第69話 二人の魔王と初手乱闘
世の中には鶴の一声という言葉がある。
どれだけ下が会議や議論を巡らせた末の結論を出したとしても、上の一言で全てがひっくり返る。
今回はまさにそれだろう。
シュヴァインヘルト領主の養子という肩書でエルフの学校に入学した私は、無言。
学長室に向かう私の表情も、無。
今の私は王位継承権第十三位にある姫の、従者扱い。
おそらく、一時的に名が増えたこの私――。
レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルトを王宮に入れるための工作をしていた筈の、銀色赤目の王族エルフ。髪飾りで彩られた長い髪で魔力ある瞳を隠す姫。
プアンテ=ド=メディエーヌ=フレークシルバー姫が言う。
「そ、そのお兄様……このようなことになってしまい、その……大変申し訳ありません」
「――あなたが悪いわけではないのでお気になさらず」
「け、けれどその……怒っていらっしゃいますよね?」
「――別に、怒ってなどいませんよ。ただ女神たちに呆れているだけですので」
観測しなくとも分かる。
三女神と今回ばかりは三女神と協力する午後三時の女神が空中庭園にて、紅茶を傾けニッコニコ。
私とプアンテ姫の学生服姿を眺めて、うむ……! と頷いている姿が想像できる。
無精髭のパリス、あの男も一時とはいえ私がシュヴァインヘルトに籍を置くことに喜んでいるのか。女神たちの意見に反対することはなく。
豪商貴婦人も創造神に逆らうつもりはないらしく、学び舎に必要なアイテムを即座に用意。
既に計画は動いて、こうなった。
まだ魔王に覚醒する前ならともかく。
さすがにこの歳となって学業に勤しむ気にはあまりなれず。
どうも眉間にしわが寄ってしまう。
私が不機嫌だと勘違いしているプアンテ姫は、あわわわわっと慌てた様子で。
「そ、それでなのですが!」
「本当に、あなたには怒りの感情も呆れの感情も抱いていないので緊張しないでください。むしろ女神に振り回される同胞だと親近感が湧いておりますから」
これ以上の恐怖対応は不敬。
逆に不興を買うと判断したのだろう、プアンテ姫は編み込まれた銀髪をふわりと揺らし。
王族令嬢としての笑みを作ってみせる。
「お互い――苦労しているのですわね」
「ええ、まったくそのようで」
数人、すれ違うエルフの生徒は何度もこちらを振り向いて。
姫様が連れている私についての噂を開始。
口に出してはいけない禁忌とされている白銀女王を彷彿とさせる私たち、銀髪赤目の私と姫が歩いていると目立つのだろう。
従者としての潜入という事で、私は魔王となる前に学んだ処世術を発動。
エルフの生徒たちに静かな笑みを送る。
私がエルフにとっては半端者であるハーフエルフだとしても、効果はてきめんだった。
顔を真っ赤にして腰が砕けたように顔を逸らす生徒たち。
魅了状態となった彼等を横目に、私は姫の後ろに続き。
「――この学園のエルフには魅了耐性もないのですか」
「お兄様の魅了魔術を回避できる方など、この世には存在しないと思いますわ」
「おや? 今のは魔術ではありませんよ」
「そうなのです?」
「ええ、相手の情欲を引き出し煽るコツがあるのです――そうですね、コツを伝授しますので少しやってみてください」
プアンテ姫もすれ違う生徒に優しい笑みを送り。
同じく数人を魅了状態に。
「まあ、本当ですわ!」
「魔術に頼らなくとも人の心を動かす。それが魔王の能力の一つなのかもしれませんね」
「魔王としての先達。お兄様に勉強させていただきます」
言葉に嘘はない。
魔王としての日は浅いようだ。
私は多少砕けた従者としての口調で言う。
「姫様――どのような理由で、いつ午後三時の女神の駒となったかお聞きしても?」
「簡単な話でございます。わたくし、このプアンテは銀髪赤目で生まれた身。そして瞳には魔力がございます」
「なるほど、あなたは次代の【無限の魔力】の候補。それは白銀女王を彷彿とさせる特徴。彼女の再来となれば……」
「ええ、今の王陛下や王陛下の弟殿下たちにとっては面白くなかったのでしょう。わたくしは命を狙われてしまいました」
プアンテ姫は銀の装飾品を纏う腕を動かし。
すぅっと胸の前に手を当て。
