第221話 師匠と弟子と即死攻撃
研究室に戻る黄昏の廊下。
その一瞬を引き延ばし結界を展開。
私は外部と内部の時間を操作し、この空間以外の時間の流れを遅らせていた。
ここで彼女と決着をつけるつもりだったのだ。
とはいっても、彼女はあくまでも女神バアルゼブブの中にいる、バアルゼブブの元となった王者とされた神々。
消してしまえばバアルゼブブに何か悪い影響もあるかもしれないので、消滅させる気はない。
そもそもこの戦いはいわばけじめのようなモノ。
相手もそれは分かっているのだろう。
目の前のバールの集合体もまた、女神バアルゼブブなのだ。
私や三女神と共に歩んだ、この混沌世界での記憶が刻まれている。
その想いは軽くはない。
だから、本当にこの戦いは儀式のようなモノに過ぎないともいえる。
愛用の武器『邪杖ビィルゼブブ』は破壊されてしまった。
あれは元より女神バアルゼブブより授けられた装備。
だからこそ、彼女が相手ならば破壊されてしまうのも道理。
バアルゼブブの表面を乗っ取った蟲王の群体を暫定的に”バールレギオン”と呼称することにし、私は彼女が最も得意とする接近戦を回避。
炎舞君がみせたように遠距離転移を発動させるが。
バールレギオンは蟲の集合体の腕を伸ばし。
ギィィィィィ……。
『蠅の帳よ――』
普段ののんびりとした口調ではなく王者の口調が響き。
ザザザ!
ザザァアアアアアアアァァァァ!
発生したのは蟲の雨。
自らの身体を細かい蟲の群体としたバールレギオンは、空間を圧迫。
本来なら私が飛ぶはずだった座標を、先に占有していたのだ。
その効果は転移の妨害。
既に固定された座標に私が飛べばどうなるか、あまり想像はしたくない。
次元の狭間に消えかけていた私は、冷静に転移を解除。
ついでに指を鳴らし――。
魔力の雨を降らせ、相手の蟲の雨を解除。
距離は取れずに通常空間に顕現した私は慇懃に拍手、バールレギオンに称賛を送っていた。
「転移を妨害することによる即死攻撃ですか、容赦がありませんね」
相手はバアルゼブブの中にいた王たちの怨念。
その妄執が魔力となっているのだろう。
救世主を討つという妄執を暴走させた、妄執の魔性と言っても過言ではない存在である。
バールレギオンが詠唱を開始する。
『滅びよ光――溢れよ恨み』
それは呪いの言葉。
単語そのものが詠唱となっているのだろう。
言葉に応じ、蟲の群れの中には大きな呪いの魔力が浮かび始めていた。
呪いを纏った蟲が、集合し――合体。
それは王冠と外套を纏った黒き呪いの王者の姿を創造。
そのまま接近戦を仕掛けてくるかと思われたが――。
『我、バールが命じる』
『神よ砕けよ、呪われよ』
『汝の魂に呪いあれ――』
相手が選んだのは中距離からの呪殺攻撃。
しかし、私は呪いそのものに祝福を掛け、浄化。
そのままこちらから接近戦を試みようと加速するが。
バールレギオンは羽音を鳴らして後退しつつ、緊急回避。
なぜか私から距離を取ろうとしていた。
「おや、直接戦っては頂けないのですか。わが師よ」
結界を展開しながら追いかける私と、常に一定の距離を保ち。
ジギギギギジジジジジジィィィィグィィィ!
