第56話 集団スキル
周囲を取り囲む殺気は、こちらにも向けられていた。
おそらく、私がハーフエルフだからだろう。
港と船。
そして街を観測しながら、私は思いを口にしていた。
「なるほど、私を最後に降ろそうとしていたのは、人がいなくなった後に誘拐。そちらのアイテムボックスのエルフたちと一緒に販売するつもりだったから――と言った所ですか」
なぜエルフが狙われるのか。
それは単純な数の計算だった。
人間とエルフ、どちらの全体数が多いか。
圧倒的に人間である。
だからエルフの方が価値がある。
それはあくまでも数値上だけの問題。
けれど、この世界ではその数値こそが大切なのだ。
この世界には一つの法則があった。
単純なルール。
シンプルに結論を言えば、希少であればあるほどに価値があるということだ。
レア度が実際に反映されるのか、それとも人々にレアと判定されると価値が向上するのか――理由は分からない。
けれどこの世界ではレアとされる存在ほど、強力な魔術効果を持ち。
強力な道具や儀式に利用できるようになる。
つまり、稀少種とは、いわゆる稀少素材でもあるのだ。
銀髪だった私がかつて生贄として買われたように。
クリームヘイト王国の姫が、自身を生贄として私に捧げようとしたように。
その結果がエルフの人身売買。
実際に価値があるからこうして――。
人間たちはエルフを密漁し、密輸するのだろう。
正体を現した船長が困り顔の海男から、邪悪な顔立ちの悪漢に変わり。
精神を高揚させ、能力を向上させる【狂戦士化】を発動。
狂戦士化の影響だろう。
周囲に赤い魔力を発生させ、糸が引くほどに濃い唾液を纏った舌なめずりをし。
船長だった男が唸りに嘲笑を乗せていた。
「はは、まさか気付いていたとはな! それがハーフエルフの特殊能力ってか!?」
「さあ、どうでしょうか――」
「隠すんじゃねえよ、オレたちの隠ぺいの魔術は完璧だった。今までだって、ずっとバレちゃいなかったんだ。なら簡単だ、それがハーフエルフの特殊能力なんだろう! なあ、そうだって言えよ! ははははは!」
おそらくは違う。
ふつうに見抜いただけである。
やはり能力すらもはっきりと分かっていないほど、ハーフエルフとは数が少ないのだろう。
緊張した空気の中、私が言う。
「どちらにせよ、街の衛兵に豪商貴婦人、そして冒険者ギルドのマスターに囲まれているのです。どうするおつもりで? 逃げるのなら早いうちの逃走をお勧めしますよ」
「逃げるぅ? はは、聞いたかおめえら?」
街を揺らすほどの爆笑が起きる。
船乗りたちも全員が狂戦士化を発動していた。
それは群れの相乗効果となって、互いが互いのバフを受けて全体強化状態を確保。
海賊密輸団という一個の敵として私のマップには表示されていた。
「それが集団スキルですか。目にしたのは初めてですが、大したものですね」
「あん? 集団スキルを知ってるくせに、何故落ち着いてやがる」
「いえ、驚いてはいますよ。個人が掛ける強化スキルや魔術に比べて魔力効率が大違い。能力強化幅も個人で使用する状況に比べ、数値にして十倍程度と言った所でしょうか」
「ビビらねえってことは、よほどの強者か素人か。まあ強者だったらこのヤバさは分かるだろうから、坊主、はは! てめえ! 賢者とか言われてるくせに、まともに戦えねえようだな!」
相手は自信満々だ。
だが確かに、自信を持てるほどの力はあるのだろう。
実際、正体を暴く前に私が掛けていた影縛りの魔術が解除されているのだ。
相手の能力向上によって、世界の法則を捻じ曲げる力に打ち負けたのだろう。
だが。
周囲のマップ表示には赤い点……つまり人間やエルフだらけ。
「――たとえ私が弱かったとしても同じ。船乗り全員が海賊やそれに類する職業だったとしても、多勢に無勢。この数には勝てないでしょう」
マップ表示だけでなく、実際に彼らは囲まれていた。
エルフである豪商貴婦人は当然、船長だった男をきつい瞳で睨んでいる。
人間の衛兵たちも密輸団の敵。人間であっても非人道的な行為、エルフの密輸は見過ごせないのだろう。
だが誰も動かない。
また無駄な時間が流れている。
頬に汗を滴らせる豪商貴婦人ヴィルヘルムに私が言う。
「何故取り押さえないのです?」
「この男を見ても……分からないのですか?」
「生憎と、人間の個体識別は苦手なもので」
豪商貴婦人ヴィルヘルムはごくりと息を呑み。
「この海賊はおそらく、集団戦闘の達人。マスタークラスの突剣使い……海賊パーランドなのですよ。いくら世間知らずの坊やでもこの名を聞けば、分かるでしょう?」
パーランド!?
