第24話 再会(裏)
冒険者ギルドの皆は、勇者様にお願いしましょうと能天気に話し合っているが。
騎士団は何故か暗い顔である。
これは、王族や貴族、それに連なる騎士団は勇者について何か知っているという事か。
ここで演技をひとつまみ。
私は歴史を学ぶ学生の顔で、いけしゃあしゃあと告げる。
「皆様の反応からすると――この国においての勇者様も所詮は伝説、あくまでも空想上の存在とされている……ということ、でしょうか?」
「いや、実在する……現行の勇者様はこの国にいるのだ」
私は口の端が吊り上がる気配を必死に隠し。
二百年前と似たような、子どもっぽい笑顔を作ってみせていた。
「ならば安心ですね」
「そうもいかないのだ」
女騎士ライラがノーデンス卿と目線を合わせ。
互いに語っていいと判断したのだろう。
ライラ嬢の方が口を開く。
「勇者様は今、王宮の賓客となっているのだが……昔に、その、色々とあったらしくてな。すっかりこの世界を守る気を無くして、酒浸り。先日も街が襲われていたのに、駆けつけてはくださらなかった。おそらく、もうこの国を見限っておられるのかと」
「勇者様なのに、サボっていらっしゃると……」
「サボるとは違う……と思いたい。なにしろあの方はずっと、戦い続けておられた御方。今はただ、疲れているだけなのだろうと父様は仰っていた」
殺すならば今か。
しかし、当代の勇者が無能な穀潰しならば、放置が正解か。
システム的な意味での勇者の伝承はあまり残されていないが――勇者には終わりがない。勇者が死ねば、望む望まぬを別として新たな勇者が誕生していると、私は認識している。
勇者たちの存在が、魔王という異世界からの駒を排除する存在。
世界の免疫システムだというのならば、納得できなくもない。
ライラが言う。
「わたしもあの方と話をしたことがあるがな、とても、良い方なのだ。酒さえ飲まなければ……本当に。ただ、あの方は遥か昔、魔王アナスターシャが健在だった時代。まだ勇者の供だった頃に、信念を貫き、一人の少年を殺してしまったらしいのだ。あの方はそれは間違いだったと、それは失敗だったと。ちゃんと話を聞いておくべきだったと。こんな国を守るために、こんな世界を守るために、あんなに慕われていた子供を、あんなに必死に生きてきた子供を殺してしまった。過去の自分が許せないのだと……そう、口癖のように漏らし続けているのだ」
該当する人物は一人。
斧戦士ガノッサ。
私は窓に向かい目線を向け。
『明け方の女神――』
『ええ、旦那様。聞かれなかったから口には致しませんでしたが、あの方本人ですわよ?』
『そういう事は事前に……いえ、確認しなかったこちらのミスでしょうね。あなたがた三女神にとっては、どの情報が必要か不要か、判断はできないし、しないのでしょうから』
『そう諦められても少し頬を、プクーっとしたくなってしまいますので。旦那様にお教えします。あの方はあなたを殺し、その功績を世界から認められて勇者となった。あれから二百年、寿命も人の領域を超えたあの方はずっと、あなたを殺したことを後悔しておりますの』
『ほう、それはまたどうして』
明け方の女神が下半身をじゅるりと変貌。
鱗持つ魚とし。
うっとりと口の端を裂けるほどに吊り上げる。
『偉丈夫ガノッサ。新しき勇者――あの方は旦那様が、きちんとあの国家のために根回ししていたことに、旦那様をお殺しになられた後に気が付いたのでしょうね。旦那様はあの当時、本当に多くの策を張り巡らせていらっしゃったでしょう? だから、たとえ革命に近い流れとなっても、民衆が暴走しないように調整はしていた――あの方は、旦那様の死後、旦那様の気遣いを、きっと、嫌という程に、何度も、何度も、ずっと経験なさったのでしょう。きっと、こう思ったのでしょうねぇ』
胸の前で、祈るように手を握る。
『オレは、なんてことをしてしまったのだ、と!』
ああ、その嘆きが実に美味でしたと。
女神はまるで負の感情を食らう、悪魔のような顔をしていた。
つまり――。
明け方の女神は時間と共に男が後悔すると確信していた。
だから斧戦士ガノッサを勇者へと昇格させたのだろう。
理由を考える。すぐに答えが思いついた。
『私があの男の気質をどこかで気に入っていた。まあ……ガサツではありましたが、酒場で働き始めた私に積極的に声をかけ、周囲との関係性を円滑にしてくれましたからね。好きか嫌いかの二択ならば、好ましいと答える程度の好感度はありました。だからあなたは……動いたのですか』
『ええ、旦那様』
『私ともう一度再会できるように。そして同時に――私を殺したことへの罰を与えた、といったところでしょうか』
だが女神は肝心なことを私に伝えていない。