近接でもない、けれど遠距離でもない絶妙な距離感でバールレギオンが言う。
『……汝の技量は既に余を超えておろう』
『見事なり』
『故に、余は汝の接近は認めん。なれど、距離を取られ過ぎては女神アシュトレトが伝えし強大な魔術が来よう』
それはまあ、事実である。
師たる普段のバアルゼブブに直接言われたかったが。
「だからこそ、一定の距離を保ちながら蟲の数だけ判定が起こる即死や呪殺攻撃をしてくる、ですか。王としての矜持はどうなさったのですか?」
挑発を発動するが、不発に終わる。
相手は蟲の数だけレジスト判定をしているようだ。
『矜持など要らぬ』
『地上を満たす光よ』
『恥など知らぬ。知っておっても食えばいい。余はこの機会を捨てたりはせぬ、汝を滅ぼすためならば、血の海さえ啜ろうぞ』
バールレギオンの戦術はもう見えた。
やはり一定の距離を常にキープ。
いつか効くかもしれない即死攻撃を、延々と繰り返すことにしたのだろう。
確率としては低い意味で天文学的な数字だ。
だがゼロではない。
そしてゼロではないのなら、そして蟲の数だけ判定を繰り返したらいつかはそれも通じるだろう。
「それほどまでに私を殺したいのですか?」
問いかけながら私は光の魔弾を発動。
空に浮かべた魔導書から、悪魔祓いの光の弾を撃ちだしていたのだ。
だがバールレギオンは光を蟲の身体……闇で包み、喰らい、逆に吸収しながら――。
ヴィギギギギジジジジジジジィィイィィィィ!
羽音と共に朗々と告げる。
『然り』
『余は』
『余らは、我らは救世主を殺す者。救世主を恨む者、光を奪う蠅の王なり!』
やはり歪められた王者としての性質がでているようだ。
バアルゼブブ。
彼女もまたまつろわぬ存在。
逸話の中では――救世主と敵対する”悪しき異神”としての存在を求められている。
自分でも止められないのだろう。
普段はバアルゼブブの中にいる彼らの魂に、私は思いを馳せていた。
きっと。
バアルゼブブの中にいる王者たちは、人々の裏切りにあったのだろう。
かつて自分を神の中の王と崇めていた者たちが、次第に自分を悪魔と罵り始める。
悪魔とされてからは信仰どころか、悪しき存在の象徴とされ……蔑まれ。
蠅とさえされたのだ。
蟲の群体を通じ――私の思考の中に、バアルゼブブの記憶が流れ込んでくる。
それは彼女が蟲の群れだからこそ伝わってくる、記憶の残滓なのだろう。
バアルゼブブは手を伸ばしていた。
かつて自分たちを信仰し、神と崇めた者たちが神殿を壊す様を眺め……やめて、やめて、どうして、どうしてと叫んでいる。
だが彼女の声は届かない。
もはや彼女は彼らのバールではなく、蠅の王バアルゼブブ。
彼らの視界にいるかつて王だった者は――もういない。蠅が、近くで飛んでいるようにしか見えなかったのだろう。
崩されていく神殿と祭壇。
それでもまだ彼女を王と慕っていた神官たちは、邪神を崇める存在として殺された。
彼女は死体の山の上にいた。
蠅となった彼女は、殺された信徒たちの上で、その魂を慰めていた。
蠅は魂を運ぶ者としての側面もある。
だから、殺された信徒たちを取り込み、自らの中に受け入れたのだろう。
それが無数の蠅の正体の一つ。
群体であるバアルゼブブを構成する要素。
普段表に出ている人格にも、最後までバールを信じた神官たちが含まれているのだろう。
『全て』
『貴様のせいとは言わぬ』
『だが――憎悪する権利が、怨嗟する権利が、嫉妬する権利が余にはあろう』
歪められたことを呪う王者たちが、一斉に私を眺めていた。
『故に、これはけじめだ救世主よ』
『余は、貴様を滅ぼす』
『そう汝を慕う者たちに、歪められたのだから――』
バールレギオンの即死攻撃は止まらない。
骸骨のエフェクトや、死神のエフェクト……即死の見本市のような、悍ましい光景が広がっている。
けれど、確率はほぼゼロ。
勝負はなかなか終わらない。
私もまた、彼女を滅ぼすわけにもいかない。
しかし相手の距離感は完璧。
接近戦も、遠距離戦も封じられ続けている。
バールレギオンが武術の達人だからこそ、この距離を維持できるのだろう――。
「普通ならばこうはいかないのでしょうがね、厄介な相手ですよ、あなたは――」
しかし時間は有限。
大魔帝ケトスは時魔術が扱える。
おそらくは外空間の時間を遅らせていても、彼だけは普通に動けているだろう。
さて、どうしたものかと。
私はバアルゼブブの教えに意識を傾けた。




