第26話 単純な恋
謁見の話はスムーズに進んだ。
既に私は謁見所の前。
謁見用の儀礼服に着替え、門のような扉で待機していた。
女神たちは透明状態で城を散策中。
王宮に使われている柱や扉の素材は、ミスリル……前世にはなかった材質である。
それなり以上に高価なのだろう。
「もとより整った顔立ちだとは思っていたが」
私をここに連れて来た女騎士ライラが言う。
「すごいな君は。美貌だけでも成り上がれそうな貴族の若き当主、物語にでてくる貴公子に見えてしまう」
「貴公子は困りましたね。本物の姫様を前にして、さすがの私もそこまで自信を持てる度量は持ち合わせていませんよ。それに、見違えたのはこちらです」
「そ、そうか……?」
高級素材に反射し映る美青年の横にはお姫様。
王族のドレスを装備した、ライラがいる。
「まさかカルバニアの姫殿下でしたとは。今までのご無礼をどうかお許しください」
「構わぬ、というかすまん。黙っているつもりはなかったのだが、タイミングがなくてな」
民のために戦う女騎士の正体が姫だった。
どこまで騎士団でそれを隠していたのかは知らないが、私が皇帝との謁見を希望すると、彼女は考え――。
しばらくした後に、自分の出自を明かし、現在に至る。
「こちらこそ構いませんよ、あなたが姫であることは良くも悪くも私に影響しませんので」
むしろ皇帝には会えませんとなった方が、あっさりこの地を見捨てられたのかもしれないが。
女性のメイドたちがヒソヒソこそこそ。
顔を赤らめ私の顔を遠目で見る中。
「貴殿はわたしにもっと淑やかになれとは言わぬのだな」
「何の話です?」
「女のくせに剣を取るな、やら、皇族ならばおとなしくしていろやら、そういう類の余計な助言だ」
かつてのこの国では女性こそが戦力だった。
これは魔術を失ったことの代償の一つだろう。
それでもある程度の戦力を保てているのは、スキルや戦技といった分野を伸ばした結果なのだろうが。
「――女性が騎士を志す、そして立派に大成された。それは誇れることだと私は思いますよ」
「そ、そうか――はは、なんだか恥ずかしいな。わたしは何をやっても空回りで、今も十四の子どもに諭されている。勇者様も、わたしを重荷に感じているようだし、姫として、力不足を実感する毎日だ」
「ああ、一つお聞きしたいのですが」
「構わぬが」
「ガノッサさんの事を好いていらっしゃるのですか?」
あまりにも直球で聞いたからか。
門を守っている兵士たちが、ぶへっと思わず驚きの声を発していた。
……。やはり、聞き方がまずかったのだろうか。
「ふふ、ふははははは!」
「ライラさん?」
「いや、すまない。わたしは貴殿が大人に見えていたが、そういうところはやはり子供なのだな。いや、子供とてもう少し柔らかい表現で聞くだろう。それは貴殿の気質だな」
「たしかに、私はあまり他者の……心を上手く理解できていない気はしていますが。すみません、不躾になってしまって」
だからこそ私は二百年前、肝心なところで失敗した。
「初恋、だったのだと思う」
女神アシュトレトが戻ってきて、じっと話に耳を傾けている。
女神バアルゼブブも、霧となっていた身体を戻し、待機。
女神ダゴンも、うふふふふふふっと姫の恋バナに興味をもって、微笑む中。
「剣の訓練の最中、遠出をして。魔物に襲われていたところを彼に助けられた――そう予想しますが」
「君はすごいな。ああ、まったくもってその通りだ。単純な恋だと、貴殿はわたしを笑うだろうか」
「いえ、魔物に襲われた時の心理状態は吊り橋効果……死を感じる恐怖と胸の高鳴りを、恋と錯覚してしまう現象に近いと考えられますからね。合理的です」
