第46話 暴く者
クリームヘイト王国の人間に問いかける私の前。
誰もが事態を把握できていない状況の中。
最初に動いたのはやはり、無邪気な愚者ショーカ姫だった。
「騎士たちに衛兵もなにをしているのです! 賢者は敵です! ショーカを罠に陥れようとする敵なのです!」
「し、しかし姫殿下」
騎士団長が王に目をやる。
王が言う。
「賢者殿、いったいなにがどうなっているのか。どうかご教授を!」
「王よ、あなたがそれすらも分からないから――今こうなっている。あなたが正しく娘を見ていれば、娘を導いていればこうはならなかった」
「だから! 何がどうなっているのかを教えよと余は言っておるのだ!」
声を荒らげる王に向かい、私はただ静かに告げる。
「それを自分で考えろと言っているのですよ」
「考えても分からぬから聞いておると分からぬのか!」
「分かりませんね。あなたは王だ、たとえ無能であったとしても大陸神マルキシコスに愛された、神の加護を持つ特別な存在。王族は特別な力を神から授かっているからこそ、人の上に立つ資格がある。義務を果たさぬ愚王が頂点にいるからこの国は終わるのでしょう」
愚王と言い切った私に反応したのは、王自身。
眉間に無数の青筋を浮かべ、王は言った。
「調子に乗りおって――逆賊めが!」
「そうですわ! さあ、やってしまいなさい!」
王と姫の声に従う者はいない。
「騎士団長! なにをしておる!」
「王よ――冷静におなりなさい。ここで賢者殿を逆恨みして何になるというのです」
「余の言葉が聞けぬというのか!?」
「それはこちらのセリフだ!」
もはや耐えきれなかったのか。
大地を揺らすほどの騎士団長の怒声が、王の顔を正面から捉えていた。
驚愕する王に向かい、唾が飛ぶほどの勢いで騎士団長は吠えていた。
「クリームヘイト王よ! あなたの愚策のせいで、何人が死んだ! 何人の部下が犠牲になった! 我々は国のため、国家のためと信じあなたの愚策に従い続けた。その結果が、これなのですか!? こうなる事をどこかで理解しながらもあなたを御止めできなかった、あなたを愚王に育ててしまった我等騎士団は、あなた以上に愚かだったのでしょうな」
「余を愚かと言うか!」
「愚か以外の何者でもないだろう!」
「キサマの娘を余の弟と結婚させてやった恩を忘れたというのか!?」
「それは断れぬ人質というのだ、この暗愚めが!」
騎士団長が言っていた、家族がいるとの言葉はこれだったのだろう。
「なにを、言っておる、余はそなたのために――!」
人々が王を眺める瞳は冷えていた。
愚かなショーカ姫でさえ気付いているのに、王は本気で気付いていない。
私は助け舟を出してやることにした。
「王よ――あなたは気を利かせて、騎士団長の娘と自分の親類を結婚させてやったと思っていたのでしょう。しかしそれは騎士団長にとっては大事な家族の人生を握られたも同然。断ればいい? できるはずがないでしょう、あなたは存外に考えなしだ。騎士団長が娘への婚姻の話を断ったら、あなたはそれを謀反の兆候と睨んだ筈」
「そ、そのようなことは――」
「ないと言えますか? まあどちらでもいいですけれどね。実際にあなたの行動が彼を苦しめていたことに違いはない。騎士団長殿は私に戦力増加の相談をするときも、件の話を僅かに漏らしていた。自分にも家族がいると」
騎士団長は前から王に不満を持っていた。
何度進言してもまともに取り合おうとしない王に、不信感を抱いていた。
そんな騎士団長の苦悩を見て、部下の騎士たちも思うところはあったのだろう。
逆光の中。
表情を隠すほどの太陽を背にし、私の唇だけが動き続ける。
「ですが、どうか騎士団長殿もお待ちください。それでも陛下はキマイラタイラントの鬣を見て、戦力の増強を決めてくださったのでしょう? 既に魔物への対策は国家としてはとれている。最終的には部下の言葉を拾い上げた――話の分かる王ではありませんか」
