第55話 見知らぬ再会―シュヴァインヘルト―
私達の旅路は初手で躓き、立ち往生。
いざとなったら無視して転移で逃げることを決めた私は、かつて冒険者ギルドの従業員時代に会得した笑顔で。
にっこり。
疑われてしまっているので仕方なく私は前に出て。
カルバニア貴族のしぐさで、スゥっと礼。
「どなたか存じませんが、誤解をさせてしまって申し訳ありませんエルフの貴婦人様」
「このワタクシを知らない!? どういうことです? 豪商ヴィルヘルムといえば全てのエルフが畏れか尊敬を抱く筈ではありませんか?」
豪商貴婦人を知らないだと?
と。
周囲の取り巻き、豪商ヴィルヘルムの護衛騎士たちは露骨に私を睨んでいた。
どうやらエルフの血が混じっているのなら、知らない方がおかしい扱いのようだが。
「そうなのですか? 船長さん?」
私は船旅を共にした大男の船長を巻き込むことにした。
積み荷のチェックを受ける船長が振り返り。
「なんだ坊主、本当にあの豪商ヴィルヘルム。鬼陛下を知らねえのか?」
「ええ、私はカルバニアの出身でして――あの地はつい半年ほど前までは魔術を捨てていた帝国。鎖国に近い状態となっていましたからね、冒険者ギルドはありましたが、寂れていましたし……。外からの情報があまり入ってこなくなっていたのですよ」
「大帝国カルバニアか、そりゃあ無理もねえな」
船長が豪商ヴィルヘルムに頷く。
「そう! まあ! そうなの! ふふ、豪商貴婦人なんて呼ばれているけれど、まだまだ勉強と努力が足りていないという事ですわね。ワタクシももっと名が知れ渡るぐらいに頑張らないと」
「参りましたな……。そりゃ……いつかはマルキシコス大陸にも陛下の名も伝わるでしょうが、あまり暴れないでいただきたい。あちらで暴れられた場合、あなたを御連れした船は永久に出禁になるでしょうし」
「あら、船長さんも心配性ね。暴れたりも無理もしないわよ、エルフ関連の人身売買さえなかったら――の話ですけれどね」
ほほほほほほっとモフモフ扇で顔を扇ぐ豪商は輝いていた。
長寿エルフということもあり既にかなりの高齢なのだろうが、時の流れが穏やかなエルフなので見た目だけなら三十代後半。
なんだなんだと周囲がこちらに注目し始める。
豪商貴婦人の取り巻きが、主人の張り切りに露骨に頭を抱えている。
商才や行動力はあるが、それがたまに暴走するタイプの貴婦人なのか。
街の衛兵たちの目からすると、どうやら本当に有名人らしい。
もっとも、それがこの沿岸国家クリスランドでの有名人なのか、この大陸全体の有名人なのか、他の大陸でも名をはせる有名人なのかは分からないが。
私が言う。
「すみません、私はどうも世間知らずなようで――その見地を広げるためにもこうして彼女と旅をしているのでございます」
「そう、ワタクシは彼女にも聞きたいことがあったのです。この坊やはエルフの混血に思えるのですが……。この坊やとはいったい、どのようなご関係で?」
私はようやく察した。
豪商貴婦人ヴィルヘルムはおそらく、エルフの人身売買に敏感。
ようするにアシュトレトは疑われているのだ。
人間にとっては私の姿は青年。既に独り立ちした冒険者に見えるだろうが、エルフならば別。
エルフにとっては子どもや少年に見えるハーフエルフの私を連れ歩く女神が、豪商にとってはハーフエルフの子どもを金で買った、悪趣味な金持ちに見えているのだろう。
魔術会話で言う。
『アシュトレト、どうやらあなたはハーフエルフの少年を”買った”下劣な女性と思われているようですね』
『買ったとは言わぬが、まあそう間違ってはおるまい。なにしろそなたをこの世界に誘拐しているわけだからのう』
『おや、まだ気にしているのですか?』
『多少はな。人間だったそなたを転生させた……妾たちがしたことは、おそらく悪であろうとは自覚をしておる。罪を自覚する妾は、とても美しかろう?』
