第68話 シュヴァインヘルトの領主
エルフは協調性のない種族。
だからこそ商業ギルドに所属していないその他の商人たち。
いわゆる露天商たちの店には独自の文化が発展しているようで。
お付きとなっている、いつものエルフ二人を後ろに連れて――私は露店巡りを継続。
雪白樺で作られた調理用蒸し器を眺め。
じぃぃぃぃぃぃ。
「――なるほど、これは火と氷の魔術を相殺させた熱量を利用し蒸気を発生させているのですね。そして発生させた蒸気は純度百パーセントの魔力になるように……この細かい穴と、材質に使われている雪白樺の気泡で調整している……と。実に素晴らしい」
これは買いですね?
と、私は二人を振り返っているのだが、なぜか二人とも「ぬーん」といった表情。
この人は、こんな時になにをしているんだという空気が漏れていた。
「へえ、分かるのかい。そりゃあお目が高い。キヒヒヒ。じゃあこっちのスライサーはどうだい?」
店主の老エルフが木箱の奥をゴソゴソゴソ。
どれだけ野菜をカットしても錆びない皮むき器を取り出し、魔女の笑み。
「本人ではなく大気に漂う周囲の魔力を取り込み魔力の刃として使う事で、使用回数を無限にしたスライサー……これは風魔術に見せかけて光の魔術と紋様による術式が組み込まれていますね。これはあなたのオリジナルで?」
「ケヒヒヒヒ。ババアになると全てがおっくうになってね? こうした生活魔術を極めてみたくなるもんさね。ま、生活に根付く魔道具ってのは、商業ギルドじゃあ取り扱ってないからねえ、こういうのが見たいのなら、ほれ――そっちの通りにいっぱいあるよ。あたしなんかより、もっとジジイやババアもいるし、まだ五百歳にもなっていないガキもいる」
「素晴らしい――ここには技術と叡智が詰まっている」
けっして失ってはいけない文化ですと、私は全商品を購入して歩くのだが。
豪商貴婦人がこほんと咳払い。
「あの、賢者殿?」
「なんですか、いま良いところなのですが……」
「――あの、汚れが良く取れる石鹸を大量購入している所の、どこが良いところなのかがいまいちわかりませんが、大変申し訳ありません。こんな所で油を売っていてよろしいのですか?」
石鹸を購入後。
以前も見た。押すと、プヒィと音が鳴る魔導ヌイグルミを観察しながら私は苦笑し。
「プアンテ姫からの連絡を待つ時間を有意義に過ごしているだけ。それにこれはこの世界のためでもあるのですよ」
「石鹸とヌイグルミが、ですか?」
「石鹸は昼を支配する女神への贈り物、ヌイグルミは黄昏を支配する女神への手土産。あとは明け方の女神が喜ぶものを探せば、とりあえずここでの活動は終了できます。もうしばらくお付き合いいただきますよ」
よく通る男の声が、周囲には聞こえぬ言葉を発する。
「……つまり貴殿はエルフが全滅する可能性を見越し、先に女神が興味を引くアイテムを回収している。そういうことか」
言ったのは人間との共存を選んだシュヴァインヘルト領の一族、無精髭のパリスである。
「概ねその通りですが、エルフが全滅することはないでしょうね」
「その心は」
「午後三時の女神、レディ・アフタヌーンティ。あるいはミス・アフタヌーンティ。こちらが勝手に呼んでいるだけなので、呼び方はまあどちらでもいいですが……。どのような結末を迎えたとしても、彼女の駒たるプアンテ姫と、私と絆を結んだあなたがた。合計三名はどう足掻いても生き残るでしょうからね。三人も生き残っていれば、複製魔術に頼るなり、エルフの遺伝子と魔術式を再現した【人造人間】との組み合わせでエルフという種は保存できるでしょう」
告げて私は二人に魔術式を提示してみせる。
それはエルフという種を魔術式で再現してみせた計算式。
