第4話 女神堕とし
私は魔術に深い興味を持った。
なにしろ生まれる前にはなかった力だ。
けれど家庭教師はすぐに辞めてしまう。
ならば、することは簡単だった。
魔術とは神の力を借り、世界の法則を捻じ曲げる力だとは推測できていた。
ようするに魔術とは神が齎している現象、ならば――神に直接聞けばいい。
そんな都合のいい神がどこにいる。
当時子供だった私でもすぐに答えが浮かんだ。
私には三柱の女神が憑りついているのだから。
「聞こえているのでしょう、女神様」
案の定、彼女たちは私の言葉に耳を傾けていた。
現れたのは――蛇を纏った、女。
布切れとしかいいようのない薄い服に、雄々しい大蛇を無数に身体に巻く、美しい裸婦だった。
前世の私だったら迷わず露出狂と感じていただろう。
初対面の筈なのに、初めての感じがしない。
曖昧となっている前世で出逢っていたのか、あるいは、レイドとしての私とずっと共にあったからか。
私は言った。
「頭を垂れ、平伏した方がいいのでしょうか」
『構わぬ構わぬ、そなたとの仲じゃ。無礼講で良い。それにしても――ほぅ、三柱の中で最も美しい昼の女神。この妾を呼ぶとは感心じゃ。異世界ライフを満喫しておるか?』
昼の女神と名乗る神は、蛇のような瞳を細めて肉感的な身体を輝かせている。
「満喫などしていませんよ、いったい、どういうことか、事情を説明していただけるでしょうか?」
『そう怒るでない。たかが異世界転生させただけではないか』
昼の女神はうっとりと、私の顔に魅入っている。
うねる大蛇が女の肌の上を這う。その爬虫類の口からはトゥルルルルと二股の蛇の舌が、ねっとりと蠢いていた。
『あぁ、やはり。妾たちの駒にそなたを選んで正解じゃった』
「駒?」
『おっと、いかん。実は神にもルールという面倒な掟があってじゃな。自らの駒からの質問に答えられるのは一年に一度まで、いや、十年に一度であったか? どうであったか、忘れてしまったが、ともあれ一つの質問に答えたら、一定期間は質問に答えられなくなる。問いかけは慎重にする事じゃ』
一年と十年では大きな差がある。
けれど、神にとっては誤差にもならない些事なのだろう。
この会話だけでも相手がどのような存在か、少しだけ把握できる。
「ならば既に私はあなたに、頭を垂れるべきか問いている。もう質問はできないという事ですね」
『それは例外じゃ。せっかく直接呼んで貰えたのに、はい質問は終わりです、昼の女神にはもう聞けないので黄昏の女神か、明け方の女神か、どちらかに聞くとなってもつまらん。妾は妾がそなたを愛でたいのじゃ。それに、ルールなど破るためにあるのじゃろう?』
つまり、残りの女神の名は明け方の女神と、黄昏の女神。
朝昼夕。
三つの時を司っている女神という事だろうか。
この世界の神とはどういう存在なのか、理解はできていなかったが。
神でありながらルール違反を公言する。
その時点で明らかに昼の女神が秩序とは程遠い存在なのだとも理解できる。
「あなたは、存外に適当な神ということなのですね」
『そう、褒めるな。興奮してしまうではないか』
「褒めてなどいないのですが」
『んぬ? 適当とは、ふさわしいやら、正しいやら、適量やら、褒めるときに使う言葉であろう? おぬしの世界の辞書にもそう書いてあった』
テキトーと、適当は違う。
ということだろうが。
「もう、それでよろしいですが……ひとつならば質問に真面目に答えて貰える、という事でいいのでしょうか?」
『うむ! あとは気分次第であるが、本当に質問権を行使するのならば、妾は神として、それに正しき神託を下そう。さあ、なんなりと聞くが良い。ちなみに妾のスリーサイズは上から100、60、90じゃ。これが神託ということで、良いな?』
「逆にお訊ねしますが、本当にそれでいいとお思いなのですか?」
