第27話 白銀の賢者
謁見の間で私たちを待っていたのは、貫禄ある皇帝のみ。
当然、金髪碧眼の美形。
初代皇帝、あのマルダーから苦労を抜いて、そのまま緩い環境で老けさせたらこうなるだろう、といった様子の落ち着いた壮年である。
兵士の姿はない。
騎士の姿もない。
いくら娘が連れてきたとはいえ、異国の魔術師を通すには不用心すぎる。
そんな不用心を気にせずライラが頭を下げ。
「お久しぶりでございます父上」
「ライラ……顔を見せぬと思ったら突如として謁見希望者を連れてくるとは、おまえの突然の行動にはいつも呆れが止まらぬ。少しは姫であるとの自覚を持て」
玉座の上から皇帝は顎肘をついて、抑揚なく応じるのみ。
「そのようなお話は後程、いくらでもお聞きします。事態は一刻を争っております」
「そういってお前はいつも余の話をまともに聞こうと……」
「陛下――! 本当に、緊急なのでございます」
皇帝は頭痛を押さえるように眉間に指を当て。
「おまえの緊急が緊急だった例がないだろう。あまり父さんを困らせないでおくれ」
「陛下!」
「勇者ガノッサのことか? あやつはもうこの国のためには動かぬだろう。おまえがあれを好いていることは知っておる。恋仲になろうが、一夜の遊びを過ごそうが構わぬが――」
「頻発している被害。街への魔物の襲撃、陛下もご存じの筈でしょう!? あの件でございます!」
皇帝は、はて……と、頭を悩ませ。
「この間の襲撃も、騎士団と冒険者で解決したのであろう?」
「死者が多数出ております!」
「やつらは戦うのが仕事だろうて。それに、遺族にはちゃんと金も出しておる。保証はしっかりとしているという事だ。今までとてこの体制で上手くいっていたのだ、わざわざ変える事もあるまい」
娘の話をまともに聞こうとしない。どうやら愚物のようである。
私という異物を把握できていないという事が、何よりの証拠。
騎士は愚か者が多いとは二百年前の言葉であったが、今でもそれは継続されているという事だろう。
もっとも、私の殿下にはまだかわいげがあったが。
しかし。
皇帝にはなにやら魔術の影がある。
神霊に近い何かに、憑りつかれているのだ。
『女神たちよ、あの影は――』
『あら? おそらくは……憑依ですわね』
『憑依じゃな』
『ふふ、ふふ。ひひひ……、憑依、だね』
女神バアルゼブブが指をくわえて、おいしそうな気配と、うっとりと眺める中。
女神アシュトレトが言う。
『あれは――おそらくどこかの神の駒の仕業じゃぞ。レイドよ、かつてのおぬしが言葉巧みに大衆を扇動した時とは別ベクトルのアプローチ、すなわち、あの皇帝は魔術によって操られておる。正確に言うのなら、行動や思想に一定の方向性を加算されておるようじゃな』
『なるほど――正常性バイアスを利用されているという事ですか』
『そ……、その通りじゃ。よくぞ妾が言いたいことを理解した。それでこその我が夫じゃ』
いつのまにか夫呼びになっているが。
『夫などという戯言は置いておくとして。私以外の魔王が実在し、既に皇帝に手を出している……さすがにまた敗北するのは嫌ですからね』
『ならば、まずは皇帝の魔術を解くしかあるまい。バアルゼブブよ、そーいうのはおぬしが得意じゃろ』
女神バアルゼブブが霧の中から杖を取り出し。
『た、た、たぶん。こ、これなら……ふふふ、ふふ。大丈夫』
『こちらの杖は?』
えへへへ、へへへ……と口の端をこぼしながら女神が言う。
『邪杖ビィルゼブブ。ぼ、ぼくの、力を、使った、つ、杖。の、呪い系統の、ま、魔術なら、こ、これで、う、打ち消し、で、できる筈だよ?』
『蠅の王が用いた、骸骨の杖ということですか。お借りしても?』
『うん。あ、あげる、き、君のために、コピー……つ、つくったから』
胸の前で、両の指をつんつんするバアルゼブブに、私は苦笑し。
『それではありがたく――感謝しますよバアルゼブブ』
『えへへへへ、ほ、褒められちゃった……』
バアルゼブブがドヤ顔で二柱を振り返ると、他の二柱は妾たちもなにか渡さねばと探しだす。
『必要のないものを貰っても仕方ありません。それでは、仕掛けますよ』
魔力会話を切り上げ、ダン!
