第67話 絶対服従
密談という事で会談場所は商業ギルドではなく、冒険者ギルド。
先方が冒険者ギルドに依頼をするのでギルドに寄るという形を取っていた。
互いに付き人は二人。
立会人は商業ギルドの小柄な代表ステラ。
応接室の椅子に腰かける私の後ろには、無精髭のパリスに豪商貴婦人。
私の目の前にはファンタジーゲームに出てきそうな、いかにもエルフの王族だと言わんばかりの気品を纏った凛とした銀髪エルフの少女。
おそらくは私と同世代。
二百年前後しか生きていない子供のエルフだろう。
特徴的なのはまるで瞳を隠すように伸びた、長い銀髪か。
シルバーの装飾品で彩られた揺れる前髪の隙間からは、ただただ見事な赤。
ルビーのように赤く輝く瞳が、ゆったりと見え隠れしている。
王族である筈の彼女は私を前にし、立ち上がり。
まずは礼――。
直後に花のようなドレスを揺らし、優雅でエレガントなカーテシーを披露してみせていた――。
花の蜜を彷彿とさせるような優しい声音で言う。
「初めまして、レイドお兄様。わたくしはプアンテ=ド=メディエーヌ=フレークシルバー、フレークシルバー王国の末席、王位継承権第十三位にある者。どうぞ、プアンテとお呼びくださいませ」
私は眉を顰めていた。
想像以上に好意的な反応だったからである。
エルフの王族ならばもっと高圧的な態度をしてくると思ったのだが。
私と同じ疑問を持ったのはプアンテ姫以外の全員。
姫のお付きの女護衛騎士の二人も、姫様……? と訝しんでいる。
そんな護衛たちに目線を合わせぬまま。
あくまでも頭を下げたままの姿勢で姫が家臣を嗜める。
「なにをしているのです、さあ、二人もどうかお兄様に頭を垂れて慈悲を乞いなさい。あまり主人であるわたくしを困らせないでくださいませ」
「プアンテ姫でしたか、何故あなたが私に頭をお下げに?」
「お兄様とプアンテは確かに血が繋がってはおりません。けれど、お兄様の方が年齢が上。序列に従っているまでですわ」
私の目にはいまだに頭を下げ続けている姫の姿が見えている。
その背は僅かに揺れている。
恐怖を覚えているのだ。
つまり――。
「プアンテ姫、あなたは私がどのような存在なのか知っているのですね」
「午後三時の女神。この言葉をお出しすればご理解いただけるかと存じております」
「なるほど、彼女の新しい駒ですか」
「そう思っていただいて問題ないかと存じますわ」
午後三時の女神。
魔王アナスターシャを使っていたあの幼女の女神が選んだあらたな命。
ようするに、このプアンテ姫は新しい魔王候補なのだろう。
そして、実力差を読む力を持っている強者だと判断できる。
強いからこそ、魔王としての私に怯えているのだ。
そしておそらく、彼女が【女神の駒】であることは、私以外誰も知らない。
「それで、彼女はなんと? 私とまたやりあいたいのでしたらそれも一興。彼女がその気ならばそれでもかまわないのです――今ここであの時の雪辱を果たすというのでしたらお付き合いいたしますよ。姫殿下」
顔を上げるように促すと、彼女はそれに従い顔を上げ。
必死の形相で叫びだす。
「いいえいいえ! けっして、そのようなことはっ!」
「おや――そうなのですか。ではいったい」
「わたくしが命令されているのは、お兄様に協力し、いつまでもしつこくつき纏ってくるあの呪いを解いて欲しい。そう、お願いしてきてくれと仰せつかっておりますの」
「ご自分で解けばいいと思いますが」
「術者があまりに強大で、解除できないとあの方は……。あの、お兄様……あの方はこのプアンテを救ってくださった御方なのです。どうか、このプアンテがお役に立ったその時には、お願いいたします」
周囲から見れば意味の分からない光景だろう。
私の後ろの二人も、彼女の後ろの二人も唖然としたまま。
立会人となっている商業ギルドの代表が、私と姫の交互を眺め。
「ええーと、なんなんっすか、これ……」
女神を知らないのだから当然と言えば当然の疑問だろう。
白い肌に球の汗を滴らせたプアンテ姫が、恐怖で口の端を笑いの形にしながら振り向き。
「商業ギルドの方――命が惜しいのなら、この方を怒らせないことをお勧めいたしますわ」
「え? いや、だって、失礼ながらあなたはプアンテ姫様っすよね? あの、白銀のあの方の再来ってひそかに噂されている、天才姫様っすよね!? なんでこの賢者なんかにビビってるんっすか!?」
