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第39話 古文書―始祖の罪―


 漁業と海洋資源が豊富なクリームヘイト王国。

 来賓が利用する王城の一室にて、三柱の女神が並ぶ御馳走を前に舌鼓。


『おぉ! これが刺身の盛り合わせに海鮮丼!』

『えへへへへ……、こ、この、殻、す、すごく、美味しいよ』

『あらあら、まあまあバアルゼブブちゃん。それは貝の殻だから……食べものじゃないのよ?』


 バリバリとカルシウムを齧るかのようにバアルゼブブが貝を齧る中。

 私は件の流れの交渉で手に入れた古文書。

 王家の書物を読み耽っていた。


『なんじゃレイド? 食べぬのか?』

「私は結構です。あなたがただけで召し上がって下さい」

『身の詰まったぷりっぷりっな海老に、脂の乗った赤魚の切り身。これぞ肉の誘惑。この国では発酵食の文化もすすんでおるのか、濃厚なたまり醤油が飯と絡み合って、舌の上で踊るのじゃ』

「それは大変結構ですね」

『うぬ? 本当に食わぬのか?』


 しその葉で切り身を巻き濃い醤油に付け、女神は軽い迎え舌で、ぱくり。


『美味である! 美味であるぞ、レイドよ!』

「あなたの趣味は否定しませんが――私もあなたがたも既に食事が要らぬ体。あえて食に明け暮れる事もないでしょう」

『そうか――なるほどのう』


 女神アシュトレトがふと真面目な顔になり、並ぶ料理を眺め。

 シリアスな声で濡れた唇を上下させていた。


『女体盛りが足りぬと、そう申すのだな?』


 本当にまじめに問いかけているので質が悪い。


『或いは男体盛りか。レイドも十五歳、年頃というむずかしい頃合いになったという事か……』

『アシュちゃん? 旦那様の額の青筋、見えてるかしら?』

『ふっふっふ、ダゴンも性に関しては知識が足りぬであろうからな。どれ、妾が女体盛りのなんたるかを無知なるものどもに教えてやろうではないか! 聞きたいであろう!? ダゴンよ!』

『え? あたくしはあまり女体盛りに美しさは感じませんので……。だいたい、人間の女ごとき矮小な存在を器に見立てるなど、おこがましいのです。人間ったら、彼らはあたくしたち女神と違って完璧な存在ではないというのに……。食べる食べない以前の問題とあたくしは思いますの』


 女神にとっては人間の美女であっても下等な器。

 そもそも評価に値しないのだろう。


『だが、レイドの男体盛りなら見たいであろう?』

『興味がないといったらウソになるけれど、あの、アシュちゃん? 本当に、そこまでにしておかないとたぶん旦那様、あなたにアルティミックを発動させちゃうと思うのよ?』


 ダゴンもアシュトレトのこういった阿呆な部分には呆れているようだが。

 そこに険悪さはない。どうしようもない妹や娘を見ているような、愚者を見守る寛容さがにじんでいる。

 本に落としていた目線を上げ、私は悪趣味な女神を睨み。


「食べ物を粗末にする人を私は好きにはなれません。非効率です」

『何を言うておる。女体盛りは食べモノであろう?』

「だいたい新鮮な刺身を人肌で温めてしまったら、雑菌が繁殖しやすいのでは? そもそもに人の肌というのは菌が繁殖しやすい土壌なのです、あなたも地面に置いたケーキを齧りたいとは思わないでしょう?」


 アシュトレトが栄螺さざえの酒蒸しのような貝料理を穿り。

 中の汁を指で救い舐めながら。


『まったく、レイドよ。おぬしにはロマンが足りぬぞ、ロマンが! おのこに生まれたからには女体盛りのひとつも体験せんでどうする! それでは立派な成人にはなれんぞ!』

「ならばあなたが女体盛りと、立派な成人の因果関係を証明するべきでしょうね」

『まったく人間とは分からぬ生き物だ。おぬしらは性の営みにより繁殖し、繁栄してきた種族。性の文化を否定するという事は人類そのものを否定することであろう? 自己否定も過ぎれば種の衰退に繋がるのではあるまいか』