「世界の法則を捻じ曲げることが魔術ならば、あなたがたの複製を生み出すこともまた可能。魔術により完全再現したエルフ種を果たしてエルフと呼ぶべきか、複製されたエルフとエルフの子どもをエルフと認定すべきなのか――その辺りは考慮しておらず、別問題ですが。少なくともエルフは生き残れます。私がハーフエルフである以上、同種族のハーフエルフを女神は殺さないでしょうしね。世界に散っているハーフエルフのエルフの血のみを抽出するという手段もありますので――まあ可能性は無限大」
「ワタクシたちが滅んだとしても……」
「ええ、こうしてエルフの文化を蒐集しておけば――滅んだエルフの再現も可能という事です。あくまでも理論上はですが、この王国の再現すらも可能です。倫理観を除いてですがね」
つまりはエルフがほぼ全滅するという未来もある。
それが分かったからこそ、二人は息を呑んでいた。
「そうでしたのね。ワタクシ、賢者殿がてっきり露店漁りに夢中になっているとばかり」
……。
まあ、そういう部分がないとは言わない。
既に貴婦人より付き合いの長くなっている無精髭のパリスは、しばし考え。
興味津々にメモを取る私の手をじっと見て、ぼそり。
「貴殿の本音がどこにあるかは敢えて気にしないが。知りたいことがある。午後三時の女神……とはいったいどのような存在か聞いても構わないだろうか。敵か味方か分からなければ、もし遭遇した時にこちらもどう対処したらいいか判断できない」
私は振り返ることもせず、商品に手を伸ばしたまま。
「――察しがついているとは思いますが、女神と名がつく通り――この世界の例外。あなたがたも出会った女神アシュトレトのかつての同胞……といったところでしょうか。幼女の姿をして、大帝国カルバニアがまだ王国だった頃から暗躍していた女神の一柱。おそらくは彼女もまた、この世界を作る際に協力し、この世界を形作る材料を提供した創造神の一柱なのでしょうね」
「創造神の……にわかには信じがたいが。貴殿が言うのならば」
「ええ、信じがたいが事実ですよ。あの女神は女性の駒を選ぶ傾向にある、もしかしたら支配の魔王アナスターシャを駒とした時も、アナスターシャ王妃がまだ子どもだった頃に接触し、駒としたのかもしれません」
午後三時の女神は遊び友達を欲している。
自分と同じ女の子を駒としたいのなら、長寿で子ども時代が長いエルフとは相性が抜群なのだ。
私が言う。
「裏切りを心配しているようですが――あの女神と、あの女神の駒たるプアンテ姫は絶対に私には逆らわないでしょう。完全に味方とは言いませんが、敵として認識する必要はないと思いますよ。仮に敵対したら、まあその時はその時で対処します」
豪商貴婦人が言う。
「駒とは一体何なのでしょうか」
「さあ、実は私もよくは知らないのです。気付いたときには私も女神の駒にされていましたしね。ただおそらくは……女神たちはかつて失ってしまった、恩人……。女神たちがまだこの世界を作る前に出会った、とある存在を再現しようと無意識に動き、駒遊びをしているのではないかと私は考えております」
「よく、分かりませんわね……」
「ええ、よく分からないのです。ですが、女神達の駒がこの世界でどう呼ばれているかは、もう既にお気づきなのでしょう?」
つまり私が魔王であることも、おそらくこの二人は薄々感づいている。
特にパリスの方はマルキシコス大陸に配属されていたギルドマスター。勇者ガノッサと協力し魔王アナスターシャの亡霊を倒したことを知っているのだ。
あれは公式な記憶として冒険者ギルドでも情報共有されている。
魔王に勝てる存在で勇者ではないものとなれば、気付かぬ方が不自然である。
「たとえ貴殿がどのような存在だとしても、あの方のご子息であることに違いはない。僕はあなたと共にあり続ける」
「困りましたね」
「なにがだろうか」
「主従の忠義といった固い習わしはあまり好きではないのですが」
