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第63話 凡人の視線


 かつて白銀女王が張った結界は他種族を拒む絶対領域。

 ここは沿岸国家クリスランドの果ての大森林。


 エルフが他国の領土内に大森林と結界を用意し、国家を作ったのではない。

 順番は逆。

 エルフたちが棲んでいた大森林の外、およそ千二百年前に白銀女王スノウ=フレークシルバーが作り出した結界の外に、クリスランド王国の亜人たちが勝手に国家を作ったのだ。


 豪商貴婦人との面会日の翌日。

 私達は結界の前にいた。

 無精ひげのエルフ、パリス=シュヴァインヘルトの案内で大森林と呼ばれる広大なエリアに来ているのだが――。

 私にもエルフの血が流れているのは事実だったのだろう、結界を破ることなく通過できている。


 ここは既にエルフの領域。

 彼らの王国の領内。

 樹々から漂う土と草の香りの中、私は横目で言う。


「それで、なぜ貴女も同行しているのですか? 豪商殿」

「エルフ狩りの外道海賊パーランドが討伐された件での報告と、あなたに治療していただいたエルフたちを一度フレークシルバーの国に連れ帰る必要がありますので……その件で王家ともご連絡を」

「商業ギルドから見張っておくようにとお願いされましたか?」

「否定はしませんわ」


 パリス=シュヴァインヘルトが言う。


「個人的な感情を抜きにすれば、このヴィルヘルムはエルフの中でも有名な存在。殿下の帰還を証明してくれるのならこちらとしても手間が省ける」

「おや、あなたの言葉だけでは足りないのですか?」

「貴殿とて、人間の国を捨て獣人と共存共栄を選んだ人間の言葉を、素直には信用できないだろう」

「私がどうかはともかく、一般的にはそうでしょうね」


 森の結界を通過し、大森林内部へ。

 青く鬱蒼とした森が潮騒にも似た音を奏で始める。


「マップに登録したいのですが、白銀女王が治めていた国の名は?」

「定められた名はない。ただ雪のような白銀女王の名に倣い僕らはフレークシルバー国と呼んでいた。今もそうだとは限らないがな」

「ええ、ワタクシたちも祖国をフレークシルバー王国と呼んでおります。誰が呼び出したのかも分かりませんが……なにしろ千二百年前からそう呼ばれていたのですから」


 パリスに同調する貴婦人に目をやり。


「はぁ……長寿の存在はどうしてそう物事に対してテキトウなのでしょうね……」

「賢者殿にも長寿のお知り合いがいらっしゃるのですか?」

「――連れがいたのを覚えていませんか」

「え? あ! そういえば、あの方はどこに……」

「今日は姿を見せていないのですが、おそらくは――早く自分の国家を貢ぎに来いと空の上から眺めているのでしょう」

「空?」


 見上げても鬱蒼とした森。

 だがその真上には、空中庭園が追従し続けている。


 アシュトレトの事なのだが。

 彼女は自分の別荘としている空中庭園で自分磨き。

 蟲付き執事たちに爪を磨かせ、髪を梳かさせている筈。


 女神は女神で一応、私に気を使っているのだろう。人々の印象に残らないように存在認識を薄くする魔術を使っているようだ。


 もっとも、記憶があいまいになっている豪商貴婦人はともかく、パリス=シュヴァインヘルトは違った。

 白銀女王を追ってギルドマスターとして潜入していた彼は人間に化けていた。

 前回の事件を見ていたのだ。

 傷跡の目立つ男だった彼はクリームヘイト王国の王が死んだ場面、つまり女神ダゴンを目視している。


 だからアシュトレトの事も、そういう、存在とは理解している筈。

 パリス=シュヴァインヘルトも空を見上げ。


「あれは……辺境伯やその周囲にあった者たちから簒奪した地か」

「シュヴァインヘルト? あれとは?」

「緑森のヴィルヘルム。さしもの豪商殿も常識の範囲内のモノしか見えないのか――そんなことではレイド殿下の付き人は務まらないだろうな。やはり殿下に仕えるべきは僕の方だろう」


