第47話 降臨―畏怖―
諍いを始めていた筈の人々。
クリームヘイトの民たちは結託していた。
思想も理想も善も悪も異なる彼らであっても、結論だけは同じなのだ。
家族や知り合いの命を守りたい、この国を滅ぼすわけにはいかない。
だから破滅の回避の糸口となる私を拘束したい。
だが。
冒険者による空間転移を阻害する結界が張られている中。
邪杖ビィルゼブブを装備したままの私は、瞳を伏せ、静かに告げていた。
「――お断りします。自業自得なモノたちを助けるほど、私も暇ではないのです」
「ならば冒険者ギルド、クリームヘイト支部のマスターとして僕が依頼しよう」
覇気ある声の主はギルドマスター。
長身痩躯だが濃厚な魔力を纏った男――人の形をしているが、種族は森の人と呼ばれるエルフ系統と推測できる。
長い耳がエルフの特徴であるが、魔術で耳を隠している様子である。
男であっても魔術を扱えることからマルキシコスに祝福を受けるこの大陸ではなく、外の大陸から来た者だろう。
会話の最中に襲い掛かってきそうな冒険者を制止し。
あくまでも紳士的にエルフのギルドマスターは言う。
「無論、報酬も出す。貴殿はおそらくこの大陸から去るのであろうが、冒険者ギルドは大陸の外であっても共通の連盟。かくいう僕も派遣された身だからな。冒険者としてこのギルドで認定できる、最上位の地位とランクを与えるとも約束しよう」
「それはむしろ足枷では?」
「だが貴殿が望んでいる知識を得ることはできよう。冒険者ギルドにも上位ランクでなければ入れない場所もある、高ランク冒険者でなければ閲覧できぬ書もあるとは賢者ならば知っているだろう」
交渉が決裂したら私の足ぐらいは破壊するつもりなのだろう、既に高位攻撃魔術の詠唱を終えているようだ。
「多少興味もありますが――」
「ならば、向かい来る海竜に対する策を授けてはくれないだろうか――冒険者ギルドとしても貴殿と敵対したくはないのだ。だが中立たる我等が多くの民を救う使命を帯びているのも事実。そのための中立だからな。貴殿の協力が得られるように、やむを得ずに攻撃をしなくてはならない」
「あなたのお立場は理解できました。ですが、海竜をどうにかした後に、おそらく私はクリームヘイト王国の貴族に殺されるでしょう。殺されるのが早いか遅いか、その違いしかない筈です」
「邪推でありますな」
「邪推されるようなことをなさっていたこの国にも問題があるのでは?」
私は王とショーカ姫に目をやっている。
この二人は信用できないと暗に言っているのだが。
騎士団長とギルドマスターが強い口調で宣言していた。
「騎士道にかけ、あなたの命は必ず守ると誓いましょう」
「同じく、貴殿をこの暗愚たちが害したとならば、冒険者ギルド連盟はこの王国と敵対することになる――さすがに全ての冒険者ギルドを敵にするほど愚かではないだろう」
それは一見すると正論だが。
「それはこの国への警告と同時に、冒険者ギルドと敵対したらどうなるか分かっているのか? という私への脅しでもあるのですね」
「否定はしない」
「果たしてそれが中立なのかどうか――」
「いい加減にしたまえ! 貴殿はこの国の民がどうなってもいいと言うのか! 大帝国カルバニアでは勇者ガノッサ殿の助力があったとはいえ、魔王さえもその策で葬ったのだろう!? なぜ味方をせぬ! 人が大勢死ぬのだぞ!」
ギルドマスターはこの国を守りたいのだろう。
正義感がそうさせるのか。それは私にはわからない。
「ギルドマスター殿、逆にこちらからも質問を構いませんか」
「無論だ」
「あなたはエルフ族ですよね?」
それは秘匿されていた事実だったのだろう。
言葉に一瞬窮し。
「ああ、そうだが。それがなんだというのだ」
「あなたは人に味方をしている亜人。エルフは人型という事もあり、人間と共存する種族もいる」
「貴殿が何を言いたいのか、理解できぬ」
「人とエルフが全面戦争となった場合は、あなたはどちらにつきますか?」
