第209話 三女神の報告書:後編
ここは引き続きフレークシルバー王国の研究室。
珈琲とインクの香りが混ざる部屋。
魔王聖典の解析を進めながらも、空いた時間で女神達の報告を眺めていたのだが。
バアルゼブブ直筆の報告書を手にし、椅子に座る私は本人を見上げて言う。
「罪人たちを蘇らせ、戦力としていると聞いたのですが?」
『えへへへへ~、そうだよ? な、なにか不味かった?』
黄昏の女神ことバアルゼブブもまた、他の女神と同様に褒められ待ち。
まるで四星獣ナウナウのように、えへへへへへ!
バアルゼブブが誰に影響されたのか一目でわかる表情で、微笑んでいる。
その笑顔たるや、思わず頭を撫でてやりたいほどの庇護欲を煽る、まっとうなスマイル。
おそらくはナウナウの入れ知恵だろう。
どうもナウナウとバアルゼブブは相性がいい様子。
頭ごなしに説教はまずい……まずいのだが。
報告書を見てしまった以上、何も言わないのもまずい。
「手段や方法を問題視しているのではないのです、実際に大陸を守れているのでその手腕は見事と言えるでしょう。しかし……些かやりすぎでは?」
バアルゼブブは一瞬で、蟲の分霊に分身。
それぞれがヒソヒソと相談し始め。
『ど、どういうこと……なのかな?』
『あ、あたしは、ぼ、ぼくたちは』
『ただ、り、輪廻転生できていない、し、死者の魂を、め、冥界から、連れてきて。せ、世界のために役に立って、貰って。は、はやく転生できるように、し、してるだけなんだよ?』
今この世界の輪廻転生を管理しているのはおそらく夜の女神。
冥界の決まりも様々。
彼女の基準で言えば、生前の罪を洗い流すまでは転生できないのだろう。
だからこの世界のために動くことは罪人の死者達にとっても、渡りに船。
彼らの善行も溜まり、世界も助かり結果として罪人の転生も早くなる。
しかし、だからといって……。
私は報告書と実際の映像をリンクさせ、壁に投影。
邪杖ビィルゼブブの骸骨の伽藍堂を投影機とし、その光景を流しだす。
そこには座標いっぱいを埋め尽くす、死者たち。
それも罪人の群れ。
「確かに相手は座標を定め、空間を割り無理矢理に自身の存在を登録し……転移してきている。ならば事前に転移可能な座標を全て埋め尽くせば、転移にラグが発生し瞬間的な転移は不可能になる。そのラグを探り、魔王聖典が転移してくる瞬間を事前に把握できれば対処もしやすい。ですが……」
『た……大陸全土をアンデッドで埋め尽くすのは、ダメ?』
「……緊急事態ですし、ダメとは言いませんが――」
生者たちは当然警戒する。
なにしろ、罪人ばかり蘇っているのだ。
まあ蘇っていると言っても、死者は死者のままだが。
どう言い聞かせるか、悩む私の前。
集合したバアルゼブブの影から、ズズズズズゥ!