反省も自覚もあるが、それ以上に言いたいことは最後の一文だったのだろう。
私自身はもう、転生時のいざこざは気にしていない。
ダゴンもバアルゼブブも気にしていない。
けれど。
アシュトレトだけは、なぜかいまだに気にしている。
その感情が、私には理解ができない。
きっと、ダゴンもバアルゼブブも同じだろう。
ともあれだ。
口封じ魔術でアシュトレトは沈黙状態。
誤解を解くべく、言葉を選ぶように私が言う。
「この者は母ではないのですが少々、頭の方が……その、他人とは少々違っておりまして」
「頭? 状態異常の一種なのですか?」
「いえ、彼女は、その……色々と残念なのでございます」
「残念?」
あえて深くは語らず、相手の想像力に任せる作戦である。
デリケートでセンシティブな空気を読み取ったのか。
貴婦人は憐れみをこちらに向け。
「そう、お可哀そうに……。坊やもまだお若そうなのに大変ですね」
「慣れておりますので」
ここで疲れても頑張る十五歳の少年の顔である。
男女問わず、貴婦人の護衛エルフたちの半分は今ので撃沈していた。
この顔も、他人を狂わせる私の性質も、エルフ相手に効果が適用されるようだ。
「それでなるべく早く宿を取りたいと思いまして、いつ終わるのかを眺めていた次第なのですが、審査が終わる気配はなく。入国審査の列が治まるまで……室内で休もうとしていたのです」
「そう、うーん……まあ確かに筋は通っているけれど。なにか引っかかるのよね」
豪商貴婦人ヴィルヘルムは訝しんだままである。
むろん、私とアシュトレトはこの世界にとっても異物過ぎる存在なので、その引っ掛かりは正しい反応。
勘が良いのだろう。
「まあいいわ。船長さん、彼らを先に入国させることはできないの?」
「できなくはないのですが――」
と、船長は言葉を濁し困った顔。
「坊や、悪いけれどチケットを拝見しても?」
「ええ、どうぞ」
「あら? これ――クリームヘイト王家が発行している正式なVIPチケット。しかも本物じゃないの。なに? 坊や、そう見えてビップなの?」
むろん、一般人ならばそんなものは所持していない。
疑いは継続している。
値踏みするように私を眺める貴婦人に苦笑し、私は背伸びするような、少し大人ぶる子供を演じて。
「実は勇者ガノッサ様と少し縁がありまして……」
「斧勇者ガノッサ殿と!?」
護衛も衛兵もあからさまに驚愕していた。
さすが腐っても勇者。
その名はかなり使えるようである。
「ええ、それで私自身は大した存在ではないのですが……勇者様の奥方様と知り合いでして、その言いにくいのですがコネというか……非合法と言いますか。このチケットも勇者様を通じてクリームヘイト王家の方に、運よく譲っていただけたモノなのです」
「勇者様を通じてクリームヘイト王国で……ですか。なんだか取ってつけたような流れですね……」
この貴婦人。
勘が良すぎる……。嘘を見抜く魔術を使っていたとしても、私ならばそれを無効化できるのだが。
そのレジストそのものが疑われているという、本末転倒な事が起こっている可能性はあるか。
貴婦人はさらに強い眼光で私を、じぃぃぃぃぃ。
「あの王国では大きな騒乱があったと、聞いておりますが、坊やは何かご存じ?」
「噂では海竜が現れたと聞いております。もしかしたら大陸神マルキシコス様が治める大陸でなにかあったのかもしれませんね」
嘘は言っていない。
だが。
貴婦人は疑いのまなざしのまま、目を細めている。
もう私は確信していた。
これは例のアレ。
英雄気質の存在が、本人も後で驚いてしまう程の過敏な行動をしてしまう現象。
魔王たる私に過剰反応してしまう、いつものパターンだろう。
別に何かやらかしたわけではないので、こちらに問題はないのだが。
別の問題が一つある。
それは二柱の女神。
私の影の中でダゴンが、煩いエルフですわねと、うふふふふふ。
バアルゼブブも、めんどう……、うるさい……、消しちゃう……?
