第43話 姫が死んだ日
油断している部屋の中を襲う殺気。
これは私の脳裏を揺さぶる出来事。
魔王に覚醒する前の私にとって苦いあの日、アントロワイズ家を喪ったあの時の状況を思い出させていた。
けれど、もう私はあの時の私ではない。
部屋を囲う者たちに向け、私は凛と告げていた。
「私ともども第一王女ピスタチオ殿下を消し去るつもりですか?」
「……賢者よ、この王宮に関わった自らの浅慮を呪うがいい」
返答は暗殺者のモノ。
おそらく種族は人間。
彼らは気配を消しているつもりらしいが、私には世界をマップとして表示できる瞳がある。部屋の四方を囲む四つの赤いマークは、人間の敵の証。
「関わろうとはしていなかったのですがね」
「さて、どうするつもりだ? 今更気付いたようだが、この包囲だ、もはや遅い。駆け引きのつもりで声をかけたようだが、愚かなことだ――」
ピスタチオ姫が無言のまま、けれど魔導書を召喚し戦いの準備を始めるが。
私は首を横に振っていた。
「暗殺者の方々にお聞きしますが、私と姫様を殺した後、どうやって事態を収拾させるおつもりなのですか?」
「知れた事。賢者よ、全ては貴様がやったことにし姫は魔力爆発に巻き込まれ行方不明。それで解決だ」
「解決するはずがないでしょう……」
「……」
「ショーカ姫の命令とは言え、よくそのような稚拙な作戦に従えますね。威を借るつもりはありませんが、私はこれでも勇者とは親しい間柄。そしてなにより、騎士団長とも冒険者ギルドとも教会とも繋がっている。私が失踪したとなれば、必ずあなたがたの主人に疑いの目が行くと思いますが」
それでも、命令に従うしかない。
おそらくはそう言いだす筈。
「それでも、我等はあの方に従うしか道がない。愚かな小娘と分かっていても、それしか――」
「おや、複雑な心中お察しします」
「察してくれているのなら、この場で死んで頂こう」
「お待ちなさい――あなたがたもあのショーカ姫に従うしか生きる道がない、それは理解できました。ならば交渉です、私もピスタチオ姫を捨てて、そちらの姫につきましょう」
空気が一瞬かたまった。
ピスタチオ姫は既に私の性格と、私が姫を裏切らない性分だとは知っているようで、ジト目である。
なにをやらかすつもりなのかと。
私は邪杖ビィルゼブブを召喚し、装備。
トンと石突で絨毯を叩き、明け方の女神ダゴンの力を借りて部屋を囲う敵の時間を一旦停止。
『あなたにはしばらく、闇の空間で死んでいることになって貰います』
『魔力会話を使って大丈夫なのですか? 傍受される可能性もありますが』
『私はこれでもそれなりの使い手ですからね――空間に干渉し、時間軸を操作しております。意図して周囲に知らせる設定にしていたら話は別ですが、魔力による会話魔術であっても観測されることはありませんよ』
『そうですか……それで、この美しい黒き聖女様は?』
困惑と興味。
二つの感情に支配されているピスタチオ姫に抱き着いていたのは、バアルゼブブ。
バアルゼブブもこれでも女神、私の前ではデヘりと口を溶かして、更に身体さえも地面にべったりと溶けている姿を見せているが……対外的な美しさならば、アシュトレトにも引けを取らない。
人見知りな性質もあるバアルゼブブが、小さく口を開く。
『レイド……ぼくが、彼女を預かればいいんだね?』
『ええ、これでも一国の王女様です。丁重にお願いいたします……そうですね、対応などはダゴンに頼んでください。彼女ならば人間の常識の範囲で、姫の接待をしてくれるでしょうから』
『僕も……接待できるよ?』
『あなたがですか?』
『できるよ?』
黄昏の女神たるバアルゼブブは胸の前で拳をぎゅっと握り、ふんふん!