「申し訳ありませんが、陛下――こちらは急いでいるのです」
私は邪杖ビィルゼブブの底でミスリルの床を叩き、音を反響させる。
それは城内どころか街を揺らすほどの振動となって、周囲を揺らしていた。
「な、なんじゃ!」
「レ、レイドくん……?」
……。
どうやら、かなりの魔力増幅効果のある杖らしい。
見た目は、骸骨の杖という名しか浮かばぬ禍々しいもの。
ここまでの衝撃を出すつもりはなかったが、私はそれを演出ということに決め。
冷静な顔のまま、何者かに憑依されている皇帝に目をやった。
「かつてカルバニア王国であった者たちの末裔よ。十一代皇帝、マルダー十一世よ。いつまでくだらぬ話をしている――この国の寿命も僅か。一刻の猶予もないと分からないのですか?」
さきほどの床ドンの衝撃は大きかった。
反響のせいで衛兵や門番、騎士たちが反応するのも当然。
謁見の間の扉と、皇帝の奥の扉が開かれ次々に護衛の者たちがやってくる。
あきらかに先ほどのは、やり過ぎた。
ちゃんと邪杖ビィルゼブブの強さを確認しなかった、私のせいでもあるのだが。
あわわわわ……っとバアルゼブブが、口を溶かして行ったり来たり天井を駆ける中。
皇帝が貫禄ある顔のままだが、愚物の声で言う。
「なんだ、その無礼者は!」
「陛下、彼の話を聞いてください!」
「ああ……ライラよ、おまえが会わせようとしていたのがこんな優男とは、お父さんは失望したよ……。おまえにはやはり姫としての自覚が」
再び私はダンと力加減をした杖床叩きをし。
二度目の衝撃波。
静寂を作った直後に、私は演技じみた拍手を贈っていた。
「これはこれは、皇帝自らが余興でありますか? 民が日々、怯えて暮らしているというのに茶番を披露して下さるとは――これは愉快。いや、滑稽でしょうか」
三度目の衝撃波は、謁見の間の壁を破壊し始める。
なぜだろうか。ただの拍手さえも衝撃波となっていたのだ。
自動的に床にも無数の亀裂が走り、亀裂の底には蠢く闇の魔物の気配。
……。
女神たちを睨むと、彼女たちは首を横に振って否定。
どうやら私が魔王として覚醒したことによる副作用だろう。
単純にレベルが大幅に上がっているのか。
「魔術!? ええーい! ライラよ、おまえは!」
「父上! だから話を聞いてくださいと!」
もはや最初からこういう段取りだったという顔で、私は告げる。
「愚物の子孫も所詮は愚物。面倒なので説明を省きますよ」
私はそのまま邪杖ビィルゼブブを操作。
空に浮かべた皇帝マルダー十一世を、多重魔法陣の中央に配置。
さながら魔王の邪術であるが、使用するのは邪術ではない。
「レ、レイド君!? ち、父に向かって、なにを!?」
「あなたの父には何者かが憑依しています。この国の皇帝は代々邪霊を降臨させるという習慣でもないのなら、今すぐにでも解呪すべきかと」
「父に邪霊が……?」
何を馬鹿なと護衛たちからも声が響く中。
もう一度、カツンと邪杖でミスリルの床を叩き。
全員を地の底から生えてきた、闇の手で拘束。
「憑依されていないのなら、それはそれで無能。どうしようもない愚物だということです。さて、どちらがいいかは分かりませんが――悪意をもって行動していると嫌疑をかけられたまま、というのは気に入りません。すぐに終わらせてあげますよ――」
私は骸骨の顔を持つ杖を振るい。
魔術名を解き放つ。
「術式破壊魔術:【高位解呪】」
「お父様!」
連なる光の柱が、皇帝ごと地面から天を衝いていた。
慌ててライラが父に駆け寄るも――。
親子に、ダメージはない。
「ぐあぁぁぁぁぁぁ……っ」
それは文字通り魔術効果の解呪。
魔術が法則を捻じ曲げる力なのだとしたら、その捻じ曲げた力に干渉。
強制的に戻す、魔術妨害に特化した光の柱を生み出す魔術である。
憑依が解除され、皇帝の精神を蝕めなくなったのだろう。
何かが皇帝の中から飛びだす。
ずずぅぅぅ……。
肉を開く音と共に、それは、首を回転させ周囲を見渡していた。
皇帝の影からも悍ましき神影が膨らみ。
それらは最終的に私を睨み、ちぃ……っと舌打ちをして跳躍。
謁見の間の壁へ。
護衛たちがようやく気付きだし。
「なんだ、あれは――、女か!?」
「陛下に、あのようなモノが憑りついて……っ」
邪悪な何かだとは察したのだろう。
皇帝を支えていたライラが姫としての号令をかける。
「何をぼさっとしている! おまえたち、陛下の影から抜け出たアレを捕まえよ――!」
そして姫自身もドレスの中から剣を取り出し。
ザン――!
