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第49話 諸悪―マルキシコス大陸―


 大陸の生きとし生ける者は驚愕していただろう。


 この大陸での主神マルキシコスが見下ろす場所。

 正体を知られてはいないが魔王たる私と、そして正体を表した海竜の貴婦人が佇む城内。

 まともに動けているのは王族と、エルフのギルドマスターぐらいか。


 後の歴史に神の降臨と刻まれることになるだろう、この混乱のさなか。

 邪杖ビィルゼブブの石突で床を鳴らし。

 私が言う。


「伝承や言語すら変わる程の時が過ぎても、海竜たちがまっすぐにこの城に向かっている理由。それこそがあなたがたの存在、この王国に打ち込まれたいかりともいえる海竜の血を目印にしているのでしょうね。古文書の記載よりも早く、あなたがた姉妹はクリームヘイト王国に潜入し、様々な悪事を働いていたということですか」


 魔力を隠さなくなった王妃はまるで狐のように瞳を細め。


『あら、それは誤解ですわ賢者様』

「おや、これは失礼。てっきりあなたを目指して進んでいるものだと思っておりましたが」

『ワタクシと姉は海竜王たる陛下がこの地を目指すためのアンカー、それは正しいご賢察です。ですが、それ以外の悪事は何もしていないのです、ワタクシが何もしていなかったのは賢者様とてご存じでしょう?』

「まあたしかに、あなたは良い意味でも悪い意味でも何もしていなかった――」


 だからこそ、腐っていく娘の現状すらも気にもしていなかった。

 王妃が初めて王妃たる威厳をもって告げる。


『人間の皆さんもどうかご理解ください。ワタクシは本当に何もしていないのです、この王が愚かだったのも、ショーカちゃんが愚かだった事にもワタクシは関与しておりません。全てはあなたがた人間自身の過ち、彼ら自身の責任なのです。その醜さが人間の本質。下劣な人間の衰退まで海竜のせいにされては困ります』


 人々の口からざわめきが漏れ始める。

 本当かどうか、判断できないのだろう。


「海竜の味方をするわけではないですが、彼女は嘘を言っておりませんよ。彼女は何の魔術もスキルも使ってはいなかった。ただ、勝手に腐っていくあなたがたを眺めていただけ」

『ありがとう存じます、賢者様』

「感謝など要りませんよ、あくまでも事実だと承認したのみ」


 ピスタチオ姫に守られながらもショーカ姫は必死に叫んでいた。


「お母さま、どうして……っ、どうして!」

『あらどうしたの、ショーカちゃん』

「なんで……! お母様は! お母様は! 意味が分かりませんわ!」


 その姿は母を求めて訴え泣く小さな乙女。

 けれど、母は乙女を冷めた瞳で眺めている。


『ショーカちゃんには本当に悪いとは思っているのよ? ごめんなさいね、けれど、ワタクシはどうしてもあなたを愛せない、かつて海竜王陛下の息子、つまりワタクシの兄を食らった一族の末裔なんですもの。優しかったお父様とお兄様を裏切り、兄を食らい、力を得た卑劣な男の血が繋がっているんですもの。愛せるわけ、ないわよね?』

「それでもショーカは!」

『それが気持ち悪いと言っているのです。なぜ分からないの?』

「ショーカはそれでも、お母さまの娘なのです! 頑張ったらお母様がショーカを見てくれるって、おかあさまがわたしをちゃんと見てくれるって。そう信じて、そう信じてショーカは……っ、ずっと!」


 涙の粒すら飛ばして叫ぶ娘の吐露。

 それは外道な姫と蔑んでいた多くの人間たちの感情を揺さぶっていた。

 幼いころから愚王と無関心な母に心を揉まれ、野心家に利用され続けた姫の孤独の一端が伝わっていたのだろう。

 悪に落ちても、そこには理由があったと。

 しかし。


 王妃は言う。


『なら返して頂戴。契約を破って食べてしまった、ワタクシのお兄様を返して頂戴。壊れてしまったお父様を元に戻して頂戴』


 古文書に書かれていた食われた海竜こそが、王妃の兄。

 海竜王の息子なのだとしたら。

 つまり王妃は、海竜王の娘という事になるのだろう――。


「だって、それって、ショーカが生まれるより、もっと、ずっと前の」

『ええ、千年以上は経っているわね。けれどドラゴンは長寿、昨日の事のように、とまではいわないけれど……ついこの間の思い出なのよ? ギルドマスターさん、エルフであるあなたなら分かるわよね?』


