第34話 勝利の宴
戦いは終わった。
街は魔物襲撃による脅威が去ったことで大宴会。
勝利した騎士団と冒険者が、共に、かつて閉鎖されていた冒険者ギルドの酒場でグルメを囲み、酒を交わし、これからの国についての話をしている。
彼らの表情は希望で溢れていた。
程よく焼けた肉の香りは蕩ける脂のサーロイン、可食部のある迷宮魔物の肉だろう。爆薬と座標転移させて出現した強力な魔物、その肉は魔力も充実していて味も濃厚。
人間たちにとっては初めて口にするごちそうのようだ。
酒場の奥。防音結界の中でガノッサが私に言う。
「あいつら、ろくに動いてねえくせに……よくあんなに喜べるな」
「滅ぶと言われていた国が平和になったのです、それを手放しに喜んでいる光景は微笑ましいものですよ」
「てめえは良い子ちゃん過ぎるんだよ、魔王のくせに」
「勇者のくせに、あなたが捻くれているだけでしょう」
ガノッサは酒を傾け。
「で? これからこの帝国全員に魔術の才能が開花するってのは、マジなのか?」
「ええ、大陸の主神たるマルキシコスに約束させましたから。彼は神、おそらく契約には縛られる存在。男女、種族問わず。あなたを含め、この大陸の生きとし生ける者に魔術師としての権利が発生する事でしょう」
ライラとノーデンス卿は王城で待つマルダー十一世のもと、魔王討伐の顛末の説明に向かっている。
彼らに持たせた説明用の資料にガノッサも目を通していたのだ。
「ま、魔物をどうにかするには魔術を伸ばすしかないからな」
「魔王アナスターシャを忌避したせいで失った魔術。その歪みがようやく直るという事です」
「もっと早く……魔術が全員の手に渡っていたのなら、魔術が一部の特権階級のようになっていなかったら。もっと身近にあったのなら。あいつも……ああはならなかったのか……考えちまうな」
魔術が忌避されていた影響。魔女狩りのような世界で人間を癒し、そして殺されてしまった心優しいファリナ。
酒へと零した吐露への答えを、私は持ち合わせてはいなかった。
「よく分からねえんだが、マルキシコスは神なんだろ?」
「ええ、剣神といった様子の精悍な存在でしたが――」
「おまえさんの後ろに侍ってる女神とは違うのか」
酒場で働いている時には女神たちへの反応はなかったのだが。
「ああ、今は見えているのですね」
「シスターみたいな恰好をした笑顔の美人さん……つか、オレを不老不死にした女と、でへへって笑って、おまえさんの足に絡みついて顔を溶かしてる……変態みたいな黒い美人さんがいるが……」
ダゴンとバアルゼブブである。
「あと一人、裸婦みたいな変態がいるのですが……彼女だけは席を外していましてね」
「使いにでも出してるのか?」
「いえ、私たちがこの国で世話になっているお屋敷の老婆と共にいたいと。おそらく、もう老婆の先が長くない、天寿を全うするのが近いから……心配なのでしょうね」
「へぇ、優しい神様なんだな」
思わず私は噎せていた。
返答は保留である。
「どうした?」
「い、いえ……話を戻しますが、彼女たちはこの世界の神ではなく外から入り込んできた神。逆にマルキシコスはこの世界に根付く神。現地の神と外の神は、同じ神であっても神格に差があるようですね」
「ようですねって、あんまり詳しくねえのか?」
「そもそも魔王とは何なのか、それも私には理解ができていません。外から入り込んできた女神たちが扱う、外から持ち込んだ駒……といった認識であっているとは思っていますが」
「異世界人が皆――魔王ってことか?」
「どうなのでしょうね――答えは出ていません。少なくともアナスターシャ王妃は私とは違う文化の世界から来たという印象がありました。自らの事を我と呼んでいましたしね。現代社会で、自分を我と自称する人はいないでしょうから……女神たちは様々な世界から駒を持ち込んでいると想定しております」
少し考え――酒をグラスになみなみと注ぐ勇者に言う。
「逆に勇者であるあなたがたの存在は、魔王たる異物を滅するためにこの世界が作り出した、世界の免疫システムだと理解しておりますよ」
「免疫ってのは」
「あくまでもたとえですし、仮説にすぎませんが――病に陥った時、通常ならば人はその病の原因となる菌を排除するべく熱を出したり、キラー細胞とでも言うべき強力な細胞を向かわせます。異物を排除するべく人体が細胞を作り出すわけです。この世界にもそれと似た現象が起こっている。すなわち――あなたたち勇者は、世界という人体に外から入り込んだ魔王を滅ぼす細胞、というわけですね」
理論としては破綻していない。
「オレが知ってる魔王ってのは、まあ世界に混沌を撒く存在の総称だな。だいたい、おまえさんみたいに女神を背後に乗せてやがる」
「勇者になれば見ることが可能となるのでしょうね」
「だから二百年前もあいつは……、光の勇者はおまえさんに怯えてたってわけか――そっちの神様たちに勝てる気しねえからな。当時はオレもただの斧戦士だった、だからお前さんを殺すなんて怖えこともできちまったってわけだ」