と、騒動を見守る野次馬たちから悲鳴に近い息が漏れていた。
私とアシュトレト以外は皆、敵も味方も、その名が示す畏怖に反応しているが。
……。
「パーランド、聞いたことのない名ですね」
「あのパーランドですよ!?」
「あの、と言われても困ります。相手が知っている前提で話すのはあまり感心できませんね」
何故か再び、シリアスな空気が縮んでいく。
ギロっと豪商ヴィルヘルムはギルドマスターを睨み。
「どういうことですシュヴァインヘルト!」
敵対関係の筈の豪商に問われ、はぁ……。
ギルドマスターの男は、重い息を漏らし。
「賢者殿はそういう御方なのだ」
「そういう御方という言葉に大きな含みを感じますが、まあいいです。説明願えますか?」
「こいつは海賊パーランド。僕が知る中でも最も邪悪なエルフ狩り。かつて最高ランクの冒険者だった男、その特技は悪のカリスマによる集団スキル。かつては英雄とされた男だが……趣味の悪い嗜虐心も強く、素行が最悪でな。ギルドからも追放された男なのだよ。部下を統率させた状態ならばその戦力は国家レベル、あの勇者ガノッサに匹敵するとされる堕ちた英雄の一人と言えば、分かるであろう?」
分からないのだが、分かるフリをしておいた方がいいだろう。
「なるほど、勇者ガノッサに匹敵するほどの敵ということで、皆さんそこまで畏怖なさっているのですね」
「分かってくれたのなら――賢者殿。僕から依頼……」
「お断りします――」
討伐依頼が出る前に私はそれを却下していた。
ギルドマスター、シュヴァインヘルトが言う。
「まだ何も言っていないだろう」
「どうせ、この男を倒すのを手伝え――そう言うのでしょう」
「断る理由を聞いても構わぬか」
銀の髪を潮風に揺らし、私は頷き。
「前提として私にとっては未知――この大陸の事情を知りません。たとえば彼らがかつてエルフに理不尽に虐げられ、その復讐にエルフという種を憎んでこのような事をしていた場合、私は後で申し訳ないと思うでしょう。次に、助ける理由が見当たらないという事です。たとえばあなた方は積み荷となっていた牛や馬、豚や鶏を助けようとしましたか?」
「するはずがないだろう」
「それと同じです。もしここで私が動き、囚われている側に無条件の味方をし……あなたたちを助けるという選択を選ぶことを是とするのなら、問題が発生する。もし私が進化し会話が可能となった犬や猫やニワトリたちに助けてくれたと言われた時、どうなると思いますか? 私は無条件に動物の言葉を聞き助け、あなたたちを殺していいことになってしまいます」
豪商貴婦人が言う。
「え、ちょっとなにこの坊や。すごい面倒くさい子なの?」
「緑森の守銭奴に同意するのは癪だが、概ねその通り。この賢者殿は非常に、めんどうくさい性格をしておられる」
失礼な連中である。
もしかしたら辛辣さはエルフという種族の特徴なのかもしれないが。
ともあれ私たちのやり取りを拾い、海賊パーランドとやらが言う。
「ははは! このパーランド様を知らねえとは――坊主、てめえ! 本当にカルバニアの人間だったんだな!」
「だから、そうだと言っているでしょう」
「閉鎖的なあの国には情報なんて入っちゃこねえだろうからな、オレ様の輝かしい経歴を知らなくとも無理はねえ。だが、名前なんて所詮は飾り。実力は見りゃあ分かるだろう? このエルフのババアはオレ様たちの連携と力を見て、畏れ慄いてるっつーわけだ」
「おや、豪商の鬼陛下はあまり強くなかったのですね」
「冗談を言うんじゃありません!」
緑の髪を揺らす豪商貴婦人は私に目線だけをやり。
「ワタクシや、ワタクシの護衛が弱いのではなく、この海賊パーランドが異常なのです!」