 別大陸の神の加護を受けるエルフのギルドマスターは応じていた。


「王妃よ――貴殿の言葉は理解できる。僕も二百年前からずっと、探している人がいるからね。けれど、それが実の娘に対する正しい態度だとは思わない」

『そう? ドラゴンにとっては娘も息子も道具みたいなもの。仲間意識は兄弟姉妹間にはあるけれど、親は絶対で、子は血を繋ぐための道具。エルフとドラゴンじゃあ価値観が違うのね、きっと』

「海竜王はこの国を滅ぼすつもりなのですかな」

『ええ、お父様はけっしてこの国を許さないし、許せない。竜の逆鱗って言葉をご存じかしら?』


 エルフのギルドマスターが理解した様子で、目を伏せ。


「竜の逆鱗とは【永久憤怒】状態。竜は一度本気で怒りを覚えたら、その怒りを取り除くまでは生涯を賭しても暴れ続ける。自分で自分を制御できなくなる……つまり、海竜王陛下は」

『ええ、もはや仲間であっても押さえられないほどに暴走していらっしゃるわ。それが竜の性質。この国を滅ぼすまではその怒りが終わることはない。逆鱗は止まらない』


 前髪を垂らした王妃はぎょっとするほどの様相で娘と人間を一瞥した。

 疲れた声と顔で、そしてなにより自暴自棄な表情で。


『実の娘をこの国を滅ぼすためのいかりの花嫁として侵入させる程度には、ご立腹ですもの。ワタクシも結局は復讐の道具……。早く終わって欲しいと願う事しかできない、被害者よ。だからね――あなたを愛せないのよ、ショーカちゃん』


 それが海竜としての言葉だったのだろう。

 娘に対する声にしては、憎悪に満ち過ぎていた。

 私が言う。


「何故そこまで娘を嫌うのです。あなたの姉、ピスタチオ姫の母上は違ったのでしょう? 彼女はおそらく、ピスタチオ姫を娘として愛していた」

『ええ、そうね。敵との間に生まれた子を愛してしまう愚かな姉でした』

「悲しいですね、子を想う気持ちを愚かと言いますか」

『だって、そうでしょう? 敵対種族の王の子を愛してしまっただなんて、笑ってしまうじゃない。愛? 冗談じゃないわ。そのせいで姉は死んだ。この醜い猿の子を孕むのは計画通りだったからいいのです、まあ、ワタクシたち姉妹のどちらか片方が子を作る筈でしたが、まさか同時に手を出してくるなんて思ってもみなかったけれど――』


 正式な王妃となっていたピスタチオ姫の母との生活の裏。

 今の王妃、ショーカ姫の母にも手を出していた。それもまた王の不逞の一つなのだろう。


 王妃がスゥっと顔を上げ。


『大陸神マルキシコス様。我等海竜は正当な復讐としてこの国を滅ぼします、よろしくて?』

『可能かどうかは別とし、汝等がかつてのクリームヘイト王に契約違反を起こされ同胞を食われたのは事実。我は汝らの行動を止めはせぬ。それはクリームヘイトの命たちが自らで蒔いた滅びの種。そこを神として救うのは神の理に反する行為と認識している』


 クリームヘイトの民が揺れる。

 特に聖職者の祭司長にとっては全身が震えるほどの衝撃だったのだろう。

 神からの重い言葉、厳しい神託、受け入れがたい言葉となっていたようだ。


「神よ! 我等を見捨てると仰るか!」

『我は命じた、レイド=アントロワイズには手を出すなと。なれど、汝等は我の介入がなければ神託を無視し、全員で襲うつもりであった。その罪は見過ごせぬ。海竜の姫よ、汝等がこの地を滅ぼすもよし――なれど、その時は我に忠誠を誓え。これから汝等が我を神と崇め祀るのならば――我は海竜を正式な我が眷属と認め、この地を汝等の王にくれてやろう。第二の人類として、この地を統べるがいい』

『ありがとう存じます、大陸神マルキシコス様』


 王が吠える。


「我等を、いや人間を見捨てるというのか!?」

「それは違いますよ、クリームヘイト王陛下」


 私は口を挟んでいた。


「何が違うというのだ!」

「マルキシコスによる大帝国カルバニアの加護はそのままでしょうから、人間種を見捨てるのではなくクリームヘイトを見捨てるという事でしょうね。それに、神は人以外も祝福し恩寵を与える存在。事実、エルフであるギルドマスターは人間でなくとも恩寵を受けているではありませんか」