「それは違う。違うのだよ、賢者殿」
「おや? どういうことで?」
「却下されたのです、この愚王の独断で――我等はまだ何の備えも出来ていないのです」
まあそうなるだろうとは思っていたが。
王に向かう非難の視線に乗せるように、私は言葉を紡いでいた。
「それは残念です――私も関係のない国とはいえ、国家の一つが滅びるというのは心が痛む。それを是とするべきではないと思い至り、行動した。海竜が襲ってくる前に戦力を備えさせるように助言をしていた。海竜の進軍にすら耐えうるだけの軍備増強の流れを作ったつもりだったのですが、全て却下されていたのですか。おそらく、ピスタチオ姫がいたのなら却下された後でも動き、騎士団長のお考えも通っていたのでしょうが」
「お待ちください」
騎士団長が私を向き。
「賢者殿は海竜の存在を知っておられたのですか?」
「ええ、この古文書に書かれていましたから」
言って私は例の古文書を取り出し、それを映像として流して見せる。
それはお伽話にすらなっていない過去。
かつてのクリームヘイトの王族が、使役していた海竜を裏切り――力のためにその子を食らったことで発生した因縁。
「従魔契約の違反、それは種族間の二度と覆らない対立を意味する。海竜は正当な理由でこの国に復讐に来ているわけですね」
責任の所在の押し付けや、悪い部分があるものは誰なのか。
そういった部分に敏感な王は、チャンスを得たとばかりに私を睨み。
「な、なぜそのような大事なことを黙っていた!」
「おや、王よ。これはおかしなことを言いますね。おそらくピスタチオ姫はあなたがたに何度か説明していたと思いますよ? それが彼女が何歳の頃かは知りません。それがいつの頃かは知りません。けれど、思い出してみてください、ピスタチオ姫はいつも何かに警戒していませんでしたか? いつも口煩くしていませんでしたか? なぜ口煩かったか、考えたことはなかったのですか?」
貴族の一人が言う。
「た、たしかに……昔、ピスタチオ姫さまが海竜がいずれやってくると、騒ぎを起こしたことがありましたが」
「それはいつの話でしょうか」
「姫様が五歳の頃……前の王妃殿下がお亡くなりになって、少しした時かと……」
「ああ、そこで話が繋がるわけですね。おそらくは前の王妃殿下は海竜のことを知っていた――死の間際に娘にだけは真実を明かしたのでしょうね」
王が言う。
「前王妃は海竜を知っていたと、なぜ……」
「さて、何故でしょうね」
「知っているのなら教えよ! これは王命ぞ!」
「生憎と、私は旅の魔術師。あなたの命令に従う義理も義務もない。まあ、あなたのかつての奥様が何者だったのかなど、どうでもいいではないですか。もはや関係ないのです。この国は手遅れ、愚かな王族の手により滅びるのですから」
比較的、この国とは距離を置いている冒険者ギルド連盟。
そのクリームヘイト王国支部の、ギルドマスターたる無骨そうな男が呆れた様子で言う。
「――ピスタチオ姫殿下は海竜が復讐に来ることを知っていた。なるほど、だから姫様はギルドに竜特効の武器を多く保持しておくように指示されていた。それは、この時のための備えだったというわけですな」
「おやギルドマスター殿、それでは竜特効の武器は確保できているのですね」
「いいや、王の命令ですべて売却されています。強制的に」
戦いを知るギルドマスターの目が愚王を睨む。
目を泳がせる王が憤慨しながら唸っていた。
「余は知らぬ! 余は知らぬぞ!」
「ふざけるなよ! あんたの命でやってきた衛兵が全てを持ち去っていったんだろうが!」
「本当に、余はなにも……」
騎士団長に怒鳴られた後に、今度はギルドマスターに怒鳴られる。
国のトップであった王が誰かに叱責されるなど、いつぶりなのだろうか。
冷や汗と共に蒼白となっていく王は後ずさり。
