第216話 知る者と知らぬ者
私が魔術を消し去り、全てをリセットしたいと願った心を変えたように。
女神達がこの世界を通じ、歪められた心から温かさを取り戻したように。
魔王聖典にもその歪められた平和の願いに変化を与えたい。
それが大魔帝ケトスの目的であり目標。
思い返してみれば確かにあの魔猫は私に様々な事件をぶつけ、その度に私は仲間たちと対処をし……その過程で、どこか楽しさを感じていた。
世界とはこれほどまでに自由に動き、豊かに跳ねていたのだと。
そう実感した。
私はきっと、きらきらとした目で世界を眺めていたのだろう。
この世界を消したくはない。
大魔帝ケトスの襲来によって発生した事件を通じ、私は強くそう感じていた。
肉球の上で踊らされたとみるべきか。
あるいは――。
彼の息子と女神アシュトレトが見守る中で、私は複雑な吐息に言葉を乗せていた。
「まさか、かつて私が説教や指導をする立場だった魔猫が、ここまで世界のために動けるようになっているとは――世界は違えど、感慨深いものがありますね。私の魔猫との再会も楽しみになってきましたよ」
告げる私に炎舞君は皇族の顔を継続し。
『大魔王ケトス様がまだ戻られないのも、あなたがこうして世界の美しさを感じた様をみせている状態にあるからなのです。生命たちの強く生きる姿を見たあなたは、その命の輝きを尊いものだと感じておられるでしょう。消してはならない大切な光だと感じておられるでしょう、その全てを裏三獣神や彼らに協力する神々の力を持って――魔王聖典に転送しているのです』
「なるほど――プアンテ姫が扱う感覚共有のような状態を、魔王聖典に使用。思考に変化を与え説得を繰り返しているというわけですか」
魔導書を説得というのも何とも変な話だが。
『全ての書が、とは申し上げることはできませんが、何割かの魔導書は魔王陛下と我が父との戯れを眺め、しばし行動を停止。考えを改めていると報告が上がっております。四星獣の方々には伝えておりませんでしたが、ナウナウ様との戦いも、ムルジル=ガダンガダン大王との賭けも全て……魔王聖典は眺めていた状態にあります』
私はしばし考え。
ふっと悪い大人の顔をして口を開く。
「つまりは、この状況で四星獣がいたのは計算外。あなたがナウナウさんの存在に焦っていた理由はそれですか」
炎舞君は燃える炎の髪を掻き揺らしつつ、ちらりと観戦席にいるナウナウに目をやり。
『え、あ……はい。その、申し上げにくいのですが、ナウナウ様の行動はこちらの想定したベクトルと、全く違う方向に進むことが多く……』
言葉を受けたナウナウは、しばし考え。
デヘヘヘヘヘ!
『どうしよう~大王、僕、褒められちゃった~♪』
『まったく褒められてはおらんだろうて……まったく、そーいうことならばそうだと先に言ってくれれば余ももっと上手く動いたモノを』
未来を眺めるムルジル=ガダンガダン大王ですら見ていなかっただろう光景に、炎舞君はまるで板挟みにあっている中間管理職のような困った顔をしてみせ。
『申し訳ありません、ですが四星獣の方々はその……奔放かつ願いを叶える力が強すぎるせいもあると』
『ふん、まあ良いわ。それで、魔王聖典の方はどうなっておるのだ? 少しは変化が出ておるのか?』
『先ほども少しお伝えしましたが、レイド魔王陛下の一連の流れを眺めた一部の魔導書が作戦を停止。生命を根絶やしにするかどうか、再定義をしだしているとのことです』
ようするに、一度出した結論を再検討しているのだろう。
だが――。
様々な要素を脳裏で式に変えた私が言う。
「結局は生命を全て終わらせ、静寂の平和を齎すと答えを出した魔導書……つまりは魔王聖典の本体をどうにかしない限りは無限に書は複製され続ける。魔王聖典の本体が考えを改めない限りはどうしようもない気もしますが。……と、アシュトレトどうかなさったのですか?」