彼女が今現在使っているアンデッドリーダーが出現する。
それは大陸を覆っているアンデッドの群れボス、彼を言葉で表現するのならば”幽霊海賊頭領”。
いつか聞いたことのある渋い男の声が響く。
『おいおい、賢者の坊主ぅ。硬い事いうんじゃねえって、別にいいじゃねえか。いったい何が問題なんでい?』
「パーランドさん、あなた――罪人側の魂として死んでいたのですね。私が王となった時の恩赦と、実際は復讐だったその凶行への情状酌量から、エルフ狩りをしていた時の記憶を抜かれ、普通の人間として暮らし――そして天寿を全うしたと聞いておりましたが」
そう。
そこにいたのはまだ私がエルフ王となる前に戦った、エルフ狩りの海賊パーランド。
勇者や英雄といった、人類最上位に足を踏みこんでいた男。
集団スキルの使い手である。
海賊姿の死者は、キヒヒヒヒっと悪い顔で。
『ああ、だが夜の女神とかいうババアはオレの罪を許しちゃいなかったようでな。転生させてはくれなかった、だが、バアルゼブブさんは違った!』
「バアルゼブブ……さん?」
私には賢者の坊主で、夜の女神はババアなのに。
あのバアルゼブブだけには、さん付けである。
足元を透けさせながらもポーズを取る海賊パーランドは、敵に絡む海賊の顔で。
『あぁん? おいおい、主人に敬称をつけるのは当然だろう?』
「言っておきますが、私はそのあなたがいう所の主人の、主人ですよ」
『その……なんだ、賢者の小僧。てめえが、バアルゼブブさんと……将来を誓い合う仲ってのは』
将来を誓い合ったかどうか。
それはどうか分からないが。
私は多少糸目な魔王スマイル。
「一般的には彼女が私の伴侶や妻、后と呼ばれる立場にあるのは確かですね」
『后っつーと……』
「ええ、あなたは知らないかもしれませんが私はエルフ王に就任。そのまま百年以上はフレークシルバー王国を統治していることになります」
海賊パーランドは悪絡みからまっとうな真摯で紳士な顔を作り。
『なら、てめえが……オレたちを使って魔導実験していやがったエルフどもを裁いたってのも』
「おや、聞いていたのですね。ええ、した事の報いは受けていただきました。気になるのでしたら見ていかれますか?」
『見る?』
「ええ、エルフという形は残っていませんが、何体かはかつて自分がエルフの貴族であり、人間を使い黒い宴を行っていた意識が残っているモノもあるでしょう。お望みでしたら持ってきますが」
主に蘇生や回復系の魔導の研究に使われていた、それらを――。
持ってきます。
そう表現したその言葉の意味を知ったのか――。
パーランドはごくりと喉の隆起を上下させ。
僅かに目線を斜めに下げ、歯切れ悪く言う。
『いや……、そうか――オレは……坊主、てめえに感謝しないといけねえのかもしれないな』
「感謝、ですか。勘違いはしないでください。たしかにあなたは正当な理由で復讐を行っていたのかもしれない、しかし無辜なるエルフが一人もいなかったとは断言できないでしょう? 私が彼らを裁いたことと、あなたの罪は別です。あなたはあなたで罪の報いを受け続ける必要があります」
『それでも――オレやオレの家族たちの無念が晴れたのは本当だからな』
言って、海賊パーランドの亡霊は船長としての、最大級の礼をし。
スゥ……。
人間狩りを行っていた貴族を罰したエルフ王たる私に頭を下げ続ける。
「この場に現れて頭を下げているという事は、今回の事態に力を貸してくださると判断してもよろしいのでしょうか」
『ああ、転生するにしてもポイントみてえなもんを稼がないといけねえみたいだからな』
「なるほど、既に夜の女神とも取引済みという事ですか――」
集団スキルを使える彼が戦力になってくれそうな事は、朗報ともいえるのだが。
問題は、今もバアルゼブブが担当した大陸に徘徊する”罪人不死者”の群れ。
「バアルゼブブ、残りの不死者の制御はできているのですか?」
『え、えーと、パ、パーランドちゃんが、やってくれてるんだよ?』
まあ集団スキルを扱えるのだ、不死者たちの統率もできているのだろう。
「ちなみに、どれだけの罪人の死霊を蘇らせているのですか」
『どれだけの……?』
こてん――と。