 ぐぬぬぬっと顔を曇らせる王に追撃するように私が続ける。


「まあ民を想うのならば即座に海竜に降伏し、この地を海竜に明け渡し去ればいいだけの事。魔王アナスターシャによる洗脳が解けた今の大帝国カルバニアの皇帝ならば、無辜なる民のみの移民であれば受け入れるでしょう。私は鬼でも悪魔でもありません、カルバニアの皇帝に話を通しても構いませんよ」

「初めからそれが目的だったというのか!」

「どうしてそうくだらないことを言えるのです。あなたがたがどうなろうが興味などありませんよ。なによりそれだけの価値がない」


 この王では話にならない。

 私は海竜の王妃に目をやり。


「海竜王陛下は降伏を認めて下さると思いますか?」

『心からの降伏と、クリームヘイト王家の血筋を全て贄と捧げるのならば、おそらくは――その怒りも治まる事でしょうね』

「全員、ですか……」

『ええ、全員です。なにしろ陛下は、お父様は既に悪鬼羅刹、人間に裏切られた怒りと所有物たる息子を食べられてしまったことでその性質を変えてしまった。優しかったお父様ではなく、クリームヘイト王家を断罪する逆鱗の怪物へと成り果ててしまった。もはやワタクシたちにも、誰にも止められませんのよ』

「というわけですよ、皆さん。海竜は王妃殿下を目指しまっすぐにこの城へと向かっている、戦う事も選択ではあるでしょうが――あなたがたは私の提案した事前準備を怠っていた。おそらく、もうピスタチオ姫の海洋魔術でも遅い。王妃殿下が邪魔をするでしょうからね」


 状況的には詰み。


「降伏するのなら早いうちの方がいいでしょう。どうしますか?」


 妹を守っているピスタチオ姫が言う。


「お義母さまに質問があります、よろしいでしょうか」

『なあに、ピスタチオちゃん』

「海竜王陛下を元の優しい海竜王に戻すことができたのなら、この戦いを終わらせることができるかどうか。ピスタチオはそれが知りとうございます」

『元に戻すなんて無理よ……信じていた人間から裏切られたあの日から、お父様は変わってしまった。封印されたことによりますますその心を閉ざしてしまわれた。もう、あの日には二度と戻れない。もう、誰にも止められない。お父様を元に戻すにはあなたたちクリームヘイトの血を全て絶つしかないのよ』

「答えになっておりませんわ」

『なっているじゃない』

「いいえ、もし元に戻せたら、仮定の状況についてのお答えを貰っておりません!」


 ピスタチオ姫の声は強かった。

 まっすぐだったのだ。

 そこに姉の面影でも見たのか、王妃はわずかに感情を覗かせて告げる。


『そうね……もし仮に、本当にお父様の正気を取り戻すことができたのなら。あの日の悲しい裏切りによって悪鬼羅刹と成り果ててしまったお父様ではなく、前のお父様に戻ったのなら、少なくとも滅ぼす前に交渉の席に着くことはできるでしょうね』

「ありがとうございます。ならば答えは一つですわね」


 ピスタチオ姫は私に跪き。


「依頼がありますの」

「おや、私にですか?」

「ええ、バアルゼブブ様からお聞きしております。あなたはかつて家族を王位継承権の争いに巻き込まれ、殺されたと」

「彼女が話したのですか……それでは、あなたは彼女とそれなりにうまくやっていたのでしょうね」


 人見知りの傾向にあるバアルゼブブともうまく会話ができた。

 それは独特な環境に身を置いていたピスタチオ姫の、悲しい処世術がなせる業だったのだろうが。


「それで、私の家族がどうかしたのですか?」

「話は少し変わりますが、賢者様は生贄の価値というものをご存じでしょうか」

「ええ、生贄にはランクが存在する。捧げる存在の希少性や能力が贄の価値を高める、より高度な魔術の対価として利用できるという話ですよね。先ほど、あなたがショーカ姫を守ったのも、王妃殿下がショーカ姫を抱き去り……海竜王への生贄にしようとしていたからでしたし」


 告げた事実にショーカ姫の顔は崩れるが。

 王妃殿下の顔は、涼しげなまま。

 ピスタチオ姫が言う。


「ならば話はもう見えたのでしょう? 報酬にワタクシ自身を捧げます。これでもわたくしの母は海竜王の娘、つまりは海竜の王族で貴重種。そして腐っていてもお父様は一国の王。二つの王家の血筋たるハーフドラゴンのわたくしは、この世で上位に位置する生贄となりましょう」

