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第218話 女神達の秘密~春と夜の女神:中編~


 死した私を冥界で待ち続けた、まつろわぬ女神ペルセポネー。

 夜の女神が語るのは、とある神との再会。


 彼女はどれほどの時を待ったのだろうか。


 ダゴンが既に回収していたとは知らず。

 魔猫へと転生していたとは知らず。

 平和を願う魔導書と化した事も知らず。


 昏い底のような世界から、ずっと見上げていたのだろう。

 そんな彼女が出会っただろう神の名はレイヴァン=ルーン=クリストフ。

 それがかつて楽園にいた頃の、生まれ変わる前の兄の名である。


 ペルセポネーは冥界で待ち続けた果てに再会したとの事だが――。

 私が言う。


「兄さんとあなたが既に邂逅を果たしていたとは……。さすがに予想はしていませんでした」

『分からぬように動いておったのだ――仕方あるまい』

「しかし――ならば何故、それを語ってくれなかったのです。先ほども申し上げましたが、語ることが全てではない、語らぬからと言って悪意ある行動とは限らない……それはわかっているつもりですが」


 兄は私のせいで死んだ。

 だからこそ、兄の事となると私は少し――気が短くなる。

 もっとも、これも前世での事だ――今の私の兄はクリムゾン殿下であり、帰属意識もこのフレークシルバー王国になっているが。

 それでも――何故語ってくれなかったのか、そう思う心は存在する。


 夜の女神が口を開く。


『アドニスが朕を責めるのも無理はあるまい――かの神、レイヴァン=ルーン=クリストフは見た目や性格に反しとても善良な神であった。朕たちまつろわぬ女神にも目をかけてくれていた、慈悲深い男であった。あの方に連れてこられた朕たちはやはり、楽園では部外者扱いであったからな。なれど、あのレイヴァン神は違った。朕たちとも、分け隔てなく接してくれた――』


 顔を覆うヴェールに隠れて、夜の女神の表情は窺う事が出来ない。

 けれどきっと、思い出を懐かしむような、そっと撫でるような――。

 そんな穏やかな顔をしているのだろう。


『嗚呼、思い出す。あの日々を。あの温もりを、平和な暮らしを。あの方であったそなたが齎してくれた安寧を、朕は愛しておった。朕がここまで心穏やかな女神に戻れたのも、楽園に住まう変わり者たるそなたら兄弟神のおかげであった。なれど……平和とは、長くは続かぬものなのであろうな。それが神の国であっても、人類の国であっても、おそらくは魔術の有無も関係なく。平穏に生きる、ただそれだけの事が実に難しきことよ』


 言葉は深く重かった。


「今はその平和を築こうと、三分の一の私が暴走している。皮肉な話ですね」

『それでも、確かにあの日々には平和があったと朕は思うておる』

「……そうですね、すみません」


 その楽園を滅ぼしたのは、兄を殺され暴走した私なのだ。


『いいや、そなたがいなければそもそもあの平穏もなかったのだ。卵が先か、鶏が先かとは人類もよく言葉を思いつくものよ。だが、やはり皮肉なのはそうであろうな』


 在りし日の楽園の光景が宇宙空間に広がっていく。

 ここにいる人類がその光景を眺めるのは初めてだったのだろう。

 神々の園の景色に、フレークシルバー王国の民の目は釘付けとなっていた。


『そなたがいなければ魔術は存在せず、楽園は続かず。なれど、そなたがいればいずれ楽園を滅ぼす。汝は優しき故に、神に酷使されし奴隷の如き人類に必ずや魔術を渡してしまう。それが禁忌と知っていても、そなたはそれが正しいと人類に手を伸ばす。それは変えられぬ運命。そなたは正しいと感じたことならば、迷わぬ存在。今現在、平和を願う魔王聖典がそうであるように。汝は人類を救わずにはいられぬ者、故にこそ、必ずや汝は追放される』


 少し耳に痛い話である。

 実際、魔王聖典となった私は人類を救うために人類を滅ぼすという矛盾に走っているが……その根底にある原因は、救いを齎そうとする性質にある。

 救世主であれ。

 と、多くの人類に願われているからだろう。


『嗚呼、それもまた始まりの合図。汝が追放されれば、兄レイヴァン神は必ずや抗議する。汝のいない楽園にて、愚かな神々に正面から抗議をする。その時、楽園には朕たちも居らぬ。追放された汝を追って、世界の果てまで追って……楽園から堕天するのだから』