九十度、首を横に倒したバアルゼブブの様子から察することができるのは、量など気にした事がないという彼女の心。
「あなた、把握できていて操れる全ての死者を蘇生させましたね?」
『そうだよ? な、なにか問題、あ、あったのかな?』
ようするに、本当に言葉通りの意味で活用できそうな全ての罪人の魂を、大陸中に顕現させているのだ。
外とは時間の流れが多少異なる混沌世界が、いつから存在しているのかは私も把握はできていないが……。
百鬼夜行などというレベルではない。
「問題しかないでしょう……大陸が大混乱しているようで、今、ちょうどその大陸の大陸神から事情説明を求められました」
『で、でも……世界の危機なら、な、なにをしてでも守らないと全員死んじゃうんだよ?』
そう。
バアルゼブブは純粋に世界の生命を救うために、動いている。
心が成長しても、バアルゼブブの性質は極端で……。
けれど、その心が純粋なのだとは理解できる。
「そうですね、背に腹は代えられない。世界を救うためならば、多少、全ての罪人が大陸に徘徊しているぐらい我慢して貰うしかないでしょう。パーランドさん、あなたが彼らを統率しきり今回の事態を解決できた暁には、私が夜の女神と話をつけても構いませんよ」
『へえ、そりゃあありがたいな賢者様よ』
「契約完了ですね――」
言って、私は指先で空を弾き魔導契約書を召喚。
約定と誓約を取り決め、魔術で捺印。
「それで、実際に罪人たちの魂は制御できそうなのでしょうか。バアルゼブブの話では既にできているようですが」
『あぁん? それなら心配要らねえよ。誰だって、いや、どんな悪人だって自分よりヤベエすげえ巨悪が、えへへへへって笑って、世界のために動いてね? なんて脅しをかけてきたら、従うしかねえだろうよ』
「ああ、なるほど――」
確かにパーランドの力で制御できている一面もあるが、その本質は別。
ようするにバアルゼブブの”お願い”の圧に彼らは飲まれ、負けているのだろう。
私と接している時は、少し抜けた、舌足らずな女神だが――。
全身に脂汗を浮かべたパーランドが言う。
『ひとつ、いいかい新しきエルフ王陛下』
「なんでしょうか」
『大罪人のオレ達ですらビビリ散らす、こんなやべえ女神達を妻にしてるって……いや、やっぱ聞くのは止めとくぜ。あんたのことになると、うちのボスは、どうやらネジが壊れちまうみたいだからな』
バアルゼブブは、羽音を鳴らし。
ジジジジジギギギギィ……。
なにか、よけいなことをいったら、けす。
そんな気配を隠しもせずに、音を鳴らし続けていた。
その警戒音をオルゴールとしながら、私は瞳を閉じ。
「彼女達は確かに、少し変わっていますが――良くも悪くも純粋な存在なだけですよ。どうか、あまり怖がらないで上げてください」
存外に優しい声音だったからだろう。
海賊パーランドは、やはり……ごくりと息を呑む。
『あ、あぁ……分かった、OKOKあんたをオレのボスとも認めるよ。命令には従う。だから、そう睨むなって』
男は女神達よりも奇怪な怪異をみる瞳で。
怯える顔で――。
言葉を押し出し――。
まっすぐお願いする私からの言葉に頷き、目線を逸らしていた。
きっと彼の瞳には私も、女神の同類。
あるいは、それ以上の悍ましい存在に見えているようだ。
「すみません、脅すつもりはなかったのですが」
『……まさかあの時の賢者のガキが、こんなバケモノ様だったとはな。ま、契約した以上はちゃんと働くから安心しな。ろくでもねえ罪人どもを使って、人類を守ってみせてやるよ』
実際、私という存在はそういった観察眼を育てた強者から見ると、そういう類に映るのだろう。
ともあれ。
また一つ戦力は拡大する。
かつての罪人さえも協力し、歩みは進む。
世界に生きる命のための歯車は動き続ける。
善も悪も、神も人類も関係なく皆が協力する姿は、まるで世界平和そのもの――。
私は魔王聖典の複製品に目をやり。
静かに、深い息を漏らしていた。
◇
パーランドとこれからの対策の話を詰めていた、その数分後。
報告にやってきた豪商貴婦人ヴィルヘルムが海賊パーランドを目にし、深い息を吐いたのだが。
やはり彼女も優秀な側近。
すぐに事態を把握したのだろう。
海賊たちの武器を取り寄せるべく、商業ギルドとして動きを開始したようだ。