「わたくしを取り上げた産婆や、わたくしを産んでくださった母もそれが分かっていたから、黙っていたのでしょう。わたくしの父は白銀女王の弟でした、現王の腹違いの末弟でした。父もこのプアンテの瞳が赤い事を、知り、その事実を隠しました。わたくしの瞳に魔術を施し、色を変え、見破られないように髪を長くし……。封印を施したのです」
話を読んだ私が言う。
「けれど、無限の魔力を封印し続けることなどできない」
「はい……わたくしの封印された筈のスキルは発現してしまいました、眺める景色に感嘆として無限の魔力を生み続ける事となりました。お父様とお母様は言いました、その力を使ってはいけないと……だからわたくしは力を隠し続けました。ですが――なぜお父様とお母様や、爺やが婆やがわたくしの瞳を隠しているのか……プアンテは知りませんでしたの。だからあの日、わたくしはこの学校で披露してしまいました、この瞳の力を、白銀女王を彷彿とさせるこの赤を」
姫が学び舎の外に目をやる。
広場の結界では生徒同士が実戦形式で魔術訓練を行っている。
「わたくしは試合に圧勝しました。今まで最下位で底辺とされていたわたくしが勝利したのです」
表情を崩すことなく。
けれど、ぞっとするほどの憎悪を白銀の髪の奥で輝かせ。
プアンテ姫は煌々と赤い瞳を蠢かせる。
「白銀女王を知らない同級生たちは皆、わたくしを褒めてくださいました。けれど先生方は違いました。大人は白銀女王を知っているのですから……話はすぐに国王へと届いたのでしょう――。それが終わりの始まり。白銀女王……伯母様と同じ力を持つことになるかもしれないわたくしを、疎ましく思ったのでしょう。いつか王位を簒奪されると思ったのでしょう。かつて自分達がそうしたから、そうされると思ったのでしょう。だから、我がメディエーヌの家名を潰そうとしたのでしょう、命を摘もうとしたのでしょう。父も母も……みんなも」
しばしの間の後。
試合に負けた生徒の手を引き上げる優しい生徒、その無垢なる子供の手を冷めた目で眺め。
プアンテ姫は言う。
「わたくしが大好きだった宝物は一瞬で散ってしまいました、その日のうちに殺されました」
「あなたは自責の念を感じているのですね――」
「ええ、とても」
姫として前を歩いていた少女は私を振り返り。
魔王としての魔力を一瞬覗かせ。
「わたくしはただ認めて欲しかっただけでしたの。王家の血筋であるにもかかわらず、瞳の力を使えない状態のわたくしは優秀とは言えませんでしたから。王家の失敗策、面汚し。やはり王家と言えど末弟のメディエーヌ家はドロ船だと陰で言われておりました。だから、プアンテはただ、見返してやりたかっただけでしたの。あなたがたが蔑んでいるメディエーヌの娘は、こんな力を隠していると……今考えれば、とても愚かな自己顕示欲でしたわ」
「――心苦しいのですが、あなたの家族が殺された状況を聞かせて頂いても?」
プアンテ姫は頷き。
「王陛下が所持する【無限の魔力】による攻撃です。わたくしもあの日、その時に殺されてしまうはずでした。同じ無限の魔力であっても練度が違いますから……伯母の瞳には当時のわたくしでは勝てなかったのです。プアンテは死を意識しましたわ。お父様とお母様にごめんなさい、と詫びましたわ。けれど、そんな時でしたの。あの方、午後三時の女神さまがご降臨なさったのです」
「女神が人助けですか」
「あの方は友達が欲しいと言っておりました。ここで助けたらあなた、あたしのお友達になってくれる? と……話しかけてくださいました。わたくしは頷きました。それが創造神、女神との契約とも知らずに。けれど、とても感謝しているのです。このプアンテに、父と母の復讐を果たさせてくれる機会を与えてくださったのですから」
王家の末席を狙った謎の死亡事故。
唯一生き残った、白銀女王を彷彿とさせるエルフの少女。
話を聞く限りプアンテ姫の両親は白銀女王の追放には関わっていないのだろう。
無限の魔力の恩恵に与れていないという事は、追放に反対した側の王族だと判断できる。
だからこそ、殺されたとみるべきか。
候補の一つとして、あくまでも仮定の話。
プアンテ姫の一族も白銀女王の呪いを受けた結果、こうなったという可能性もまだ残っているが……。
