第230話 幸福なる願い
異変を察した人々が集う終末世界。
皆が皆、私やアシュトレトの顔を見て……。
ああ、またこの人たちか……と苦く笑っているが、そこに悪意も敵意も存在しなかった。
エルフの王族であり、指揮官職としての適性も高いクリムゾン殿下が剣を掲げている。
その剣には赤い稲光が走っていた。
王族はよく雷を剣に纏わせる傾向にあり、兄もまたその一人。
我が母白銀女王、スノウ=フレークシルバーによって生み出された兄は赤き髪を魔力で靡かせ――息を吐く。
集団スキルの使用に精神を集中させているのだろう。
神々が、人類の一人にしか過ぎない兄を眺めている。
獣たちが、嗚呼、始まる。始まる。
と、その獣毛を膨らませている。
彼らは人類と接している時は愉快なケモノだが、その本質は神にしてケモノ。
動物的な感性を強く持っている。
だから、これからのことにウズウズとしているようだ。
神々が眺めている。
じっと眺めている。
けれど人類の中での強者にしか過ぎないクリムゾン殿下は、ケモノの視線に気付いていない。
平時ならまた話も変わっただろうが――。
それほど集中しているのだろう。
ここにいるのは――。
遊戯を通し人々の願いを叶える獣、四星獣。
絶対に敵に回してはいけないとされる三匹の魔性、三獣神。
そして。
この混沌世界を生み出した創造神にして歪められた者、まつろわぬ女神達。
女神は神たる顔で、神たる声を漏らしていた。
『ふふふ、どれ――人類の団結の力とやらを見せてみよ』
『けれど……大丈夫でしょうか。わたくし、少々心配なのですが』
『あ、あたしは、きっと大丈夫だと思うよ?』
兄を眺める三女神がそれぞれ好き勝手に囁いた後。
他の女神の声も続く。
『アイツは……ああ、んだよ。レイドんところの兄貴か。こんな重要な役をアイツに任せちまっていいのか?』
『アドニスの兄君をそう邪険にするでない、月の小娘よ』
夜の女神は、ふふふ。
顔を覆うベールの隙間から微笑みと共に言葉をこぼし。
『クリムゾン、あの男はよくやっておる。なにしろアドニスはあの方の三分の一の転生体。まともに見えても、やはりどこかが歪んでおるからな。そのアドニスとうまくやり続けているのだ、その手腕は褒めてやらねばならぬであろう』
『へいへい、てめえはそうやっていい子ぶってな夜のババア。だがなあ――おいレイド! 本当にいいのか!?』
ヤンキー口調の月の女神が私に向かい吠えている。
彼女の言葉の意図は理解していた。
なかなかに愉快な女神達が多いが、彼女達は腐っても創造神。
その観察眼は優れ、本来なら知り得ぬ筈の情報を会得できる――神託を感じさせる先読みは得意なのだろう。
故に、彼女は聞いたのだ。
本当にいいのか。
と。
これから何が起きるか、女神達には見えているのだ。
おそらくは三獣神も四星獣も気付いている。
大陸神や勇者や魔王は半々――といったところか。
問われたからには答えなくてはならない。
終末の荒野の中――魔力の風を受けながら私は頷いて。
「私は兄上をこの混沌世界で最も信頼しております、家族ですからね。まだ百年前後にしか過ぎない付き合いですが、それでも兄の人となりは把握しているのです。きっと、怒るでしょうが、それでもこの役目を任せられるのは兄上しかいない。私はそう思っておりますよ、ご心配いただきありがとうございますキュベレー」
『っち……笑顔で誤魔化すんじゃねえっての』
「誤魔化したつもりはないのですが――」
やはり苦笑を漏らす私に、はぁ……と露骨に彼女は息を吐き。
『……まあおまえがそういうなら、別にいいけどよぉ……こいつらはちゃんと分かってるのか?』
ポリポリとぶっきらぼうに頭を掻く彼女に問われ。
私は曖昧な微笑を返していた。
微笑みに微笑に苦笑。
同じ笑いでも多少の差がある。人類と接するレイドという私は、その機微を理解し、笑みの使い分けができていただろうか?
