第237話 だからと勇者は言い続け ―魔王を殺せる者―
どこか別の冥府に引きこもっているらしい斧勇者ガノッサ。
暴走する私をどうにかするには、私をどうにかするしかない。
止めて欲しいと願う私としては、何故彼が引きこもっているのか分からず困惑……。
というよりも、その理由を知りたくて――赤い瞳を輝かせていた。
集団スキルにより強化された月女神の弓矢にて、無数の一のダメージを受ける私の中。
私はバアルゼブブを眺める。
今の彼女なら意図を察してくれる、そう思っての行動だったが。
バアルゼブブは私の中にいる私に気付き。
にこりと微笑み、蠅の一匹を顕現させる。
それはバアルゼブブの分霊――彼女の意思を伝達する彼女の中の王の一人。
『だ、だれか――、こ、この子を』
『矢に、のせて』
『レ、レイドに向かって、撃って』
まっさきに動いたのは、見知った術国家の面々。
陰に潜み、支援に徹していた魔術国家インティアルのティアナ姫。
「女神よ――!」
バアルゼブブと魔術国家インティアルの王族とは面識がある。
そして、ティアナ姫の覇気を信じたのだろう。
バアルゼブブは頷き、蠅の分霊を託す――。
ティアナ姫が戦える姫としての役割を果たすべく。
強化の波動を受け。
「恩を返すチャンス、逃すわけにはいかぬ!」
弓を構える姫の後ろ。
共に支援に徹していたダブルス=ダグラスと魔術王が頷き。
「しゃあ! 見てなよ、レイドの旦那! おまえさんの頬を引っぱたいてやるよ 魔力――解放!」
「創造の女神よ、我らは詠唱を以てこの感謝を告げるであろう。我はインティアルを支えし王。魔術王と呼ばれし老骨。この命、この魂燃え尽きようと、あなたの伴侶から受けた恩は忘れず――燃やす魂を、魔力に。嗚呼、余は世界を……」
眼帯を輝かせたダブルス=ダグラスが【月女神の弓矢】そのものを錬金術により強化し、魔術王が多重詠唱を開始。
矢に複雑怪奇な魔術式を刻んでいるのだろう。
老い先長くはない魔術王だが、通常の詠唱にプラスされて刻まれている詠唱は……自己犠牲の一節。
ようするに、自分の命を引き換えに魔術効果を倍増させる裏技を使っているのだ。
年老いた魔術師の王、その皴が浮かぶ手が伸び。
貫禄ある口の端から血を流しながらも、王が魔術名を完成させる。
「武装強化多元魔術:【次元強化武装甲】」
効果はやはり装備強化だろう。
単純な性能だが、その分効果はすさまじい。
魔術王は胸を押さえ、息絶える……が。
三獣神ロックウェル卿による状態異常【死亡時即蘇生】が即座に発動。
完全回復状態で蘇った魔術王は、口の端を若獅子を思わせる仕草で釣り上げ。
「重ねて詠唱する――」
「父上! これ以上は――」
「いいや、ティアナよ! このフィールドならば死を恐れる必要はない、寧ろ、死の後の蘇生効果のおかげで体力も魔力も全快に近い状態になる。つまりは――ふふふふっ、老い先短い余であっても、こうして無茶ができるというものよ!」
さすがに一代で国家を作った王……。
覚悟が違うと言うか……思い切りが良いというか。
ともあれ、魔術王は本来なら人生で一度きりしか使えない自己犠牲効果を、何度も使いまわし武器を強化し続ける。
蘇るといっても、死ぬ際の苦痛や恐怖はそのままなのだ。
はっきりといって無茶を超えている。
気丈なるティアナ姫もさすがに思うところがあるのか。
その瞳の奥に、わずかな動揺を浮かべる。
だが。
すぐにそれは決意の瞳に変わっていた。
かつて暴走していた姫もまた成長していたのだろう。
自分の死さえ何度も利用する父の信念を理解し、キリリと切れ長な瞳に切り替え。
無謀にも、私にさえ刃を向けた時とは違う――。
まっすぐな顔で。
「父上の決意を無駄にはせん! 弟ルインよ――分かっているな!」
「姉上が矢を届かせます、一時でいい。時間を稼いでください!」
ルイン王子が話術スキルで倍増させた号令を発動。
能力強化の鼓舞を受けたティアナ姫が、ぎぃぃぃぃぃっと弓を引き絞り。
宣言――!
「この一撃を、女神バアルゼブブとレイド陛下に捧げましょう!」
赤い空。
風を切る音がする。
それは人類が歩んだ成長の一撃。
シュゥゥウウウウウウウウウウゥゥゥウウッゥゥゥ!