「なるほど――王家を畏れ、表立った話題にはできないでしょうが……【無限の魔力】を持つあなたを暗殺しようとしていた者がいたと、街に噂ぐらいは流れていたでしょうからね。そして実際に、メディエーヌの王族は暗殺されている。皆、口には出さないだけで誰が行動したかは理解できている。明確に現王権を恨んでいるあなたに、商業ギルドの代表が接触した理由も頷けます」
「あのステラとかいう代表。お兄様の力を見た後なので裏切りはしないでしょうが……ちゃんと役に立つかどうかはどうなのでしょう……」
プアンテ姫はあの代表を嫌っているようだ。
おそらくはメディエーヌ家が暗殺された時に、国王の側で動いていた存在なのだろう。
もちろん、逆らうことなどできないので不可抗力だろうが。
「仮にも商業ギルドの代表になった方なのです、狡猾さや世渡りは上手いのでしょう。そういう姑息な存在でなければできないこともある。アレも必要な駒ですので……許可があるまではなるべく壊さないで下さい。どうしても気に入らないのなら壊してしまっても構いませんが」
「お兄様、プアンテからもお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
「わたくしはお兄様による王位の簒奪に全力で協力をします。それが我が神の意思でもありますし、わたくし個人の願いでもあります。ただそれに辺り、どこまでの行動を許容していいのか……お兄様の裁量を仰ぎたいのです。わたくしは……既に、身を守るために暗殺者や刺客を手にかけています。ですが……無辜なる民を殺したくはないと、そう思ってしまいますの」
悪意のないエルフはなるべく殺さない。
無関係な死者はなるべく出さない。
おそらく私は初めて彼女の前で本当の意味で、小さく笑みを浮かべていたのだろう。
極論から言えば巻き込んだとしても仕方がないと思っている。
それはエルフ全体を治める王の罪なのだから。
それは王自身が選んだ行動の結果なのだ。
こちらが相手側の民に配慮する必要など、本来はないのだ。
しかし、できることならば無関係な民を巻き込まない。
気分の問題ともいえる。
綺麗ごとともいえるだろう。
けれどそんな綺麗ごとも是として考える。
彼女は基本的に私と似た思考ができる存在のようだ。
それが血の繋がりがあるという事か。
白銀女王の弟の娘だから、私はお兄様。
そう呼ばれることへの違和感は消えていた。
「同意見です。それでは悪意のない存在はなるべく殺さない方針で動きましょう」
「ありがとう存じます」
「ああ、ただし――悪意の自覚があるものやあなたの家族を奪ったモノたちへの報復となるならば。そして、白銀女王に関する事で必要ならば」
「はい、容赦なく――!」
やはり彼女も魔王。
必要ならば間違いなく、その首を狩るのだろうと分かる表情と魔力で――銀の装飾を鳴らし。
プアンテ姫は微笑んだ。
あと相談しておくことは……。
「――私は、白銀女王の再来と呼ばれるあなたの新たな従者なのです。おそらく私の力を推し量ろうと学園でも何かを仕掛けてくるものはいるでしょう。私が魔術を使うと何かと騒ぎが大きくなりますからね……幸いにもカルバニアでは男の魔術師は稀。私はカルバニア出身のハーフエルフで魔術は使えず、白兵戦特化の騎士という事にしておきます。よろしいですか?」
「承知いたしました。ただ……」
思考するプアンテ姫は口元に指を当てている。
「なんでしょう?」
「お兄様の学内での評価が上がれば、このプアンテの従者の騎士として叙勲の名目で王宮に呼ぶことも出来るはずですわ。それが女神様が用意されたルートになっておりますので」
「なるほど、ある程度は力を示す必要があるという事ですね。目立ち過ぎないように、けれど武勲を上げるように動くことにします」
三女神とあの幼女の余興に付き合う形となるが。
このプアンテ姫に協力すること自体に異論はない。
方針を確認しあった私は言う。
「――それでは最初は慎重に動きます」
まずは目立たないように。
……。
しようと思っていたのだ、この時は。
◇◆
学園長を【魔王の話術】で洗脳し、図書館の本全ての閲覧許可を取らせ退室。
プアンテ姫が、魔術を使わずに……洗脳を?