『勇者が不老、あるいはエルフのような亜人の如き長寿……そのような記述はどこにもなかった。勇者になったとしても、二百年の時を生きられるわけではないと私は予想しております。ならば、当時ただの人間だったガノッサはどうやって今も生きているのか。そこが疑問ですね』
疑問だと魔術会話で告げて、私は目線を女神に向ける。
『明け方の女神。あなたのしわざ、ですね?』
でへりと――それは嗤っていた。
美しいが醜い微笑を浮かべ。
聖職者の服の中で、形容しがたい姿と臓物をぐじゅぐじゅと鳴らし。
明け方の女神は、恍惚に打ち震えた感情を隠そうともせず、ぐじゅじゅじゅじゅ。
服の中で異形なる姿を蠢かす。
『だって、ガノッサさんがいけないんですのよ? あの時の旦那様は、まだ悪いことなどしていなかった。確かに国家を混沌へと導いてはいらっしゃいましたが、それはアナスターシャを追い詰めるため。旦那様は最低限の秩序……ラインを守り動き、冒険者たちとも連携を取っていた。旦那様はただ、ポーラ様達の仇を取りたかっただけ。そして、叶うならばその肉体と魂を蘇生したかっただけ。なのに……魔王だからという理由で子どもだった旦那様を殺してしまうなど。それって、とっても悪い人、ですわよね?』
言いながら明け方の女神が浮かべていたのは、母の如き笑み。
人ならざるモノの美しい微笑。
明け方の逆光の中で、聖職者の服を着る乙女は、黒く細い糸目を蠢かす。
『だから、あたくしは彼に罰を与えた。初めは彼も死なない肉体に満足して、活躍なされました――勇者として大成されました。本当に、本当に、多くの善をなしました。けれど十年、二十年……五十年もしたら、この大陸も平和になり……魔物の恐怖も減っていた。するとどうなったと思います?』
私は考えを口にする。
『おそらくは、人間同士で争うようになる。この大陸の人間があまり戦争していなかったのは、魔物の存在があったから。けれど、勇者の活躍で著しく魔物の全体数が減少すれば、人々の暮らしには余裕ができるようになりますからね。共通の敵としての魔物がいなくなったことで、人々は同族に目を向け、嫉妬するようになった。その結果が、戦争なのでしょう』
『ご明察、さすがでございますわ』
蠢いていた身体を人間のソレに戻し。
明け方の女神は清楚な声で、人の醜さを語りだす。
『魔物とは必要悪の一面もあるのでございます。勇者のご活躍で――人間は人間同士で争うようになり。遂には魔術師への迫害が始まった。五十年前、民を苦しめていた存在の象徴として……魔術師が憎く思えていたのでしょう。魔術の使い手は、どんどんと消えてしまった。魔物に襲われたわけではなく、人間に虐殺されたりもしたのでしょう。ガノッサはそこに介入できない。だって、人間同士の争いなんですもの。勇者は長くを生きれば生きるほど、人間の汚い一面も覗いてしまう職業。だからあたくしは、ただ、罰として彼に永遠を与えるだけで良かったのです』
あとは勝手に人間が争い。
勇者の心を壊していく。
明け方の女神は私に問う。
『ねえ、旦那様? それって、悪いことですか? あたくしは許せなかった、あたくしの旦那様を殺すなんて……アシュトレトはどうせすぐに蘇るのだからと気にしない。バアルゼブブはあの時助けなかったから、怒られるかを気にしてウジウジしているだけ。でも、あたくしは違う。あたくしはあの男がどうしても許せなかった――』
『だから血肉を与えたと』
明け方の女神には人魚……その肉に、不老不死としての性質もあるのだろう。
『あの方は醜い人間を見て思ったのでしょう。あの頃は良かったと……もし、旦那様を殺していなかった場合の世界を想像し、後悔したのでしょう。苦しみに嘆いたのでしょう。それがあたくしの、復讐。旦那様を殺した勇者の仲間への、罰。けれどあたくしはただ、旦那様のために尽くしているだけ。そこに一切の貴賤はございません。ただ純粋なる愛でございます』
狂った価値観だと認識しながらも、それが彼女たちなのだろうと既に私は納得していた。
ただガノッサが私を殺した栄誉で世界に認められ、勇者になっていたのだとしたら。
心配なことが一つ。
三女神たちが勇者に直接介入して良いのかどうか。
『確認したいのですが、勇者への干渉……それはルール違反に当たるのではないのですか?』
『いいえ、ただあたくしは力を欲しいかと語り掛けて、あたくしの血肉を与えただけ。食べるかどうかを選んだのは、あの方ですので――それに、あたくし申しましたの。旦那様ならば、いつか再臨されますわって。だから彼は寿命の延長を選び、あたくしの鱗ごと血肉を食らったのでございます』
――ガノッサは私の再臨を待っていた?
