第48話 クリームヘイトの血
四つの腕を所持する男神マルキシコスは、緊張した面持ちで私を眺めていた。
背後の腕で剣を抱いたまま、前の碗で――腕組み。
人間たちは平伏に近い状態となっていた。
この大陸の人類にとっては神の降臨ということで、文字通り、息を吐く暇すら忘れている。
神たるマルキシコスが言う。
『クリームヘイトの王族よ、とんでもない事をしてくれたようだな』
「彼らは神の重圧により返事ができないでしょう、マルキシコス。事情の方は把握しておられるので?」
『この大陸で起こる事ならばな』
「でしたら彼らだけを責めるのはどうなのでしょうね、あなたも見ていたわけですから」
『何が言いたい』
マルキシコスの切れ長の瞳が私を捉える。
私は肩を竦めて見せていた。
「いえ、特には何も。ただ……まだ十五歳にも満たぬ子供が起こした騒動ではありますが、それは彼女をちゃんと導いてこなかった大人たちの責任もあると私は考えております」
『ほう、レイド殿は子供に甘いのだな』
「甘いとは別ですよ」
告げた私の瞳は、脂汗を浮かべて震える王に目を移し。
「事の始まりはおそらく辺境伯が野心を起こしたこと。野心家の臣下を抑える事はおろか、気付くことも出来なかったクリームヘイト王には呆れておりますが、まあそれは些細な事です。これは単純な話、父王による無関心が招いた結末。ショーカ姫を傀儡とするべく、辺境伯やその傘下の者たちが幼いころから姫に悪心を植え込んでいた。それを止めなかった。気付かなかった。娘をちゃんと見ていなかった、その怠慢が招いた結果と言えるでしょう」
『現クリームヘイトの王はこれでも、苛烈な弟と王位継承権を争い、互いに切磋琢磨した優秀な人材。戦いを得意とはしなくとも、かつてはとても優れた戦術家であったのだがな』
「人間とは競争相手を失うと堕落してしまう傾向にあるのかもしれませんね」
クリームヘイト王が王権争いに勝った頃には、既に近隣の帝国たるカルバニアは魔術を失っていた。
力を失っていた隣国は脅威ではなく、敵が本当にいない状況となっていたのだろう。
「王よ、あなたがショーカ姫に人の道の正しさを示し、まっとうに教育していればこうはならなかったのです。姫様とて、はじめからこれほど腐ってはいなかったのでしょう。おそらくは、ただあなたや王妃殿下に自分を見てもらいたかった。そんな心の弱みを野心家の辺境伯に利用され、こうなった……まあ全てはもう遅い。この国はこのまま滅亡とまでは言いませんが、海竜の復讐を受けて勢力を失うことになる筈です」
「余が、余が悪いと申すのか……っ」
王はこれでも王なのだろう。
神の重圧の中で顔を上げ、歯を食いしばり私を睨んでいた。
「余だけが、悪いと貴様はそう申すのか!」
「おや、形だけの王というわけではないのですね。この中で動けるのは素直に称賛しましょう。ですが、はい。あなたが親として子供の教育を間違えた。それは事実だと思いますよ。もっとも、私も親子の教育などちゃんと理解しているわけではないですから、強いことは言えませんがね」
「だいたい! あれはどうなのだ!?」
「あれ?」
「この事態にこの場所にすら居らぬ王妃のことだ! 公務で忙しい余ではなく、王妃がきちんと見ておれば、教育しておればこうはならなかったのであろう! そうだな、ショーカよ! 妻は、お前の母はおまえになんの教育もせぬ無関心であった。余だけのせいではあるまい!」
ショーカ姫の身体が揺れる。
姫がここまで壊れてしまったのは、母にどうやっても愛されなかったから。
そして王女としての立場も、姉のピスタチオの方が優れていたから。
そんな中でも父の愛があれば話は違ったのだろうが、父も父で、自分の事しか考えてはいなかった。
ショーカ姫が言う。
「お父様だけが悪いわけではないですわ……」
「そうであろう!」
「けれど、ショーカは! ショーカは、ちゃんとわたしのこともお父様に見て欲しかったですわ!」
ショーカ姫はボロボロと泣いていた。
所詮は少女。
変に頭が回っても、大悪党顔負けの悍ましき姦計を巡らせていても、まだ子どもなのだ。
