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第36話 少年期エピローグ


 旅立ちの朝はやはり明け方。

 市場の早朝の仕込みが発生するより前。

 朝を知らせる鳥だけが私たちを見送っていた。


 勘のいい野鳥は女神たちの姿に気付いているのだろう。

 鳥の中でも反応はさまざま。

 女神の美しさを眺める者、女神の悍ましさに飛び立つ者、女神の慈悲を与ろうと近くに寄ってくる者。


 離れる街を振り返り黄昏の女神が言う。


『あ、挨拶、し、して、いかなくて、いいの?』

「構いませんよ、手紙だけは残しておきましたから」

『だ、だ、だって、しゅしゅ、出発は三日後、だって』

「どうせ引き留められるのは分かっていますからね、面倒ごとは御免ですよ」


 昼の女神が言う。


『バアルゼブブは良い子だのう。なれど、妾もはやく海鮮料理が食べたいのじゃ。く港へと参ろうぞ、腹が減って敵わぬ』

『あら? ふふふふ、アシュトレトちゃんがあの老婆を見送るから滞在するといったのに』

『それはそれ、これはこれなのじゃ』


 三女神たちの頭の中には既に港街が広がっているのだろう。

 既に復讐も果たし、ポーラも天寿を全うした。

 今の私に目的はない。

 だからこそ、彼女たちが行きたい場所に行くことに異論はない。


 ダゴンが言う。


『そういえば、旦那様。勇者ガノッサはよろしいのですか?』

「よろしいとは?」

『ここで消しておいた方が面倒も減るかと存じますが』

「仮に勇者が交代制や人数制限のある職業なのだとしたら、彼にはあのまま勇者でいて頂いた方が得策でしょう」

『あの男を生かすのか、妾は構わぬがバアルゼブブよそなたはどうじゃ?』

『ぼ、ぼくたち、あ、あ、あたしたちは、いつか、食べたいなとは、へへへ、思うんだよ』


 やはり根は邪悪。


「人間や人間に類する存在はなるべく捕食しないでください」

『オ、オークとか……ゴゴゴ、ゴブリンとかは?』

「知恵があるか、文明があるか、会話が通じるか。その辺りで判断したいですね」

『じゃ、じゃあ、あ、あ、あ、あれは、会話できるから、た、食べちゃ、駄目なんだね』


 バアルゼブブの目線の先には、白銀の鎧。

 新しい旅を見送るように一人、待っていた女性がいる。

 この帝国の姫であり騎士のライラが待っていたのだ。


「おや、どうして予定より早く出ると分かったのですか?」

「レイド君、貴殿の行動は存外に分かりやすい。どうせ、国中の見送りが面倒だからと何も告げずに消えるだろうとはなんとなくな」

「しかし、今日だとよく分かりましたね」

「ただ毎日、毎朝待っていただけだ」

「……あなたは、非効率的なことをなさるのですね……」

「それでも、こうして君に別れを言うことができる。むしろ最も効率的ではないか? もし事前に釘を刺していたら、きっと君は去り方を変えるだろうからな」


 どことなく初代マルダーの面影を残す姫様は、ドヤ顔である。

 行動を読まれていたという事だろう。


「それでやはり、別れを告げずに行くつもりなのか?」

「彼らは私を魔王だとは知らず、二百年前の救国の英雄レイドの再臨だと無邪気に喜んでいる。少し騙しているような感覚もありますからね」

「父もわたしも、貴殿にはこの帝国に残って欲しいと願っているが」

「魔術の基礎についても、教え方についても資料を残したでしょう?」

「そういった面でも君がいてくれるとありがたいが、それだけではない」


 ライラは眉を下げながら頭を下げる。

 その感情を言葉で表現するのならば、おそらくは感謝だ。


「本当に、我等は君に感謝しているのだ。わたし個人もな。帝国を救ってくれて、父を救ってくれて、勇者を救ってくれて……わたしを救ってくれた。恩を感じるなという方が無理だろう」

「ついでですよ。様々な事の」

「魔王陛下はついでで国を救ってくれるのか?」


 ついでに国に永住しないかと、その瞳は言っている。


「……あなたがたは私の姉ポーラが住んでいた国の人間。蘇生された時の彼女はまだ子どもでした。勇者ガノッサに代わり、彼女が大人になるまで育ててくれたのはあなたがたの先祖。一応の恩は感じているのです」

「それは人間を買い被り過ぎだろうな。貴殿の姉は勇者から莫大な金を受け取っていた。当時少女だったポーラ老の後見人となった者にとっては、まあ財産や報酬目当てでもあったのだろう」

「それでも、姉は百歳を超えた年齢まで生きた。そして最後の最後で、私との再会を果たすことができた。実際、本当に感謝しているのです」

「ならばずっと君もこの帝国で」


 言葉を遮るように私は断言した。


「私は人を狂わせる。それはあなたも理解しているのでしょう?」


 ここに滞在したのは一カ月と少し。

 けれど既に、この国は汚染され始めていた。

 多くの者が私を慕い、私の言葉を全てとし、私の顔色を窺う状態になり始めていたのだ。


「あと一年もすれば、私を皇帝にしようとする派閥が生まれ、あなたがた親子は排斥される可能性がある。帝国に起こる革命などという面倒な事に巻き込まれたくはありませんから」

