてもエルフの王とだけ……。おそらくは名という鍵、キーワードで呪いや呪詛を掛けられることを避けたのかと」
「確かに、名は魔術発動の因となる要素。名を捨てることにより魔術防御を高める理論は理解できますが……大厄災による報復を恐れて名を捨てたのでしたら、なんとも情けない話ですね――」
「ええ、本当に――」
「まあそれは本人とお会いした時に聞いてみるとして。関係のないエルフを巻き込まない方針ですし、そうですね――こうしましょう」
言葉と同時に私は図書室の窓の外に目をやり。
転移。
射的訓練をしている生徒たちの後ろから、こっそりと弓を拝借。
バアルゼブブから伝授された弓の腕を試すべく、引き絞り――。
弓術スキルを使うことなく、弓を射る。
放たれた矢は音もなく飛び立った。
宙を高速で舞う蠅の羽を打ち抜くほどの正確さがあるとは、立証済み。
日々の訓練の賜物か、今の私には弓術への嗜みがある。
狙い通りだった――。
トン……。
大森林で潜んでいた四人のうちの一人の、身体が樹の隙間から落ちる。
相手の詠唱は途切れ、悲鳴が響き渡った。
大詠唱を続けていた暗殺者の首から上を破砕。
吹き飛ばすことに成功したのだ。
暗殺者がいた樹木には鮮血。
弾けた肉片が飛び散っている。
――バケモノか!?
と、声が聞こえるが実際に魔王ならばバケモノに違いはない。
見抜かれたと気付いた暗殺者たちが跳躍し、鬱蒼とした大森林の巨木を盾に退避するが――。
やはり弓術スキルを使うことなく、私の弓は天に向かい放たれる。
放たれた矢は三本。
弧を描いた矢は樹々の隙間を縫うように掻き分け、標的に向かい蛇のような軌道で相手を追い。
直撃。
トン――。
トン――。
三本中、二本が命中。
射抜かれた二人は縦に身体を引き裂かれ、絶命。
残りは一名。
まぐれで射抜かれたのではないと気付いたのだろう――。
生き残った暗殺者が脚力強化の魔術を発動する中。
プアンテ姫が言う。
「凄いですわお兄様、弓の腕も一流でしたのね」
「まあ――武芸へのたしなみはありますから。しかし……仕留め切る筈でしたが、一本外してしまいました。師には叱られてしまうでしょうね――」
「わたくしの方で始末いたしましょうか?」
「いえ――」
私は逃走していた暗殺者の反応が消えていることに気付く。
逃げたのではない。
「何者かに始末されたようです。おそらく、私たち以外にも暗殺者の大規模魔術に気付いていたエルフがいたようですね」
「敵、でしょうか?」
「敵ならば魔術妨害などしないでしょう。まあ味方とも言いませんが……校舎を守るために瞬時に動いていたお人好しがいたと考えるべきかと」
言って私はプアンテ姫にも分かるように彼女の瞳に【魔力同調】。
彼女が使っていた、自分の視界を他人に移す魔術である。
私の瞳には、暗殺者を討伐した一人のエルフが映っていたのだ。
「プアンテ姫、魔力同調は成功していますか?」
「え、ええ……わたくしの魔術ですのに……もうご習得なさっているのですね。少し、いえ、かなり複雑な思いですわ」
「それは失礼。それで、彼に心当たりは?」
暗殺者を殺し、術妨害した男。
赤髪の美形エルフを眺め――。
プアンテ姫が言う。
「見覚えがありますわ。あの方も王族――現国王の長男……王位継承権第一位のクリムゾン王子ですわね」
「おや、それはまた――変な話になりましたね」
「消してしまいます?」
「いえ、彼はおそらく本当に校舎を守るために駆けていたのでしょう――さすがにそういう方の事情を聞かずに殺してしまうのも、どうかと。プアンテ姫、第一王子と面識や関係はどうなっておいでで?」
珍しく歯切れが悪い様子で、プアンテ姫が肩を落とし。
「かつての婚約者、ですわ」
「おや、近親でですか?」
「エルフは長寿ですから、人間と違い近親婚でのリスクも少ないのです。それに、わたくしの白銀の髪はエルフにとっては魅力的に映る色。クリムゾン王子はとても甘やかされて育った方……欲しいものはなんでも手に入れて来た方なのです。ですから、その……正妻ではなくコレクションとしての婚約、愛妾の一人として、わたくしを指名していた時期があった――それだけの話です」
告げるその表情には露骨なほどの呆れが滲んでいる。
年の離れた従妹に婚約を迫る王族。
それも容姿のみに惹かれていると思われているのだ。
そう考えると姫がクリムゾン王子に抱く感情は、おそらく侮蔑。
どうやらプアンテ姫はクリムゾン王子を嫌っているようだが――校舎を守ろうとした行動を私は評価している。
私は魔力同調を維持したまま、赤い瞳を輝かせる。
王子の行動を観測することにしたのだ。
私の視界が――王子の視界と同調する。




