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第232話 魔王と人類


 女神ダゴンによる状況説明は完了していた。

 かくかくしかじかは一時的に意識を同調させる効果もあり、ダゴンの闇の部分の影響を受け蹲る者たちもいるが……。

 ともあれ、事態の把握はうまくいったようだった。


 イナゴが散った赤い空。

 裂けた空。

 人類の多くが幸福の願望に支配された私を見上げている。


 術を組み直す女神アシュトレトは海賊パーランドを用い自らを強化。

 人間に向かい助けを求めるように告げる。


『誰でも良い! こちらは体勢を立て直す……しばしの時が欲しいっ、レイドに語り掛け時間を稼ぐのじゃ!』

「と言われましても……っ」


 応じるクリムゾン殿下だが、その表情も筋肉も硬直している。

 女神ダゴンのかくかくしかじかの影響を受け、膝をついてのバッドトリップ状態なのだろう。

 他の多くの人類も同じ状態だ。


 だが、それぞれが空を見上げていた。

 いつもと様子の違う私に違和感を覚えた者は多かったらしい。


 動けているのは、人類の中では最強に近い魔王。

 クリムゾン殿下の傍らで軍を率いるプアンテ姫……プアンテ=ド=メディエーヌ=フレークシルバーが叫ぶように口を開けていた。


「お兄様!? いったい、なにゆえ! なにゆえ! プアンテは、プアンテは……っ、お兄様がそのような結論を導き出されるなんて、考えられませんわ」


 必死に訴える王族令嬢――その姿はやはり母たる白銀女王を彷彿とさせる。

 まるで雪の結晶を魔力として浮かべる白雪姫に向かい、正気を失っている私が言う。


『プアンテ姫ですか。残念です……あなたならば分かってくださると思っていたのですが』

「分かるはずがございません!」

『おや、いったいなぜでしょう? あなたは魔術や力といった存在に酷く傷つけられていた。怯えていた。魔王となった今でも、どこかで魔術を嫌っている。私にはわかります。あなたは今でもご両親を愛している』


 指摘されたプアンテ姫の瞳が揺れる。

 両親への愛への指摘――それはキラキラキラと輝いて、まだ大人とは言い切れない彼女の心を揺らしたのだろう。


「それは……っ」

『魔術さえなければ、このような力さえなければ。そう思ったことが一度でもなかったと?』

「……ですがっ、プアンテは女神様に魔力を頂き今の平穏を掴むことができました! わたくしは魔術そのものを否定するつもりはございません! 魔術は生活を豊かにしてくれる学問、魔術とは誰かを救える知識。そう教えて下さったのは、他ならぬお兄様ではありませんか!」


 叫びを聞いた私の肉体は、その主張を抱きしめるような。

 けれど、全てを聞き流すような冷徹な声を上げていた。


『魔術とは、世界の法則を書き換える現象。本来ならあり得ぬ事象を起こせる代わりに、本来ならあり得なかった事象がどこかで発生してしまう恐れのある力。つまりは、身勝手な力と言えるでしょう』

「それが誰かのためになるならば……っ!」

『それが誰かの幸福を奪っているのならば、どうしますか?』


 プアンテ姫の慎ましい口から、戸惑ったような声が漏れる。


「え……?」

『たとえばあなたが人類で初めて魔術を開発したとし、本来ならあり得ぬ魔術げんしょうで怪我人を癒したとしましょう。あなたは善行ができて助けられた方もあなたに感謝をするでしょう。とても暖かい関係性、人との温もりです』

「それが人との繋がり、人と人との絆。エルフであっても、人間であっても、ドワーフであっても! 皆が皆で助けあえる魔術の何が問題だと言うのです! お兄様――!」


 姫の叫びは赤い空に飲み込まれていく。

 私は言う。


『ではそうですね――本来ならば魔術を用いず、怪我人を治療する筈だった方がいたとして、その方は治療をする事で生計を立てていたとしたら――どうですか? 魔術のせいでその方は治療の機会を失い、家族を養うことができなくなり、一家離散を招いたかもしれない』