「つ、つり? やはり貴殿は少々変わっているな……わけがわからぬぞ」
女神たちが女心の分からぬ旦那様。
それでも、あなたを愛していると、それぞれにアピールをし始めているが。
無視……というわけにもいかないだろう。
『女神たちよ、時と場合を考えてください』
女神たちが顔を合わせ。
『そう、怒るな。妾たちも純粋にそなたが心配なのじゃ』
『あ、あ、あ、あたしも、ぼ、ぼ、ぼくも……、ね? ど、ど、ど、鈍感、だけど……。き、君も、た、大概、だよ……?』
『あらあらまあまあ! ふふふふ、旦那様は悪意で人を操るのは得意なのですけれどね~』
今聞こえているのは声のみだが、誰が何を言っているのかは理解できる。
『それよりも、王宮の探索は済んだのですか』
『うむ! いざとなったら、そなたが必要としている書物を持ち去る準備もできておる。ついでに、妾が欲しい宝石もチェック済みじゃ!』
『もし……て、敵対、することに……なっても、す、す、すぐに、水場に、や、薬品も、ま、魔術も、ど、どっちでも、散布できるように、し、し、しておいたよ……?』
軽いどころか、重いテロリストである。
女神と共にあれば国家転覆さえも容易いだろう。
だが私は――。
魔王であるが、闇雲に滅びや混沌を撒きたいわけではない。
そんな心を汲み取ったのか。
聖職者の服を揺らしダゴンが母たる笑みで、そっと告げる。
『後は旦那様のご指示のままに。けれど、旦那様はこの国をどうされたいのです? あたくしたちも、なるべくならば旦那様の趣向に合わせたい。そう願っておりますの』
勝手に動くなと私に言われたことを覚えているのだろう。
私と女神は少しずつ歩み寄っていた。
互いに互いの価値観や感覚を理解し始めていた。
『どうしたいのか、それはまあ皇帝次第、でしょうね――』
『なんじゃ、つまらんのう。妾的には、国がどかーんと滅びる瞬間も見てみたいのじゃが』
『ダゴンは打ち解けてみると存外話しやすいと思っていたのですが、アシュトレト……あなたの方が危険思想なのですね』
勝手なことはするなと釘を刺したのだが。
大蛇を纏う女神は、にへにへっと悪い顔。
『この国はそなたを殺して大成した国じゃ。なにしろこの帝国が二百年続いたのも、そなたの残した知識や資料があったからこそ。マルダーの坊主はそれを引き継ぎ、賢帝となった。つまり、そなたの知恵のおこぼれじゃ。そなたの成果を盗んだとも言えよう? アントロワイズ家の名誉を回復させたとはいえ、そなたにはまだこの国を恨む権利がある。正当な恨みじゃろうて』
妾も面白くないやもしれぬ、と意味深にこちらをちらり。
『アシュトレト』
『分かっておる、分かっておる。様子見じゃな――じゃが覚えておけ、この国の者どもがそなたに恩を仇で返す振る舞いをするのならば、妾もたまにはカンニング袋の尾が切れる。……なんじゃ、ダゴン。妾はいま真面目な話を』
おそらくは、カンニング袋の尾ではなく堪忍袋の緒が切れるよ、と教えて貰っているのだろう。
ぼふっと顔を赤くし、アシュトレトが目線を逸らす。
『と、とにかく! 今はおとなしくしておるから、安心せい!』
こちらは三女神と意思疎通を図っていたのだが。
王宮の者たちにとっては黙り込んだままに見えるのだろう。
固まっている私にライラが言う。
「緊張しているのか?」
「――はい。皇帝陛下にお会いできる機会などあまりないでしょうから」
「そうか、すまないな。本来ならば……こちらから出向き、そなたに頭を下げねばいけないのだろうが」
「いえ、皇帝陛下が軽々しく頭を下げるものではありませんよ。そして、あなたもです」
ほれ、やはりこういう嘘は大得意と、女神の声がするが気にせず。
門番からの合図の後。
謁見の間が開かれる。