バアルゼブブが私の足に絡みつくテーブルの下から、じぃぃぃぃぃっとガノッサを見上げる。
『そそそ、そいつ。た、食べても……いい?』
「本気で言ってますよね、それ。いいわけないでしょう……」
「ん? なにがだ?」
「ああ、声は聞こえていないのですね。あなたを捕食しようとしていたので、止めたのです」
ぶふぅっとガノッサが酒を吹き出し噎せ始める。
戦斧を装備するに値する屈強な腕で口元を拭い、ガノッサが唸る。
「冗談だよな!?」
「冗談なら良かったのですが……彼女たちは人とは価値観が異なります。本気ですよ」
「マジかよ……おまえさん、とんでもねえもんを付けてるんだな」
「もう慣れましたよ。ちゃんと対話をしてみると彼女たちも彼女たちの考え、価値観で動いているだけだと分かりますからね。悪意がないのです」
ジト目でバアルゼブブを見ようとするガノッサであるが。
「あまり女神を目視することはお勧めしませんよ。皇帝陛下は不躾に眺めたことで、三女神の不興を買いましたから。彼女たちは上位存在、地面でつぶれたナメクジにじっと眺められたらあなたも少し不快に思うでしょう? それと同じですよ」
「お、おう……」
「しかし、どうやら答えは決まったようですね」
「なにがだ」
「おや、お忘れですか? あなたは戦いが終わったら自分を滅ぼすように私に願っていた。けれど、三女神を畏れ、目線を逸らした。つまりはもう死や滅びを畏れている証。ライラさんの目の前で自分の心臓を抉り出した時とは対照的。考えが変わったのでしょうね」
つまり、本能的にはもう自死など考えていないのだ。
「さて、私はそろそろ行きます。あと三週間ほどはこの国に滞在する予定ですので、本当に死にたくなったのならご相談ください。この大帝国カルバニアにいる時ならば、そしてあなたが終わらぬ旅を終わらせたいと願うならば――私がなんとかしますよ」
「そりゃ、ありがてえがどうして三週間?」
「昼の女神はおそらく老婆を看取りたいのでしょう。目がろくに見えない……だからこそ、昼の女神は老婆に気を許した。懐いていましたからね。私も……まあ、世話にはなりましたからね。孤独な老人の最期を見送るぐらいの心は残されていますよ」
たとえ、魔王になったとしても。
「女神が人間の看取りをねえ……」
「女神たちは、おそらく」
いや。
勇者の前で語るのも危険か。
「ともあれ、私はまだしばらくこの国に滞在します。あなたも正式な答えを決めておいてください」
宴会が続く酒場を後にし。
私は老婆の家への帰路についた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
帰り道。
鼻孔にスゥっとした冷たさが刺す、夜道の中。
声が響いた。
周囲は黄昏も終わり静寂の闇。けれど、明け方の香りがする。
『お疲れさまでした、旦那様。駒同士の戦いの勝利、おめでとうございます』
「ダゴン、あなたですか……」
『あら、あたくしではご不満でしたか?』
「不満はありませんよ、むしろ好機。あなたは三女神の中で一番頭が回りそうですからね……確認したいことがあるのですが」
『あの子に呪いをかけた件でございますね?』
あの子とはアナスターシャ王妃に力を貸していた幼女の女神の事。
本当に彼女は一番話が早い。
瞳で肯定する私と共に歩き、ダゴンはふっと微笑を浮かべ。
『まったく問題ありませんわ。今こうして同じ世界で遊んでいるだけであって、あの子と親しいわけでも、敵対しているわけでもありませんし。人間だって、ほとんど知りもしない無関係な国の王様が風邪を引いたと言われても、あまり心を動かさないのでは?』
「あなたは本当に私に似ていますね」
『まあ嬉しいですわ!』
本当に嬉しそうだからこそ、私は分からなくなる。
彼女たちが、邪悪には見えないのだ。
もちろん、やっていることは邪悪そのものな事が多いのだが。
「あなたがたがこの世界で転生者を使い遊んでいることは理解しています。しかし、その理由や意図は正直分からない。何度合理的に考えても、ただ遊びたいからとしか答えが浮かばない」
『それが答えだからですわ、旦那様』
「正解は正解。ただし、全てを語っているわけではない、といったところでしょうね」
『何をお言いになりたいのでしょうか』
「あなたがたは異なる文化圏の宗教戦争によって歪められた者……人間によって神から悪魔や邪神として、逸話を改竄され貶められた者。人間が心醜い悪魔であれと悪意をもって書き換えた存在と言えます。つまり、あなたがたが邪悪にふるまっているのも、神の性質――あなたがたに邪悪であれと願った人間の想いを叶えているだけに過ぎない」
喜ぶ動作もない。
否定する動作もない。
ただダゴンは、聖職者のベールの中から僅かに垂らした髪を揺らしていた。
