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第240話 エピローグ~マルキシコス大陸~


 かつて楽園を滅ぼした、あの方と呼ばれたモノの部下。

 愛猫にして魔帝。

 白き魔猫たる大魔王ケトスが次に訪れたのは、とある大陸神の神殿。


 その神殿の中央には、湯浴み場。

 そしてその中心にいるのは、一柱の大陸神だった。

 それは美しい男女を侍らせる男神。


 まるで淫蕩を肯定していた楽園の神々が作ったかのような、甘い煙と魔力の泡が浮かぶ”魔力の泉(ジャグジー)”にて。


 マルキシコス大陸のマルキシコスの神殿の主。

 神マルキシコスは見た目だけは大物剣神なその容姿を、ぎょっと尖らせ――バケモノをみる顔でソレを凝視。

 慌てて立ち上がっていた。


『我が愛しき神官たちよ! 皆、かの神に平伏せよ。面を上げるな、絶対にだ……っ』


 湯浴み場にいた神官たちは慌てて振り返る。

 大魔王ケトスに気が付いたのだろう。

 そして直後に取った行動は、迷うことのない平伏。


 大陸神マルキシコスはこれでも大陸神、そしてその部下たちも神の加護を受けた神子――大魔王ケトスと呼ばれた来訪者が主人を超える上位存在であると、読み取る程度の力と判断力はあったのだろう。

 神官たちにも平伏させた神は息を吐く。

 呼吸と心を整えているのだ。


 神官たちの完璧な平伏を眺め。

 じぃぃぃぃぃぃぃ。

 ……なんでこいつら、ほぼ裸なんだろう……と呆れつつも、にょほん。

 大魔王ケトスが神たる声で朗々と語り始める。


『やあ初めまして。大陸に発生した神性よ、どうやら邪魔をしてしまったようだが失礼するよ。ワタシはケトス、大魔王ケトス。突然押しかけてすまないが、どうかアポのない顕現を許して欲しい。これでも多少は急いでいてね』


 本心で申し訳ないと思っているかどうか、それはマルキシコスにも判断できなかっただろう。


 だが、マルキシコスの方は違う。本心から頭を下げている。

 その影が魔力松明に照らされ伸びているのだが、神の幻影は小刻みに揺れている。

 相手の魔力に圧倒されているのだろう。


 大魔王ケトスは三千世界でも最上位の神性。

 ただ在るだけで神にとっては恐ろしく感じられるようだ。

 ある意味で世渡り上手な小物の大陸神が、重々しく口を開く。


『大魔王ケトス様――さぞや名のある外なる神と思われる御方。我はこのマルキシコス大陸を治める者、なんなりとお申し付けいただければと思っておりますが――いったい、我らが大陸に何用でございましょうか』

『エルフの国家――フレークシルバー王国の王レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバーを探しているんだ。何か知らないかい?』