 女神アシュトレトが当時を思い出しながらだろう。

 ふっと、やはり遠い目をして口を挟み始めていた。


『懐かしき思い出よのう。思えば、あの時、わらわたちの中から誰かが残り、レイヴァン神の供となっていれば、あのような悲劇は起こらなかったのであろうな』

『仕方あるまい……あの方の追放により朕らの中に芽生えたのは――動揺』

『……そうじゃな、あれはたしかに焦燥と動揺であった』


 空を見上げ指を鳴らした女神アシュトレトが、魔術を発動。


 宇宙に投影した楽園の景色に変化を加えたのだ。


 それはまるで神話の再現。

 人類に魔術という名の果実を授けた私が、楽園から追放される様と……そして、その私を追って堕天。

 空から落ちていく女神達の姿が映し出されている。


 この一場面を切り抜くだけで、楽園神話の一ページとなるだろう。

 とても貴重な光景だ。

 逸話に基づき世界の法則を変える魔術師ならばこの光景を目にし、多くの知識を得るだろう。


 魔術の極意の会得さえできるだろうが。

 ともあれ。

 仕方なき事……と、アシュトレトは滅びを眺める神の顔で、小さく口を開いていた。


『一刻も早く探さねばと着の身着のまま……楽園で取り戻した神の権能を捨て、正しき女神としての権能も捨て……このような歪められた神性となり、あの地を去った。少しでも冷静さを持っていたのなら、この機こそが危うい。愚かしき神々の上層部が邪魔と断じておった”レイヴァン神を処刑”してしまうと、考えついた筈であったが……』


 映像の中のアシュトレトが、掴めぬ私を掴もうと必死に指を伸ばしていた。

 それは魔術であったのだろう。

 私を探すための、私への恩に報いようとしたのだろう。


 だが楽園から堕天したばかりの力は制御できず。

 彼女達は私を見失う。

 そんな様子を眺め、過去の自分を見る美の女神は残りを語る。


『妾たちは振り向くこともせず、無我夢中で腕を伸ばしたのじゃ……。届かぬと分かっていても、それでもと……その時点でもう、既に……レイヴァン神は消されておったのであろうな。遅かったのであろうな――これは妾たちまつろわぬ女神の、堕天と迂闊なる失態の神話であるのやもしれん』


 私の追放により、女神達は必ずそれを追う。

 その隙を、神々はもとより狙っていたのかもしれない。

 私は逸話魔導書の一節を思い出していた。


 それは大魔帝ケトスの物語。

 大魔帝となった彼はその冒険の中で、楽園から堕天した古き神の末裔……巨人と出逢うのだ。

 魔猫は彼ら巨人族と友好を結ぶのだが――。

 まあそれは、その逸話を読めば分かることか。


 ともあれだ。

 思えば、人間を愛し堕天したグリゴリの天使たち……ネフィリム巨人族を生み出した者たちもまた、兄レイヴァン神の友だった。

 兄は人間を愛し堕天した者たちに手を伸ばし、一つの大陸を作り上げた。

 人間との愛を選んだ友たる神々が苦労せぬように、生きていける場所を作ろうと多くの力を使い……後に巨人族を生み出す大陸を創世してしまうのである。


 その代償はけして軽いモノではなかった筈だ。

 いつの間にか、兄は徐々に力を失い……味方も事前に、消されていたのだ。

 だから。


 平気だと思っていたのに。

 兄は私が去った後に。

 ……。


 ペルセポネーが言う。


『レイヴァン=ルーン=クリストフ。かの神は”汝を追放せし神々”に逆らい抗議したことにより……謀殺された。楽園の神々もなんとも愚かなことをしたものじゃ。その一件、神話に記されしその逸話。あれこそが全ての過ちであり、崩壊の始まりであった……』

「兄の死こそが楽園の終わりの始まり。全ての歯車が狂い始めるのも、その地点。おそらく、ありとあらゆる魔術を用い、どんなに世界をやり直したとしても――それは変わらないのでしょうね」


 ほとんどの者が話についていけていないようだ。

 神話や世界の逸話に対する事前知識がないと、本当にただ分からぬ神話と逸話の表面だけを解説されているようにしか思えないのだろう。

 だが、多くの逸話を知っている者ならば違う。


 散らばった知識を全て束ね、全てに繋がりを得た者ならば。

 ……。

 存外に知識に貪欲なのだろう、グーデン=ダークが羊の顔を上げ。


『はて。なぜ、変わらないのでしょうか?』

「と、仰いますと?」

『いえ、あなた達ほどの神々ならば、世界をやり直す魔術とて開発が可能でしょう。実際、大魔帝ケトス殿は時間を操作する時魔術を操れると聞きます、それは時に過去さえ改変できる大魔術とも……。そして大魔帝の娘、アカリ姫は更に実際に世界を何度もやり直し、とある目的を果たしたとも耳にしております。まあ、噂は噂。過度に誇張されている部分もあるのやもしれませんが、ある地点から世界をやり直す魔術は既に完成している、と吾輩はそう確信しているのでありますが――』


