第45話 女神の空中庭園
三女神も眠る時間、闇が支配する夜。
ショーカ姫を利用する悪しき貴族の屋敷を、私は次々に転移し渡り歩く。
転移した早々に、警報が鳴る。
侵入者を警戒するだけの知能はある屋敷だったのだろう。
だが。
私の手にする武器、邪杖ビィルゼブブの骸骨の口は、既に禍々しくその咢を開いていた。
「自我剥奪魔術:【永久傀儡】」
杖の口から吐き出された粒子状の蟲が、貴族屋敷に広がり。
知恵ある金蠅の群れが波となって屋敷全体を覆い尽くす。
ギャァァァァァァァアっと音が鳴った後。
がたり、がたり。
屋敷のものたちが全員、こちらに歩み寄ってきた。
それはまるでゾンビの行進。
しかしゾンビと違うのは、知恵が残されている事だろう。
屋敷の全員が玄関にいた私と、ニャースケを腕に抱く女暗殺者の前に並び、隷属を示すように頭を下げ始める。
「さて、質問です。あなたがたはご自分が何をしていたのか、ご存じですか?」
「ぁ……」
「そうですか、全員が黒ですか。ならば、申し訳ないですがそのままでいてもらいましょう」
従属する人の群れを眺め女暗殺者が言う。
「これはいったい……精神を操る魔術とは、理解できますが」
「耳から脳に蟲を流し込み、脳に蟲を寄生させました。今後は彼らを意のままに使うことができます」
「蟲を用いた洗脳の魔術ですか……聞いたことがありませんが」
「――まあよくある魔術ですよ。解除も簡単ですし、逆に永久に傀儡化させることもできる。何かと便利な汎用魔術なので、覚えておくといいでしょう。よろしければ今度、魔導書を作成しますよ? ああ、お代は要りません。私も人間相手にどれだけの魔術を伝授できるのか、実験をしたいので」
「え? え、ええ……あ、ありがとうございます?」
女暗殺者は少し困惑気味である。
おそらく、進む事態に心の整理ができていないのだろう。
腕の中の猫は元気に光る爪を伸ばし、うちの主人になにかしたら掻き殺すニャと傀儡状態の人間にプレッシャーをかけているが。
ともあれ。
「それで、どなたがあなたの仲間の暗殺者の家族か、分かりますか?」
「すみません、さすがにそこまでは――なにしろ、領主や貴族たちは人質同士が協力する事を畏れたのか、面識が……」
「そうですか、ならばやはり本人たちに確認して貰った方がいいですね。申し訳ないのですが、あなたを転移させますのでお仲間と合流してください。五分後に再度あなたたちを転移させ、ここに連れ戻します」
時間が五分で足りないのなら、もう少し転移を遅らせるが。
問う私に、ネコを腕に抱く暗殺者は問題ないと頷き。
「アシュトレトさんの解放はできているのですか?」
「アシュトレトの?」
「ええ、行方不明になっているのですよね……?」
しばし考え。
「ああ、そういえばそういうことになっておりましたね」
『レイドよ、おぬし……賢いわりにそういう部分はあいかわらずテキトウだのう』
「その声はアシュトレトですか。寝ていたのでは?」
『妾で嬉しいであろう?』
「落ち着くまでは出てこないで下さいと――お願いしておいたはずですが」
『ふふ、そう固いことを言うでない』
陽光の如き輝きが傀儡たちの集う屋敷に発生する。
それは女神の降臨だった。
呆れた様子で姿を可視化させたのは昼の女神。
口さえ開かなければ世界一の美女と断言できるアシュトレト。
『ほんにレイドは存外に抜けておる……そなたの妻たる妾が誘拐されているから従っている、そういう体で話を進めていたではないか』
「これは設計段階でのミス――どうもあなたが誘拐されているという設定に無理があったのでしょうね、脳がそれはないだろうと理解を拒否してしまっているようです」
『つまり、妾の美しさは檻になど押し込めることはできぬ、そーいう賛辞であるな?』