『ったく、すっかり人類になっちまいやがって。昔のてめえはそういう顔をしなかっただろうが』
「それはまあ、私はレイドですからね」
『あ~あ~、つまらねえつまらねえ! 早くやっちまいな、オレたちもちゃんと見張っててやるし、どうにかしてやるから。かつてのおまえがやっちまった事、失敗を取り戻すチャンスを掴みやがれよ』
鼓舞するように拳をあげた月の女神の横。
いつも仲介役をさせられていただろう午後三時の女神もまた、露骨に息を漏らし。
『どーして、あなたが仕切っているのかしら』
『ああん? 別にいいだろうが!』
『くすすすすす。あたしよりも弱いくせに、態度だけは生意気なのよね』
『んだと!? このガキ!』
いがみ合う女神達を横目に、クリムゾン殿下の集中が頂点に達し始めていた。
夜の女神が言う。
『そこまでにしておけ――朕には見えたぞ。始まる、これが……あの方の願い。世界のシステムとして生み出された勇者に殺された、あの方の……最後の……』
芝居じみた夜の女神の言葉は途絶えていた。
女神達も姿勢を正し――それぞれがそれぞれに武器を構え始める。
別に女神同士が戦うわけではない、緊急事態に備えているのだろう。
「創造神様達の様子が、これは……」
「いったい、何が始まろうとしているのだ――」
さすがに、パリス=シュヴァインヘルトや豪商貴婦人ヴィルヘルムは、なにかあるのかと訝しみ始めるが。
既に極度の集中状態に入っているクリムゾン殿下に、声は届かない。
終末世界に、貴公子による朗々たる声が響く。
「我が名はクリムゾン! 幸福の魔王、レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバーの兄にしてフレークシルバー王国を守りし騎士たる剣。世界に集いし英傑よ! 我らが王に光と輝きを与え給え!」
殿下の剣に光が集い、それは強化の魔術となって私に向かい放出されていた。
集団スキルによって強化される対象は私だ。
そして、これは集団スキルの発動によって、魔王聖典が人類との絆の力を学習した瞬間でもある。
だから。
今ここに、魔王聖典の本体が顕現する。
静寂の平和を決めていた魔王聖典だが、揺れる心に迷いが生じているのだろう。
単純に、見に来ているのだ。暢気であるが、まあ……私も新しい魔術が好きだった。見ないわけにはいかなかったのだろう。
その隙を狙い。
集団スキルによる多重のバフを受けた私は、魔王聖典に向かいスキルとしての【窃盗】を発動。
魔王聖典が私のアイテム所持欄に入り込んだ、その瞬間。
三分の一に分かたれた欠片としての私という存在は、三分の二の欠片になり。
魔王聖典を装備した、幸福の魔王と化していた。
そして、その影響で私の中に一つの変化が生まれる。
いまいちど、考え直してしまうのだ。
魔術無き世界に戻すには、今しかない。
生物の抹殺により世界を静寂の平和に導こうとしていた、この魔王聖典。
その力を用いれば、確実に魔術無き世界に時を遡ることができる。
誰もが魔術で幸せになったわけではない。
魔術とは私の功罪そのもの。
良い事も悪いことも、魔術を生み出した私のせい。
魔術を発生させたあの瞬間に、未来も世界も、全てが歪んでしまったのだ。
だから。
なかったことにするべきだと……私の心が私に訴えかけていた。
もうそんな願望は捨てたはずなのに。力が、私を狂わせる。
赤き瞳を輝かせ。
優しい声で。
絶念をなくすべく、私は神々しい声で告げていた。
『我はレイド。レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバー。さて脆弱なる子羊たち……人類の皆さま。聞こえていますね? 私はこう思うのです。全ては魔術から始まったと。故に、私は動くのです。世界から魔術を消し去り、魔術式そのものを破棄し……在りし日へと、帰りましょう。エルフ王レイド――それが、正常なる三千世界へと世界の法則を正す者の名です』
魔王聖典を装備した私の力ならば文字通りなんでもできる。
故に。
私が今、心より願えば――かつて大魔王ケトスが滅ぼしてしまった三千世界の蘇生もできる。
だが力を手にすれば必ず私はこうして暴走する。
それは――魔王聖典が静寂の平和を考え出してしまった事と同じ現象だった。
これはまつろわぬ女神達と同じでもある。
つまり――世界平和のためになんでもしてしまう存在であると、私もまた歪められてしまうのだ。
だから大魔王ケトスの滅ぼした世界を直す力を確保しても、必ずこうなってしまう。
ならばどうするか。
答えは簡単だ。
こうなってしまった私から力を奪えばいい。
三獣神、四星獣もそれぞれに自らの武器を顕現させ始めていた。
皆が幸福になる、そのために。
私は魔術をなくしたいと願う願望に支配されながらも、言葉をなんとか吐き出していた。
「どうか――私を倒し、世界を救ってください」
それが最後の我儘です。
と。
私は信じる者たちに、願いを告げたのだ。




