第25話 腐敗と疲弊
結論から言うと、勇者ガノッサは重度の人間不信になっていた。
同席しているのは女騎士ライラのみ。
ガノッサは敵意さえある鋭い目線を彼女に向け。
「ライラだったか、なんで貴族のお嬢ちゃんがここにいやがる」
「わ――わたしはレイド君のこの国での滞在を許した責任者、立場上、勇者であるあなたとの話を聞く義務があると考えております」
「くだらねえな、こいつを利用せずにはっきり言えばいいじゃねえか。勇者のくせにタダ酒を呷り続けてるんだ、たまには魔物の首でも狩ってこいってな」
場所は騎士団の詰め所の応接室。
腐っても貴族の施設、防音設備は充実しているので傍受もされず。
外に漏らしたくない話をするには都合がいい。
部屋の外にはノーデンス卿や騎士団が待機している。
彼らは私が勇者を説得し、ダンジョンの主を倒すように調整してくれることを望んでいるのだろうが。ガノッサは騎士団や帝国に思うところがあるのか、いきなりこれである。
酒癖の悪かったこの男との思い出を引き出し、私が言う。
「勇者様、さすがに飲み過ぎでは……?」
「懐かしいな、おまえさんはそうやって心配するフリをして、何度も高い酒をドバドバ注いできやがって。オレが気付いていないとでも思ったのか?」
「気付いていても、あなたはお金を落として行ってくれましたからね。女将によく褒められたものです」
「なんだ、あのババアも共犯だったのかよ。それは、知らなかったな――」
ガノッサの瞳には、疲れが滲んでいる。
死んでいった者たちへの思い出で溢れていたのだ。
だが、その感傷を邪魔するようにタイミング悪くライラが酒を取りあげる。
「勇者様、もう本当にお酒はこれくらいに……大事な話があるのです」
「はは、まだろくに剣も使えねえ、ナイトメアビーストごときに苦戦してるヒヨッコの分際で、いっちょ前に説教か?」
「訂正してください。ヒヨッコではありません、もうわたしも騎士なのです!」
「嗤わせるな――そうやって自分を強いと思い込んだままなら、ガキより程度が低いじゃねえか」
ライラが青い瞳を尖らせる。
彼女にあるのは憧れへの情景と苛立ち。
そして失望。
「そういう態度が、皆からの反感を買い始めているのだとまだ気付かないのですか!」
「自分の都合のいいように話が向かないと、すぐさまに怒鳴りやがる。はは、あんたは立派だよライラ様。魔術も使えぬ女の身でありながら、今や立派な国家の矛、国家の剣。帝国の女豹。王族でありながら最前線に立ち民を守る。ご立派ご立派」
どうやらこのライラは王族とのことだが。
「勇者様、わたしはあなたの剣に憧れていた、けれど、どうやらそれは間違いだったようだ――」
「そりゃそうだ、剣なんて本当は得意じゃねえ。オレは斧使いだからな」
「それでもわたしは、わたしは……あなたの剣に正義を見た。あの日、颯爽と助けてくれたあなたを信じていた。いつか、勇者としての本分を思い出して下さると! なのに、あなたは……っ」
「勝手な理想を押し付けるな。もうそういうのはうんざりなんだよ」
私を置いて、彼らだけで話は進んでいる。
人間に失望してしまった勇者が気まぐれで女騎士ライラを助けたことがあり、その気まぐれのせいで、ライラの心はその時からガノッサに囚われている。
そんなところだろう。
しかし――。
申し訳ないが、私には人間のオスメスのやりとりなど、どうでもいい。
「ライラさん、できれば勇者様と二人で話をしたいのですが」
「すまないがレイドくん、それはできない。勇者ガノッサ殿は勇者の身でありながら、人を助けようとしない勇者。行動も粗暴。君が子供とて、なにをするか分からない。同席させてもらう」
話を聞かれるのは些か問題だが。
いざとなったら研究済みの忘却の魔術を使えばいい。
私は言った。
「ガノッサさん。どうやら――あなたはだいぶ変わってしまったようだ。あまりやる気がないようですね。正直かなり驚いていますよ、口も態度も悪く、酒癖はもっと悪い。けれど、やる時はやる。分別がつく立派な冒険者だと認識していたのですが――」
「まあそう言うなって、オレにも色々とあったんだよ」
ライラの時とは打って変わって、男は猫撫で声だった。
「その色々を私は聞きたいのですが。だが先に確認させてください、なぜ、ダンジョンをあのまま放置しているのです?」
「ダンジョン?」
「あなたならば分かっている筈です。定期的にダンジョンの魔物を狩らねば強力な個体が生まれ、そして強固な食物連鎖が発生し取り返しがつかなくなると。実際、おそらくあと数回の魔物大量発生と街への襲撃が重なれば、この国は終わる。勇者なのでしょう、あなたは」
ガノッサは酒を掴み、呷って言う。
