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第53話 初手騒動


 漂うのは、揺れる波音と潮の香り。

 大海原の上は、陸に生きる生物にとっては未知の領域。


 港町エイセンから、別大陸に栄える沿岸国家クリスランドを目指す船は、揺れに揺れた。

 快適とは言えず――船頭たちには悪いが気分は沈むばかり。


 地に足がつかない状態というのは、人間にとっては不安定な状況。

 そう。

 この見果てぬ海面は、我が魂すらも大きく揺らしていたのだ。


 魔王たるこの私レイド=アントロワイズは思う……。

 そもそも飛行や転移で移動すればよかったのではないか、と。


『なんじゃ妾の夫レイドよ、船酔いか?』


 船内の倉庫区画で口を押さえ、うっぷ。

 吐き気を耐える私に声をかけてきたのは、貴族のパーティドレスを纏う見た目だけなら美しき女性。

 同行者であり三女神の一柱、昼の女神アシュトレトである。


 おそらく曇っている顔で私が言う。


「慣れない乗り物で、少し気分が悪いだけです……」

『ふふ、そなたは負けず嫌いよのぅ。それを船酔いというのであろうて』

「船酔いとは状態異常に分類されないのですね……まさか、この私の耐性を貫通してくるとは……」

『うむ! そうして弱っている姿もなかなかどうして愛らしいではないか!』

「どうやら、本気で言っているようで質が悪いですね……」

『そう怒るでない。これでもそなたに気を遣い、弱るそなたの姿を魔導スクリーンで保存するのは遠慮しておるのだ。この昼の女神たる妾の寛容さに感謝するべきであろうな?』


 するべきであろうな?

 と、再度強調するアシュトレトに私は眉間のシワを増やすのだが……。

 その眉間のシワも精悍となるおのこの片鱗と、女神は私の眉間を愛おしそうに撫でるばかり。


 はぁ……と、私はため息に言葉を乗せていた。


「魔導スクリーンという言葉を私は知りませんが、どうせ写真のようなものなのでしょう?」

『おお! よく分かったのぅ、その通りじゃ!』

「ならば、感謝する以前の問題として、船酔いで弱っている者を撮影しないことなど常識の範疇。まったく褒められることではないでしょう……」

『そうかのぅ? 妾がせっかく遠慮したというのに、つまり、そなたを撮影してよいと?』

「アシュトレト……最近のあなたは少し、おばちゃん臭くなりましたね」


 見た目だけは美しいが図々しいおばちゃんのようだと、チクり。

 嫌味を飛ばしたのだが。

 アシュトレトは全く気にせず――。


『敢えての罵倒のようだが――甘いのう。好きなだけ罵るが良い。妾にはこの美しさがある、他の全てがたとえどう澱んでいたとしても、ただ一点、美さえあればすべてが許されるのじゃ』

「あなたを甘く見ていました、おばちゃんはおばちゃんでも関西に生息する上位種ですね……これは」

『ふむ! 妾はどのような分野でも上位、よく心得ておるではないか!』


 どんな皮肉も誉め言葉に受け取る。

 最強すぎる女神に私は辟易としつつも、まじめな声を上げていた。


「本当に、このようなスローな船旅に何の意味があるのです?」

『なんだ、レイドよ。人生の意味を問うとは、禅問答でもするのであるか?』

「あなたはどうしてそう、前向きというかズレているというか……人生について問いかけているわけないでしょう。どうせ北大陸に向かう事と到着することは決定しているのです。結果が同じならば船旅の必要などない、違いますか?」

『まだまだ子供じゃのう。人生とは過程が大事なのだ』

「だから人生ではなく、無駄な航行時間を私は問題視しているのです」


 私は船酔いの中でも指で無をなぞり。

 計算式と図説を表示してみせる。


「北大陸に到着するまでの時間はおよそ半月、二週間ほど。対して飛行魔術ならば、どれほど減速しても三日で着きます。転移魔術ならほぼ一瞬。明らかにこの船旅はロスです」

『しかし、そなたと旅をするという思い出は作れようぞ』

「思い出の価値と時間のロスと、どちらが上か議論をしろと?」

『そうは言ってはおらぬ。しかし、妾はこうして船旅を楽しんでおる。ただ、少々この船は貧相じゃ。神たる妾を乗せる船ならば本来ならば豪華客船にせよと言いたいところであるが、我慢をしておる。おぬしが我慢をしているように、妾も我慢をしておる。それで良いではないか』