市場の中央にあったあの私の像は、マルダー殿下の独断だと勝手に思い込んでいたが。
おそらくはガノッサもまた、それに同意。
私への贖罪として、アントロワイズ家について名誉回復に努める行動を取り続けてくれたのだろう。
それも全ては私があの男に殺された時に漏らした、言葉。
自分を責めないで下さいと願った言葉が、逆に良識ある男を、いまだに縛り続けているのだろう。
人間同士で争う者たちを見て来たまっすぐな男には、いっそ、魔王の方がまともに見えたのだろう。
『哀れな男だ――女神に呪われるなど、災難でしかないというのに』
『さすが旦那様。殺されてもただでは死なない、それでこそ旦那様。あたくしたちの愛しい駒。ただ唯一の、幸福魔王。あたくしが愛する男、惚れ惚れしてしまいますわ』
女神の性質も理解できていたので、驚きはしない。
だが。
『女神たちよ、おまえたちの精神性に関して私は過度に干渉するつもりはない。だが、こういう事をするのならどうかこれからは事前に伝えて欲しい』
『旦那様がそうおっしゃるのでしたら、あたくしは了解です。けれど他の二人は、どうなのかまでは責任を取れませんが……』
『アシュトレトもバアルゼブブも聞きわけは良いですからね。問題はあなただけなのですよ』
つまり、あたくしは特別?
と、明け方の女神は裂けた口でふふふふっと微笑み続けている。
『ねえ、旦那様。あたくしには名を聞いて下さらないのでしょうか』
『必要ありませんよ』
明け方の女神の瞳が、寂しそうに閉じられていく。
『そう、ですか……』
『勘違いをしないでください。聞く必要がないというのは、そういう意味ではなく。あなたの真名に心当たりがあるというだけ――あなたはおそらくダゴン』
『なぜ――そう思うの』
明け方の女神の口だけが蠢く。
私は問いに対する合理的な答えを返していた。
『アスタルテやイシュタルの流れをくむ女神アシュトレトが、元の名アシュテレトに「恥じ」という意味をつけ足され蔑称で呼ばれた存在だったように。聖書圏外では気高き神とされたバアル・セブルが蠅の王、糞の王バアルゼブブと蔑称をつけられ、悪魔とされたように――。ダゴン、あなたも聖書圏内の勢力争いで半人半魚の側面を強調し描かれた、人間によって歪められた神性。後に創作神話に取り込まれてからは、更にその存在を変化させた。話を少し戻しますが、アシュトレトとバアルゼブブは共に、人間に貶められた神。そして一説によるとダゴンはバアルの親であり、バアルはアスタルテの伴侶と伝承されることがある。つまり、あなたがたは神話上の血縁関係。バアルゼブブとアシュトレトの関係性からの逆算ではありますが、貴女の名の答えはダゴン。どうでしょうか?』
明け方の女神は名を当てられたことが嬉しいのだろう。
頬に、すぅっと涙が伝う。
『凄いのね、旦那様――だからあたくしは、あなたを愛さずにはいられないの』
『ということは、ダゴンで当たりという事ですね』
女神は涙を拭う事すらせず。
微笑みで肯定していた。
『さて、問題はこちらですね――』
『ガノッサをどうするおつもりなの?』
『とりあえず会ってみてから考えますか――随分と長い間、私を待っているようですからね』
女神にとっては短い二百年。
けれど人だったモノには長い二百年。
もはや動いてしまった女神のやらかしはともかく、私は騎士団に言う。
「ライラさん、ダンジョンの主を討伐するには勇者の力が必要でしょう。ガノッサさんにお会いできますか?」
「それは構わないが……何故貴殿があの方の名を知っている。重要な機密なのだが」
「昔の知り合いなんですよ。いつかの記念品のお酒の代金、まだ貰っていないのですが――そうお伝えしていただければ、おそらくは会ってくれると思うのですが」
ライラは眉を顰め。
「伝えるのも構わないが……今、あの方は誰にも会おうとしない。おそらくは……貴殿も」
と、言いつつもライラ嬢はすぐに王城に連絡し。
そして男は飛んできた。
冒険者ギルドの従業員も、騎士団も唖然としている。
貌に残る古傷もそのまま、三十代半ばの重戦士といった言葉が似合いそうな男が、図書館の扉を開き――ぐっと唇を噛みしめていた。
かつて斧戦士だった男ガノッサ。
彼もまた――私に狂わされたままだったのだろう。
勇者として戦い続けただろう強靭な腕が――ぎしり。
再会と同時に強く、私を抱き寄せていた。
「レイド、おまえ……ついに、起きやがったんだな……」
「皆さんが驚いていますよ、ここは他人の目が多い――話は別の場所で行いましょう」
「あぁ、本当に、待たせやがって、この野郎……」
私という存在はどうやら他人を狂わせる。
そう気づいてはいたが、自分ではどうすることも出来ない。
私はあやすように、安心させるように男の背を優しく撫でてやっていた。
「皆様、話の続きはまた今度――今は彼が心配ですので。構いませんね?」
「あ、ああ。勇者様を優先して貰って問題ないが、その……本当に、知り合いだったのだな。大丈夫なのか、勇者様は……」
「……まあ、話を聞いてみますよ」
私は他者の人生を狂わせる。
これは魔王だからこその性質なのか、私個人の性質なのか。
おそらくの答えは後者。
その理由は単純だ。
私は魔王に転生するより前に、既に女神たちを狂わせていたのだから。
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