「そうか。貴殿がそう予想するのならば、正しい観測なのだろうな」

「大丈夫、魔術を取り戻したあなたがたなら正しく国を導けるでしょう。魔物に負けたりもしなくなるでしょう」

「君は――寂しくないのか?」

「寂しい? 私が?」

「君の目的は姉の蘇生にあったとわたしは推測している。けれど、既にそれは運命の悪戯か、ガノッサ殿の手により果たされていた。目的を失ったまま旅をするよりも、この地で安住を。君が望むなら、この国とて君のモノにすればいいと思う気持ちもあるのだ。元より、この帝国の基礎は君が築いたようなものだからな」


 三女神に目線を送ると、首を横に振っていた。


「残念ながら、女神たちは一箇所で留まることを是としないようですので」

「そうか。ならばこれを渡しておこう。わたし個人からの君への感謝と報酬だと思ってくれていい」


 それは杖を持った白銀ウサギの勲章だった。


「カルバニアの名が通じるところまでなら、これが君の身分を証明してくれるだろう。君は白銀の賢者。カルバニアを救った英雄として既に関所や冒険者ギルドには登録されている」

「魔王に自由な通行を許して宜しいので?」

「わたしは白銀の賢者たる君に許可を出した。それでよいではないか。カルバニアの姫の名も少しは役に立つだろうさ」


 遠慮なく受け取った私に、彼女が言う。


「本音を言うならばわたしは君についていきたいと思っているが、おそらくそれも君に心を狂わされているのやもしれぬな」

「でしょうね、魔王に汚染される姫などという噂がたてば、お父上が苦労なさりますよ」

「勇者殿にはなんと伝える?」

「そうですね、追ってこられても困るので彼にはこれをお渡しください」

「これは?」


 私が差し出したのはアシュトレトの偶像。

 黄金に輝く女神像である。


「実験用に作った回復アイテムですよ。かつて私はとあるヒーラーに治療を受けたことがあるのですが、そこから逆算し、ターゲットを固定させた蘇生アイテム……そういえば、おそらく勇者ならば理解するでしょう、これは私が治療を受けたことが因となって可能となった特例ですので、本来ならターゲット指定などできないと釘を刺しておいてください。誰でもどこでも蘇生できると勘違いされたら大変ですので」


 ただしと、私はライラの目を見て告げる。


「これを渡せばおそらく、あなたの初恋は失恋に終わる」

「それはいったい、どういう意味だ?」

「……あなたは、魔術や魔術の道具について詳しくないようなので、はっきりとお伝えしますが。それを使えばガノッサさんの失った大切な彼女が蘇りますよ。それも、私に治療魔術をかけたあの瞬間の歳へと若返った状態で」

「そんなことができるのか!?」

「これでも本物の魔王ですからね。けれど、くれぐれも念を押しますが誰でも蘇生できるわけではない、かつて私が治療という代価を受けていたことで可能となった裏技……いえ、裏技という言葉は通じないでしょうが、ともあれ特例という事で安易にはできません。人の死は重い、それだけは忘れないでください」

「よく、わからぬが……これで、ガノッサ殿の奥方を取り戻せる、ということか」


 そう。

 だからこそ、そこで姫の初恋は終わるのだ。


「渡す渡さないはあなたにお任せしますが……私は、貴女にとても酷いことをしているのかもしれませんね」

「ん? なにがだ?」

「ガノッサさんの伴侶が蘇生されるということは、彼へのあなたの想いも――」

「ふふ、そういうことか。気にするな、思いを寄せていた人が幸せになるのなら、それを喜ばぬ女がどこにいる? わたしは、とても嬉しいぞ。ずっと、塞ぎ込んでいたあの方が、ようやく前を向けるようになるのなら、それで――」


 ライラの言葉に嘘はない。

 瞳には遠い過去の思い出が、いくつも浮かんでいるようだった。

 彼女は勇者の気まぐれで助けられ、そして勇者に恋をした。


 それも終わる。

 私のせいで、恋が閉ざされる。

 その筈なのに。


「ありがとうレイド君、これは必ずあの方にお渡しする」


 勇者に恋をする姫は微笑んだ。

 失恋の筈なのに。

 朝陽よりもまぶしい笑顔だった。


 その心がダゴンには分からなかったようだ。

 バアルゼブブにも分からなかったようだ。

 私にも分からなかった。


 けれど。

 女神アシュトレトは言う。


『そうか――これが人の心なのであろうな』

「え? 今、どこからか声が」

『ライラよ、マルダーのこせがれの血を引くものよ。妾はそなたを祝福しよう』


 僅かであるが、昼の女神の祝福が姫たるライラに付与される。

 それは間違いなく、今後、彼女の大きな力となるだろう。

 私が言う。


「私の女神があなたに祝福を授けました。あなたが見せた人の心を称賛したのでしょう」

「女神さまが」

「それでは、私たちはもう行きます。他の人間に見つかったら面倒ですからね」

「ああ、何かあったら我が帝国を頼ってくれ。わたしは君からの恩をけして忘れない。いつか女帝となり、どれほどの齢を重ねたとしても、おばあちゃんになっても……君からの恩を語り継ごう。優しき魔王よ、白銀の賢者よ。カルバニアは君を忘れない」


 いつまでも、ずっと。

 そう告げる彼女に見送られ、私たちは大帝国カルバニアを去った。





 カルバニア編 ―幼年~少年期― 《終》


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[一言] (´༎ຶོρ༎ຶོ`) 感動しかないです。
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