「だからといって、あなたのような痴女を肯定する理由にはならないでしょう……」

『痴女とは、そうあまり褒めるでない。照れるではないか』


 上擦った声から察するに、本当に褒められていると判断しているようで、こちらも反応に困る。

 バアルゼブブが言う。


『て、て、ていうかね? た、た、ぶん。レイドは、生のお魚、好きじゃないんだと、ぼ、ぼくは思うよ?』

『……どーいうことじゃ?』

『な、なまのね? 魚がき、き、嫌いな人って、けっこう、いるって。ほ、本に、書いてあったよ?』


 三女神の目線が私に向く。

 指摘された私は王家の書庫から接収した古文書で顔を隠し。


「なんですか、その顔は。彼女が言うように生魚が苦手な人間は少なくないでしょう?」

『なんじゃ……ただの好き嫌いか。なるほどのう、この世界に来てからは新鮮な魚を食す機会が皆無であった。故に気付かなんだが……ほう、嫌いなものを隠すとは、おぬしにも人並みに可愛いところがあるではないか』

「そういう低俗な反応をされると分かっていたから黙っていただけです」

『だ、旦那様? あたくしは魚部分もありますが、だ、大丈夫ですわよね? お嫌いになど、なりませんわよね?』

「食の好き嫌いと、人の好き嫌いはまったくの別でしょう。ダゴン、あなたは一番知的で同じ趣味を持つ者。共に暮らすのならば一番好ましいと考えていますよ」


 事実を告げただけなのだが。

 ダゴンが、まあ! と、頬を赤くして顔を覆ってしまう。


『わ、妾とて本ぐらい読めるわ!』

『ぼ、ぼくだって、本を、た、食べられるよ?』

「張り合わないでください。それよりも、食事が終わったらこの国を発ちます。買いそびれなどがあるのなら今のうちに転移で済ませておいてください」

『そう急ぐこともあるまい? 夜には賢者であるそなたを歓迎するパーティ、それはすなわち妾を彩る社交界! 宴の準備もあると王が言っておったぞ! 此度は妾も姿を実体化させておるのだ、たまには下等な種族に妾の美しさを見せてやる慈悲も必要だろうて』


 実際、アシュトレトは腐っても女神。

 美の象徴としての権能はすさまじく、舞踏会ともなれば間違いなく主役となってしまうほどの、ただ在るだけで全てを魅了する、圧倒的な美を持っているが。


「急ぐ必要があるのです」

『嫉妬であるな?』

「あなたのその前向き過ぎる思考と能天気さには感服し、稀に嫉妬したくなる時もありますが、違いますよ」


 ダゴンが私の手にする書を眺め。


『なにか書かれていたのです?』

「おそらく、数カ月以内にこのクリームヘイト王国は海竜に襲われるでしょう。理由はそれだけではありません、どうも王宮内に妙な派閥意識を感じます。姿こそ見せておりませんでしたが王には早く亡くした妻の後釜、後妻がいる。魔術に長けたピスタチオ魔導姫ではない、別の跡継ぎ候補も存在しているようです。私は二度と、王宮の跡継ぎ争いに巻き込まれたくありませんからね。面倒ごとは御免なので、その前に去りましょう」


 うぬ! とアシュトレトが私を振り向き。


『海竜とな!』

「なんですかアシュトレト、その顔は……」

『せっかくじゃ、海竜を滅しドラゴンステーキをしょくしたいと思うのであるが?』

「ドラゴンステーキなどその辺を歩いている野良魔竜を滅ぼせばいいでしょう。いつ来るか分からぬ海竜を待つほど私も暇ではありませんよ。それに、どちらを守るかで私も考えなくてはならなくなりますからね」

『どーいうことじゃ?』

「海竜がこの国を亡ぼしに来るのには理由があるのです」


 告げて私は解読した古文書から映像を投影。


「言い訳が長々と書かれていたのですが、古文書を要約するとこうなります――この国の始祖となった初代王クリームヘイトはかつて、契約していた海竜を裏切り海竜の子を殺し、食らい、力を得た。初代王はビーストテイマーやドラゴンテイマーといった、獣や魔物を使役する職業だったのでしょうね。その時に子を殺された親の海竜は不意を突かれ、初代王に封印されたのですが」

『うふふふふ。旦那様、あたくしには話が見えましたわ。契約獣を裏切った人間、つまりは初代クリームヘイト王の施した海竜への封印が解けるのが、ちょうどこの時期、計算すると数カ月以内……ということなのですね』