 ここでパリスは何故かドヤ顔である。

 貴婦人がこちらを向き。


「彼は一体何を言っているのです」

「説明すると長くなるのですが、まあちゃんと魔力を通して空をもう一度見上げて頂けば理解できるかもしれませんね」

「上……?」


 貴婦人は瞳に魔力を通す代わりに、双眼鏡のようなアイテムを取り出し。

 そして、ビクりと耳の先を動かしていた。


「空中を飛び続ける大陸……ですか」

「ええ、アシュトレトはあそこにいます」

「彼女はいったい……」

「まあ……私の魔術の師のようなものですよ。私についてくるのは構いませんが、一応忠告しておきます。彼女の他に二名ほど似た存在がいるのですが、消されたくないのなら絶対に敵対はしないで下さい。私にも制御できない存在ですので」


 警告したその途端。

 魔法陣が展開され、私の隣に顕現していたのは昼の陽射しの如く明るい光。

 神の威光を隠さぬままに降臨した女神アシュトレトである。


 ひぃっと息を呑む豪商貴婦人を無視し。

 アシュトレトは私の頬に手を当て、妖艶な表情で告げる。


『ふふふ、まあそうわらわの評判を落とすでない。最近の妾はわりと常識的であろう?』

「たしかに、むしろ私よりもあなたの方がまともと思える瞬間も増えましたが――」


 私は呆れを隠さず告げる。


「アシュトレト……空中庭園で待っているのではなかったのですか?」

『はて、そんなことを口にしておったか』

「昨日エルフの国に向かうと告げた時に、あなたがそう言ったのですよ。妾は城につくまでドレスアップの準備をすると……。使役しているショーカ姫お抱えだった暗殺者たちにドレスを用意させたりしていたでしょう……。まあ彼らは既にあなたを主人と崇めている、そのドレスアップを手伝えることに喜びを感じているようでしたが」


 行き場を失った暗殺者とその家族たちはそのまま、空中庭園で幸せに暮らしている。

 逆にあの時悪事を働いていた貴族たちは、蟲に脳を犯されたまま使役奴隷状態。


『さすがはレイド、我が夫! 妾ですら自らの口から一度出た言葉など、すぐに忘れてしまうのに……。愛しきそなたは妾の一言一句すらも捨てぬと、しっかり覚えているのじゃな? これが愛。妾は愛されて幸せじゃ』

「――女神の言葉とはそれ自体が魔力を持つ。神託とまでは言いませんが、言葉の全てが多少なりとも世界に影響を与えるでしょう。忘れたりしませんが、別にあなたのために覚えているわけではありませんよ」


 抱き着いて来ようとする女神も、押し返す私も一見するとコミカルだが。

 パリスも貴婦人も、ガタガタガタと震えながら顔を下げ。

 汗で地面を濡らし、跪いていた。


 神の威光を隠さぬアシュトレトの降臨は、ただそこに在るだけで周囲を圧倒していたのだ。

 彼らにとってみればいつ踏まれるかも分からぬ暴れるドラゴンの、すぐ足元にいる子犬の気分なのだろう。

 そんな矮小な彼らの恐怖など気にせず、アシュトレトは微笑み。


『相変わらずつれないのう、じゃがその冷たさ、雪のような冷笑もまたそなたの魅力。妾は汝を許そう。汝だから全てが許される。汝だから、妾もこうして戯れておる』


 神の威厳を隠していないのでおそらく今、沿岸国家クリスランドを含め、エルフの国フレークシルバーでも何事かと大騒ぎになっているだろう。


「あなたの力は強すぎる。もう少し光を抑えてください」

『わざとやっておるのだから、当然であろう?』

「だから言っているのです。それで何の御用ですか」

『うむ、妾から伝えたいことは多くあるが、単純な話だ。妾に国を奪い返すそなたの雄姿を見せてみよ――妾は見たいのじゃ。そして堪能したいのじゃ。玉座に鎮座する麗しい夫の姿を肴に、極上の美酒を飲み干す。実に優雅な余興であろう?』


 アシュトレトが豪商貴婦人に目線を映し。


『商人よ、分かっておるな?』

「は、はい……賢者殿が、王位を継いだ暁には、最高品質の美酒をご用意させていただきますわ」

『良い心がけじゃ。ふふ、商人よ――そなたが話の分かる小娘で安心したぞよ。実は妾も昨日の件を耳にしておってな――恋する乙女の夢を邪魔する不敬の輩がおったそうで、些か不快であった』