と、呟き始めているのだ。
今は昼だからいいが、黄昏時になったらこっそりと豪商ヴィルヘルムとやらを、ぱくり。
頭から食らいに行く可能性が本当にある。
人型の存在はあまり食うなと諭しているが、今回は言うことを聞きそうにない。
こんな偉そうなエルフを消したら確実に騒動になる。
豪商貴婦人が疑いを向けたまま、しかし何か危機を感じ取ったのか。
「何か王家で犯罪をおかし逃げて来た、そういうわけではないのですね?」
「はい――大陸神マルキシコスに誓って」
「魔力を伴った神への誓いもできる、か。じゃあ白ね。しかし怪しいのも事実。あなたがたへの疑いを晴らすという意味でも監視下に置かせていただきたい、よろしいですね?」
よろしくない。
どうしたものかと悩む私に声をかける存在があった。
「どうかお待ちいただきたい――緑森のエルフ。豪商ヴィルヘルムよ」
と。
◇◆
立ち往生の港にて。
割って入ったのは一人の長身痩躯の男性エルフだった。
特徴的なのは少し疲れたような顔と、その顎の無精髭か。
精霊や妖精を彷彿とさせるエルフの美形には似合わないヒゲが、男エルフの顔に世俗的な印象を与えているのである。
軽戦士という言葉や、侍と言った言葉が似合いそうな立ち居振る舞いだが……。
少なくとも偉そうなエルフに声をかけるだけの実力、または根性はあるようだ。
何故か男エルフは私たちを守るように、貴婦人エルフとの間に立ち――。
外套を、ばさり。
短文詠唱で、不可視の強力な結界を展開。
私たちを守っているつもりのようだ。
豪商ヴィルヘルムも結界に気付き――。
「あら、見事な防御魔術ですね。その気配に、その魔力。よその集落のエルフと見ますが――何者です」
「――さすがは鬼陛下の慧眼だな。いかにも、僕は貴殿の領域外にあるエルフ。あいにくだがヴィルヘルムよ。貴殿の傘下ではないということだ。その言葉の意味は言うまでもないだろう」
「敵対も辞さぬ、ということですね。まあそうですね、確かに別の集落のエルフに命令する権利もありません。でも、そうね。一人の女として、女性に対するあなたのその態度は気に入らないわ――名乗りはないのかしら?」
どうやら集落の違う者。敵対しているエルフのようだが。
女性に対する礼儀となると、確かに男の方は義を欠いていただろう。
ちっと零れかけた舌打ちを噛み殺し、男は言う。
「僕の名はパリス。パリス=シュヴァインヘルト」
「――シュヴァインヘルトですって!?」
「賢き豪商殿のことだ、そう言えば分かるであろう?」
男はニヒルに嗤っている。
「そうですか、あなたがあの……、青き森のエルフ。シュヴァインヘルトの一族は人間たちと共存したと聞きましたが……あの噂は本当だったのですね。此度の海竜騒動、あのドラゴンの奇行ももしや、あなた方の仕業なのですか?」
「海竜に、奇行だと?」
「ええ、なぜか海竜たちはこの船にお辞儀をしていた――それも列をなして、集団で」
パリス=シュヴァインヘルトと名乗った男は何故か私たちに目をやり。
はぁ……。
疲れを隠さぬ表情で、通った鼻梁を押さえていた。
貴婦人が言う。
「どうやら、心当たりがおありのようですね」
「おそらくの理由はな――」
「事情を説明していただけますね?」
「否――だがあの海竜たちにも、ここにいる彼らにも、貴殿やこの船に敵意がなかったとだけは証言しよう」
「人間との共存に堕ちた青きエルフの一族を信じろと?」
「邪推だな。こちらは真実を語っている。ウソを見抜く女狐の魔術を使って貰っても構わない」