「どこをどうするとそうなるのですか……」
普段の裸婦に近い薄い光布ではなく、きちんとしたドレスを纏っているのは正しいが。
彼女は既に女暗殺者の前で、微笑み。
『それよりもじゃ、ほう! これが異界のネコか、なんともめんこいではないか!』
「めんこい?」
『人間は可愛い生き物をそう呼ぶのであろう? 妾がまだおぬしの世界に居た頃に、そう耳にしたのだが』
「ああ、方言ですか……あなた、北海道にも足を運んだことがあったのですね」
『なにしろあの大地の飯は上手い。指に折って数えたくなるグルメの数々……チーズに蟹にソフトクリーム。蕩ける脂のジンギスカン。なに、安心せよ。そなたとてめんこいぞ? ちゃんと妾の心はそなただけのもの、故に、ネコに嫉妬はするでないぞ?』
良いな? と、アシュトレトは本気で私に説き伏せる。
「猫に嫉妬などしませんよ……それよりもアシュトレト、力加減を間違えないようにしてください。ニャースケの能力は私の眷属とする事で大幅に強化されましたが、あなたの力にはさすがに遠く及ばない。ネコを抱きなれていないあなたでは……と、あいかわらず人の話を聞いていませんね」
アシュトレトは生のネコを撫でたかったのだろう。
私は女暗殺者に目線を送り。
「すみません、少しだけ抱かせてあげてください。彼女は生きた猫をこうしてみるのは初めてなのでしょう」
「か、構いませんが……か、彼女はいったいどこから」
「詳しい説明は省きますが、はじめから捕まってはいなかったという事です。あなた方に信用して貰うためには、私も人質を取られているとした方が楽でしたからね」
「それでは何故ピスタチオ姫を……っ、なるほど」
「ええ、彼女は生きていますよ。もっとも、彼女はこの国を誰よりも思っていた王族。いざとなったら全てを許し、真っ当な行動をとってしまうでしょう――私と姫様の思惑は違うところにある。私の邪魔をされても困りますからね、隔離された状態にあります」
ネコの腹に顔を埋めようとするアシュトレト。
頬を肉球で押し返される姿に息を漏らした私は言う。
「もう十分でしょう。あなたは一応行方不明という事になっているのです、そろそろ隠れてください」
『それもつまらん――そうじゃ! この屋敷の人間は全て自我を奪い傀儡としたのであろう?』
「ええ、まあ」
『ならば妾はしばらくここに住む! ニャースケとやらとまだまだ遊びたいからのう!』
「またあなたは勝手に決めて……言っても無駄でしょうが」
『どれ、それでは妾がこの領土を上書きしてやろうではないか』
告げて女神アシュトレトは女神としての権能を発動。
貴族屋敷の周囲に地割れが発生し、重厚な音が鳴り続ける。
窓の外の景色が徐々に変化する。
耳を跳ねさせたニャースケが、主人を守るように腕の中に戻る中。
女暗殺者がぞっとした様子で息を呑む。
「屋敷が、いえ……周囲が、浮いている!?」
「空中庭園再現魔術、でしょうね……アシュトレト、これでは目立ちます」
『どうせ海竜に全てが押し流されるのだ、こうしておけば屋敷は無事。むしろ人助けであろう?』
「まだ海竜がこの国を全滅させると決まったわけではないですよ」
『はて、どうかのう。頼みの綱のピスタチオ姫はそなたの闇の中、まあそなたが保護していなければこやつらに殺されていたわけだが……海竜の目的はあのピスタチオ姫にあるのであろう?』
「おや、気付いていたのですか」
『妾を誰だと思っておる――昼の陽射しと在るモノ。全能たる地母神にして、創造主。女神アシュトレトなるぞ?』
アシュトレトが神の威光を示すべく、夜だというのに昼の陽射しを召喚。
その身をキラキラと無駄に輝かせている。
女暗殺者が女神……!?