やる気満々だが。
私はしばし考え。
『一応聞きますが、人間が何を食べるかは――』
『し、死体だよね……ぼ、ぼくたちと一緒だね?』
『間違ってはいませんが――不安な回答ですね』
『み、みずとタンパク質……を、与えればいいんだよね? ぼ、ぼく、いい食べ物を知ってるよ?』
告げるバアルゼブブの脳裏にあるのはおそらく、水ではなくミミズ。
鳥の餌付けなら問題ないが。
『……ピスタチオ姫、大変申し訳ないのですが、彼女に人間がどんな生活をするのか教えて貰ってもいいですか?』
『構いませんが――えーと、こちらの方は』
バアルゼブブの名を聞こうとする彼女の声に反応し、ジジジジジジっと羽音が鳴る。
蟲の羽の音と共に、声が多重に反響する。
『ぼ、ぼくは』
『あ、あたしたちは』
『黄昏の女神……レイドの、は、伴侶なんだよ?』
『奥様でしたか、これは失礼いたしました――この度はわたくしごとで大切な方を巻き込んでしまい申し訳ありません、黄昏の女神様』
女神と聞き、そして伴侶と聞いたピスタチオ姫はハッとしたのだろう。
礼儀正しい淑女の対応をしてみせていた。
『女神なのは本当ですが、騙されないでください――彼女と伴侶の契約を交わした覚えはありません』
『そうなのですか? わたくしにはお二人は素敵なご関係。互いに理解しあえているように見えておりますが……』
バアルゼブブがうんうんと頷き、デヘヘヘヘ。
まあたしかに。
魔王たる私と悪魔蟲王ともいえる彼女との相性も悪くはないのだが。
『私と女神については……まあいいでしょう。ともあれ今から私は貴女を裏切ります。苦しむ演技を頼みますよ』
魔術会話を打ち切り。
私は固めていた暗殺者の時間を解凍。
同時に邪杖ビィルゼブブから生み出した闇でピスタチオ姫を包み。
「暗殺者の方々に信用して貰うためです。私もここで死にたくはない。彼らの言葉ではありませんが、その生まれを呪いなさい哀れなピスタチオ姫」
「な、なにをなさるのです!」
室内で事が起こっていると察したのか、暗殺者が突入してくる。
彼らの目には、私が魔術で王女を闇で包み、影の腕で絞殺しようとする姿が見えているだろう。
「わたくしを……っ、裏切るというのですか!」
「私はただ長いものに巻かれるだけ。暗殺者の皆さん、ショーカ姫のお傍に私の席はありますか?」
「あ、ああ……姫様に事情を説明すれば、おそらくは」
「おそらくでは困るのです。そうですね、このまま私は姫を拘束しておきます、申し訳ないのですが彼女にご足労いただけますか?」
暗殺者の動きが固まる。
「図に乗るなよ、賢者。我等は貴様を信用しているわけではない」
「それでも構いませんよ、私は姫の拘束を解き――この腕のターゲットをあなたたちに変えるだけでいい」
姫と同時に私を殺した方が早いと判断したのだろう。
暗殺者たちが影に身を落とす暗殺者のスキルを使用し、闇に溶け――駆ける。
対象は四人。
けれど、私は動かず片眉を下げ。
「影に身を潜める盗賊や暗殺者のスキル。気配を消してみせたのは見事です。ですが、甘く脆い。その弱点は自らの身を影というフィールドに落とすこと……既にあなたがたは魔術の効果範囲という事です。対処法を教えて差し上げましょう――」
いつものように私は邪杖ビィルゼブブで絨毯を叩き。
蠢く四つの影に干渉。
「影拘束魔術:【影呪縛】」
正午の太陽で濃くなった私の影が鎖となり、相手の影に投射される。
それはまるで絡み合う蛇のうねり。
暗殺者たちは回避しようと影ごと跳ねるが、既に相手は私の術中。
ジジジジジっと影の鎖がターゲットを捕縛していた。
「バカな……っ!?」
「う、動けぬ……」
影が実体化し、黒づくめの男女の姿が顕現。
やはり相手は四人。
本来なら相手の影を縛り、相手の本体を拘束させる行動妨害魔術なのだが。
「だから言ったでしょう、影と同化する系統のスキルは未発見状態ならば有効ですが……既に見えていたのなら、弱点だらけ。案外に脆いのですよ」
もはや敗北が確定したからか。
暗殺者たちの口から、ガリっと音がする。
奥歯に仕込んでいた毒の丸薬か何かを噛み下したのだろう。
だが――。
「毒治療魔術:【高位解毒】」