「無効化するつもりのくせに、よくもまあ言えますね」
睨み合う鬼陛下と男。
その視線がぶつかり、バチバチバチと音が鳴っているような気さえしてきた。
「貴殿らがこの御方――白銀の賢者殿と事を構えるというのなら、僕たちも動かねばならぬ」
僕たちということは他にもエルフが紛れているのだろう。
驕るようで恐縮だが、事実として……。
正直、私にとっては見抜く必要もないノイズ。この船に乗っている存在や港で待機している人間もエルフも、全てが雑魚に見えてしまう。
区別などまったくついていない。
貴婦人ヴィルヘルムはパリス=シュヴァインヘルトではなく私に目をやり。
「坊やも全ては語ってはいないということですね。白銀の賢者と呼ばれているようですが、そうですね、あなたにお聞きします。シュヴァインヘルトとはどういうご関係かしら」
「緑のエルフになど言う必要はないぞ、賢者殿」
またバチバチである。
同種族のいざこざに巻き込まないで欲しいのだが。
ハーフエルフの少年としての演技を捨てた私が言う。
「何やら勝手に盛り上がっているようですが、反応に困っております。そもそもヴィルヘルムやシュヴァインヘルトと言われても意味が分かりません」
「賢者殿、どうか気を抜かないでくれ――この緑髪のエルフは僕らシュヴァインヘルトの天敵、緑森を金で支配する暴君にして豪商。北大陸の経済の半分を牛耳っている、守銭奴だよ」
「それで、あなたは?」
問いかけに、何故かエルフの男は訝しみ。
エルフ特有の幻想的な精悍を尖らせ。
「どういうことだ――僕を覚えていないのか?」
「まあ、人の顔を覚えるのは苦手なので」
正確に言うのなら、魔王に覚醒したことで、人類の個体識別が苦手となったのだが。
アシュトレトが魔術会話で、私にこっそり。
『こやつ、クリームヘイトにおったギルドマスターであろう。ほれ、王にまで噛みついておったのがおっただろう。一応は民の避難に協力をしておったようだからな、善人ではあると思うぞ?』
「ああ、あの時のエルフですか――」
なぜクリームヘイトのギルドマスターがここに?
と悩みながらも私は思う。
どっちも撒いてしまおうと。
「私はエルフに関して詳しくないのですが、エルフの先達たるお二人にお聞きしても?」
「ああ、構わぬ」
「ええ、どうぞ坊や」
話を遠巻きに聞いていた船長の影を魔術でこっそり縛りながら。
私は船乗りたちが亜空間に隠してある空間の荷物。
わずかな生命反応のある積み荷を指さし。
「エルフとは、仮死状態にされたままアイテムボックスで運ばれる存在なのですか?」
「なんですって!?」
「あの船内で地図担当が扱う地図表示魔術を使用すると、奇妙な空間がありましたからね。おそらくはそこで運んでいたのだと思いますよ」
告げて私は船長に目をやり。
「もしかしたら海竜たちはそれを伝えていたのかもしれませんね」
指摘に――周囲はザワついた。
この船がエルフを密輸し運んでいた事実を指摘し。
騒動が起こっている間に逃げようという作戦である。
船長が吠える。
「おいおい、坊主。あまりてきとうな事を言って大人をバカにしちゃあいけないぞ」
「勘違いならば謝りますし、慰謝料……誠意をもって金銭も支払いましょう。ですので、豪商貴婦人ヴィルヘルムさん、でしたか。言い出した私では疑われるでしょうし、あなた方に確認して貰うというのはいかがです?」
豪商貴婦人は頷き。
「いいでしょう。構いませんね、船長殿」
その瞬間。
殺意が周囲を囲み始めた。
相手は船乗りたち、ほぼ全員――それが答えだったのだろう。