「なるほど、私の義父と義母を蘇生させるための生贄になるから、海竜王を正気に戻せ――そういう依頼ですか」

「生贄は生贄自身の承諾があれば贄としての効果が増す。少なくとも研究素材としてのわたくしの価値は最上位に位置すると自負しております」


 ピスタチオ姫は自分を犠牲に今回の騒動を解決しようとしている。

 王族としての気品に満ちた微笑を浮かべ、己を捧げる姫は言った。


「どうか、わたくしと引き換えに海竜王陛下のお怒りを鎮めてくださいませ」

「海竜王が正気に戻ったからと言って、交渉が上手くいく保証はありませんが」

「それでも、クリームヘイトの王族としてクリームヘイトの過去が裏切りの血で染まっているのならば――自らの手でその血を雪ぐ義務がございましょう」

「いいでしょう――」


 私は頷き。

 杖の石突ではなく、髑髏の口から魔法陣を展開。

 私の魔術は大陸全土を包み始め――そして。


 瞳を閉じた私は、干渉した。


 進軍する海竜の長を闇の腕で捕縛し、その逆鱗を解除。

 そのまま魔王アナスターシャにしたように、眷属として契約。

 全ては単純な計算式。

 魔術に長けた女神アシュトレトの弟子でもある私には、そう難しくない芸当だった。


 時間にして五秒ほど。


「成功しました――ここにお連れしますよ」


 皆が私の言葉の意味を理解できていないようだった。

 それは神とて同じだったのだろう。

 頬に汗を浮かべたマルキシコスが動揺を隠せず声を荒らげていた。


『バカな、ありえぬ! 今の一瞬で、海竜の長を調伏したというのか!?』

「嘘を言っても仕方がないでしょう。それではご紹介します、こちらが海竜王陛下。既に状態異常【永久憤怒】は解除されております、話し合いをなさるのならご自由に」


 告げた私が顕現させた召喚円には、一人の精悍な王がいた。

 海竜王の人に化けた化身状態である。

 彼が海竜王であることは、王妃の顔を見れば一目瞭然だっただろう。


『お父様……? 正気に、戻られたのですか』

『どうやら、苦労を掛けたようだな――それにしても此れは一体どういうことだ。何故、余を騙した憎き大陸神マルキシコスがこの場におる。それに、憎悪に囚われ暴走した余を正気に戻したこの男は一体……――』


 事態はだいぶ混乱していた。

 多くの者が集い、多くの者の思惑が動くせいで皆も混乱している。

 けれど、私は確信した。


「マルキシコス、かつてクリームヘイトの王族に命じ、契約していた海竜を裏切らせ――力を得るように神託を下したのは、あなたですね」

『……我はこの国を維持する力を欲していた彼らに神託を求められ、それに応えたに過ぎん』


 つまり。

 全ての騒動の発端は、この無関心で自由に動き続けた神マルキシコス。


「私は言いました、ショーカ姫がこうなってしまったのは大人たちが間違っていたと。その罪はもはや消えない、彼女は彼女で罰を受けるべきだと考えます。その考えは変わらない。けれど、全ての事象を辿っていけば、あなたへとたどり着く、マルキシコスよ。私は人々を正しく導くことすらせずに神を名乗ったあなたを、面白くないと思っています」

『ならば、どうするというのだ』

「決まっているでしょう――本当はどうするか迷っていたのですが、海竜王の一件で、決めました。あなたは少々やり過ぎた。マルキシコスよ」


 抑えていた魔力と感情を表に出し。

 私は王族の不正を見過ごし、民の命をなんとも思っていない大陸神を見上げた。

 あの日、幼女の女神に従わされていたとはいえ――この大陸神はアナスターシャに力を貸していたのだ。


 アントロワイズ家が殺されたことの責任の一端を大陸神にも見出し。


「魔王アナスターシャに力を貸していたあなたは、私にとっては仇の一柱。それでもあの時見逃したのは、あなたがこの大陸にとって重要な存在であったと認識していたから。あなたの健在こそが秩序を守ると信じていた。けれど、どうやら私は判断を間違えていたようです。あくまでも仕方なく、脅され女神に従い人道に欠いた行為をなしていたのなら、話は別でしたが、どうやらあなたはあなたで問題のある神らしい」


 可視化された赤黒い魔力を纏う杖を回し、マルキシコスに向け――。


「神殺しもまた一興、あなたをここで滅ぼします」


 私は詠唱を開始した。

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