「そう……あなたには見えていないのですね、お可哀そうに。けれど、プアンテはとてもあなたが羨ましく思えますわ」
姫の護衛が言う。
「プアンテ様、いったい……この方がなにか」
「わたくしの傍仕えをしているあなたたちなら、いいわ。このプアンテがとある上位存在の力を借りているとは知っているでしょう?」
「は、はい……」
「彼女がわたくしに厳命しているのです。お兄様とは絶対に敵対するなと……基本的に、全てこのプアンテの自由にさせてくださるあの方が、これだけは必ず守って頂戴ねと、念を押しているほどの御方」
言って、美しいエルフの少女は私に目をやり。
恐怖と心酔。
二つの感情が入り混じった、歪んだ笑みを口の端に浮かべて――。
「それでは、分かりやすくいたしましょう。このプアンテが見ている景色、視界をほんの一時、あなたがた全員にお貸しいたします。分からないのなら、直接見て頂いた方が分かるでしょうし」
プアンテ姫の瞳は赤く輝いている。
おそらく本当に、白銀女王のような瞳に魔力を宿す能力があるのだろう。
スノウ=フレークシルバーの再来の所以が、そこにあると理解できたが。
他者に自分の視界を映すことができる――ということか。
それが相手の心や精神に働きかけ、自分の視野と相手の視野を同調させる精神操作系の魔術なのか。
自らが見ている視界……すなわち肉体の電気信号を共有させる肉体操作の魔術なのか。
精神か肉体か。
どちらを操作する魔術なのかは興味がある。
「あ、ただ! お兄様が良いと言ったらです! お兄様、お兄様の素晴らしさを理解できていない、この哀れなる者達にお兄様の一端をお見せしてもよろしいでしょうか?」
「構いませんが、あまり彼らを責めないで上げてください」
「あら、何故ですの?」
「これでも力を隠す術や正体を隠す術の研究は進めておりまして、その成果によって彼らは気付いていないのです。むしろ、隠している筈の私の一端が見えているあなたが特別なだけですよ、午後三時の女神に選ばれたプアンテ姫」
「まあ、わたくしが特別だなんて」
ぽぅっと白い肌を赤くさせるプアンテ姫は、そのまま傍仕えの二人に目をやり。
「彼らを対象にしますが、他の方はどうなさいます?」
こちらの付き人となっている例の二人は首を横に振り。
「遠慮をさせていただきますわ、もう既に……洗礼は受けておりますので」
「貴婦人に同意であります。僕も既に姫殿下のいう”あの方”と同等の存在の圧力を体験したことがあります」
女神アシュトレトのことだろう。
大陸神より上位の創造神に対する知識がない者達は、困惑気味。
商業ギルドの代表ステラが言う。
「なんかよく分かんないんっすけど。姫殿下から見たレイドさんの姿が見えるって事っすよね?」
「ええ、いかがいたしますか?」
「そんじゃ、後学のためにもボクにもお願いできますか? ボクもレイドさんが海賊パーランドを捕縛してくれたって話は知ってるっすから。ちょっと興味あるんっすよねえ」
魔道具が盛んなフレークシルバー王国の商業ギルド。
その代表という立場がステラを増長させているのだろう。
王族が相手だとしても、多少の無礼を働いたとしても商業ギルドが潰されることはないと知っているのだ。
ステラの口調は王族に向ける言葉として、正しいものではない。
プアンテ姫とのアポが取れた時点で、実は身内を既に助けてあると伝えたのは失敗だったかもしれないが。
まあ本人の自業自得だ。
プアンテ姫は頷き、長い髪を細く白い指で耳の後ろに流し。
そして――。
沈黙が広がる。
プアンテ姫と私の後ろの二人以外が、口を押さえて蹲り。
ガタガタガタと全身を震わせ。
地に伏したのだ。
私もプアンテ姫の魔力に同調し、彼女が見ている私の姿を確認する。
……。
少なくとも、プアンテ姫が逆らうことはないと確信できた。
彼女は絶対に私を裏切らないだろう。
「プアンテ姫――あなたにとっての私は、随分とおぞましい存在に見えているのですね」
「正直申し上げますと、お兄様の前で許可なく息をするだけでも……とても恐ろしいと思っておりますのよ」
「私は無為に命を取ったりはしませんよ」