と驚愕しているが。
『分かりましたから、その無駄な光を消してください。この空中庭園でのんびりしてくれて構いませんから、私の邪魔だけはしないでくださいね』
「約束はできぬが、ほれ、ニャースケ。妾の膝に乗って構わぬぞ?」
いつのまにか作り出した下僕たちの肉の椅子の上。
わざわざ美形男女の貴族たちの首に鎖をかけ、生きた椅子とし――ずしり。
女神は妖しく微笑する。
私からすると肉欲を愛する怪しい女帝にしか見えないが、耐性のない女暗殺者からするとそれはまさしく美の女神そのものに見えるのだろう。
ニャースケも女暗殺者の腕の中で、人間玉座に鎮座する女神の膝をじっと眺めている。
ネコの本能として高い場所に行きたいのだろう。
「ずっと檻の中にいたのでしょうからね、申し訳ない、しばらくアシュトレトにあなたの家族を貸していただけますか?」
「か、構いませんが……賢者様、あなた達は、いったい……なにものなのです」
「何者かと言われたら答えに困るのですが、でも、そうですね。私は確かに賢者と呼ばれております、けれどそれは皆さまが勝手にそう呼んでいるだけ――とはお答えしておきましょう」
「これからなにをするつもりなのですか」
しばし考え。
海竜の進軍が始まった地上を空中庭園から見下ろし、私は言う。
「――しばらくはショーカ姫様の余興にお付き合いいたしますよ。彼女を立派な女王にしたい、それが依頼人のご意向ですので」
海竜は王都に向かって進んでいた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
翌日の事。
さすがに西の辺境伯の領地が海竜に襲われたとなって、クリームヘイト王国は大混乱。
王城ではすでに会議が始まっていた。
会議を開くのは、傍受を防ぐ魔力に満ちた部屋だった。
王に従者にショーカ姫。
騎士団長に、冒険者ギルドの長に教会からは聖職者の長。
そして多くの貴族の姿がある。
そんな彼らが入室する私に目線を向けてくる。
「お呼びですか、皆さま――」
「ああ! レイド様! ショーカのために来てくれたのですね!」
ショーカ姫が私を席へと案内する。
そこは王の隣であり、姫の隣。
本来なら旅の魔術師が座る席ではないが、異論を告げるものは誰もいない。
「いったい何があったというのです?」
「それが――」
突然の海竜に、突如現れた空中庭園。
それらの事件の話を今ようやく聞いた顔で、私は言う。
「それは大変なことが起こっていたのですね」
「ええ、ええ! そうなのです! けれど、レイド様なら解決策を導いて下さるのではないかと、皆があなたを待っていたのです」
私は王に目線を向ける。
王は頷き。
「頼む、賢者殿。どうか策を、策を――」
「そうですね、それではまずピスタチオ姫を呼び戻してください。この事態を解決させるには彼女が必要となります」
王が言う。
「ピスタチオを? か、構わぬが、いまあのお転婆はどこに」
失踪していると伝えているのに、忘れている。
実の娘だというのに、それほど興味がなかったのだろう。
口うるさい娘がしばらくいなくなっている、それだけだと思っていたのだろう。
王の言葉に返事はない。
ショーカ姫の瞳は揺れている。いや、泳いでいるというべきか。
「ショーカ、お前は何か知っているのかい?」
「い、いいえ、お父様。ショーカはお姉さまがどこに行ったのか……知りませんわ」
「おや、それはおかしいですね。ショーカ姫ならば知っている筈なのですが――」
「レイド様!?」
狼狽する姫の前で、私は口だけを蠢かす。
「我儘ばかりで王女としての自覚がないピスタチオ姫に少し灸をすえるべく、姫様がお命じになられたのでしょう?」
「命じ? いったいショーカは何を命じたというのだ」
「さあ、私もそこまでは――ただショーカ姫がピスタチオ姫の御身を預かっていると、私はそう聞いております」
姫の指が、ぎゅっと揺れ始める。
「陛下、ショーカ姫をお叱りにはならないでください。ピスタチオ姫殿下が少々おてんばであったのは事実。それを諫めるのも妹の仕事と思ったのでしょう。安心してください姫様、皆、わかって下さいます。ですが、今回の件はピスタチオ姫がいなければ解決しない。どうか、呼び戻していただけませんか?」
「ショーカは……ショーカは知りませんの!」
「それはおかしい、あなたは今、彼女がどこにいるのかご存じの筈。大丈夫です、まさか母が違うとはいえ実の姉の命まで取るなどということは、ないのでしょう?」
そう、普通なら命までは取らない。
家族ならば、同じ王の血が繋がっているのなら。
だが、それが政争なのだろう。
私が言う。
「さあ、どうかピスタチオ姫がどこにいるのか、皆に教えてあげてください。ショーカ姫様はただ少し、姉への諫めを強くしてしまっただけ。姉妹だからこその愛だったのでしょう。けれど事態は急を要するのです。ピスタチオ姫さえいれば、この国は救われるのです、まさか国を犠牲にしてまで意地を張るつもりはないのでしょう?」
姉の居場所を言えばいいだけ。
けれど、それはできない。
なぜなら。
愚王と言えど、さすがに気が付いたのだろう。
王が言う。
「ショーカ……まさか、そなた」
「ち、違うのです! こ、これは賢者さんの企みですわ! ショーカじゃございません! ショーカじゃございませんの!」
姫は私を睨み。
「お姉さまをどこにやったのです、この卑怯者!」
ある意味で正解なのだが。
私は苦笑してみせた。
「それが答えでよろしいのですね、ショーカ姫。いえ、クリームヘイト王国の民たちよ」
私は彼らに問いかけた。