第33話 魔王レイド=アントロワイズ:後編
既に戦いは終わったも同然。
魔王アナスターシャは両手と魔術を失っていた。
男神マルキシコスは私に平伏し、もう一方の女神はふふんと挑発的な目で私を眺めるのみ。
見た目は幼女。
令嬢が所持している貴族人形といった様子の神だが……。
幼き女神が自らの駒に向けていたのは――侮蔑すらない、無関心。
『さようならなのよ、アナスターシャ。あたしのとても愉快で、けれどとても退屈だった駒』
『我を退屈だと――っ』
『そうよ? このゲームはあたしの負け。次の駒を補充しないとダメだもの。古い駒には興味ないのよ?』
多くの民と貴族、人間の命を切り捨てていた魔王が捨てられる。
因果応報の結果と言えるが――。
『ふざけるでない――っ、我は魔王アナスターシャぞ! 最強魔術の使い手! 【核熱爆散】さえ使えれば、このような雑魚魔王、すぐに、すぐに蹴散らせて見せようぞ!』
『はぁ……もう! なんで分からないのかしら! あなたには無理なの! って、まったくあたしの話を聞く気がないのね。やっぱり元のスペックが駄目だったのかしら。分かったのだわ……いいわ、いいわよ。あと一回だけ力を貸してあげるのだわ。それで諦めて頂戴ね?』
魔術を取り戻したからだろう。
両手を再生させたアナスターシャの口が高速詠唱を開始。
空に地面にと、魔法陣が無数に刻まれ始める中。
私が言う。
「女神よ――あなたも残酷なことをなさる」
『だってしょうがないじゃない。信じて貰えないのだもの。それよりいいの? 詠唱、終わっちゃうわよ?』
「……まあ、魔物の素材を破壊されても面白くありませんからね。相殺させて貰いますよ」
続いて私も超速詠唱。
アナスターシャ王妃が勝ち誇った笑みを浮かべ。
『【核熱爆散】!』
「【核熱爆散】」
二つの魔術が重なり合い。
そしてそれは、消失した。
『――な……っ――!?』
「あなたが唱えたのはただの核熱爆散。私が詠唱したのは核熱爆散を同時起動させる、核熱爆散の応用。そして魔術とは世界の法則を無理やりに捻じ曲げる力。それは一般的な数学と類似している。同じ魔術計算式でなくとも左辺と右辺が等価……丁度ゼロとなる計算式の魔術を相手の魔術にぶつければ、理論上は相殺できるというわけです。世界の法則を捻じ曲げる力の解が、ゼロとなるわけですからね。簡単な話ですよ」
女神がパチパチパチと拍手をする。
私が理解している魔術理論が正しいからだろう。
そのビスクドールはキラキラキラと、新しい玩具を欲する顔で――私を物欲しそうに眺めていた。
『凄いのだわ! アシュちゃんに習ったのね?』
「ご推察の通り、彼女は私の良き魔術の師。まあ、人格面には大きな問題がありますが――」
『それは同意するのだわ。同じ女神が、ごめんなさいね?』
「知り合いだったのでしたら、ちゃんと叱ってあげて欲しかったのですが」
『同類であり、知り合いだってだけで友達じゃないのだもの、無理なのだわ』
「でしょうね――」
女神と私の会話の裏。
最後のチャンスを失ったアナスターシャ王妃が後ずさり。
『そんな、ありえぬ……』
「実際に起こっているのですから、それは信じるべきでしょうね」
『同じ魔術でも詠唱により魔術効果は異なる……っ。ま、まったく同じ出力の魔術計算式を詠唱し、そ、相殺するなど、不可能であろう――!』
「あなたにできないからと言って、他人もできないとは思わない事です」
幼女の女神が露骨な息を吐き。
『見苦しいのよ、アナスターシャ。だから言ったでしょう? それができるほどの力量差なのよ? 器も、レベルの桁も文字通り違うの。あなたにできた正解は真っ先に逃げる事だった。けれど、それをあなたはしなかった。だからあなたの冒険はこれで終わりなのよ。二百年も待ってあげたのに、こんなに早くもう一回死んじゃうんなら、あなたで遊んでも面白くないの。だから、加護を与える気がなくなった。分かる?』