「しかし貴殿はアントロワイズ卿でもあるのだろう? かつてのカルバニアでの卿の称号は、騎士の家系に与えられる者。卿とは騎士貴族を示す名と記憶している。騎士貴族の家系ならば、忠義を捧げる部下の一人や二人がいてもいいのではないか? 僕はそう感じる。どうだろうか?」
この男、意外に狡猾である。
確かに私は育ててくれた家族、アントロワイズ家の一員であることを是としている。
あの恩は二度と忘れない。そして義父ヨーゼフや姉ポーラもかつて騎士道を大切にしていた。
騎士貴族ならば忠義を捧げる家臣の一人や二人いるべきだという、彼の意見も尤もなのだ。
今の私には家臣と言える存在も一応居る。
かつてクリームヘイト王国で暗躍していた暗殺者の部隊であるが……。
彼らが裏の仕事をするとなると、表の仕事をする従者がいた方が自然ではある。
ただ――。
「パリスさん。私からも一つ、お聞きしてもいいですか?」
「ああ、構わない」
「あなたと母はどのような関係だったのでしょう。知り合いだったという事は理解しているのですが」
男はわずかに息を呑んだ。
人は質問を投げかけられた時に、反射的にその情報を思い出そうと脳が動く。
今、動いている彼の脳内情報こそが思い出。
彼の中で白銀女王との記憶が呼び起こされているのだ。
彼の瞳を動かすモノ――複雑そうに遠くを眺めさせるのは電気信号、それが感情なのだと私は知っていた。
「……よくある話、姫と従者になるのだろうか。一時期、僕は彼女の専属騎士をしていたことがある。あの方は文字通りの箱入り娘だったからな、とても苦労させられたよ」
母の専属騎士。
ようするに、それは女王の側近。
このパリス=シュヴァインヘルトがかつては貴族や、貴族に准ずる地位……エルフの中でも位の高い存在だったのだろう。
多くは語らず。
けれどいくつもの物語を感じさせる表情のまま、男は唇を動かした。
「――僕らシュヴァインヘルト領のエルフはあの方に拾われた。命を救われたと言っていい。人間との共存共栄を掲げる僕たちには敵が多かった……。僕らはあくまでもエルフの未来のために動いていたのだが……周りはそれを認めはしなかった。いつか必ず人間と和平を結ぶ必要があると考えていた……だが、そんな理論、大半のエルフにとっては暴論に聞こえてしまうからね。けれど、白銀女王、あの方だけは違った。人間との共存を模索する僕らの真意を理解してくださった。シュヴァインヘルト領とシュヴァインヘルトという部族が生まれたのも、その時。あの方は僕らに場所を与えてくれた」
告げるパリス=シュヴァインヘルトは筋張った首の下。
鎖骨に手を伸ばし、涙の形をしたネックレスを取り出した。
それが領主の証。
白銀女王に任命された、シュヴァインヘルト領の長の証なのだろう。
「あなたがシュヴァインヘルト領の領主となればいいでしょう、と。あなたが専属騎士から離れてしまうのは少し寂しいけれど、自分の理想のために動ける方はとても素敵だと思います、と。その日、僕は専属騎士としての任を解かれた。けれど、結界の薄い場所……人間とも交流が可能な土地を領土として与えられた」
それは豪商貴婦人も知らない事実だったのだろう。
輝く涙のネックレス。
領主の証を見て、シュヴァインヘルトの領主が長らく不在だったのはそういうことでしたの……と、瞳を閉じている。
「つまり、私の母が人間に興味を持つきっかけになったのはあなた。人間である勇者と恋をするきっかけを与えたのも、あなた……ということになるのですね」
「ああ、あくまでも結果的にだが、彼女を殺したのは僕ということになる」
「それは些か飛躍しすぎては?」
「どうだろうか……けれど、エルフの皆はそう思ったらしい。実際、当時の僕もそう思った。だから僕は彼女を探したのだ。必死に、その航跡を辿ったのだよ。けれど結局、僕は間に合わなかったわけだ。言い訳になってしまうかもしれないけれどね、僕には想像もできなかったんだ、まさかエルフの王族が……彼女がエルフの姿を捨て、人に化けていただなんて……考えてもいなかったんだ」