「決まってるだろう――人間どもは定期的に危機に陥らねえと、すぐに戦争を始める。どれだけ助けても無駄だ。平和になっちまった途端にすぐに他人に嫉妬をしはじめやがる」
「途端とは言いますが、十年程度は平和なままでしょうに。些か大げさなのでは?」
「大げさなんかじゃねえよ」
「しかし、このまま何もしなければ本当に滅んでしまいますよ。あなたはそれでよろしいのですか?」
「この国は、発展しちまったら他国を攻撃するだろうからな。だったらこのまま滅びりゃあいい」
その言葉は私ならば普通に聞いていられるが。
「……っ! 貴様っ、そこまで落ちたか!」
「無礼だろう、オレとこいつの会話に割り込むな」
ライラの驚愕と怒気を殺気込みの目線で黙らせ、ガノッサは冷徹な声で告げていた。
「オレが助けたこの国が生き残り他国を攻撃、戦争となったら何人が死ぬ?」
「戦争になる確信がおありなのですか」
「前と同じパターンなんだよ。ここでオレが助ければ、奴らは本格的に図に乗り始める。魔物は必要悪の側面もあるって事だ。それにだ、レイドの坊主。オレはバカだが、計算ぐらいはできる。おそらくは……戦争が起こるよりも、この国が全滅しちまった方が被害者は少ない。簡単な数の問題だ。助けない事でオレは将来の命を助けてるんだよ」
「この国を助けない方が、世界全体でみれば死者は減る……ですか、理論は理解できますよ。肯定はしませんがね」
私が口にしそうな屁理屈である。
だが。
男の鼻梁に浮かぶ皴には、歴史が刻まれていた。
実際、ここで人間を救ったら本当に戦争になるのだと、少なくともガノッサは考えているようである。
勇者の力や経験の結果、既に何度も実践したということか。
「ならばあなたがこの国を助けた後、王を正せばいい。そうですね、例えばですが極めてシンプルな脅しもあります。もし平和になり、その後で驕り高ぶったその時には――勇者がお前の国を亡ぼすとでも言えば宜しいのでは?」
「その世代は覚えちゃいるだろうがな、駄目なんだ。人間ってのは……次の世代になるとそういう警告も忘れちまうんだよ。実際、あのマルダー殿下はおまえとの関係の中で体験した処世術を学び、よくやっていたよ。愚民どもを押さえ、魔術師を保護し、他国との諍いも極力避けて正しく生きた。賢帝にふさわしい生き方をした結果、初代皇帝になった。だが、奴は子育てが下手だった、まあ、それでもあの息子は嫌々オレの話を聞いちゃいたがな……だが」
当時を思い出しているのだろう。
ガノッサは諦めの息に言葉を乗せていた。
「更に次の代になると、オレの話なんて聞かなくなった。まだちゃんと勇者だって自覚をもって行動していた頃の、まともだったオレの忠告でもな。やつはオレを初代皇帝の時代の象徴とでも思ったんかね。そりゃあ疎まれたさ。ダンジョンの定期的な攻略と、魔物の討伐を提言しても、無視。魔術師を減らすなって警告も、無視。政治に口を出すなと露骨な邪魔者扱い――オレを初代マルダーの時代、魔王アナスターシャ……魔術によって荒れていた時代で活躍しただけの古き英雄、ただ生きているだけの老いぼれ扱いにしやがった」
あのマルダー殿下の孫という事か。
「優秀な初代の次の世代が無能でも、先代の威光と実績があるので国は保てる。けれど続いて三代目が無能ならば、もう取り返しがつかない。大きな組織であっても落ちぶれる、まあよくある話ではありますが……」
「マルダーの坊主はあれでも本当に大成しやがってな、その偉大な父や祖父の名が重すぎて、その政策に反発もあったんだろうよ――初代皇帝様には文句はねえさ、だが二代、三代は、オレが人同士の争いに介入できねえ勇者なんて呪いを受けていなかったら……殺していただろうさ」
魔王である私を殺したことですら後悔していた男。
それがまさか可能なら殺していたなどと、本気で口にするとは。
よほどの酷い皇帝だったのだろう。
「それは、穏やかではありませんね」
「奴らは魔術を絶てば、帝国は永久に安泰だと信じ切って、魔術師を迫害した――皇帝の指示でな。国民も旅人も関係ねえ、年寄りから子供さえ関係ねえ。介入できないオレには、冒険者ギルドに逃げ込んできた魔術師たちを他国に逃がしてやるので精一杯。ひでえもんだったよ、ありゃあ」
皇帝の命令で迫害した。
かつての皇帝への侮辱と感じたのか、ライラが口を挟み。
「嘘だ! そのような歴史は学んでいない!」
「嘘じゃねえよ、ちゃんとこの目で見て来たんだからな」
「レイドくん、君も歴史については学んでいた筈だ。この男に言ってやってくれ!」
巻き込まないで欲しいが、仕方がない。
私は銀髪を息で揺らすほどの溜息の後、あくまでも事実を探る顔で言う。