「お父様も、お母様も! ショーカの事を見てくれようとはしてくれませんでした! 辺境伯だけは、ショーカを見てくださいました! ショーカの事が必要だと、ショーカの事が可哀そうだと言ってくださいました! わたしが次の女王になるべきだと、泣いているショーカを抱きしめてくださったのは、辺境伯だけでしたわ!」
「ショ、ショーカ……」
「お父様はいつも自分の事ばかりっ、わたしは、わたしはただ……っ、ショーカを見て欲しかっただけですのに!」
年相応の涙に王が困惑を見せる中。
私は言う。
「ショーカ姫、あなたはたしかに初めは愛情不足から道を踏み外した。野心ある男の声に耳を傾けてしまった、そしてそれを止められる家臣が誰一人いなかった。そうですね、それは確かに同情の余地があるでしょう。けれど、あなたは実の姉を殺す命を出した。そして私が助けなければ実際に殺させていた、その事実は変わりません。どれほどに嘆いても、どれほどに反省してももはや遅い。たとえピスタチオ姫殿下があなたを御許しになったとしても、世間がそれを許さないでしょう」
呼吸を置き、私の口は事実を告げるべく上下する。
「あなたは女王にはなれませんよ。ここであなたの物語は終わりなのですから」
物語の終わり。
その言葉の意味を理解できたモノは殆どいないだろう。
重圧の中でも顔を上げるショーカ姫。
その動揺する姫の背後から、少し疲れた顔を見せる一人の貴婦人が手を伸ばしていた。
ショーカ姫が振り返り。
「お母さま?」
「ええ、ショーカちゃん。母ですよ」
「お母さま! お母さまはわたしを助けて下さるのですね!」
「今まであなたを愛してあげられなくて、本当にごめんなさいね、そう、あなたはそこまで追い詰められていたのね……」
「お母さま、お母さま……わたしは、ショーカはっ」
それは一見すると母の抱擁だった。
けれど。
王妃の身体が、何者かによって弾き飛ばされる。
私ではない、マルキシコスでもない。
ましてや動けぬ者達でもない。
そこにあったのは、十五歳の国を憂いていた少女。
「わたくしの妹から離れてくださいっ、お義母様!」
目覚めたピスタチオ姫である。
その手には小さなステッキが握られている。風の魔術で王妃を弾き返したのだ。
「お姉さま!?」
「離れなさい、ショーカ!」
「どうして、だってお母さまが!」
「たしかに、この方はあなたの母ですわ。ですが……違うのです、この方はあなたを愛してなどいない」
それは一見すると妹に対する暴言なのだが。
違うのだ。
姫姉妹と、風魔術で弾き飛ばされても平然としている王妃の間に立ち、私が言う。
「もう変装は宜しいので?」
「ええ、賢者様。黙っていてくださってありがとうございます」
「どういうことですの!?」
動揺する娘ショーカに、母たる王妃は雑草に向けるような瞳で。
そしてなにより、悍ましきツボの中で反響させたような魔力の詰まった声で。
告げる。
『ただワタクシがこの王国に復讐にやってきた海竜の化身、人の姿に化けているドラゴンであるというだけの話なのよ、ショーカちゃん』
「お母さまが、海竜……? え、なんで……どうして」
『ワタクシたち姉妹は、海竜の王陛下に命じられてここにきた。そして使命を果たした、それだけの話よ。驚かせてしまったのならごめんなさいね。けれど、あなたたちの御先祖様が悪いのよ? ワタクシも姉も、悪くはないわ。むしろこんなつまらない男と一時でも夫婦になっているんですもの、被害者だと思うの』
王が言う。
「妻よ、おまえは……いったい、なにを」
王妃はなにも答えない。
眼中に入れたくないのだろう。王妃の視線は申し訳なさそうに私を向いていた。
仕方なく私が言う。
「海竜による復讐は、今ではなく少し前から始まっていたという事ですよ。ピスタチオ姫の母も、ショーカ姫の母も海竜の化身。既に、クリームヘイト王国の血には、海竜の血が入り込んでいるのです」
王妃が言う。
『ごめんなさいね、ショーカちゃん。あなたのお母さんとあなたのお姉さんのお母さんは、この国を滅ぼすためにやってきた悪い海竜姉妹だった。ただそれだけの話なのよ』
そう。
ピスタチオ姫もおそらく、亡くなる母にそれを聞かされていた。
彼女の母もまた、海竜だったのだろう。
だから、私のマップ表示では味方、つまり魔物側として表示されていた。