「ええ、これはその警告を記した書なのです」


 初代王が海竜の子を殺し食らうシーンが、リアルな映像に再現され流れ続ける。

 子を食われた親竜が、クリームヘイトを怨嗟し、呪う姿が古文書から読み取れるのだ。


「全ては遠き過去。この国にとってはもはやお伽話にすらならない、忘れられた伝承。時の流れと共に言語が変わり、文字が変わり……古文書故に解読もされず、そのまま放置されていたのでしょう。おそらく、この国の誰も、建国の祖が海竜を裏切り王族となったとは覚えていないと思われます」

『なるほどのう、たしかにどちらを助けるかとなったら判断に困る案件であるな』

「勇者ならばそれでも人類を守らなければならないのでしょうが、私は違いますからね。ならば、初めからかかわらずに去るのが賢明と言えるでしょう」


 ダゴンもバアルゼブブも同意している。

 だが、アシュトレトが言う。


『であるが、まあ人間どもに警告ぐらいはしてやっても良いのではないか?』


 一瞬で静寂が、広がった。


『アシュちゃんが』

『に、にんげん、の、た、ために、け、警告?』

「これは驚きましたね――」


 私と女神二柱が眉間にしわを刻み、集合。

 コスメだグルメだと贅の限りを堪能するうちに、ついに狂ったかと。

 ヒソヒソヒソ――あまりの異常事態に混乱する中。


『聞こえておるぞ、おぬしら』

「しかし、実際、本当に驚いているのです。最近の貴女は少し様子が変ではありませんか? 以前ならば、そのようなことは些事と気にしていなかった筈ですが」

『ふむ、そうやもしれぬ……』

「なにか悪いものを拾い食いしたりはしていませんよね?」

『シリアスな美形顔で何をぬかしておる! 妾をそこらのバカ犬と同じにするでない! じゃが。そうじゃな、どうも……ポーラの一件以来、妾の内にある思考に変化がでているとは感じておる。このよく分からぬ感情が何なのか、妾にも理解できん』


 女神アシュトレトの中で、なにか変化があるのだろう。

 もっとも、普通の人間ならばおそらくは彼女の反応の方が正しい。

 どちらを優先することはできない以上、助ける助けないにしても、警告だけは残していく――倫理観を考えれば悪い判断ではないのだ。


 これではむしろ私の方が人の心を知らぬ存在に思えてしまう。

 しかし。


「問題は私が彼らに事実を伝え、それを信じて貰えるかどうかですね」

『旦那様、ならばやはり事実を書いた手紙だけを残し去る。信じる信じないはこの国のモノたちに任せる、いかがでしょうか?』

『妾も異論はないぞ。なにもせずに去るというのが、この馳走による持て成しを受けた後で心に引っかかっておるだけだろうからな。バアルゼブブは……まあ、聞かずとも分かるか』


 バアルゼブブはむろん、興味がない様子である。

 この国が海竜に滅ぼされようが、逆に海竜が復讐を果たせず負けようがどちらでもいいのだろう。


 私は古文書を解読した事と事実をしたため、王城を後にすることにした。

 これでこの話は終わる。

 筈だったのだが。


 私は魔王。

 聴覚も人より発達していたのだろう。

 城を去ろうと中庭に出た瞬間に、その声を耳が拾ってしまったのだ。


「わたくしは、わたくしはただっ……国のために、皆のために頑張っているだけですのにっ。どうしてわかってくれないのですっ」


 それは――防音結界の中で独り泣く、少女の声。

 耳にしてしまった以上、聞かなかったことにはできない。無視する事ができないのは彼女が金髪碧眼の少女だからだろう。

 この大陸の貴族はマルキシコスに愛される金髪碧眼。

 このピスタチオ姫も、どことなく姉ポーラの面影を滲ませていたのだ。


「そのような所で泣かれていては、誰かに聞いてくれと言っているようなものです。隠れて泣くのなら、場所はもう少し考慮するべきでしたね」

「そなたは……」

「どうせ私は異邦人。すぐにこの地を去る身、あなたにとっても部外者――ゆえに、私に対する恥も外聞もないでしょう。まあ、話ぐらいはお聞きしますよ」


 ピスタチオお嬢様は庭園の茂みで、涙を拭っていた。


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