矢に乗るバアルゼブブの分霊が、私に届いていた。
そして。
バアルゼブブは冥府に魂を運ぶ神聖な蟲としての権能を発動させる。
◇
そこは暗くて狭い場所。
何もなく、ただ無が広がっている場所。
ここは夜の女神とは違う誰かが支配する冥府なのだろう。
表現するのならば、それは池の上。
或いは、沼に浸かったような場所。
虚無ともいうべき空間に、男はいた。
貌に古傷のある、好漢。
今ではもう、英雄の称号がふさわしいと言える斧勇者ガノッサだ。
斧を池に落とし、無気力に考え込む男はこちらに気付いていない。
勇者はとても疲れた顔をしていた。
だが、なぜそのような顔をするのか私には分からない。
冷たい感触が私の意識を撫でていた。
本当に、理由が分からないのだ。
バアルゼブブの分霊に導かれた私は、声を上げていた。
『勇者ともあろうものが、こんな場所で一体なにをしているのです』
「坊主か……」
言葉に従い水面が揺れている。
「んだよ、おまえもここに来たってことは死んだのか?」
『違いますよ、今も私は絶賛暴走中。皆さんが協力して押さえていますが、いつまでもつか……敗北は時間の問題かと』
「そうか……」
『なぜ帰ってこないのです? この混沌世界に刻まれた逸話、魔王を殺した斧勇者ガノッサ。あなたのその一撃が無ければ今の私は殺せない。それなのに、こんな場所に逃げ込んで……恥ずかしくないのですか?』
若干の挑発ができたのは、私が彼に気を許しているからだろう。
長い付き合いだ。
本当に……この勇者とは……。
私の記憶の中に、楽園とは関係のないレイドとしての私の記憶が巡っている。
良い事も辛い事も、全てが私の記憶だ。
その記憶をある程度共有している存在が、彼なのだ。
男は言う。
「魔術無き世界って、どんな世界なんだろうな」
『何も変わらない普通の世界ですよ。幸せもあれば不幸もある世界です』
「知ってるのか?」
『……おそらく、魔術を生み出してしまう前の最初の私がいた世界ですからね』
「魔術がなけりゃあ、少しはマシな世界だったんじゃねえか」
問答に付き合う私は言う。
『何を以てマシと判断するのか、それは分かりませんが。本当に、そう変わりない世界ですよ。意見の対立もあるし、逆に意見が一致し仲良くなることもある。魔術がなくとも人を殺しますし、殺されもします。結局、魔術のありなしなど、人間の幸福にとってはあまり関係ないのです』
「だが、魔術がなけりゃあ世界が滅びるほどの戦いってもんもねえんだろ?」
『さて、どうでしょうか――結局、人類は科学を発展させ星を壊せるほどの武力を生み出せますからね。実際、魔術無き世界とほぼ同じの異能に目覚めた世界では、魔術や異能抜きでも世界を終わらせる技術を持っていますので』
「そりゃまあ、物騒だな――」
いったい、何が言いたいのだろう。
『単刀直入にお聞きしたいのですが、どうして私を殺したくないのです』
「オレはもう二度と、おまえさんを殺したくはねえんだ」
『分からない人ですね、あの空間には三獣神たるロックウェル卿が行使する状態異常フィールド【死亡時即蘇生】が発生しています。私は殺されますが、すぐに蘇生される。蘇生時にはおそらく暴走状態が終わっていますので、全てが丸く収まる筈ですよ』
「筈、か」
歯切れが悪いじゃねえかと斧勇者ガノッサは、私の顔をまっすぐに見上げた。
「おまえさん、状態異常を無効にするだろう」
嘘は許さない。
そんな大人の顔が私を睨んでいた。
まるであの日々のようだった。
あの頃はまだ私は子どもで。
けれど復讐のためには手段をあまり選べなくて。
だから私は勇者に魔王として殺された。
私は言う。
『魔王ですからね、それくらいは当然できますが……』
「なら、ロックウェル卿とやらによる自動蘇生の状態異常も、勝手に無効にしちまうんじゃねえか?」
『気付いていたのですか――』
「おまえはオレにまたてめえを殺させるつもりなのか――っ!」
……。
その通りだ。
この男はそれを気にしていたのだろう。
「もう一つ聞く、おまえは本当に一度殺された程度で魔術無き世界への回帰っつー、よく分からん感情を捨てられるのか?」
『おそらくは大丈夫だと思いますよ』
「筈の次は、おそらくか。断言しねえんだな」
私という存在が平和を求め続ける存在としての偶像。