 この羊は本当に賢い。

 強さだけならば神としては、申し訳ないが底辺だろう。

 だからこそ、その知恵が回るのだろうが。


 論理的に考えるレイドとしての私の口が、断片的に言葉を漏らしていた。


「理由は単純ですよ。世界には意思がある。世界とは歪みを治す性質がある。滅びた世界を修復……やり直してでも存続しようとする反応が三千世界にはあるのです。ですが……世界は兄の死を止め、やり直すことを選択していません。兄が死ななければ、楽園は滅びないのですから……本来ならばそこをどうにかすれば世界は安定したままの筈なのに。ならばそこには必ず意味がある」


 私は考える。


「あえて楽園を滅ぼす選択をし続けているのならば……そこには理由があるのでしょう。候補として考えられるのは――楽園崩壊こそが三千世界の維持に必須なのではないかという、仮説。おそらく兄の死と楽園崩壊もまた特異点、必要不可欠な通過点なのだと、魔術師としての私は考えます」

『楽園崩壊が世界のために……必須、でありますか』


 眉間に皴を刻むグーデン=ダークに、宙に漂う異聞禁書ネコヤナギがふわりと振り向き。

 この場面でみせたのは……。

 ジト目である。


『……というか、ナウナウの小間使いの悪魔羊さん……なんであなたたち、分裂してるのよ?』

『これはまあ、ナウナウ様のご指示と言いましょうか。わ、吾輩のせいではないのでありますよ!』

『ナウナウ! あなたには本当に後で話があるのだわ!』


 あるのだわ!

 あるのだわ!

 と、彼女の周囲に咲く猫の尻尾のような植物が輪唱している。


 どうやら、この饕餮ヒツジの分霊たるグーデン=ダークの顕現はイレギュラー。

、盤上遊戯世界では禁止されていることをしていたのだろう。


 ナウナウはすっとぼけて、ゴロゴロゴロ。

 ただのパンダのふりをしているが。

 ただでさえこのメンツだ――話が逸れるのも困ると、私は咳ばらいをし。


「――実際、楽園が滅ぶことにより散った神が古き神と呼ばれ、神として君臨。各世界で主神となり、人類に魔術を授け新たな世界となる。三千世界はそうして、大きな広がりをみせたのです。世界が広がっていくためには、楽園が楽園のまま存続することは困るのでしょうね」


 どう世界が変わろうと、兄の死は確定事項。

 そう告げた私は小さく息を吐く。


「さて、話を本筋に戻しましょう。ペルセポネーよ、あなたはレイヴァン神とどういった契約を交わしたのでしょうか? 察するにあなたはその契約を履行していたのだと思われますが」

『ふむ……そうであるな――』


 しばしの間の後。

 彼女はヴェールを揺らし。

 告げた。


『レイヴァン神の願いもまた、魔王聖典やそなたと似ていた。それは静寂の平和。いっそ、と思うたのであろうて。かのモノの目的は――破壊。世界全てを破壊し冥界に沈め……あの者が支配することによる絶対的な平和を作ろうとしておった。あの日、あの時、あの瞬間。再会せし黒き神に、そう心より願われ……助力を要請されたのだ。其れは純粋な願い。其れは純然たる平穏への祈り。故にこそ――朕は頷いておった。朕はあやつが世界全てを冥界に落とす、手伝いをする事にしたのだ』


 それはつまり。

 女神アシュトレトが、複雑な顔を浮かべ言葉を漏らす。


『レイヴァン神。あやつもまた……世界を滅ぼすことにより”在り得ぬ平和”を叶えようとしおったのか』


 愚かな……と。

 昼の女神の漏らした吐息には感情がこもっていた。

 それは本当に愚かと断ずるのではなく、そんな選択をさせてしまった状況に思いを乗せていたのだろう。


 話を聞いていたナマズ帽子の神猫。

 ムルジル=ガダンガダン大王がネコ髯を蠢かし、真顔でぼそり。


『というか、おぬしら。大魔帝ケトスも大魔王ケトスもレイドとなったおぬしも、魔王聖典もそしてそのレイヴァン神とやらもであるが――世界を滅ぼそうとし過ぎではあるまいか? なんというか、ふつう……そう簡単に世界を壊そうとなどとは思わぬし、実際に壊してしまうことなどありえんだろうて……。真面目な話、もう少し自重できんのか?』


 ……。

 ド正論なだけに、なんとも言えないのだが。

 話に耳を傾けていた民衆も、そういやそうだな……と、真顔になりつつある。


 私もまた、魔術を消し去り世界をリセットしようとしていた。

 レイドとなった私が心変わりをしなければ、女神ダゴンの助力を得てそれは実現されていた筈。

 つまりはそれも世界の終りの一つである。


 誤魔化すように私は話術スキルを発動。

 瞳を細め――。

 話の流れを遮り、シリアスに言う。


「今はそのようなことを論じている場合ではないでしょう。それで、夜の女神よ。あなたは具体的にどう契約を交わしていたのでしょうか」


 兄レイヴァン神とペルセポネーがどうなったのか。

 神々の物語はまだ続く。


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