「言い繕っても仕方がないであろうから正直に告げるが、迷わずエルフ側につくだろう」
「でしょうね、それが普通です」
「だから貴殿は何が言いたいというのだ! 時間がないのだとは理解しているのだろう!」
私は言う。
「これは失礼。ではもしあなたがオークとゴブリンの戦いに味方をしろと言われたら、どちらにつきますか?」
「どちらにもつかぬ」
「それと同じこと。私にとっては人間に味方をすることも、海竜に味方をすることも等価。どちらでもいいし、どうでもいいことなのですよ」
「その銀髪……もしや、貴殿はエルフ族なのか?」
思わぬところから変な話が出てきてしまった。
鑑定に表示される私の種族は人間でもエルフでもなく、魔王。
確かめようがないのだが。
「さあ、どうなのでしょう。確かに私の母は珍しい銀髪だったそうですが、今となっては遠き過去。私自身、自分の出自にはそれほどに興味もないので」
「おそらく貴殿は人間とエルフの混血……ハーフエルフ。銀髪赤目ともなると高貴なエルフの血筋であろうな」
「おや、そうなのですか。まあ自分で確かめてみないと何とも言えませんが」
「しかし、ならばこそだ――! 半分も人の血が流れているのなら! 人間に味方をするべきであろう!」
周囲は何を言っているのか理解できていない様子だった。
やはり存外に賢いのか、ショーカ姫が言う。
「つまり賢者様は純粋な人間ではなくハーフエルフ。故に、常に絶対的な人間の味方というわけでもないのでしょう。海竜の側に大義名分があるのなら、人間に味方をする道理はない。そう仰っているのです」
「素晴らしいご明察です、ショーカ姫」
「本当に賛辞なさっているようなので質が悪いですわね、賢者様」
私の中にエルフの血が混じっている。
それは本当に想定しない事態だったが――その真偽を確かめにエルフを探すのも悪くはないか。
「さて、話が逸れましたが。これで私があなたがたの絶対的な味方ではないとご理解いただけたでしょう?」
「ええ、ですが。この包囲から逃げられるとでも?」
「確かに、私は戦闘が得意ではない。この場であなたがたに殺されたくもない。しかし、全ての騒動が終わった後に殺されるのはもっとごめんなのです。身の安全の保障がないのですから」
騎士団長が言う。
「信じてくれとしか言いようがない、だが、貴殿に頼むしかないのだ」
私はショーカ姫に視線を戻し。
「どうなのです、姫様」
「なぜショーカに聞くのです?」
「あなたには飼っている暗殺者がいる。彼らは辺境伯とは違う権力に属する者。あなたの直属だと聞いております。ピスタチオ姫を暗殺した彼らに命じ、私を殺す――あなたならば容易いでしょう」
むろん、姫がそう思っているだけで、実際は辺境伯たちが暗殺者の家族を人質に取っていたのだが。
「分かりましたわ。彼らにはあなたには手を出すなと伝えます」
「今、この場でお願いできますか?」
「賢者様は随分と弱虫でいらっしゃるのですね。ふふふふ、そう、やはりあなた本人は口だけ、頭は回っても戦闘能力は大してないという事でしょう」
ショーカ姫が暗殺者を使っていたという事実が暴露されても、もはや誰も何も気にしない。
そんなこと、迫る海竜を前にしては些事。
「これは手厳しい。ですが実際、私は前に殺されかけたことがありますからね、慎重にもなります」
「まあいいですわ、今すぐに伝えます」
ふわふわ髪の中からショーカ姫は通信器具を取り出し、王族としての濃い魔力を注ぐ。
ここが一つのターニングポイントになる。
ショーカ姫がちゃんと動くか。
暗殺者たちに、私を暗殺しないと約束させることができるか。
『レイドよ、そなたの妻たる妾である。聞こえておるかレイドよ』
『ええ、どうですかアシュトレト。そちらの暗殺者には姫からの連絡は』
『一応は殺すなと命令はしているようであるな』
『そうですか……』
『なんじゃ、面白くなさそうな声じゃな』
『ここで裏切ってくれた方があっさりと見捨てられましたし、楽でしたからね』