まつろわぬ女神達のように、人々の心に歪められている存在なのだとしたら。
いや、こうであって欲しいと願われている存在ならば。
きっと……いつかまた、同じ幸福なる平和を目指す可能性は否定できない。
だから男は私を睨んでいるのだろう。
私は斧勇者に殺され眠りにつく。
長い長い、永遠の眠りに……。
そのために、あの場にいたのだから。
だから。
だから……この男はここに隠れている。
「オレは、おまえを殺すつもりはねえ」
『できれば、介錯して欲しいのですが――』
「だから言ってるだろうが! オレはおまえを殺したくは……っ」
斧勇者ガノッサの言葉が。
途中で切れる。
私を見たのだろう。
『それでもどうか、あなたにお願いしたいのです。どうやらあまり時間がないようなので』
「おまえ……なんで消えかけてやがる」
『魔王聖典と共に、考えたのです。聖典もまた、いつかは同じ夢想を抱く。彼の場合は静寂なる平和を、私の場合は魔術無き平和を。正直に言いますと、もう自分を抑えているのが、限界なのです。私も聖典も。だから、誰かに止めて貰いたい。そう願って、ここまで歩んできたのかもしれません』
私は微笑んでいた。
この世界で学んだ感情を前に出し。
笑ったのだ。
魔王聖典のコピーが最後に、私にありがとうと感謝したように。
自分を止めてくれることに。
止めてくれる存在に、感謝をしているのだ。
「どれくらいなら、抑えていられるんだ」
『あまり情けないところを見せたくないのですが、もう既に抑えられていません。女神達の支援を受け、なんとか意思を保っているといったところでして』
はははは、と私はあまり私では出さない声を上げていた。
「ああ、そうかよ……だから、あの女神どもはあんまり動けていねえのかよ」
『そうなりますね』
「じゃあ、あいつらはてめえがオレに殺されて消えるのも了承してるってことかよ……っ!」
女神達に悪態をつく男に、私は言う。
『それが私の願いだからでしょうね』
「おまえが死んだら……いつかちゃんと蘇るんだろうな」
『嘘はつきたくないので正直に言いますが、転生も蘇生もされません。全ての力、全ての精神、全ての経験が眠る三毛猫たる私に吸収され、彼の元に戻る。三分の一に引き裂かれた私達魔王の欠片は、かつてあった一つの魔王に戻る。ただそれだけのことですよ』
そして、三毛猫となった私は無謀で愚かな平和を望むことは決してない。
彼だけは自由を望んだ私。
猫に心から憧れた、束縛からの解放を本心から願った私なのだから。
そして、願いを叶える最後の四星獣。
イエスタデイ=ワンス=モアはかつて、その願いを女神に託され叶えていた。
全ては楽園のあの日々からの、繋がり――。
私という存在そのものが、イレギュラーなのだ。
なにやらガノッサが騒ごうとした。
その時だった。
気配がした。
アシュトレトだった。
『バアルゼブブの分霊を追ってきたのですね』
『……ああ、その通りであるぞ我が夫よ』
『おや、なにか怒っていますか?』
振り返るとそこにはやはりアシュトレトがいた。
彼女は自らの消滅を望む私を見て。
『当然、怒っておる。だが……それ以上に、そなたが終わりを望む理由も、事情も知っておるから。何も言えぬのじゃ』
『すみません――私の我儘を聞いてくださって、ありがとうございます』
『まったく、妾も悪い夫を持ったものじゃ――』
アシュトレトは僅かに瞳を閉じ。
そして、開いた眼で勇者を見た。
斧勇者ガノッサの顔に、驚愕が浮かぶ。
『どうか、後生の頼みじゃ。我が夫、レイドの願いを叶えてやって欲しい』
そう言って、頭を下げていたのだ。
あのアシュトレトが、心より、人間に。
斧勇者ガノッサが、小さく口を開く。
「てめえは……それでいいのかよ」
『夫を支えるのが、妻たるモノの務めじゃからな』
アシュトレトはまるで人間のように。
作り笑顔を浮かべていた。
空元気のようなものだろう。
だから、本心ではおそらく……。
女神がみせる嘘が、斧勇者の心にはどう届いたのだろう。
それは私にはわからなかった。
けれど。
冥府を、まるで太陽のような陽射しが照らす。
それは心を知った。
思い出した昼の女神の輝き。
「あぁぁぁ、くそっ。女に泣かれちゃ……断れねえじゃねえか」
斧の勇者は武器を手に取り。
立ち上がった。