そして。
愚かな娘を見た。
「ショーカよ、まさか、それもおまえが……」
「ち、違うのです! あれは辺境伯が、そう指示して。だって、お姉さまがっ、お姉さまがしていることが無茶苦茶だったから! ショーカは何も悪くないのです!」
諍いを起こしそうな親子を前に立ち上がり、私が言う。
「万が一、その竜特効の武器が役に立ってしまったら――それはピスタチオ姫の功績となる。それが妹姫たるショーカ嬢には面白くなかった。辺境伯たちにとっても面白くなかった。なにしろ愚かな王ですからね、万が一のその功績で、ピスタチオ姫に王位を継がせてしまうかもしれない。辺境伯たちにとっても念のため程度で、ギルドから竜特効の武器を押収した。まあ……あの方々もある意味で被害者なのかもしれません」
私は愚物たちを眺める顔で、人間たちを一瞥し。
辺境伯や、それに連なるモノたちが行っていた不正や外道の証拠をアイテム空間から提示。
皆に知らしめる形で晒し――。
「彼らは国を憂いた、トップが愚王だからこそ必死になって動いていた。その手を血で汚した。それは形は歪んでいるかもしれませんが、王ではなく国への忠誠心だったのかもしれません、バカな王に国を任せてはならない、そんな正義感があったのやもしれません。まあもはや真実は分かりませんが。ショーカ姫、あなたの後ろ盾は既に滅んでいますよ」
私は邪杖ビィルゼブブを装備。
ショーカ姫に貴族仕込み、アントロワイズ家で学んだ作法でお辞儀をし。
「海竜たちにとってはまさにあなたは勝利の女神、ショーカ姫、あなたはきっと海竜たちに感謝されることでしょう。それでは、私はこれにて――クリームヘイト王国の皆様がこの危機を乗り切る事を祈っておりますよ」
「逃げるおつもりなのですか?」
声を上げたのはショーカ姫だった。
もはや開き直りに近い状態になっているのだろう。
姫はふわふわな髪を膨らませ、気丈に私を睨み。
「たしかに、このわたし――ショーカのせいでこうなってしまったかもしれません。それは認めますわ」
「おや、認めるのですか」
「だって事実は変えられませんもの」
「もう少しだけ早く気づけていれば良かったですね、あなたの不幸は父親が平和ボケをした暗愚であったこと。そして、姉が優秀過ぎたせいで歪んでしまったこと、更に言うのならばあなたを利用しようとする辺境伯たちが存外に賢しかったことでしょう」
環境によって歪められた姫の瞳は、私を捉えたまま。
「そんなことどうでもいいでしょう? ショーカは思うのです、皆さま、おそらくこの事態をどうにかできるのはこの賢者だけ。このまま逃がしていいわけないでしょう?」
「おや、私を捕縛しますか?」
「ええ、民の命には代えられませんもの」
「都合のいい時だけ王族の矜持を用いますか。なかなかどうして、ショーカ姫、あなたはご立派だ。ネコをかぶっていたのか、或いは追い詰められてある意味で化けたのかは分かりませんが、今のあなたは魅力的ですよ」
ショーカ姫は断頭台の前で行われる最後の演説のように。
民に訴えるように、王族の顔で会議に集った皆に言う。
「お叱りや罰は後でいくらでも受けましょう。もはや逃れる術もございませんもの。けれど、それとは別にショーカは思うのです。皆様の家族を救うためにも、この賢者を逃がしてはならない。国をこれだけ掻き乱しておいて一人だけ逃げるのは卑怯者のすることでしょう。皆様、それは理解できますね?」
実際、それは事実だった。
だから、姫の言葉に騎士団長もギルドマスターも動いていた。
ギルドマスターが剣を構え詠唱を開始する中、騎士団長が言う。
「申し訳ないが賢者殿――こちらにご助力を願いたい」
本当に申し訳なさそうな、断腸の思いが伝わるほどの声だった。
けれど。
私に逃げられたら全てが終わる。
それが分かっているからこそ、まともな人間であってもこうするしかないのだろう。