つまらないから、ポイなのよ。
と。
幼女の女神は、魔王アナスターシャから離れて私に微笑みかけ。
『初めまして、三女神を従える魔王レイド=アントロワイズ。今回はあたしの負けだけど、別にあなたに負けたわけじゃないって覚えておいてね? あなたよりはあたしの方が強いのよ? あたしの駒がつまらない女だったから負けるだけなんですから』
「私があなたを見逃すとでも?」
『ニンゲン風情が、弁えなさい。あなたを殺さないであげているのは、あなたの後ろにいる悍ましい女神が怖いだけなのだから。というか……まじめな話、あなた、よくあんなのと一緒に居て平気ね。神さえ怯えるあれと一緒に居るとか、あなたどうかしてるのよ』
狂神に狂人と言われても、あまり実感はない。
「私は駒を平気で見捨てるあなたより、よほど彼女たちの方が信用できますがね」
『だって、この駒、もう面白くないんですもの』
幼女の女神に縋りつくように魔王アナスターシャが吠える。
『待って、待っておくれ! そなたは、我を見捨てるというのか!?』
『だからそう言ってるじゃない』
『マルキシコス! そなたもなにか言ってやれ!』
大陸の主神は大陸を守るために動くのみ。
そもそもがマルキシコスはあまりやる気がなかった。幼女の神の加護をつけていたアナスターシャに、嫌々ながらに従っていた、というところなのだろう。
『ああ、無駄よ。この現地の神様、すっかりあっちの駒に怯えちゃってるもの。この魔王さんはね、あたしよりは弱いけれどあなたよりもとっても強くて、マルちゃんよりも強い。まあ、あたしならどうとでもできるけれど――かといって、あたしがレイドくんに手を出しちゃったら、さすがにあの腐れ三女神に殺されちゃうし。もう、一柱でさえ圧倒的なのに、三柱揃ってるってズルっこなのよ、ずるっこ。と、ごめんなさいね、アナスターシャ。あたしにもマルキシコスにもどうしようもできないから、詰んでるわよ?』
女神の本質は、享楽主義。
自分が楽しめているのならば、それでいい。
つまらなくなったら玩具のように――。
捨てる。
それを王妃アナスターシャも知っているのだろう。
必死の叫びが迷宮にこだまする。
『嫌よ、いやぁああああああああぁ! だって、あなた言ったじゃない! この世界ならばなんだってできるって! この世界ならば、我は魔王として君臨できるって』
『そんなこと言ったかしら?』
『確かに言った、転生すれば、契約すれば――あなたの駒となり、あなたを楽しませれば! 我を、我を史上最強の存在にすると!』
『ごめんなさいね、忘れちゃったのだわ』
幼女は微笑んだ。
王妃は、激昂した。
『こぅの、くぅそ女神がぁああああああああぁぁぁぁ! いままでさんざん! あんたのためにっ、あんたを楽しませるために、あぁぁぁたしは、動いてきた、それなのにぃぃ!』
王妃の顔が絶望と怒りで歪む中。
イヒっと口を歪めた幼女が、ゴム人形を摘まむような仕草で。
つぅっと指を開き。
『あら! 最後に面白い顔を見せてくれたのね! じゃあ、あなたにご褒美を上げるわ、アナスターシャ! 最後だけちょっと愉快だったあたしの駒!』
『や、やめ――…………』
王妃は潰れていた。
幼女の女神が指をつまんだ、ただそれだけで圧殺されていたのである。
あっけない死だった。
特に私に感慨はない。
直接対峙したことがなかったからか、私が魔王として変質したからか。
理由は分からないが、あまり心は動いていなかったのだ。
王妃の潰れた邪霊の力を、吸収するべく。
私の邪杖ビィルゼブブが影を吸い込み始める。
「仇を討とうとする私に捕まり、様々な実験を受けるよりは……。いっそ、潔い死を――それがあなたの慈悲なのですか」
『あたし、優しいでしょう? どう? あたしに乗り換えない? あなた、とってもいいわ! 面白そうなんですもの!』