『さらっと外道なことを言うでない……』
外道な女神たちに言われたくはないのだが。
ともあれ。
『それよりも、私の母がエルフだというのは――』
『処刑されておった女か? たしかにエルフであったように見えたが……。妾たちが選んだのは魔王の器足りえる”赤子”……魔力が強力かつ、どう足掻いても死ぬ運命にある筈だった”赤子”にそなたを転生させただけ。母体についても父についてもよくは知らぬ。元から死産であったのだから、本来なら死んでいた者。ならばこそ転生先にしても問題なかろう?』
『あなたがたにしては確かに、配慮できていたとは思いますが』
『人道的な判断ができる妾たち、とても偉いな?』
『人道を語るのなら母を助けていたでしょうが、まあいいです。私も他者の精神や人生を乗っ取る形で転生したのではないのなら、構いませんよ』
まあ私に関してはおいおいの問題として。
魔力会話を終了し、私は彼らの前で微笑んでみせた。
「どうやら姫様はきちんと約束して下さったようですね」
「どういうことですの?」
「いえ、実はここでショーカ姫様が後で私を殺すように命じていたら、ピスタチオ姫との契約を破棄し見捨てるつもりだったのです」
賢い何人かは気付いたようだ。
ショーカ姫もズル賢いという意味で、成長の兆しを見せているのだろう。
子リスのような顔に、露骨なしわを刻み。
「賢者さん、あなた――うちの暗殺者と繋がっておりますのね」
「彼らは辺境伯たちに家族を人質にされ従っていただけ。その家族を解放した私に従うのが道理でありましょう?」
「解放した? あなたが?」
「さて、それでは海竜対策を授けます――今までピスタチオ姫の海洋魔術で海竜の侵入を防いでいたのなら、再び海洋魔術で進軍を防げばいいだけ」
カツンといつもの仕草で、邪杖ビィルゼブブで床を叩き。
転移阻害空間を割った私は転移魔術を発動。
「暗殺されかけていたあなた方の姫を保護しておりましたが、お返し致しますよ」
「ピスタチオ!」
王が声を上げたその先には、ピスタチオ姫。
もっとも、辺境伯の屋敷が海竜に襲われた辺りで居ても立っても居られなくなり、空間から脱出しようとして暴れ――その対処としてバアルゼブブが穏便に彼女を眠らせていた。
まだ意識を失っているようだが。
「ご安心ください陛下。命に別状はありませんし、本当に匿っていただけですよ」
「いったい、何の目的で」
「あなたがたクリームヘイト王国の民が、ピスタチオ姫の価値に気付いていなかった事。そして、その命がショーカ姫に狙われていた事。そして彼女自身に依頼をされた。以上の三点で彼女を保護していた、それだけの話ですよ」
「だからといって! 余の娘を拘束していたというのか!」
この事態をなんとかできる娘が返ってきた途端、これである。
喉元過ぎれば熱さを忘れるというが。
「――これだから私は人間の王族は好きになれないのです。さて、姫様はお返ししました。後は彼女の能力でなんとでもなるでしょう、私はここで本当に失礼させていただきますよ」
付き合いきれないというのが本音なのだが。
ショーカ姫が気丈に吠える。
「あら賢者様! 失礼できるわけないでしょう!」
「海竜をどうにかできる姫をあなたの手から守り、そしてその価値を思い出させ、お返しした。これ以上何を望むというのです」
「ショーカは思うのです、本当にお姉さまだけでどうにかできる保証もない。そしてあなたはまだ何かを隠していらっしゃる。最後まで付き合っていただきましょう。ねえ騎士団長に、ギルドマスターさん。きっとこの方は真実を知っている、海竜についての何かを――」
騎士団長もギルドマスターも同意見だったようだ。
「恩を仇で返すようですまぬが――」
「どうか、素直に従っていただきたい、賢者殿」
だが、同席していた聖職者の長。祭司長が悲鳴に近い声を上げていた。
「なりません――姫様、皆さま! その方に、その方にだけは手を上げては!」
「あら祭司長様、なぜですの?」