と、なぜかドン引き気味に私を見ていた、その三十分後。
私たちの目の前に積まれていたのは――敗北者の生徒たち。
新人狩りとばかりに訓練場にやってきたエルフの群れ。
全員生きてはいる。
魔術が使えぬ落ちこぼれのハーフエルフをいびって遊ぼうと――大森林の中のエルフらしい悪辣さで指導を申し出てくれた、先達たちである。
これはあくまでも訓練。
怪我をしても、訓練なのだから受け入れるべき。
相手がそう言いだした。
ようするに、結局のところは相手の自業自得なので私に非はないのだ。
私は先ほどプアンテ姫が見ていた訓練場の前を通ったのだが。
なぜか私はよく絡まれて。
普段ならば無視をするが、今の私の建前と肩書は姫の従者。
無視するわけにはいかず、従者だからこそ絡まれたからには対処せねば主人の恥。
律儀に応じて、一人を訓練で倒したら。
インチキだと言われ、その難癖は従者ならば是としてはならないと挑戦を受け、訓練場の結界を断ち切るほどの一撃で吹き飛ばし。
一応、生存しているのを確認したので立ち去ろうとしたら呼び止められ。
気付いたら目の前にはこれ。
プアンテ姫が、おろおろしながら言葉を選ぶように、ぼそり。
「あの、お兄様……目立たない方針ではなかったのですか?」
「ええ、ですから死者は出していません」
「その、これは……おそらく、多少……いえ、かなりセンセーショナルと申しましょうか。絶対に問題になると思うのですが」
「学園長は既に洗脳済みなのです、咎めはない筈ですよ? それにしても、彼らの気骨のなさはいったい……」
私は考え。
ハッと結論に至り、姫を向き。
「もしかして――エルフは剣技が苦手なのですか?」
「いえ、そーいうことではなくてですね……」
私は視線のみを横に逸らし。
「――分かっています、どうやらやり過ぎたようですね。目立ち過ぎたとは、さすがに途中で気付きましたよ」
「え? 途中でなのです?」
「しかし、従者ならば主人をバカにされたら騎士道精神で動き、主人の名誉を取り戻す。これが正しい姿では?」
アントロワイズ卿としての役目でもあるわけで。
私の行動はあくまでも喧嘩を売られたからの結果。
私は悪くない。
「お兄様……騎士の心得があるというのは本当でしたのね。剣の腕もおありのようですし……」
「確かに多少は使えますが、それでもまだまだ未熟の身。師匠には毎日負けていますからね――それに、剣技のみならば、私を超える存在とて世界にはいる筈です。しかし、彼等は駄目です。いざとなったら魔術を使えるという過信と慢心が、彼らの剣技を錆びさせているのでしょうね」
プアンテ姫が言う。
「それで、これ、どうしましょうか?」
「マニュアルや校則、規則ではなんと?」
「あの……さすがに、前例がないと言いますか。訓練場の結界を割った後、相手を挑発し起こした大乱闘を、自らの手で制圧した場合の記述は……」
姫の言葉に誤りがあったので、私は眉を顰め。
「挑発などしていませんが……」
「え!? 素だったのですか!!」
姫の本気の驚愕である。
どうやら私はエルフとは少し、感性がずれているようだ。
なぜだろうか。
何も問題ない筈なのだが、三女神と幼女の大爆笑が空から聞こえていた。