「御冗談を――」
『冗談なんかじゃないのよ? 駒がなくなっちゃったんですもの、駒がないとゲームを開始できないのよ』
女神たちにとってはあくまでも遊びなのだろう。
「虎の威を借る狐にはなりたくありませんが、三女神がそれを許すとでも?」
『それもそうね』
「それにです。あなたにご忠告申し上げます。あまり人間を甘く見ない方がいい――。あなたはアナスターシャ王妃を道具のように使い捨てましたが……あなたはあなたが為した悪事でいつか足を掬われる。外道な行いには必ず報いが生まれるでしょう。たとえ貴女が神だとしても、必ずです」
『神に説教だなんて、本当に生意気な子ね。けれど! あなたは面白いので、許します』
ふふんと胸を張って、幼き女神は悪びれることなく宣言する。
『ふふ、それじゃあ、魔王レイド=アントロワイズ。またいつかお会いしましょうね。約束なのよ!』
告げて、幼女の女神は名さえ名乗らず消えていた。
だが。
カツン――。
私は邪杖ビィルゼブブの石突で空間を揺らしていた。
「人間を甘く見るなとご忠告したのですが――仕方ありませんね」
杖の先端から、ぐじゅりとヘドロにも似た魂が漏れ始める。
邪杖ビィルゼブブから飛び出たのは、魔王アナスターシャの怨念。
女神に見捨てられたモノの残滓である。
魔王アナスターシャは私を見て。
意図を察し、そして選択をした。
私の使い魔となってでも、自分を裏切った憎き女神を……――そう願った。
だから彼女はアナスターシャだった頃の意識を捨てた。
ただ使い魔としての性質に変貌。
自我やプライドを捨てたとしても、あれに報復する。
私に使役される屈辱よりも、自らを裏切った女神への復讐心が勝ったのだろう。
復讐が力となることを私は知っていた。
そして、魔王アナスターシャは私よりも女神を憎んでいた。
「お行きなさい、新たなる我が眷属よ」
世界を舐めているあの女神に、私は魔王を召喚し、魔王としての呪いをかけたのである。
おそらくあの女神はこれから、アナスターシャの怨念に一生つき纏われることになるだろう。
自らが駒とした女を裏切り。
その女に一生呪われる。いつか、彼女も私の呪いに気付くだろうが――。
「その時はその時で、私は成長している。いつかあなたもこの手で滅ぼしてあげますよ、反省ができていなかったのなら――の話ですが」
私の復讐は終わった。
実感は薄い。
魔王アナスターシャに力を貸していたあの女神を滅ぼしたとしても、おそらく私の気持ちに大きな変化はないだろう。
大陸の主神、男神マルキシコスもまた姿を消していた。
おそらく約束は果たすだろうが。
……。
誰もいなくなった迷宮。
消え去った幼き女神の余韻が消えたころ。
揺れていた空間に勇者ガノッサの声が響いた。
『――大丈夫か、レイド!』
「ええ、全て終わりましたよ――」
『やっと通じたか……アナスターシャは、どうなった!?』
「ご安心ください、魔王を打ち倒した後、無事、私の使い魔にしました――」
『……は? どういうことだ?』
しばしの間の後。
魔術師ではないガノッサには理解できていないのかと、私は丁寧に説明するべく口を開く。
「使い魔とは魔術師が扱うしもべのような存在で――」
『そういうことじゃねえ! だぁああぁぁぁぁ! とりあえず、無事なら帰ってこい! こっちはみんな心配してるんだよ! それと、魔王を使役するって件は、絶対に口にするなよ!』
「しかし、事情を説明しないと納得しないのでは?」
『魔王を使役する魔王が誕生したってなった方が、よっぽど問題なんだよ! 分かるだろう、普通!』
しばし考え。
私は言った。
「見解の相違ですね」
と。
その後。
女神に呪いをかけた件や、男神マルキシコスを調伏した件を報告すると。
ガノッサはきつく眉間に刻んだしわを、呻くように押さえ始めた。