『どうなのでしょうか。たしかにあたくし達には元となっていた神がいる。そして悪であることを望まれ、別の神性、別の悪しき存在としてあたくし達は生まれた。それは確かなのでしょうけれど……もう、遠き過去の事。あたくしたちはあたくしたちの思うままに動くだけですわ』
ダゴンからは悲しい笑みが浮かんでいた。
「あなたは目覚めた私に言いました。滅びを再開しようと。あなたの目的はこの世界を……ひいては他の世界も含め全てを破壊する事にあるのでしょうか」
『もしそうなら、どうしますの?』
「あなたが心からそう望んでいるのでしたら、真剣に可能性を考えますよ。もはや私はあなたたち無しでは成り立たない存在となっているのでしょうから」
私は言った。
「あなたが本当に混沌を欲しているのなら、私があなたに滅びの世界を御覧に入れて差し上げますよ」
夜の闇の中でダゴンが言う。
『まるでプロポーズですわね』
「どこがですか。本当にプロポーズをするのなら、もっと別の手段を用います」
『まあ! それは素敵ですわね! ふふふふふ、どんな花嫁衣裳を用意してくれるのでしょう』
「だから、そうなったらの仮定です……」
『それでも、嬉しいんですのよ旦那様。さて、先ほどの質問への返答ですが……世界については特に何も。魔王であれば、悪魔であればそれは滅ぼすべきと考えるのかもしれませんが……あたくしはただ、旦那様がなさりたいようになさればいいと、そう願っております』
「そうですか」
『ええ、そうですわ』
ようするに、世界に関してはどうでもいいのだろう。
しばし考え私は言う。
「それでは世界をどうするかは保留ですね」
『あら? あたくし、てっきり旦那様なら滅ぼさない選択をするものだとばかり』
「私は世界を知りません。外の大陸や或いはもっと先の世界を知り、この世界は存続するべきではないと感じるかもしれません。むしろ滅ぼすべきだという答えが得られるかもしれません。全ては自らの目で知ってから判断したい、研究者とはそういうものですよ」
『旦那様は生前なんの研究を?』
「人工知能……AIといった分野の研究ですが」
じんこうちのう。エーアイ? と、ダゴンは小首を傾げていた。
昼の女神アシュトレトは近代文明にも造詣が深いのだが、ダゴンはあまり興味がなかったのだろう。
「人ではないモノに疑似的な人の心を与える研究、ですよ」
『まあ! 人の心の研究ですの!? それは興味深いですわね! 旦那様は元の世界でも魔力の研究をしていたと!』
「残念ながらあの世界では心に魔力はありませんよ」
『あら? それではいったい何かの役に立つ研究だったのです? 旦那様が是とする合理的とは、あまり関係ないように思えますが……』
ダゴンが頬に淑やかに手を添えている。
「とても合理的ですよ、たとえばですが……そうですね。高度に発達した人工知能ならば、相手の精神に影響されることなくカウンセリングもできますからね。人間ではない者に対してなら、本音も言いやすくなるかもしれない。人にはできないことが可能となる、それは可能性の拡大と言えるでしょう」
『よく分からないというのが本音ですわね』
けれど――、とダゴンは闇の中。
ぐじゅりぐじゅりと聖職者の服の中で、魚人の鱗を蠢かし。
いつもの微笑みを浮かべる。
『人の心の研究。旦那様が、人の心を扇動するのがお得意な理由が、少し理解できた気がしますわ』
「まあ、心理の研究は詐欺にも使えますからね、否定しませんよ」
『人の心を掌握する旦那様なら最強の魔王になれる、そんな気がしてなりません。世界をどうしたいか、その答えが出るまであたくしもずっと、あなたのお傍に――と、今日の最後に一つだけよろしいですか?』
「なんでしょう」
『それほど人の心について詳しいのに、なぜ普段はあれほど空気の読めない発言をなさるのです? あの勇者ガノッサを何度も脅かせていましたが。何かの計略なのですか?』
瞳を細め私は言う。
「人を欺く偽りの仮面をかぶっていない状態……それが私の素の性格だからでしょうね。そうですか、空気が読めない……ですか」
『己が思想と信念を貫く、とても立派な事だと存じますわ』
「言い方を変えても遅いですよ。まあ構いませんが……」
私は老婆の屋敷の前に立ち止まり。
温かな香りがする家を見上げた。
家の中には明かりが灯っている、女神アシュトレトと老婆が談笑している。
『旦那様?』
「女神アシュトレト……彼女はちゃんと理解しているのでしょうか」
『何の話でしょうか』
「共に生活し、共に食事をする……そこには温もりが発生する。そこには温かさが発生する。私があなたがたを少しずつ理解し、歩み寄ろうとしたように――そこには繋がりが発生するもの」
『大丈夫ですわ。あたくしたちは女神。あなたがた人間が生み出した、心無い神。悪であれと生まれた神。老い先短い老婆の終わりなどに心を動かされたりはしませんわ』
明け方の女神ダゴンは冷静に微笑んでいた。
けれど。
予定よりも一週間長い、一か月後。
女神アシュトレト。
彼女に異変が起こったのは、老婆が最後の別れを告げていた時だった。