「相手が強いといつもの気丈さを出せない。相手によって態度を変える、それはどうなのでしょうね?」
「あぁぁぁあぁぁ! 綺麗な顔をして、この坊や、本当に面倒くさい!」
貴婦人は、額に大きな青筋を浮かべつつも。
扇をビシ。
「この覇気と魔力を見て分からないのでしたら、早くお下がりなさい! あなたはハーフエルフ、海賊パーランドはあなたをどこまでも追いかけ、捕まえようとストークし続けるはず! 時間を稼ぎますから、ほら! 行きなさい!」
豪商貴婦人にとってはあくまでも私は庇護対象の子供なのだろう。
こんな状況で私を逃がそうとしているようである。
名もなき街の衛兵たちも、エルフの護衛たちも豪商貴婦人に並び。
震えながら槍を掴む衛兵たちが言う。
「豪商貴婦人、我等も――戦います、よろしいですね」
「……死ぬわよ」
「街の平和と平穏を守るのが我等の務めでありますから」
茶番である。
茶番であるが――。
子どもを守ろうとする大人の姿は、嫌いではない。
私は怯える彼らよりも前にでて。
「まあ、いいでしょう――豪商殿、私の連れがあなたから振舞われた高級酒を浴びるほどに、文字通り酒樽が空になるほどに飲み干したとは聞いております。その分ぐらいはお返ししますよ」
言われた貴婦人ヴィルヘルムはきょとんとした顔をし。
「シュヴァインヘルトがあなたに依頼をしようとしておりましたが、戦いが得意という事ですか」
「得意ではありません。少なくとも私は、自分よりも確実に強い存在を三人ほど知っていますからね。けれど、あの程度の敵ならば問題ありませんよ」
アシュトレトが得意げな顔をしているが。
実際、彼女とダゴンとバアルゼブブにはまだ勝てない。
挑まれて勝負するといつも負け、勝者の特権をアピールされ、まあ……その、色々とあるわけだが。
ともあれだ。
影魔術を破られたことが気に入らないという、単純な浅慮や狭量ではないが。
私は邪杖ビィルゼブブを召喚し。
いつものように、トンと石突で床を叩き。
「というわけです――あなたたちを拘束させてもらいます」
海賊パーランドの部下が大笑いをしかけるが。
シリアスな顔でそれを止めたのは、パーランド自身。
人間としての強者であることは確かなのか、私の魔力の片鱗を覗きこんだのだろう。
「みた事もねえ杖だが、ヤベエなそれ――てめえ、マルキシコス大陸の存在のくせに魔術師か」
ハーフエルフで男の魔術師。
エルフを狩る彼らにとっては、まさに私は動く宝石なのだろう。
興奮気味に男は唸り。
「いいぜぇっ、いいぜえぇ、泣かせてやりたくなるその面もいい!」
「虐殺できるのなら、泣かせることができるのなら種族も性別も年齢も関係のない、外道な変態。といったところですかね」
「ああ! オレ様は弱者を嬲るのが大好物だが、強者を嬲るのはもっと好きでな! 絶対に負けることがねえっていう、世間知らずな賞金稼ぎを嬲って、焙って、串刺しにしてやるのが大好きでなぁ!」
ヒヒっと男は舌なめずり。
下品な男である。
「安心しな、てめえは高級品だ。壊しても、ちゃんと直して何度でも使ってやるよ。その皮を引き裂いて、ハーフエルフのなめし革を量産するんだ、いい悲鳴を上げるエルフほど質が良いなめし革になるんだ、知ってるか?」
男の言葉にエルフたちが長い耳先を揺らし、唇を噛みしめ。
憎悪に近い視線を海賊パーランドに向けていた。
「おっと、怖え怖え。だが、そうやって睨む連中も最後にはお願いしまぁす、パーランド様、なんでもするのでもう、許してください。もぅ殺してくださいって震えて懇願するんだぜぇ?」
私の影の中で。
頬に手を当てたダゴンがそういう性嗜好もあるのですね、と見聞を広げているが。
変な事を覚えられても面倒なので、私は石突でカァァァァン!