『いやな――ふふ、他愛もない事じゃが。楽園の救世主であったあの方も、そして魔王となったそなたも頑固であるからな。魔導書となり平和な三千世界を作ろうと願う魔導書も、そなたと同じく頑固なのであろう。そう思うたら、少々笑みが零れてしもうたのだ』
皮肉るアシュトレトに、私はむっと顔を引き締め。
「私はあまり頑固な方ではない筈ですが」
『ほれ、そういう反応が既に頑固ではないか。よいよい、その涼やかな顰め顔も妾は愛しておる。そう、悲観することもあるまい』
「ですから頑固ではないと再三申し上げているのですが――」
女神とのやり取りにムルジル=ガダンガダン大王が息を吐き。
『そなたらの痴話ゲンカなどどーでも良いわ! 炎舞よ、一つ聞くが魔王聖典にレイドめの見た景色、そして感じた生命への躍動を伝えておるのは裏三獣神と協力する神々と言っておったな』
『え、ええ……それがなにか』
『相手は魔導書。それは書物。ならばこそ、あの口煩い小娘を使っておらぬとは思えぬ。はっきりと問うぞ、余やナウナウに黙って、異聞禁書ネコヤナギが大魔王ケトスに既に協力しておるのではあるまいか?』
それはまあ……はい、と炎舞くんは嘘をつくわけにもいかないと肯定の頷き。
異聞禁書ネコヤナギとは四星獣の一柱。
その本体は神樹と化したネコヤナギの樹であり、枝分かれした樹という性質を活かし――四星獣たちが管理する盤上遊戯世界の全ての記録を管理する、一冊の神話書物。
つまりは魔導書なのだ。
興味があった私が言う。
「異聞禁書ネコヤナギ、楽園が崩壊した後に発生した新たなる神性にしてゲーム世界を管理する、ゲームマスターにして強大な魔導書。大変興味深い存在ではありますが……ムルジル=ガダンガダン大王、あなたは彼女がこの案件に関わっていることをご存じなかったのですか?」
『ご存じないわ! うぬぅぅぅぅぅ! このような面白そうな話を、あの小娘めっ。余に内緒で勝手にかかわっておったとは、許せん!』
ナウナウもネコヤナギの話は聞いていなかったらしく。
『ねえ大王~、どうする~?』
『どうもこうもあるまい! はっきりと抗議せねばならぬ由々しき事態である!』
『だよね~、だよね~!』
声を掛けられなかった事で燃える二柱であるが、そのモフモフな背中を眺め女神アシュトレトがぼそり。
『そのような性格だからこそ、繊細な作戦に呼ばれなかったのではあるまいか?』
ギク!
と、まるで音がしそうなほどに彼らの動きは止まっていた。
かなりストレートな呟きだからこそ、二柱のモフ毛がぶわっと揺れているのだ。
これは月影君ももしかしたら……。
彼らモフモフ暴走組と同じくアウト判定。
その性格からして、作戦を任されている炎舞君とは違い、繊細さが要求される”魔王聖典説得の話”から外されていた可能性も結構あるのかもしれないが……。
ともあれ。
彼らは図星を突かれたおかげか憤怒は解けたようだ。
更にアシュトレトは昔では考えられない穏やかな顔で。
『それに、おそらく妾とて同じ。こちらの女神にもおそらくは知っていて妾達に告げてはいなかった者が居る筈であろうからな。呼ばれなかったのはお互い様、共に傷を舐め合おうではないか。して、炎舞よ――あやつはちゃんとそちらで上手くやっておるのかえ?』
まあこれも確かに、そうか。
アシュトレトは繊細という言葉とは真逆にいる。
どちらかといえば、このナウナウやムルジル=ガダンガダン大王寄りの性格である。
しかし、知っていた女神がいるとなると……。
まあ該当者は一柱か。
そもそも彼女だけは事前に外と連絡を取っていた。
炎舞君が先ほどのアシュトレトの言葉に頷き言う。
『そこまで気付いていらっしゃるとは――さすがレイド魔王陛下の伴侶となられた御方』
『ふふふ、世辞は良い。あやつと話がしたい、繋げるか?』
注文を受けた炎舞君は魔道具を用い、宇宙の海とも呼ぶべき三千世界そのものと中継を繋げていた。
闇と星々と魔力で満たされた空間。
そこに映されたのは――夜のヴェールを纏う女神。
そう、夜の女神がそこにいた。