ライラの突撃は邪霊を突き刺したが――所詮は魔術師のいない国。魔物の性質も理解できていない。邪霊の性質により魔力が込められていない物理攻撃は無効、壁もすり抜け消えていく。
「――な!? 壁の中に……!?」
「逃げられましたか……やはり邪霊や邪精霊の類でしょうね」
「邪霊……」
「彼らには実体がない、壁ぐらい容易にすり抜けることができるでしょう」
もっとも。
逃がしたのはわざと。
憑依を命じていた主の元へ帰らせ、それを魔術で追尾しているのだが。
「とりあえず、これで脅威は去ったでしょう。陛下に憑りついていたアレに、覚えのある者は?」
私の言葉に反応したわけではないが、マルダー十一世は呻き。
自らの顔を押さえ。
玉座の上で、身体を縮め。
「余は……っ、いったい……っぐ」
「お父様!」
他の護衛は私を捕らえようとするが。
それを止めたのは、皇帝だった。
「よさぬか――っ! その者に手を出してはならん!」
「し、しかし!」
「そうか、貴公らには見えぬのか……」
憑依が解けた影響で正気を取り戻したのだろう。
そして、マルダーの血筋は男神マルキシコスに愛される家系。
更に言うのなら、その血筋には魔王アナスターシャの魔術の才も引き継がれている筈。
男であっても、皇帝ともなれば魔術の才に目覚めたとしても不思議ではない。
女神たちは普通の人間には見えない。
だが、優秀な魔術師としての才がある者なら。
……。
皇帝はライラに支えられ立ち上がり。
『妾を見たか? 人の子の分際で――』
『ね、ねえ、食べていい? ……レイド、以外に、見られるのは、不快』
『ふふふふふ。旦那様の指示がなければ、殺している所でしたわ』
私に絡みついている、三柱の女神に震えながら。
皇帝としての威厳に満ちた声で告げた。
「皆の者、余の身に害は及ぼされておらぬ。むしろ、この方は余に掛けられておった、邪悪を祓ってくださった、恩人だ。くれぐれも丁重に、一つの無礼も許さぬ」
「どうやら、本当に見えているのですね――」
ライラが眉を跳ねさせる。
「見えている、いったい……何の話を」
「そのような悍ましき神影に囲まれて正気を保っていられる。そなたは……まさか」
魔王と他の者に気付かれても面倒だ。そう思う前に彼女は動いていた。
女神ダゴンが微笑んだまま。
ぞっとするほどの殺意を込めて、自らの口元に一本の指を立てる。
しぃぃぃぃぃぃ……と。
黙っているようにとの吐息が、王宮内を反響し始めていたのだ。
「黙さねば――余はそなたではなく、それらに消される、か」
「どうやらそのようです。申し訳ありませんが、私も彼女たちを完全に制御するつもりはないので、恐縮ではありますが、陛下――選択はどうか慎重に」
「なんなりと申せ、神に愛されし白銀の賢者よ」
魔王ではなく賢者とは風流な言い回しである。
「ならば話も早い。ガノッサやあなた、そしたあなたの先祖について話が聞きたいのです。人払いをお願いできますか?」
「良かろう――皆の者、聞こえた通りだ。今すぐに、退出せよ」
「しかし!」
護衛の言葉に、皇帝が返したのは、否定を許さぬ鋭い視線。
憑依されている時には一度もなかった、王者としての気質。
周囲を威圧するほどのマルキシコスに愛される者の覇気だった。
「二度は言わぬ。余は余の国とそなたらを守るため、その口を王の剣で封じなくてはならなくなる。故に、去れ。これは勅命である」
「お父様?」
「あとで話す――余が生きておったらの話だがな」
「命など取りはしませんよ。と、私が言っても信じては貰えないのでしょうね」
皇帝が私に目線を向ける。
ライラを同席させるべきかの問いだろう。
私は聞かれるのも面倒だと、首を横に振った。
会談は、私と皇帝二人のみで行われることになった。
話は遅くまで続いた。