男の言葉。
いわゆる相手の冷静さを奪う【挑発スキル】をかき消し。
恐怖と狂乱、そして憤怒状態に陥っていたエルフたちを諫め。
「そういう戯言は私に捕まった後、衛兵たちから拷問されながら好きなだけお答えください」
「挑発まで解除するか――そうかいそうかいっ、どうやらかなりできるようだが! 最高品質の商材くんよぉ! 相手が悪かったな! あまりオレ様を舐めるなよ――、坊主!」
海で鍛えられた男の足は、リズムよくステップを踏み始める。
上半身もわずかだがダンスのように、上下に揺れている。
三日月を彷彿とさせるしなりを持った偃月刀を装備。器用に突剣として利用するつもりなのだろう。
貴族の剣技とダンスの動きの流れを組み込む独特なスタイル。
ダンスソードの構えを取った海賊パーランドが、下卑た微笑を浮かべ。
突進――!
「狩ってやるぜ――!」
偃月刀が私の体を貫く。
しかし。
貫かれたはずの私の体は、別の場所から再出現。
「それはハズレ、幻影ですよ」
「マジもんの魔術!? だが、所詮はガキだな! 全部突き刺し臓腑を抉れば、結果は同じだろうが――!」
突進攻撃を幻影で回避しながら――私は魔法陣を周囲に飛ばし、微笑。
魔法陣を目の端で追いながらも、これが魔術だと確信したのだろう。
「罠を張っているようだが、それも無駄。しかし、ぶひゃははは! 本当に男でハーフエルフで魔術師だったとはな、最高じゃねえか! てめえは本物の高価商品だよ!」
幻影を次々と消し去る動きは確かに、勇者ガノッサ級。
魔物の集団であっても、彼一人でなんとかできる力はあるのだろう。
だからこそ、周囲はあれほどに畏れ慄いたのだろうが。
興奮する海賊パーランドが前屈みになり、死肉を奪うハイエナのしぐさで躍り出た――。
その瞬間。
豪商貴婦人は動いていた。
「今よ!」
号令に反応し――。
衛兵や護衛の騎士たちが同時に使用したのは、影を戒める拘束アイテム。
影拘束魔術:【影呪縛】をアイテム効果として発動させる消耗品だろう。
だが。
「そりゃあ悪手だろ! エルフのババア!」
パーランドは影を縛られている筈だったのだが。
実力差の影響だろう。
男はそれを即座に強制解除。
取り押さえようとする衛兵も、豪商貴婦人の護衛騎士もたった一動作で踊るように薙ぎ払い――私に向かい突進。
「雑魚じゃあ相手になんねえんだよ!」
生きてはいるが。
護衛も衛兵もほぼ全滅である。
船乗りたちは集団だが、突撃は船長だった海賊パーランド単騎。
それはおそらく、悪のカリスマによる集団スキルを維持するための作戦。
部下の数に比例し乗算されるバフによってこの力なのだ、分母を減らすわけにはいかないのだろう。
だから単騎で無双する。
意外に理にかなっている。
だが。
準備は既に整った。
「さて、それではこれはどうです――どうか耐えて見せてくださいね」
「は! こけおどしを!」
私が先ほどから飛ばしている魔法陣から発生させたのは、まぶしい程の光。
ただでさえ明るい日差しを、更に強く照らす日光。
光が、港を包む。
「日陽拘束魔術:【太陽呪縛】」
カァァァアアァッァ!
と、光が周囲を豪雨のように。
痛い程に照らし出す。
パーランドだけは、それに気が付き。
吠えていた。
「光属性の拘束魔術だと!?」
魔術構成を見破ったのだろう、慌てて光を遮断する煙幕を発動させるも――まともに転倒しかけたパーランド。男は地に伏す直前でギリギリ体勢を整え、喉の奥が覗けるほどに口を開き。
驚愕の中で叫ぶ。
「なにをしてやがる、てめえら! 逃げろ!」
「お、おかしら!?」
「いいから――っ、光に照らされたら終わりだ! 海に飛び込みやがれ!」
本当に、この男は強いのだろう。
だから一人だけ、この魔術の恐ろしさに気が付いていた。
けれど、もう遅い。
魔王からは、逃げられない。