第28話 勇者―ガノッサ―
現皇帝マルダー十一世と会談をしている裏。
俯瞰して観測できる魔王たる私の瞳には、この帝国の姫ライラの姿が映っていた。
悩める彼女が向かったのは勇者のもと。
三度も起こった衝撃に勇者たるガノッサが気付かぬはずもない。
なのに彼は動いていない、それが彼を慕うライラにはどうしても許せないのだろう。
酒場に入り浸っていた勇者に、ライラが言う。
「貴殿は、なぜここでまだのんびりとしているのですか」
「なんだ、嬢ちゃん。生きていたのか」
「当然でありましょう? いったい、なにを言っているのですか」
無精髭を照らす魔道具照明の中。
薄明かりでやさぐれるガノッサが、酒を傾ける。
「そうか、あの坊主に殺されなかったのか」
「だから、いったい何を言っているのですか!」
ライラの声は怒声と混乱に満ちていた。
「父様も、あなたもっ、レイド君も……。わたしに分からぬ話で勝手に納得し、勝手に予想してっ。わけがわからぬ!」
「そう怒るなよ。特にレイドにはな、あいつだって別に隠したくて隠しているわけじゃねえ。おまえさんだって、自分がこの国の姫だってことを隠していただろう? そこに悪意があった訳じゃねえのは、坊主だって知ってるだろうさ。けれど、それを過度に責められたら、少しはイラっとするんじゃねえか?」
「それは……」
「それと同じだよ」
酒の吐息で空気を僅かに揺らし、周囲に防音結界を張り。
ガノッサは言う。
「……お前さんの親父、十一代皇帝に邪霊が憑依していたってのは本当なのか」
「なぜそれを」
「これでも勇者だ。遠くの音を聞くスキルぐらいはもっている、ダンジョン探索にも使うからな」
勇者の瞳と耳に魔力が走る。
「分かっただろう? で、どうなんだ――皇帝に邪霊がっつーのは」
「ああ、本当だ。わたしも現場で目撃したから間違いない。捕らえるか、退治しようとしたのだが……、逃げられてしまった」
「逃げられた? どういうことだ」
「物理攻撃がまったく効かない相手だったので……どうしようもなかったのだ」
新米に基礎を教える勇者の顔で、ガノッサは渋く眉を下げる。
「霊魂系の敵は物理職の天敵だからな。だが、魔力での攻撃なら通じる。まあ、それを言いたいんじゃなくて……あの坊主が見逃したって事だよ。おそらく手を出さなかったということは、敵の居所を探っているつーことだ。殺さなくて正解だっただろうさ」
「確かに彼は強いが、勇者殿は少しレイドくんを買い被り過ぎではないか……?」
「言っておくが、あいつはオレより強いぞ」
酒の表面に、勇者としての真剣な表情が反射している。
「まさか。彼は十四だぞ? 勇者殿より強いとは思えぬ」
「それでもだ。前にあいつと話している時に、オレは不意打ちしたっつっただろう?」
「あ、ああ……そうでなくては、勝てなかったとのニュアンスであったが」
「怖かったのさ、あいつと正面で戦う事がな――」
「勇者殿が!?」
「街の地下に流れている下水道。あれは誰が発案したか知っているか?」
「なぜそのような事を」
「いいから答えろよ」
「それは二百年前に初代皇帝マルダー陛下に囲われていた、アントロワイズ家の神童……レイド」
同じ名前。
似たような容姿。
「まさか、レイドくんは救国の英雄の生まれ変わりなのか?」
返事はない。
「さて、それじゃあ次の問題だ。城壁に定期的な聖水が湧き出る施設を作り、街の安定を保つ、防衛の基礎を作ったのは――」
「初代マルダー皇帝だろう、歴史の教科書で習う誰もが知っている事だ」
「いいや、不正解だ。あれもレイドの考案だよ」
「あれも彼が……? ならばもしや、稲作に大革命を起こした二陣作も」
二百年前に遷都が起こり、王国は帝国となった。
それはマルダー一世が突出した案を持ち、次々と国を豊かにしたおかげ。
その時に行われた改革が全てレイドの発案だったとしたら。
彼女はそんな結論に辿り着いたのだろう。
「全部、彼なのか?」
「ああ――あの坊主が残してあった資料をもとに、殿下が施行した政策だ。今この国が二百年も存続したことは全部あいつの実績なんだよ、本当はな。今の帝国は、あいつの手柄を横取りした上で、寝そべったり胡坐をかいて暮らしてるってわけだ。それも恨まれる理由の一つにはなるだろう?」
「信じられんが……仮に本当だとして、それのなにが問題なのだ。彼は王族に仕えていたのだろう? 王のために動き、王のために死んだ。それは忠義の誉れ。国のためにと動いてくれる神童が転生して帰ってきた。この国を救ってくれるに違いないだろう!」
ガノッサの答えは沈黙だった。
「勇者殿?」
「そんな、この国のために色々と考えていたヤツを殺したのは――オレだ」
「な、なにを……言って?」
「そもそもヤツの家族を皆殺しにしたのは、カルバニアの王族だ」
意味が分からないと言った顔で、ライラの足は後ずさる。
その騎士の甲冑に、客のいない酒場の椅子がぶつかる。
「なにをいって……父も、あなたも! なぜそんなわけのわからない事ばかり言う!」
「あいつの目的は、復讐。その対象はお前たちカルバニアの血族だったからだよ」
「嘘だ……」
「嘘じゃねえ」
「あなたは、そういう嘘をつく人だ……」
否定するために、ライラは好いている相手を否定した。
「はは、本当に嘘だったら良かったんだが――な」
「……申し訳ない、今のはわたしが悪かった」
「いや構わねえさ――」
ガノッサは昔の資料を取り出し、ライラに提示する。