「神託が下ったでしょう!」
「それは大陸神様マルキシコスの命令でしょう? 絶対に手を出してはならない、でしたか?」
「分かっているのでしたら!」
「ふふふふ、あははははは! おかしいですわね。このような事態になってもこの国やショーカたちを助けて下さらない神に何の価値があると?」
大陸神を否定するショーカ姫に私は言う。
「おや。そこだけは同意しますよ。当時、まだ何も知らなかった私もそれなりに苦労をしました――神たるマルキシコスには思うところがありましたからね」
「神を否定なさるので?」
「そもそも神が崇拝されているのは、魔術を人に授けるからです。しかし、今の人類は神の力がなくともスキルという形で力を発揮できる、自らの心の力を魔術以外の枠組みで体系化させることに成功しているのです。わざわざ神の力を借り受ける魔術に頼る必要もない。突き詰めれば神とは不要な存在ともいえるでしょう」
隙を見つけたとばかりに王が言う。
「きさま! 王族への不敬だけではなく、神への冒涜まで行うか! ええーい! 聞いたであろう! こやつはこの国の敵、人類の敵! この場で捕らえよ!」
「自分の責任を誤魔化すために他者を貶める――親子ですね、あなた方は」
「黙れ!」
私は苦笑し、空に向かい問いかける。
「だそうですが、どうしますかマルキシコス様」
「はははは! 天に向かい戯言を吠えるとは、ついに血迷うたか! ……なんじゃおまえたち、その顔は。まさか神が本当に答えたとでも? 笑わせるな!」
吠える王に、ショーカ姫が後ずさりながら言う。
「お、お父様……あ、あれを」
「なんだショーカ、おまえまで……なにを……」
王が振り返った空には膨大な規模の魔法陣が浮かんでいた。
それは召喚円。
私の呼びかけによる召喚魔術に招かれた神が、複雑そうな顔でその神々しい姿を顕現させていたのだ。
剣神とでも形容できそうな偉丈夫の姿であるが、前に出会った時とは多少様子が違っていた。
幼女の女神と共にいた時が本体で、こちらが人間の前に姿を現すための分霊なのだろう。
四本の腕を持つ男神マルキシコスは、朗々たる神の声で神託を下す。
『久しいな――レイド=アントロワイズよ。よもやこのような形で再会しようとはな』
その声は神の重圧となり、大陸で祝福されている者たちすべてを畏怖させていた。
王も姫も、騎士団長も押しつぶされかけている。
能力の違う私や、異なる大陸神の祝福を受けるギルドマスターには何の効果もないが。
「ええ、とても残念ですよ」
『まったくだ、我はもう二度とそなたに会いたくなどなかったが――仕方あるまい。此度の騒動、いったい何を企んでいるのだ』
「企むとは人聞きの悪い、私を巻き込んだのはあなたがたの信徒。クリームヘイト王国の民たちだと、見ていたのなら知っていたのでしょう」
私の言葉に露骨に嫌そうな顔をしていたマルキシコスだが。
その口が、警告するように蠢きだした。
『我が大陸に生きる命たちよ。神託を下したはずだ、この者には手を出すなと――』
神が言う。
『この者は勇者ガノッサにその全てを押し付けていたが、我は当時、あの現場にいたから知っておる。支配の魔王アナスターシャを単騎で滅ぼしたのは他ならぬこのレイド=アントロワイズ本人。騙されるな、この男は己を弱く見せているだけだ。我よりも強く、我よりも性格の歪んだ存在。それがこの男だと知れ』
人間たちの空気が、変わる。
神の降臨。
そして魔王を滅ぼしたのは誰なのか、その事実を神託で下され――ようやく、神がこうして下りた理由を理解したのだろう。
もし私と戦っていればこの国は終わっていた。
と。
さりげなく性格がどうだと悪口を言われていた気がするが。
「弱いと思っていた相手に返り討ちに遭う。そんな人間の様子を観察してみたかったのですが……勝手にネタ晴らしをするのはどうなのです? これでも弱者の演技は上手いと思っていたのですが」
『だから余計に質が悪いのであろう』
神の降臨に、人々は騒然としたままだった。