 瞳を細めたアシュトレトの周囲に、後光が差す。

 鬱蒼とした森の中は一瞬にして光に満ちていた。


『妾は面白うない。分かるな?』

「は、はい……」

『そうか、ならば良いのじゃ。多く語るのも無粋であろうが、袖振り合うも他生の縁とも言う。慈悲じゃ、この妾が汝等に神託を授けようぞ』


 微笑み告げて。

 アシュトレトがヴィルヘルムとシュヴァインヘルトを交互に眺め。


『女王から不当に簒奪さんだつした瞳と王位。そして王たる証の玉璽ぎょくじ。正当なる後継者から奪われたものと言えよう? 故に――あるべき場所、あるべき者に返還させよ。期限はつけぬが、妾からの慈悲たる言葉、努々(ゆめゆめ)忘れるでないぞ? 汝らが妾のレイドに忠義を示したからこそ、妾も猶予を与え甘い顔をしておるだけ。それにじゃ――妾はともかく、他の二柱は妾ほどに常識的ではない』


 神託を告げる女神の威厳は圧倒的だった。

 その威光に彼らは反応できない、直に応えるほどの度量はないのだろう。

 固まってしまった二人に代わり私が言う。


「ダゴンとバアルゼブブはなんと?」

『そなたの父母を虐めたと、エルフ種そのものを世界から消去してしまおうと本気で考えておるようじゃ。つまらない種族だと、冷めた顔で眺めておる。まあ、今のところは妾が止めておるがな』

「そうですか――まずいですね。確かに、私自身は覚えていない、面識も思い出も感慨もないとはいえ――私の身内にあたる存在ですから……」

『特にバアルゼブブは本当に苛立っておる。なにしろあやつは自らの中に芽生えた恋という感情を大事にしておる。そしてかつてそなたの家族を見殺しにしてしまった件もあるからな。バアルゼブブはバアルゼブブなりにそなたを案じておるのだ。故に――あまりにゆっくりだと、エルフの存在保証はできぬ』


 エルフの二人に、神託を下すアシュトレトの後ろ。

 見覚えのある暗殺者とネコが、魔法陣から出現し。


「女神様、新たなドレスが届きましたが――」

『そうか、わざわざご苦労であったな。すぐに戻る。それではレイドよ、妾にそなたの国を見せておくれ。なに、妾も別に国にこだわりなどない。王一人の国とて構わぬからな』


 皆殺しにしてもいいとも取れる言葉を残し――。

 女神アシュトレトは暗殺者と猫を連れ、空中庭園へと帰還。

 暗殺者も猫も私に向かい頭を下げたまま、女神の光に追走する。

 圧倒的なプレッシャーが解除された途端。


 深海から浮上した酸欠ぎりぎりのダイバーのように、エルフの二人は荒い呼吸。

 実際、彼等にとっては恐ろしい数分間。

 海の底に押しつぶされたような威圧感があったのだろう。


 私が言う。


「――お二人とも大丈夫ですか?」

「なんとか……な」

「豪商殿はどうです? もし肺が潰れているのなら治しますが」

「お気遣い、ありがとうございます、けれど大丈夫です……そ、それよりも、今の方は……っ」


 貴婦人が胸を押さえ、震える声を紡ぎながら私を見上げた。

 あそこまで神の一面を見せたのだ。

 隠していても仕方がないと私は素直に真実を語ることにした。


『大陸神の上にある者――この世界を作りだした女神達の一柱。ようするに、創造神ですよ』


 そんな創造神からエルフという種族は神託を賜った。

 その事実はおそらく敵対している筈の二人を、凍てつかせ、協力せざるを得ない状況を生み出していただろう。

 彼らは反芻し、ぞっとしている筈だ。


 女神は言った。

 創造神は告げた。

 おまえたちはつまらない種族だと。

 正当なる後継者に王位に戻さないと、エルフを全て消す――と。


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― 新着の感想 ―
[一言] 森焼く程度じゃすまない規模になってきた! こっちの世界の勇者も不憫すぎる どうなるのか楽しみです。
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