そこには当時の政争の歴史。
第二王子の暗殺。第一王子の母アナスターシャの暗躍。
そしてそれに巻き込まれた私の物語が記述されている。
「魔王アナスターシャの伝説は知っているが……アントロワイズ家の、そのような歴史は、学んでいない……」
「当然だ、二代目、三代目の皇帝が王家の汚点だとして事実を抹消した。まあさすがに、魔王アナスターシャの伝承までは消せやしなかったがな」
「……ならば、レイド君は……」
「奴はカルバニアの王族に対し、正当に恨む権利を持っている人間だ。そして奴はオレに殺された。オレも恨まれて当然だ。奴の屍の上で二百年を安泰に暮らしたこの国そのものだって、奴には恨む権利があるだろうよ」
顔を押さえ、それでもライラが問う。
絞り出すような声だった。
「分からない。なぜあなたは、勇者殿は、彼を殺した。これほどに国のための政策を残していたのだ。殺す理由など、ないだろう」
「ああ、殺す理由なんてなかったさ。そんなのオレが一番知ってるんだよ……っ。殺しちまった後で、オレは何度も後悔したさ。あいつが残した策の数々が、何度オレを苦しめたと思ってやがる。マルダーの坊主はオレにあてつけるように、国を発展させやがった。全部、レイドの案で、レイドのおかげで、死の間際にさえあいつは妃じゃなく、レイドの名を呼び、レイドにすまないと詫び続けて、逝きやがったっ」
酒が深いのだろう。
だんだんと語気が荒れてきている。
「マルダーの坊主は、オレを恨んでいたんだろうな。女神とオレを引き合わせて……っ。オレは気付いたら、もう死ねなくなっていた」
「死ねなく……」
「ああ、そうだ。これは女神どもの神罰だ、オレが世界について。いや、人間についてなんにも知らなかった故の、罰だ! オレはあいつを止めるべきじゃあなかった、カルバニアの王族どもがあんな連中だと知っていたら、オレはこの手を血で染めることなどしなかった!」
男はゆらりと立ち上がった。
体格差がある。身長差もある。
いくら想い人であっても、それは威圧感や恐怖を感じさせただろう。
ライラは壁に背を押し付けられていた。
勇者はぞっとするほどの冷たい表情で、ライラに告げる。
「なあ、見てろよ。カルバニアの王族さんよ」
「な、なにを――やめ!?」
止める間もなく、男は自らの胸を手刀で貫いていた。
ライラの頬に、男の血液が大量に付着する。
だが。
男は生きていた。心臓が再生され、ライラの頬を汚していた血肉が在るべき場所へと、帰り。元の形へと整い始めていく。
「オレは自分を殺しても殺せねえ。だがな、本当にオレが殺してやりてえのは、てめえらだ、カルバニアの糞ども!」
「いったい、カルバニアが、貴殿になにをしたというのだ」
「それを知らねえ事こそが、てめえらの罪そのものだ――っ!」
狂気じみた勇者の独白が、動揺するライラの表情をさらに揺らす。
だが。
壁に追い詰められても、罵られてもライラはまっすぐと男を見上げていた。
「長い歴史の中、貴殿が帝国に思うところがあることは理解した。なぜお怒りなのか、それを知らない事で更にお怒りになられているとも。だが、申し訳ない。聞くことが更に不興を買うとは分かっている。けれどわたしはそれを知りたい。このままでは謝ることも、怒りを受け入れる事も、否定することもできない」
極めて冷静に応じていた。
姫としての威厳がそこには確かにあったのだ。
「ああ、すまねえな。分かってるんだよ、これは八つ当たりだ……」
「勇者殿……」
「もう、疲れたんだよ……っ、オレは。なのに、どうしても終わりが見えねえ。何をどうしても、終わらねえ――だが、それもここまでだ。もういいんだよ、どうだって」
ははっと、狂気を纏った男は自らの手を眺め。
「崖から落ちても死なねえ、魔物に食われても死なねえ。何をしても、血肉が戻ってこの姿に戻っていやがるっ……。ああ、でも。それもようやく終わりだ。やっとあいつが帰ってきた。二百年の月日を超えて、やっと、オレを殺しに来てくれた……オレはようやくこの罪を償えるんだ……っ!」
皇帝の話と同時に、並行して聞きながら。
私は思った。
私に関わった者は、どうしてこう狂ってしまうのだろうか。
ライラが言う。
「レイド少年は……いったい、何者なのだ」
「本人に聞けばいい、正面から真摯に聞きゃあ、坊主ならきっと教えてくれるだろうよ。なにしろあいつは本当に……根は善良で。オレに殺されていい奴なんかじゃ、なかったんだからな……」
勇者は私の想像以上に、限界だった。
このままではライラの身に何があるか分からない。
――仕方ありませんね。
と、私は皇帝との会談を中座し、転移の魔術を発動していた。
術は成功。
彼らの目の前に突然出現したことになる。
「先ほどから聞いていれば、随分とあなたは弱気な人間になったのですね」
「ああ、レイド……ようやく、オレを殺してくれる気になったか?」
「縋るような眼で見ないでください――」
「だっておまえは――オレを殺しに蘇りに来てくれたんだろう? もう疲れたんだ。勇者にも、人間にも、あいつがいない人生にも、何もかも……」
勇者は項垂れていた。
ここが寂れた酒場だからだろう。かつてあった賑わいとのギャップが、より一層、震える彼の背を小さく感じさせた。
だがこのままでは困る。
ガノッサも私の計画の中に入っているのだ。
二百年の間に何があったのか。
歴史書にはない歴史を嘆く彼と、私は対話を開始した。