 そもそも移動手段を選んだのはアシュトレトなのだが。


「あなたが自らの所有物として簒奪さんだつした土地……あの空中庭園は浮かべた領土ごと私たちを追従しているのでしょう?」

『うむ、蟲に脳を支配されたままの、中の下僕どももちゃんと屋敷で働いておるぞ? おぬしが救った暗殺者やあのネコもちゃんとおる』

「私もそちらで待機をします。現地についたら教えてください、降りてきますので」

『それは駄目じゃ。船旅をするのはダゴンもバアルゼブブも承諾しておるし、どうせ急ぐ旅ではない。そうじゃ後で共に釣りをしようではないか!』


 いまだ止まらぬ船酔い。

 対策をしていなかったウップスの中で、更に私は眉間に濃いシワを刻み。


「魚が欲しいのならダゴンにお願いすればそれこそ入れ食い状態でしょう……」

『釣りとは技術と知恵がいる一種のスポーツ。愛する者と海で釣りをするのが良いのではないか!』

「そういうものですかね……まあ、確かに釣り自体には興味もありますが」

『ならば問題あるまい』


 言って、アシュトレトは私の腕を引き倉庫区画から外へと向かう。


 時刻は昼。

 潮の香りが鼻孔を擽る。

 本当に、昼の女神アシュトレトは楽しそうだった。

 彼女の人間味は日に日に増している。


 この世界の海の魚をどう釣るのか、興味もあるのは事実。

 私も釣竿を生成、召喚しようとした矢先だった。

 甲板へと顔を出す手前にて、濃い違和感が襲っていた。


 騒がしくしている船員たちを一瞥し、私が言う。


「外でなにかあったようですね――」


 魔王たる私は存在するだけで周囲を狂わせたり。

 その人生に影響を与えがちであるが、さすがに今回の件は私とは関係ないはず。

 絶対に私は関係ないという自信のもと、私は騒動の場所へと向かった。


 物見遊山というやつである。


 ◇◆◇◆


 甲板に出ると、そこには人の群れ。

 客も船員も船長も皆が揃って、がやがやがや。

 誰しもが海の向こうを指さし、なんだあれはと息を呑んで遠くの水面を見守っている。


 その列を掻き分け、ススススス。

 タイムセールの波に巧みに入り込んでいくおばちゃんの如き、人影がある。

 アシュトレトである。


「お待ちなさい、なにをするつもりなのです」

『決まっておろう、釣りであるが?』

「この騒動が見えないのですか――」

『ふむ、まあ問題なかろうて』


 問題だらけなのだが、価値観の違いのせい……。

 というよりは、アシュトレトが無神経なのだろう。


「面倒が起こっている時に平然と釣りをすれば、どうあっても目立ちます」

『妾は目立っても問題ないぞ?』

「私が嫌なのです」


 そもそも私たちは存在するだけで目立つのだ。

 実際、もう少ししたら見張り台の上から声が降ってくるだろう。

 案の定だった。

 双眼鏡を手に海面を監視していた船員が私たちに向かい、叫んでいた。


「お客さま! 緊急事態であります、どうか船内にお戻りください――!」


 私たちではなく他の客。

 美形の護衛騎士を数名従えている一団の主、高齢なエルフの貴婦人が言う。


「海の男が取り乱して、みっともない。落ち着きなさい! 船長、一体、なにがあったというのですか?」

「か、海竜の群れが」

「――海竜の群れですって?」


 貴婦人は緑色の髪を魔力で膨らませ、魔術を発動している。

 おそらくは魔物を感知する、索敵の類の魔術だろう。

 モフモフな扇で口元を隠し、考え。


「あらま。本当に海竜の群れのようですね。確かに……かつてこの海域には海竜の国があるという噂がありましたが……よもや、海竜が襲ってきたというのですか?」

「い、いえ――それがなぜか、編隊を組んで我らが船に向かい頭を下げ礼を尽くしているようで……」

「はい? 何を馬鹿な事を言っているのです、白昼夢でも見ているのですか?」

「本当なのです! ただでさえドラゴンなんて珍しいっていうのに……っ、あんな行動、見たことがありません! 信じてください! 間違いなく、敬礼のようなナニカをしているのです!」


 船長の叫びに、私とアシュトレトは目線を合わせる。


 むろん、おそらく……。

 というか、確実に私たちのせい。

 あれはおそらくただの見送り。


 前回の騒動を引っ掻き回した私たちが船に乗っていることに気が付き、必死に、敵意がないことを示しているのだろう。


 しかしそれは船員やこのエルフたちにとっては、ドラゴンの集団奇行。

 かなり混乱させているようで――。


 貴婦人を守るエルフの騎士団は顔を引き締め、隊列を組み防御魔術の詠唱を開始。

 守られるエルフの貴婦人もシリアスな顔で、じっと海竜の列に目をやり。

 荒れる海風に乗せた緑髪を靡かせる。


「天変地異の前触れとでもいうのでしょうか」

「分かりません、分かりませんが――これは、明らかに異常です!」

「そうね、すぐに対処しなくてはならないでしょう――場合によっては、死者が出るやもしれません。非戦闘員の速やかな退去を、急ぎなさい!」

「は、はい!」


 ドラゴンたちが明らかに私を見て頭を下げ始めたが。

 私はそしらぬ顔で、目線を逸らすのみ。

 こう思うのだ――このまま気付かなかったことにしよう、と。


 アシュトレトもまたマイペースなまま。

 ただの見送りを災害の前触れと慌てる周囲に構わず。

 光る釣り糸を海面に垂らし始めていた。


 私達の旅は新大陸につくより前、大海原で既に混沌。

 どうやら、もう面倒ごとに巻き込まれてしまったようであるが――まだ間に合う。

 やはり澄まし顔のまま私も釣り糸を垂らし、状況を無視。


 海竜たちがレイド様、どうかお元気でと古代の竜の言葉で語りだしているが、スルー。


 あれは魔術の詠唱!?

 聞いたことのない言語だわ! と騒ぐ皆を気にせず。

 どう無関係を装うかに、私は意識を集中させた。

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― 新着の感想 ―
[一言] ここは関西おばちゃんの真似をして無関係を装ってやり過ごしましょう! ええ、それがいいです!
2024/03/12 13:36 退会済み
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