 言いたいことを理解したのだろう。

 プアンテ姫は咎めるように眉を上げ。


「それは屁理屈、詭弁です!」

『そうかもしれません。けれど、魔術が生み出されたせいで不幸になった者が居る。実際にそういう事例は多くあったと私は思いますよ』


 告げる私は魔術によって不幸になった世界の多くを空に映し出していた。

 そこには、魔術によって死んだ世界の景色が浮かんでいる。

 魔術が発生する世界になったせいで、本来の魔術無き世界なら滅びなかった世界たちである。


「これは……」

『かつて私が生み出してしまった魔術のせいで、滅んだ世界たちです。私は悲しいのです。とても、ええ、とても。もし時間を遡り、魔術が生まれなかった三千世界に戻せるのならば、彼らはやり直すことが可能なのです。それが私の慈悲、幸福なる平和への願いなのです。さあ、プアンテ姫。どうか私と共に――』


 私はすぅっと手を伸ばしていた。

 その手を掴めと、共に魔術無き世界へと回帰しようと訴えていた。


『魔術さえなくなれば、大魔王ケトスによって滅ぼされた多くの世界も元に戻る。魔術ある世界でも魔術無き世界でも同じ。このまま私から力を奪いその力で再生させるとの事ですが、どちらでも目的は果たされるのです。結果は同じと言えるでしょう』


 意識のどこかで自分の言葉を聞いている私は、げんなり。

 結果は全然違うのだが……この私はどうも、極論が好きなように思える。


 しかし、まずい。

 プアンテ姫が飲まれ掛けている。

 誰かが動かねば――と、私が少々の不安を抱いていた。


 その時だった。

 動いていたのは、やはり同じく女性の王族。

 海竜と人間、二つの軍を率いるかつて姫だったピスタチオ女王である。


 彼女は女王としての魔力を膨らませ――力強く私を睨み。

 キリリ。

 精神防御結界をプアンテ姫に張り、荒野のような風を受け、ばさりと青い髪を靡かせる。


「プアンテ様、いけません――これは精神攻撃。あなたの心を揺さぶる、あの方の作戦かと」

「……はい、分かっておりますわ。ピスタチオ様」


 ピスタチオ女王は二コリと微笑み私を見上げ。


「再びお会いできて光栄です、陛下。とはいっても会議で会ったばかりですが――ともあれですわ、こうしてあなたを止めることができる、あなたの役に立てるこの機会を逃がすつもりはありません」

『海のドラゴンが復讐のために託した爆弾、それがあなたでしたねピスタチオ姫』

「いいえ、もう姫ではなく女王ですわ陛下」


 やはり私という存在は人類の言葉は無視できないようだ。

 彼らに構わず詠唱を開始すればいいのに、幸福に支配されても私は応じてしまう。

 時間稼ぎに会話を用いる作戦は、かなり効果的と言えるだろう。


 しかし……。

 こうして客観的に自分の行動を見ていると、どうも私という存在は無駄に慇懃というかなんというか。

 色々と恥ずかしい感情が生まれてしまう。


 ピスタチオ女王とやりとりする私であるが、そんな私を眺めている者が居た。

 大陸神マルキシコスである。

 四つの腕を持つ剣神風の男神は、私を眺め……。


『こやつ……まだ中にいつもの生意気なアレがおるな』


 露骨に嫌そうな顔であるが、相手はこれでも神。

 無能に見えて、私を感じる程度の力はあったようだ。


『は!? 無能とはなんだ、無能とは!』


 ……。

 どうやら、意思疎通が可能なようだ。

 表ではピスタチオ女王と問答をしつつ、私は私の中で精神を飛ばしていた。


『驚きました、私が見えているのですね』

『見えるも何も、貴様の醜悪な気配を我は忘れぬ……っ、というかきさま! 人にさんざん説教をしておいて、なんだこのざまは!』

『ははははは! いやお恥ずかしい。まあ言いたいことも分かりますがね。それよりも、奇跡的にこうして意識を繋げているのです、一つ頼みを聞いていただけませんか?』


 マルキシコスは剣神顔を歪め。


『貴様の頼み、だと?』

『ええ、あなたもこのまま魔術無き世界からやり直しとなっても困るでしょう? この混沌世界は女神達が魔術によって生み出した世界、おそらくは魔術がない状態でやり直した場合、この世界の大地信仰などから生まれたあなた方は消えてしまいますので――悪い話ではない筈です』

『いけしゃあしゃあと……それで、なんだ。我に何をやらせるつもりなのだ』


 ピスタチオ女王が私と問答をする裏。

 意識だけの私はこっそりと、大陸神に耳打ちをするように伝言を飛ばした。


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