死なせてしまったら意味がない。
解毒されたと察した彼らは舌を噛み切り、黒い血を吐き自決を選ぶが。
やはり私は手を翳すことなく。
「恒久回復魔術:【連鎖断続回復】」
噛み切り落とした粘膜が再生。
喉を絞めるはずの暗殺者の舌が光り輝き、在るべき場所へと戻されていた。
それはダメージを受ける度に発動する、条件起動の遅延回復魔術。
これで自害はできなくなる。
「ああ、なにをやっても無駄ですよ。あなたたちは私の眼の前で死を選ぶことはできない」
「バ、バケモノかきさま……っ」
「暗殺者の方々に言われたくはないのですが、否定はしませんよ。さて、どうしますか? 私はどちらでもいいのです。このままあなたがたから犯人の名前を聞き出し、王陛下に報告してもいいのですが」
暗殺者たちの瞳が揺れる。
「なるほど、あなたがたはショーカ姫の勢力に家族を人質に取られているのですね」
「なぜ、それを――!」
「申し訳ありませんが、あのショーカ姫にそれほどのカリスマはない。けれど、あなたがたは姫様の悪事がバレる事に今、怯えた。忠義もないのに汚れ仕事を請け負っている場合、理由は限られてくる。金のため、生活のため、そして、誰か大切な人のため。おそらくはその全てをあなたがたはあの少女と、その背後にいる貴族に握られている」
ようするに、家族の命をちらつかせ、逆らえないようにしているのだ。
「あなたがたは失敗したら迷わず死を選んだ。その理由も考えれば、まあパターンは限られるでしょうからね。そして、一応言っておきますが舌を噛み切っても死にはしませんよ。それは英雄譚やサーガでの創作。人間はそこまで脆くはない……もし拘束された状態で自決を選ぶのなら……いえ、これは蛇足ですね。さて、静かになりました。話し合いを継続しましょう、事情を説明していただけますか?」
事情はとても月並み、ありきたりな内容だった。
彼らは落ちぶれた貴族の傍系。
ショーカ姫を女王にしたい貴族たちに飼われ、人殺しのプロとして育てられた暗殺者。
少し変わっていたのは、それでも彼らには家族がいた事だろう。
ショーカ姫を神輿に担ぐ貴族たちは、暗殺者たちに敢えて普通の家族を与えたのだ。
幸せと温もりを教え込み、それを守りたいと願わせ――そして同時に、いつでもその幸せを潰せるように動いた。
それは人であったり、愛玩動物であったり様々。
共通しているのはやはり、その命が悪しき者達に握られていることにあるだろう。
男には家族がいた。
その体内には爆薬の呪印が隠されている。
女には飼い猫がいた。
そのネコは檻の中で、その命を握られている。
暗殺者である彼らは、いつ家族が殺されるか分からぬ恐怖の中、日々、汚い仕事を強制されているのだろう。
落ちぶれた貴族の傍系と言えど、彼らはマルキシコスに愛された金髪碧眼。神の加護により、その能力には上昇補正が働いている。
魔術が得意な女性ではなくとも、上位のスキルを発動できるのだろう。
「ピスタチオ姫を救えば、あなた達の家族が殺され。あなた達を殺せばピスタチオ姫は助かるが、あなた達とあなた達の家族が殺される。となると、単純な計算ですね」
「わたくしを……殺すのですね、賢者さま」
「さて、どうでしょうか。あなたを殺せば死者が一人で済むのは事実。人の命が等価かどうか、私にはわかりません。普通ならば姫の命の方が重いのでしょうが、選択はあなたに任せますよ姫様」
ピスタチオ姫は暗殺者を見て。
詫びるように頭を下げ、私に目線を投げつける。
「いいでしょう、わたくしをお殺しなさい。無辜なる民の命には代えられません」
暗殺者たちの背が揺れる。
あっさり自分の命を捨てる選択をするとは思っていなかったのだろう。
もちろん、姫は自分がバアルゼブブに回収されると知っているからこそ、あっさりと言ったのだが。
私は頷き。
「さようなら、ピスタチオ姫。私を巻き込んだ、己の浅慮を呪ってください」
「気付いて上げられなくて、本当に申し訳ありませんわ――」
姫が、本気で暗殺者たちに頭を下げた。
刹那――。
「待て!」
暗殺者の一人が制止した、その瞬間を狙い。
ぐじゅぅううううううううううううぅぅぅぅぅう!