『女神の玉体――その神秘を知れるのじゃ、それ以上の誉れなどあるまい?』
恐ろしいことに、女神は本気でそう言っているようだった。
「私の世界にて、心……魂を分析する精神科医がこんなレポートを残しておりました。精神は肉体に影響を受けると。自らを美女だと認識する者は、美女としての振る舞いが増え無意識に行動傾向を変えてしまう――周囲に好かれる容姿であることを自覚している故、前向きな行動が多くなる。逆に醜女と認識している者は、周囲からの目を畏れ、醜い自分を恥じ行動し精神までも蝕んでいく。その行動は先ほどの女性とは逆、後ろ向きな行動が増えるようになる。これは後天的であっても同じ。美しいものが努力を怠り醜くなれば、次第に後ろ向きになる。逆に醜いものが努力で美貌を勝ち取れば、行動は前向きになっていく」
私の言葉に昼の女神はぽかんとして。
体に撒きつく蛇の頭を、撫ではじめる。
『おぬし、なーにが言いたいのじゃ?』
「つまりは、今の私は子ども。女神のスリーサイズを知ったとしてもそこに何も感じません」
『ふふふふふ、おかしな男じゃ。ならば最初からそう言えばいいだろうに。屁理屈ばかりで現実的で。目の前で誘惑しておったのに、頑なに美しき女神の存在を信じなかった、生前のおぬしと変わらぬな』
誰が最初におまえを魅了するか、妾たちは賭けをしておったのにと。
女神は雑談するように微笑んでいる。
だが。
私は女神を睨んでいた。
「だから、私を殺したと?」
『妾たちの存在を幻と取り合わなかったおぬしが悪い。妾たち、悪くないもーん。なんてな、まあそう怒るでない。ともあれ今のそなたは妾たちの駒、女神と敵対しても何も得はせぬ。新たな人生をエンジョイすればよかろうて』
言って女神は不道徳なその態度と裸体を輝かせ。
性格とは不釣り合いな、神々しい後光を纏い告げていた。
『さて、それでは本題じゃ。神託を求めるのならば、問いかけよ。ここで断っても、一年やら十年やらは質問できぬ。先延ばしはできぬという事じゃ。妾に問え。レイドよ、おぬしは何が知りたい』
普通ならば元の世界に帰る方法を聞くのだろうが。
私の口は動いていた。
存外に――女の耳朶を擽る、誘うような声が飛び出ているようだった。
「昼の女神よ、あなたの名はなんという」
『はぁ? バカかおぬしは、いや、前世で妾たちを信じなかったバカだとは知っておるが。妾は女神、どのような質問にも答えられるというのに、妾の名なぞ』
「どうしてでしょうね。それでも私の口はあなたの名を知りたいと、理性が制御する前に問いかけておりました。それは不敬にあたるのでしょうか?」
女神は大きく瞳を見開いていた。
名を聞かれたことが嬉しかったのだろう。
耳の先まで赤くなっている。
コホンと咳払いをした女神は、照れた様子で横を向く。
長い女神の髪と蛇が、肉感的な裸体を這っているが……。
そこにはなぜか、幼さがあった。
妖艶さよりも、儚げな印象さえ感じさせていたのだ。
ようするに、本気で照れていたのだろう。
『そのようなことはない。良いか、一度しか言わぬからちゃんと聞くがよい。妾は昼の女神。なれどその真なる名はアシュトレト。アシュちゃんと呼んで構わぬのだぞ?』
「アシュトレト様、ですね」
『アシュちゃんと呼んで構わぬのだぞ?』
さすがにその呼び方は恥ずかしい。
冷たく睨んでやったが、それが興奮するのだと昼の女神アシュトレトは、微笑んでいた。
その日からアシュトレトは私の魔術の教師となり――新たな家庭教師を雇う必要はなくなった。
女神は女神を自称するだけあり、多くの魔術を知っていた。
それが神のルールに反しているかどうか、私には判断できなかった。
けれど――アシュトレトは構わず、私の欲する知識を贈り物のように運んでくる。
私は既にその時。
――。
昼の女神アシュトレトさえ狂わせていたのだ。