『……』


 問われたマルキシコスは考える。

 彼が知っている情報はたいしてない、おそらくフレークシルバー王国の面々とさほど変わらない。

 けれど、大陸神マルキシコスは顔を上げ。


『あの小僧に何か御用で?』

『聞かれたことだけを答えればいい、キミとて神の端くれ、ワタシとの力の差は理解できるだろう?』


 大物魔猫に睨まれても、大陸神マルキシコスは引かなかった。


『あの魔王めは我らが大陸で生まれ、我らが大陸で育った大いなる存在。その情報を売るわけにはいかぬ』

『へえ――ワタシと敵対してでもかい?』

『キサマとて強大な存在なようだがっ、よく聞け外なる神よ! いいか! 我はキサマよりあやつの方が怖い――!』

『え? あ……うん』


 突然の暴言に目を点にする大魔王に気付かず、大陸神は吠えていた。


『もし我が売った情報で、あやつが大切に思う者たちが怪我でもしたら……っ、ヤツは確実に、我を嬲り殺しに来るに決まっておる! 故に! 我の選択は一つのみ!』


 ようするに。

 目の前の大魔王よりも、レイドが怖い。

 そんな単純な理由で、マルキシコスは剣を召喚。


『我は長いものに巻かれる者! キサマよりもヤツにつく!』


 神官たちも神マルキシコスに従い。

 集団スキルの構え。

 大魔王ケトスはそんな彼らにパチパチパチ。


 プニプニな肉球拍手を送っていた。

 マルキシコスが鼻梁を尖らせる。


『称賛だと? たしかに我は素晴らしき神だと自負しておるが一体、なんのつもりだ』

『いやいや、よかったよ。キミが素晴らしいかどうかは保留としておくが――もしキミがあのエルフ王……つまりはかつてワタシの主人だったあの方の欠片を売るつもりだったのなら、少しその首を刎ねてしまおうかと思っていたのだが。うん、そうだね。キミはどうやら悪運だけはかなり強いようだ』

『き、きさま――! 我を試していたのだなっ!』


 飛んだ唾を結界で防いだ大魔王は悪びれることなく、器用に肩を竦めてみせ。


『当たり前だろう。キミはどうやらあの方にあまり良い感情を持っていないようだったし、そもそも事の起こりはキミの怠惰、大陸神としての責務を放棄していたキミのせい。あの方が孤児として生まれたことにはキミに原因があったのだろう?』


 おまえがちゃんとしていれば、レイドという存在はもっといい環境で生まれたのではないか。

 そう突かれているのだと判断したのだろう。

 悪運強き神は悪知恵を働かせ。


『そ、そのような昔の事、我のせいではない! それに、あやつはああした経験があったからこそ、忌々しい創生の女神達と共に心を成長させた。はっきりといって、子供の頃のあやつはかなり問題のある存在であったと記憶しておる!』

『まあ、そうだね。あの女神達もレイド陛下との暮らしがなかったら……正直、ろくな神性ではなかった筈だ。確かに、キミの功績だ』


 功罪の重さを秤に乗せたのだろう。

 結論を告げるべく、大魔王ケトスは猫の瞳を赤く光らせ。


『だからワタシはキミをどうこうするつもりはないということさ。あの方にはあの方の人生があった。それに、キミを消してしまったらあの方は少し、悲しい思いをするかもしれない。レイドとしての人生……女神と共に歩んだ旅路の中で、どーしようもなさそうなキミとも、わずかな絆を刻んでいたのだからね』


 まあ、とりあえずこちらの事情を聞いておくれ、と。

 大魔王は【かくかくしかじか】を発動させていた。


 レイド王を売らなかったことで生存。

 ギリギリで生き延びた大陸神マルキシコス。

 事情を聞いた彼は複雑な面持ちのまま、見栄えだけは貫禄と美しさを兼ね備えた神の顔を歪め。


『つまり貴殿はあの小僧めの味方という事か』

『あの方が既にレイド陛下として独立した存在だったとしても、ね。あのエルフ王があの方の三分の一の欠片であったことに変わりはない。ワタシはあの方を永久に尊敬し、仕えるケモノ。常に味方であり続けるだろう。ワタシはあの日の恩を忘れる事はない、決してね』

『ますます分からん、ならばいったい何をしに来たのだ。ここにヤツがおらぬことは分かっていたのであろうに』


 既に一度敵対したからか。

 口調は完全に敬語ではなくなっている。

 大魔王ケトスはそんな大陸神の態度など気にせず、アリを見る顔で。


『創世の女神達と呼ばれた恐ろしき神性、我らが世界から流れた楽園の残党……まつろわぬ女神達を知らないかい?』

『いや、知らぬが。空中庭園におるのではないか?』


 考えずに口から出た発言だったようだ。

 当たり前のことを聞くなという顔で大魔王ケトスは応じていた。


『いや……それがどこにもいないのさ。彼女達が何かをしたのではないか、ワタシはそう考えているのだけれど――どうも楽園の神々っていうのは隠れる事が得意なようでね。うまく発見できない』