闇の手が、姫の身体を潰す幻影を見せ、死体の幻影を映し出す。
偽の遺骸を闇の奥へと引きずり込んだのだ。
「な、なんということを……」
「おや、あなたがたが殺そうとしていた相手ですよ?」
「だが、姫様は……っ、我等と我等の家族のために、己を犠牲に……と、仰って下さった方。ショーカ姫ではなく、ピスタチオ姫の方が……この国のために……。わ、我等は、とんでもないことをしてしまったのではないか」
暗殺者の言葉はそう間違ったモノではない。
返り血を浴びる私は銀髪を鮮血に染めたまま、言った。
「どうでもいいですよ、そんなことは」
「貴様には人の心がないのか!?」
「――あなたがたが家族を人質にされていると聞き、ピンときました。アシュトレトの姿が見えないのです」
「まさか……っ」
「ええ、間違いなく。ショーカ姫か、その裏にいる外道たちに捕まっているのでしょうね」
むろん、ただ姿を消しているだけである。
だが、暗殺者である彼らには真実味がある言葉として伝わるだろう。
「一応聞きます、犯人はあなたがたですか?」
「違う……だが、姫様が……動いていたとしても、我等は疑問には思わぬ。そして、我ら以外にも駒はいる」
「でしょうね、だからこそ私はこうするしかなかった。私があなた方に殺されていても、用済みとなったアシュトレトは殺されてしまう」
冷静な声の裏。
瞳を閉じた私は、あえて拳を音が鳴るほどに握ってみせる。
闇の中で、ピスタチオ姫がいけしゃあしゃあと……と呆れているが、私は演技を継続。
「おそらく、ピスタチオ姫はアシュトレトの失踪を把握していたのでしょうね。だから、私に自分を殺せと言い切った。正直な話、私を宮廷の騒動に巻き込んだことを恨んでいるのですが……その精神には、敬意を表します」
「すまない……」
「あなたがたは被害者です。謝る必要などありませんよ」
被害者であると強調したことで、更に暗殺者の心を動かしただろう。
そこに付け込めばいい。
「お願いがあります」
「な、なんだ」
「私はピスタチオ姫を裏切りあなたがた、いえ、正確に言うのならあなたがたの事情には気付かず私欲のためにショーカ姫についた。そのように姫様に伝えていただけますか?」
「しかし……」
「自分勝手だとは分かっています、アシュトレトを救いたい、それだけの理由で私は動いてしまった。既に私は姫を殺し手を汚してしまった、もう、後には戻れないのです」
血を浴びた私は彼らを眺め。
少し、演技じみた声で言う。
「どうか、私を哂ってください。家族のために……まだ少女だった王族を殺した外道であることはもう、変えられないのですから」
私の容姿は男女問わず他者を魅了する。
それが魔王としての権能でもあるのだろう。
疲れた笑みをみせる私に、彼らは否が応でも心を動かされる。
暗殺者たちは私をショーカ姫に紹介する事を選んだ。
◇◆◇◆ ◇◆◇◆
ショーカ姫は私を受け入れた。
万能感が疑いを彼女に与えなかったのだろう。それはついに賢者が自分を選んだという、いつもの成功体験でしかなかったのだろう。
結論から言えば、姫は暗殺者たちの家族を人質に取っている事を知らなかった。
自分のために動いたと本気で信じているのだ。
おそらく彼女は悪い貴族に操られているだけ。
馬鹿な姫を使い、私利私欲を肥やし、国を操作しようとしているバカげた連中がいるのだろう。
ショーカ姫はただ踊り続けているだけ。
けれど、だ。
このショーカ姫にも救いは薄い。
姉を殺したというのに罪悪感を一切、感じてはいなかったのだ。
ずっと、姉を邪魔な存在として認識していたのだろう。
親ではない周囲の大人から、そう言われ続けていたのだろう。
それでも、実際に暗殺を命令して、それが実行されてしまったのなら。
……。
いずれ彼女が女王になる上でも、大きな失敗を経験させなければならない。
それが女王にはなれないピスタチオ姫の願いでもあると信じ。
私は粛々と策を動かした。