「それでも、それができるほどの力と権利がある。わたくし……このプアンテはとても幸せだと思うのです。王家がお兄様の不興を買う前にお兄様に出会えたなんて、生き残るチャンスを与えて頂いたなんて――幸福以外の何者でもないのです」
プアンテ姫の視界には私は映っていなかった。
なにしろ彼女には私が見えていないのだ。
彼女の視界にある私は。
そこにあるナニカ。
応接室全体に広がるのは膨大な黒い魔力。私という存在から漏れ零れた、塵にすらならない断片のような魔力ですら、彼女にとっては広大。
闇で視界が埋まっていたからだ。
部屋の中はただただ黒い。
だが私が言葉を発すると、闇の中に亀裂が走る。
それが私の口だろう。
私はプアンテ姫に目をやってみる。
赤い瞳が二つ、こちらを眺めていた。
それは――。
ぞっとするほどの煌々とした輝きをもって。
闇の中で浮かぶ赤。
それが彼女には怖くて堪らないのだろう、まるで太陽フレアのように脈打っている私の瞳から、ついに、視線が逸れた。
何も見えなくなった。
けれど、だからこそ見えてきた。
下を向いている筈なのに。
直視できないソレが、そこに在る。
ソファーに腰かけている。
だが。
見えない。
見たくない。
底の見えない。
渦巻くような魔力の中――。
玉座に鎮座し。
三つの女神を侍らせる。
人の形をしたナニカが、顔を上げるとそこに在ることだけは、彼女も理解しているのだ。
視界が潰れそうになるほどの魔力を纏い。
夥しい、膨大な量の魔術式で構築された人の形をしたナニカが――ぎしり。
言葉を発する。
「プアンテ姫、急ぎ魔力の同調を解除してください。ステラさんも、あなたのお付きも死んでしまいます。どうやらあなたの見ている景色に耐え切れず、気絶してしまったようなので」
「畏まりました」
同調が解除される。
口から泡を吹き倒れこんでいた三名に目をやり。
プアンテ姫は言う。
「これで彼らも今後はお兄様に絶対服従を誓うでしょう。なんなりとお使いくださいませ。このプアンテもまた、お兄様に絶対に逆らうことはないとご理解いただけましたでしょうか?」
プアンテ姫の目には私がああ見えている。
絶対に抗ってはいけない存在だと、認識している。
私にはそう理解できていた。
「あなたを信用しましょう、姫殿下」
「ありがとう存じます」
「さて――目的は決まっています。この国を観測している女神達が飽きる前に、エルフをつまらない駒だと処分する前に――王位と玉璽、そして私の母の【無限の魔力】を返還させます。ただし、私やあなたが、ただ魔力に任せて奪い返すのは……おそらく駄目でしょうね」
「畏れながら、なぜでありましょうか」
「私はもちろん、あなたが本気を出せば王家と連なる貴族たち、一族郎党の全滅など容易い筈です。我々は”そういう存在”なのですから。だからこそ問題なのです。ただ力の差で王位を簒奪し返すショーを見て、あなたは楽しいと感じますか?」
プアンテ姫は考え。
「女神様を楽しませる必要があるのですね」
「はい――姫殿下。まずは私を王宮に招く理由を作って下さい。何でも構いませんよ、たとえば私を奴隷として買ったと言い出してもいいですし」
「とんでもございません!」
悲鳴に近い声だった。
「まあ、方法は任せます。この街の道具は私の好奇心を刺激します。私も少し街を楽しみたいので、そうですね……三日後に王宮に招かれる手筈を整えてください。できますか?」
「必ずや、お兄様のご期待通りに――ですので、その」
「分かっています。ならば先に、支配の魔王アナスターシャによる女神への呪いを解いておきましょう。亡霊と化した魔王も気が晴れたでしょうし、私に逆らうつもりはもうないでしょうしね」
先に願いを果たした。
それは善意のつもりだったのだが。
プアンテ姫はびくりと体を震わせ、深々と頭を垂れたままだった。
「あ、ありがとう存じます……っ」
女神の呪いを先に解いた。
それは報酬の先渡しでもある。
だが、こうも言い換えることができる。
もはや失敗は絶対に許されない――と。
彼女はそう感じたからこそ、ここまで身を震わせているのだろう。
……。
まるで私が虐めているように見えてしまうので、あまりよろしくない。
プアンテ姫が女神の駒だと知らない二人。
無精髭のパリスと豪商貴婦人は困惑したまま、私をじっと眺めている。
後で誤解は解いておこうと思うが。
それよりも私の興味は街にある露店の魔道具に向いていた。