第37話 魅惑の白銀公
のう、レイドよ。妾は刺身の盛り合わせを所望するのだが?
と、昼の女神アシュトレトが我儘を言い続けて三日。
これは、港町エイセンで図書館にこもる私。
女神たちに祝福された幸福の魔王レイドが、そのしつこさに負け――図書館から出たことをきっかけとした事件であった。
時はカルバニアの事件から半年後。
時刻は正午。
場所はまだ、カルバニアとは陸続きの大陸。
魔力と津波を遮断する海無石で築かれた、船着き場にて。
白銀の髪を靡かせる赤い瞳の青年の姿が、潮騒響く海に反射している。
その横には貴族であろうと道を開けるだろう高貴な神、美貌の女神の姿があった。
「アシュトレト、あなたならば今のようにまともな服を着て歩けば――、一人で行動できるのです。自分で食べに行けるでしょう」
『そうつれない事を言うでない。夫と共に食事を楽しみたいという妾の、健気な気持ちが分からぬお主ではあるまい?』
「夫ではないと言っているでしょう……」
『どう転んでも妾のモノになるのだ、ならば今呼んだとて問題なかろうて。そなたももう肉体年齢は十五歳、収穫時期であるな?』
「人を作物のように言わないでください」
『おう、怒るな怒るな。立派な男になって妾たちは大変満足しておるというのに』
勝手な事を言う女神は私よりも前を歩き、後ろで手を組み振り返り。
『さて、今宵辺りにそろそろおぬしの純潔を……っと、レイド! レイドよ! どこに行った!?』
アシュトレトがキョロキョロと周囲を探す奥。
私は目の端に入った古書を扱う露店を発見。
じぃぃぃぃぃいっと眺め。
「ここにある書を全て購入したら、いくらまで値引きしていただけますか?」
私の足は飲食店ではなく、勝手に本屋へと吸い寄せられていた。
『こら! なにをやっておる!』
「なにとは……?」
『おぬし、四日前もふらりと立ち寄った本屋で全ての書を購入し、店主をドン引きさせていたばかりであろう!』
「本とは人類の叡智が詰まった宝。それが正しき知識であろうがなかろうが、そこには多くの知恵が刻まれている。書とは一期一会。特に露店で販売されている本など、次、いつ出会えるか分からない一生に一度の出会い。ならばこそ、この私のアイテム空間に保管しておくべきだと思うのですが?」
『思うのですがではない! いくらかかると思っておるのだ!』
「……まあ、金など稼げばいいではないですか。ダゴンも本を読むのが好きなので、最近は私のアイテム空間に引きこもって毎日読書に明け暮れておりますよ?」
私は本を買いたい。本好きで知的なダゴンも賛成。バアルゼブブはどうでもいいと黄昏まで昼寝。
一人だけコスメだグルメだと美や食を追求するアシュトレトだけが、書を買うのにいつも反対なのだ。
『はぁ……レイドよ、おぬし、これではヒモであるぞ?』
「紐? 宇宙の話ですか?」
『宇宙ひも理論の話のわけがあるか! 今活動している資金がどこからでておるか、言ってみよ』
問いかけに私は考えて。
「ふと誘われ貴族のご婦人のエスコートをし、社交界に誘われ少し微笑むだけでお金が入ってきた。それだけですが?」
『おぬし……貴族どもに何と言われておるか知っておるか?』
「魅惑の白銀公でしょう? 良い名ではないですか」
『ただ美貌と話術のみで社交界にデビューした、いかがわしい若者ということじゃ! だいたい! 貴婦人どもから受け取った貴金属をその日のうちに売り払うのはどうなのだ!? 恥ずかしくはないのか!?』
「しかし、彼女たちは私の役に立つと喜んでいましたよ?」
実際、私も喜んでいる。
そして相場よりも安く貴族の貴金属を得た道具屋も喜び、その道具屋から相場よりも安く貴金属を購入できた近所の奥様方も喜んでいる。
「経済が成り立っていますね?」
『妾はそーいうことを問題視しているのではない! 気概の問題だ、気概の! こう、金を稼ぐなら魔竜のねぐらを滅ぼすなり、人間の戦争に加担し英雄となり莫大の富を得たり。なんか、こうあるであろう!?』
金を入手するという結論が一緒ならば、今のままでも問題ないと思うのだが。
バアルゼブブが影から眠そうな顔を出し、モジモジモジ。
『あああ、あのね? ア、アシュちゃん?』
『なんじゃバアルゼブブ。寝ておったのではないのか?』
『アア、ア、ア、アシュちゃんが、さ、騒いでるから……お、起きちゃったん、だよ?』
『そうか、それは悪かったが。そなたからも言ってやれ、さすがに人としてその生活はどうなのかと』
バアルゼブブは清楚で淑やかな顔を横にぐぎりと倒し。
『な、なにか、も、問題あるの?』
『問題大ありだろう! 我等のレイドが、貴族どものヒモになっておるのだぞ!』
『で、でも、レイドも、ほ、本を、いっぱい買えて。ダ、ダゴンちゃんも、本を読めて、う、嬉しいって。あ、あたしも、ぼ、ぼくも、レイドと、ダゴンちゃんが、う、嬉しいなら、それで、いいよ?』
「だそうですよ」
アシュトレトは一人、肩を落とし。
『おぬしらに常識を求めた妾が間違っておったわ……』
「過ちに気付けるという事は素晴らしいですね」
『妾は皮肉を言うておるのじゃ。なんにせよ、そろそろ貴族どもの社交界で金を稼ぐのはやめよ。おぬしがもっとも嫌うところの、面倒な事に巻き込まれても知らんぞ』
たしかに、アシュトレトの忠告も理解ができる。
だが。
「どうやら、遅かったようですね」
『なんじゃ、この連中は――』
魅惑の白銀公は本を買い漁っている。
そんな噂が既に港町エイセンに広がっていたのだろう。
おそらく、この本の露店そのものが罠。
いつのまにか私は、貴族の私兵と思われる騎士たちに囲まれていたのだ。