『ふん、殊勝な事だ。結局はあの小僧レイドにもう一度会いたいだけということか』

『まあ――そうだね。魔王聖典に囚われていた我らの魔猫陛下を救っていただいた恩もある。あの時に少し通信はできたけれど……ちゃんと挨拶もしないまま。ニアミスを繰り返していたのでね、もし今もどこかにいるのなら、魔術通信ではなくもう一度……彼本人に礼がしたい。そう考えているのだけれど、どうだろう』

『と言われてもな……』


 場所を考えるマルキシコスの表情は真剣そのもの。

 力を貸そうとしているのではない。

 女神の位置を探り当てれば厄介払いができる、そう考えているのだろう。


 自らの生存のためなら頭の回る神マルキシコスは思い付き。


『この世界に入り込んだままになっている四星獣の姿が見えぬ。本来ならば魔猫陛下に知識と経験、そして力を吸収されたとされるレイドめの行方が分からなくなっている。つまりはイレギュラーだ。そのようなイベントごとに無関心の筈があるまい。ヤツらを追えば、或いは――』

『四星獣か……そうだね、彼らには恩と縁があるからあまり強くはでられないが、仕方ない。そちらにあたってみる事にするよ』


 告げた大魔王ケトスの姿は既に消えていた。

 空間に、魔力の波紋が残っている。

 頬と鎖骨に汗を滴らせ、男神マルキシコスが言う。


『あれほどの悍ましき魔力――世界全てを憎悪の海に沈めておけるだけの力を抱えていながら、姿を消す時の波紋をこれだけに抑えるとは……まったく、二度と関わりたくないものだな』


 危険を察知する剣神の如き大陸神は今回もギリギリ生き残り。

 今日、生きられたことを感謝しながら神官を腕に抱く。

 その唇から、不意に言葉が漏れていた。


『まったく、なぜ我もアレが帰ってくると信じておるのであろうな。帰ってこぬ方が都合が良いというのに……』


 神官の一人が言う。


「わたしは、あの方が帰ってきてくださればと思っておりますよ」

『はは! アレにか?』

「ええ、おそらくですが……失礼ながらマルキシコス様が今この瞬間まで生きておられるのは、レイド魔王陛下があなたをなんだかんだと気に掛けていた事にあるのかと……つまりですね、もしレイド陛下の気配が完全に消えてしまったら……他の大陸神や創生の女神達は、あなたが次に何かをやらかしたら容赦なく処分なさる可能性が……」


 マルキシコスの背が跳ねる。

 生存本能に長けていた彼の直感もそれを肯定していたのだろう。

 不意に立ち上がった神は、神官たちにシリアスな表情で告げる。


『急ぎ、祈祷の準備をせよ!』


 言われずとも神官たちは動いていた。

 それは、レイド陛下が帰還するように願う神の儀式。

 マルキシコスが生き残るには、神が小僧と呼ぶあの魔王陛下の存在は必要不可欠。


 だから、彼らは彼らの都合で幸福の魔王の帰還を願う。

 そんな彼らの様子を、じぃぃぃぃぃぃ。

 実はまだ遠巻きで眺めていた大魔王ケトスが、呆れと関心を両立させた声を上げていた。


『なんていうか……どこの世界にもいるんだねえ、こーいう図太く生きるへんなのって』


 理由はともあれ。

 大陸神の祈りは本物だった。

 フレークシルバー王国とは異なり、マルキシコス大陸でも魔王の帰還を求める祈りが発生している。


 それを見届けた魔猫は、今度こそ転移を開始し。

 幸福の魔王の育った大陸を後にした。


 大陸神マルキシコスの自己保身のためだけの本気の祈りが、今日もマルキシコス大陸にこだまする。


 それが生き残るためならば。

 明日もマルキシコスは全力で祈祷を続けるだろう。

 その逸話がいつかの旅路の果て――未来においては魔王の帰還を願う神の美談として語られるのだろうが。


 それはまだまだ先の物語である。

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