「たしかに、私も歴史書を確認しましたがそのような記述はありませんでした」
「ならば」
「けれど、二百年前から現代までの歴史の中に、不自然な空白。不自然な改竄の痕跡のようなものがあったのは事実です。それが魔術師を迫害していた二代や三代の皇帝の黒い歴史を隠した結果だとしても、私は不思議には思いません」
「そんな、君まで我が帝国の歴史を疑うというのか」
「この国が過去に何をしていようが、していまいが、どちらでもいいのですよ。問題はダンジョンに作られた生態系ピラミッドの頂点に君臨するボスを倒さねば、魔物の襲撃がますます苛烈になるという事です」
私は酒を何度も呷るガノッサに目線を戻し。
「それで、勇者様はどうなさるおつもりで? 本当にこのまま放置するつもりなのですか」
「……、オレはもう人間のためには戦えねえよ」
「そうですか、あなたがそれでいいのでしたら、私から言う事は何もありませんよ」
ライラの目があるので今は魔王としての会話はできない。
私はその場を退出しようと席を立つ。
【女神の恩寵:天才】で演算される計算でも、魔王としての勘でも答えは一つ。
「ああ、最後に一つだけ。あなたが動かなければおそらく、本当に滅んでしまいますよ、この国」
「お、おい、レイド君!」
ライラは私に彼を説得して貰いたいのだろうが。
私がそこまで動く義理はない。
この二百年にあったことを理解せずには動けない。
嫌と言っている男を動かす気もない。
私がアントロワイズ家を殺され、復讐のために動いていたように。
勇者である彼も、同じように感情に支配されて動いている可能性もあるのだから。
立ち去る私の背にガノッサが言う。
「レイド、おまえは――オレを恨んでいないのか?」
「恨む? 何故?」
「そりゃ……まあここじゃあ言えねえが。オレはお前に酷い形で不意打ちをした。あの後、ファリナの嬢ちゃんや殿下にそりゃあ恨まれたさ。だが、そうでもしねえと勝てねえと分かっていたからな。だから、オレは、おまえがオレを信用していたことを利用して――」
酒に浸る男のくせに、勇者は言葉を選んでいた。
私の正体。
魔王であることを隠そうとしてくれているようである。
そういう気質だからこそ、私はこの男を信頼していた。
そして、殺された。
「気になさらないでください。むしろ私は感謝しているのです」
「感謝だと?」
「はい――私はあれで敗北を知りました。絶対に負けないと思っていました。実際、あなたがあの時動かなければ。もっと言えば、私があの時ノーデンス卿を守らなければ……私は全てを牛耳り、今頃歴史は変わっていたことでしょう。けれど、そうはならなかった。私もまさか自分があの子供を守るとは思っていなかった。人の心とは、私にとってはもっとも未知の領域。度し難い感情を読むことの難しさを痛感したのです。完全に上手くいっていると思っていた故に、慢心してはいけないと教訓ができました」
完全に立ち去る前に、私は再び彼に言葉を残した。
「ただ……。古き恩人よ。どうか後悔だけはしないで欲しい」
「酒場のガキが説教か?」
「説教ではなくアドバイスですよ。それでは――」
言って私は退出した。
ノーデンス卿は空気で説得に失敗したと察したようである。
それでも子供である私に頭を下げていた。
後ろに続くライラが言う。
「レイド君! 待ってくれ!」
「まだなにか?」
「君は勇者様と、そんなに親しかったのか。わたしの言葉にはまったく心を動かしてくださらないのに、貴殿に対しては違った。君は一体、何者なんだ」
何者だと聞かれ、答えられるわけがない。
「ただの魔術師ですよ」
とある貴族令嬢に助けられた。
……あの日の恩を忘れられずにいる。小さな子供。
昼の女神アシュトレトの声が響く。
降臨し、何か告げるつもりなのだろうか。
『レイドよ、それは格好つけすぎではないか?』
……。
ただの冷やかしのようである。
『だから、魔術師ですよの後は口にはしなかったでしょう』
『おお、そうか! くさいセリフだとは自覚があったようで安心した。さて、これからどうするのか。考えはあるのだろうな?』
『ガノッサがここまで拗らせてしまった原因を探るつもりではありますが』
『ならば決まりじゃな。この国の皇帝に聞けばよい。次の目的地は、王宮じゃ!』
王宮のコスメを少々拝借したいのじゃ!
と、愉快で薄着な裸婦もどきは、王宮探索に興味津々のようである。
『あなたは教えてくださらないのですか?』
『神託を使ってもいいのなら構わぬが、このような些事に使いたくはなかろう?』
『都合のいいときだけ、神託制限ですか……まあ、あなたらしいですけれどね』
私はライラに皇帝に会いたいと、話を切り出した。