少しだけ――。
男は砕けた口調で唇を動かしていた。
「人間との共存共栄などと大層なことを宣っておいて……僕はどこかで人間を下に見ていたのだろうね。心のどこかで……高貴なエルフが野卑な人間に化けることなどありえないと、そう考えていたのだろうね。ああ、情けないよ。とてもね」
おそらく彼が、白銀女王が人間に化けていた可能性を考え始めたのは、自身も人間に化け、冒険者ギルドのマスターとしてクリームヘイト王国に派遣された時。
それでは遅かったのだ。
もう既に、奴隷女王として処刑された後だ。
だからもし。
もっと早く、女王が人間に化けていた可能性を考えていれば。
未来は変わっていたのかもしれない。
「僕は――白銀女王から受けた恩に報いるため、そして助けられなかったこの罪を償うために――今ここにいる」
彼は恩に報いるためと言う。
罪を償うためだと言う。
けれど、その言葉の端々に尊敬や恩義だけではない感情が滲んでいると私は気付いていた。
その電気信号は――。
その感情はおそらく……。
私は言った。
「母を愛していたのですか?」
「いや……」
男は言った。
「今でも僕はあの方を愛している」
それは過去形ではない、強い思いだった。
だからこそ白銀女王の呪いともいえる大厄災をどうにかしたい。
そう願っているのだろう。
◇◆◇◆
プアンテ姫から連絡が来たのは翌日。
王宮に入るための計画が練れたと、商業ギルドに呼び出されたのだが。
応接室にて私は言った。
「なぜあなたがここにいるのです」
そこには澄まし顔の幼女。
午後三時の女神がハチミツ紅茶を啜っていたのだが。
幼女はうふふふふっとまるで悪戯を思いついた時の、アシュトレトのような笑みを浮かべ。
『お久しぶりなのよ、元気にしていたかしら? シュヴァインヘルト領の領主の養子、レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト』
勝手に養子扱いにされている。
無精髭のパリスを振り向くが、知らない様子。
となると、これは……。
「……で、アシュトレトと結託して今度は何を企んでおいでで?」
女神は基本的に享楽主義。
楽しむために、うちの三女神となにか良からぬことを企んだのだと。
私の頭脳は合理的な答えを導き出していた。
どうやら当たりだったようで、幼女はにっこり。
『あら、話が早いのね! えーと、経緯を説明するのは面倒なので、詳しくは飛ばしちゃうけれど……うちのプアンテちゃんから話は聞いているのよ? もちろんプアンテちゃんとあたしは仲が良いから、ちゃんと相談されてね? どうするかってなって、でも、あの三女神に聞かないで行動して、面倒になったら、とぉぉぉっても嫌な事が起こるのは分かるわよね?』
「あなたの場合は前科もありますしね」
『言うじゃないの。けれど、あの厄介な呪いを解いてくれたから問題にはしません! だからこのあたしが直々に手伝ってあげたのよ! さあ褒めなさい!』
魔王アナスターシャによる呪いが解けたことが、よほど嬉しかったのだろう。
大はしゃぎである。
『それでね、それでね! 今回は行動する前にあのクソ女……いえ、アシュトレトと話し合いをしたのね? そうしたら少し意気投合しちゃって、うふふふふふ、あなたが王宮に入るためのルートを用意してあげました! プアンテちゃんも、ステラとかいうつまらないエルフも協力して、一日で準備をしてくれたの! 心して受け取りなさい!』
言って、午後三時の女神が差し出したのは、学生服。
たしかに、私はエルフから見ると子供だ。
どうやら彼女たちは私に学生ごっこをさせたいらしい。
おそらく、ただ面白そうだからという理由で。
女神の悪い癖がでているようだ。